秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

キーワードは、男山

2013-09-16 | 古代史のミステリー


関西は午後から晴れましたが、このたびの台風18号予想以上にすさまじかった。
各地に大きな被害を残しました。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

昨日、石清水八幡宮行きましたがずっと雨でした。
夕方さらに雨足が強くなり、
頓宮から山上へ神様がお戻りになる行列もさぞかし大変だったことでしょう。


さて画像は、「レストラン男山」の宮崎牛ハンバーグランチです。
石清水八幡宮での奉納演武が13時からだったので、近場でランチするのに事前調査。
創業45年のレストランで見かけは昭和レトロな建物でパッとしないけど、
昼も夜も駐車場満杯で、実際行ってみたら美味しかったという口コミたくさん見ました。

男山に行って奉納武道見るんだから、この際食事もレストラン男山で決めました。
国道1号線沿いで石清水八幡宮から車で10分と離れていません。

口コミにたがわず美味しかったので、またいつかこのあたり通過することあれば行きたいです。



先の記事で悠々美術館さんがコメント残してくださり、男山中学のことに触れられてました。
今回のキーワード、男山!!
シンクロしましたね~

以前から男山という地名に引っかかりを感じてたので、この際あらたに記事にしておきます。

男山で検索するとまずヒットするのが、日本酒「男山」でした。
「寛文年間(1661年~1672年)に摂津国伊丹で創業した、かつての有名日本酒蔵元。
京都府八幡市の男山が名の由来。明治の初めに廃業したが、
江戸期の模倣や廃業の際のブランドの切り売りなどで数多くの「男山」ブランドが日本全国に存在する。
その中で旭川の北海男山が本家とされる。」

男山という名前の山は日本に何箇所かありました…岩手、新潟、長野、、京都、兵庫、岡山。
兵庫県姫路市の姫路城の近くにある男山は標高57.5m。
山頂は男山配水池公園になっており中腹に男山八幡宮が鎮座。
そして、京都府八幡市にある鳩ヶ峰の別名。標高143m。山上に石清水八幡宮がある。


男山は大阪府枚方市と京都府八幡市の境にあります。
京都府八幡市市立中学校の名称には全て「男山」が付くことも記載されていました。


地図下、男山団地の右側に男山第3中学校があります。

男山という地名の由来は何かなと調べましたが分かりませんでした。





石清水八幡宮は859年の遷座以前は、男山山中から湧き出る清泉を神としてまつっていました。
二の鳥居横から裏参道を上がっていくと山腹に石清水社があります。


社殿前の泉屋の中に井戸があるなど元は水神信仰であったことがうかがい知れます。

現在の祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシ)になってるのはなぜか不明だそうです。




一の鳥居をくぐり、麓の頓宮北門から入り
南門を出て右手に高良神社(こうらじんじゃ)があります。
先の記事の、徒然草仁和寺の法師が八幡神と勘違いした高良社です。





もとは河原社と称し、馬場先本道を挟んでその前方を流れる放生川の側にあった。
八幡地区の氏神だったが、極楽寺や頓宮の造営に際して川幅が広げられたため現在地に遷った。
その後、カワラがコウラと訛り、筑紫の高良大社(久留米市)を遷座せしめて『高良社』と呼ばれるようになった。


高良玉垂命(コウラタマダレ)ってどなた?
また疑問が増えました…

高良社は、慶応4年の鳥羽伏見の戦いで焼失し再建されたが、元の豪壮な面影はない。



    引用: 京阪奈ぶらり歴史散歩

男山団地の左側に交野天神社があり、樟葉宮伝承地と書かれてあります。
樟葉宮(くすばのみや)は、現在の大阪府枚方市楠葉丘。

日本書紀に拠ると
506年武烈天皇が後嗣定めずして崩御したため、…、越前から「応神天皇5世の孫」である継体大王が迎えられ、
507年河内国樟葉宮において即位し、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とした。

第26代継体天皇の 諱はヲホド。
『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)
『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)

男大迹王には男という字を使われていますが、男山と何か関係ある?


今年8月に今城塚古墳と博物館を見学して記録残しました。
いましろ大王の杜

日本の兵馬俑は、ちょっと言いすぎや、けど

近畿中央部における大型古墳の分布図を載せましたが、
あの地図の京都南部に大きな湖があります。
それが巨椋池で、昭和8-16年ごろに干拓して農地となりました。

巨椋(おぐら)池という地名は残れども、現在地図からは想像もつきません。



豊臣秀吉は伏見桃山城を築造し、京街道を整備しました。
そのときに巨椋池のまわりに堤を築き整備したようです。

詳しく説明された巨椋池というサイトより古地図もらってきました。



「その昔、全ての川は巨椋池に直結しており、また大型船が航行出来るほど水量も豊富であった」
と書かれてありました。 

ちょうど交通の要所としてバッチリな所に、石清水八幡宮ありますね。
それにしても仁和寺の法師、歩いてきたら遠かったことでしょう。
船も使ったのかしら…





男山近辺の過去の日記もよかったら…ご高覧賜れば幸いです。

2006-07-20 松花堂弁当 風雅な癒しの空間 ♪千の風になって


2010-05-06 柏餅と石清水灯燎華