不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

蓮舫の7月18日二重国籍問題記者会見:自身を「多様性の象徴」と言う小賢しさと綺麗事満載の自己正当化

2017-07-20 12:48:35 | 政治

 このブログが民進党の現在のゴタゴタに拍車をかける影響力は微塵もあろうはずはないが、野党第一党の代表に対してこれ以上の蓮舫批判を加えることは安倍政権の日本の政治の舞台からの一刻も早い降板を願って野党第一党の民進党に頑張って貰いたいと思っている心情と相反するような気がして差し控えるつもりでいたが、蓮舫の7月18日の記者会見記事を読んで、余りにも自己都合な言葉の数々にたちまち気が変わった。

 特に自身を「多様性の象徴」と言って自己を正当化している問題のすり替えに、正直、ムカついた。

 蓮舫が今回戸籍謄本を公開することになった発端は昨年の2016年9月の民主党代表選挙選に正式に出馬表明した2016年8月末頃からか、一部から日本国籍と台湾籍の「二重国籍」になっているのではないかと指摘を受け、当初は二重国籍を否定していたことに対して9月15日投開票(9月2日告示)2日前の2016年9月13日に国会内で記者会見を開いて、台湾当局への確認によって台湾籍が残っていることを明らかにしたが、それまでは「17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をした」と主張し、記者会見でも、「台湾籍を抜く作業をした認識でいた」、いわば抜いたと思い込んでいたとする言葉や国籍に関するその他の言葉に対する信用性が問われたからであって、結果として蓮舫自身が事実関係を証明するために戸籍謄本を公開せざるを得なかったからに過ぎない。

 次の記事が7月18日の記者会見で蓮舫が明らかにした各書類とその日付を列記している。正確を期すために全文を参考引用しておく。文飾は当方。

 【蓮舫氏「二重国籍」会見】戸籍謄本の一部を公開 「台湾籍有していないと分かる資料」と強調産経ニュース/2017.7.18 17:05)     

 民進党の蓮舫代表は18日夕、党本部で記者会見を行い、台湾籍と日本国籍との「二重国籍」問題をめぐり、日本国籍の選択宣言をしたことを証明するため戸籍謄本の一部など関係書類を公開した。「台湾籍を有していないことが分かる資料だ」と強調した。

 蓮舫氏は、日本国籍の選択宣言日が「平成28年10月7日」と明記された東京都目黒区役所発行の戸籍謄本▽台湾の行政府が発行した台湾籍の離脱証明書▽今回離脱手続きのため台湾側に提出した台湾のパスポート-など数点を公開した。書類はいずれも写しだった。

 このうち、公開した戸籍謄本は住所や家族の欄は白抜きとし、氏名と出生日、国籍選択の宣言日が分かるようになっている。謄本の取得日は今年6月28日となっている。

 公開した書類によると、蓮舫氏が台湾籍の離脱手続きを申請したのは昨年の9月6日だった。同月13日に台湾側から「国籍喪失許可証書」が発行され、同月26日に目黒区役所に「外国国籍喪失届」を提出した。しかし、日本政府が台湾を国家として認めていないことなどを理由に、申請は翌10月7日に却下され、同日中に戸籍法104条の2に基づき、日本国籍の選択宣言を同区役所に届け出た。

 以上明らかにした各書類と日付、これまでに経過してきた事実、そして蓮舫の生年月日等を時系列で改めて記してみる。

 ●蓮舫 1967年〈昭和42年〉11月28日生まれ。

 ●昭和60年 蓮舫17歳、日本国籍を取得

 ●2016年8月5日 蓮舫、民進党代表選(9月2日告示・9月15日投開票)のに正式に出馬表明。

 ●2016年8月末 代表選を控えて日本と台湾の二重国籍問題が指摘される。 

 ●2016年9月6日 台湾籍の離脱手続きを申請 

 ●9月12日 台北経済文化代表処より、台湾籍が残っているとの連絡を受ける。

 ●2016年9月13日、国会内で記者会見 

 蓮舫「すいません。朝からお集まりいただきました。先般来、私の国籍のことでお騒がせしていますがが、これまでのご説明したとおり、17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今に至っていましたが、台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕(2016年9月12日)、(台北経済文化)代表処(だいひょうしょ・事実上の在日台湾大使館)から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます。

 その上で、17歳のときに私が日本国籍を選択して、台湾の籍を父とともに抜いたという認識は今にいたっても同じでありましたが、17歳当時の私の記憶の不正確さによって、さまざまな混乱を招ねきましたことは、本当におわび申し上げたいと思います」

 ●2016年9月15日 民進党代表選投開票 蓮舫、代表に選出される

 ●2016年9月23日、台湾側当局から2016年9月13日発行の「国籍喪失許可証書」受領

 ●2016年9月26日 目黒区役所に「外国国籍喪失届」提出

 ●2016年10月7日 目黒区役所、日本政府が台湾を国家として認めていないことなどを理由に申請却下

 ●2016年10月7日、戸籍法104条の2に基づき日本国籍の選択宣言を同区役所に届け出。

 ●2017年が7月18日、記者会見を開いて戸籍謄本その他の書類を公開

 先ず疑問に思うことは蓮舫に二重国籍問題が指摘された時点で公党の代表を目指す政治家として自身の記憶だけを頼りに二重国籍を否定するのではなく、事実を以って否定するために台湾当局に確認しなかったのだろうか。

 記憶は自身にとっては事実足り得ても、他者にとっては必ずしも事実足り得ない。特に17歳のときの自身が直接行ったことではない、父親が行ったことの記憶なのだから、自身の記憶を事実ではないとしている指摘に対しては他者も納得できる記憶ではない事実を以って対抗することが最も有効であるはずだが、台湾籍が残っている確認を取ったのが2016年9月12日で、台湾側は確認するだけだから、そんなに日数はかからないはずだから、照会したのは9月10日か11日。

 2016年8月末に二重国籍の指摘を受けてから10日近くも経過してからであって、その不用心は常識では考えることができない。

 蓮舫は2016年9月1日に「産経新聞のインタビュー」を受けて、二重国籍について質問を受けている。    

 記者「出身の台湾と日本との『二重国籍』でないかとの報道がある。帰化していると思うが…」

 蓮舫「帰化じゃなくて国籍取得です」

 記者「過去の国籍を放棄し忘れているのではないかという指摘だ」

 蓮舫「ごめんなさい、それ分かんない。それを読んでいないから」

 記者「国籍法が改正されて、22歳までは日本国籍があるけども、そこで選択を迫られ、残った国籍は速やかに放棄しなければいけないという規定がある。それをしているかどうかという記事が出ている。首相を目指すのであれば、仮に台湾籍があるならば、ネックになると思うが」

 蓮舫「質問の意味が分からないけど、私は日本人です」

 記者「台湾籍はないということでいいのか」

 蓮舫「すいません、質問の意味が分かりません」 (完)

 蓮舫はそれでも確認を取らず、唯一自身の記憶を事実と見做していた。ところが、記憶は事実ではなく、記憶間違い、架空の事実に過ぎなかった。いわば事実誤認した記憶を唯一の拠り所として二重国籍でないと主張していた。

 この迂闊さは計り知れない。

 もう一つの疑惑。2016年9月6日に台湾籍の離脱手続きを申請した。だが、2016年9月13日の国会内で記者会見では、「台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕(2016年9月12日)、(台北経済文化)代表処(だいひょうしょ・事実上の在日台湾大使館)から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます」と発言している。

 時系列から言うと、先に台湾籍離脱手続きの申請を行い、6日後に台湾当局から台湾籍が残っている報告を受けたことになる。常識的には残っているかいないかの照会が先で、残っていたらなら離脱手続きの申請、残っていなければ、二重国籍でないことの公の表明で済むはずだ。

 蓮舫は今回の記者会見で「9月6日に台湾籍の離脱手続きを申請した」とは発言していない。「台湾籍が残っていたことを確認した後に、速やかに離脱手続きを行った」とのみ発言しているが、公開した離脱手続き申請書に2016年9月6日の日付が入っていたのだろう。他の記事でも確認したが、2016年9月6日の申請となっている。

 この時系列の逆転は蓮舫の言葉の信用性を著しく傷つけることになるはずだ。

 今回の記者会見の蓮舫の冒頭発言。

 蓮舫「本日、私がすでに台湾の籍を有していないことが分かる戸籍の一部を含めた関連の資料をお示しした。本来、戸籍は開示するべきではないと思っている。また、誰かに強要されて戸籍をお示しするということはあってはならないことだというのは、まずもって申し上げさせていただきたいと思う。

 ただ、私は野党第一党の党首として、発言の信頼が揺らいでいることがあってはいけないということ。それと何よりも現政権に対して強く説明を、責任を果たすように求める立場であることを勘案して、今回、戸籍の一部も含めたその他の台湾籍を有していないことが分かる資料を公表させていただいた。ただ、これを他者に当てはめたり前例とすることは断じて認めることはできない。このことは冒頭に強く申し上げさせていただきたいと思う。

 本日、資料でお示しして確認できる事実関係だが、昨秋からご説明している通りであり、これまでの説明と全く相違はない。1985(昭和60)年の改正国籍法施行によって、私は17歳のときに届け出て日本国籍を取得した。あわせて台湾籍放棄の手続きを父が完遂してくれていたと理解していた。昨年指摘をいただくまで、台湾籍を持っているとは考えたことも思ったこともなかった」

 この冒頭発言で蓮舫自身に関係があるのは、「私は野党第一党の党首として、発言の信頼が揺らいでいることがあってはいけないということ。それと何よりも現政権に対して強く説明を、責任を果たすように求める立場である」と発言していることと、「本日、資料でお示しして」以降の発言だけである。

 誰かに強要された戸籍の不当な公開であるかのように言っていること、さらに「これを他者に当てはめたり前例とすることは断じて認めることはできない」ことだと言っていることは今回の戸籍の公開とは一切関係ない。

 戸籍の公開は国籍に関する自身の言葉の信用性が疑われて戸籍以外に信用性を証明する方法がないことから迫られた受け身のものであるはずだが、その経緯を無視して、今回の公開とは無関係の戸籍公開の非正当性を言い立てることで、戸籍に関わる自身の言動のすべてを正当化しようと小賢しいばかりに綺麗事を言っているに過ぎない。

 冒頭発言で既に狡猾にも奇麗事満載の発言となっている。

 戸籍の公開が自身の言葉の信用性から発した受け身のものである以上、次の発言も小賢しいばかりの綺麗事となる。

 蓮舫「戸籍はすぐれて個人のプライバシーに属するものだ。戸籍の一部とはいえ、選択宣言の日付を公表することに私は一貫して慎重だった。特に選択宣言、その日付が記されたページは、私に関する情報が載っているものではなくて、私の娘と息子に関する記述のあるページだ。そのことからも、この戸籍の一部を公開することに対して私は慎重だった」

 蓮舫自身の言葉の信用性が問われて、言葉の信用性の証明のために戸籍を公開せざるを得なくなった。自身も冒頭発言で言っている。「私は野党第一党の党首として、発言の信頼が揺らいでいることがあってはいけない」と。

 だが、戸籍の公開を招くことになった経緯、自分の言葉の信用性が問われていることには一切触れずに「戸籍はすぐれて個人のプライバシーに属するものだ」とか、「私の娘と息子に関する記述のあるページだ」と批判の感情で取り上げて、ここでも今回の戸籍公開とは無関係の戸籍公開の非正当性のみを主張していることは明らかに綺麗事の部類に属する。

 蓮舫「他方で、私に台湾の籍が残っているのではないかと指摘され、私が手続きを分かっておらず、高校生のとき以降考えたことのない台湾籍について、記憶に基づいて話したことによって、不安定な印象を深めてしまった。それを払拭することなく、『私は正しい』として、ときの政権に対して『間違いをただしてほしい』『説明を果たしてほしい』と求める姿は説得力に欠ける。この判断が資料の開示につながったことを、ぜひご理解いただきたいとお願いする」

 台湾籍を抜いたのは自身が直接したのではなく、中国語が分からない自身に代わって父親が行ったという記憶である以上、二重国籍を指摘されたとき、「公職選挙法」によって二重国籍者は被選挙権の有資格者たり得ないと規定されている以上、自身で記憶が事実か、事実誤認か確認しなければならなかったはずだが、それを1カ月以上怠っていて、日本国籍の選択宣言は2016年10月7日に行ったものの、この経緯を明らかにしたのは1年近く経過した一昨日の7月18日の記者会見のことだから、言葉の信用性がないままに政権の是非を問うのは「説得力に欠ける」から、「この判断が資料の開示につながった」と言っていることは、これも巧妙狡猾な綺麗事に過ぎない。

 次の発言は悪臭さえ臭い立つ最悪の言葉となっている

 蓮舫「今回、選択宣言の日付を公開し、台湾籍が残っていないことをお伝えしたが、こうした開示は私で最後にしてもらいたいと思う。全て国民は法の下に平等だ。人種や性別、社会的身分などで差別をされてはいけない。親や本人、子供の国籍、髪や肌の色や名前や筋など、日本人と違うところを見つけて『違わないということを戸籍で示せ』と強要することがない社会をしっかりとつくっていきたいと思っている。多様性の象徴でもある私が、自らの経験をもって差別を助長することのない社会、多様性を認め合う共生社会を、民進党代表としてつくっていきたいということを最後に強く申し上げたいと思う」

 蓮舫が公党の代表を目指す政治家として、そして公党代表となった政治家として、時と場合に応じて日本の首相になるかもしれない可能性から見て、二重国籍者であるかどうかが問われたのであって、「全て国民は法の下に平等だ」と言った問題でも、「人種や性別、社会的身分などで差別をされてはいけない」と言った問題でも、「親や本人、子供の国籍、髪や肌の色や名前や筋など、日本人と違うところを見つけて『違わないということを戸籍で示せ』と強要する」と言った問題でもない。

 これらの多くが反対することのできない正当性を並べ上げることで言葉の信用性を取り上げられた自身をも正当化しているに過ぎないのだから、綺麗事の正当化に過ぎない小賢しいばかりのレトリックとなっている。

 「多様性の象徴でもある私」と言っている。

 確かに蓮舫は台湾人と日本人の血が流れている。人種的には、あるいは民族的には“多様”と言うことができるが、異なる人種、あるいは異なる民族を一つ身体に持つ人間はゴマンと存在する。

 いわば単に民族的に、あるいは人種的に“多様”と言うだけのことであって、それが真の“多様性”の域に達するためには自分の中で生きている民族的に、あるいは人種的にそれぞれに異なる血から自らの優れた可能性を見い出し、その可能性を、例えほんのささやかなものであっても、何らかの思想や行動原理に昇華しなければならない。

 ほんのささやかにであっても、何らかの思想や行動原理に昇華することができない、異なる血を持っているだけという“多様性”は形だけのものとなる。

 当然、日本人の血しか持たなくても、父母の血や祖父母の血から、あるいは後天的に触れた他者の生き方や考え方から自らの可能性を紡ぎ出して、その可能性を何らかの思想や行動原理に昇華して“多様性”を獲得していく人間も存在するのだから、異なる血を持った人間だけに限られている“多様性”ではない。

 また「多様性を認め合う」という言葉は、それ外国人であっても、ハーフであっても、あるいはLGBTであっても、身体障害者であっても、それぞれに何らかの可能性を有しているのだから、自分とは異なる存在だからと言ってその可能性を排除せずに相互の可能性を尊重し合う関係性を築かなければならないことを言っているはずだ。

 当然、蓮舫が台湾人と日本人の二つの血を持っていることを理由に自身を「多様性の象徴」に祭り上げるについては二つの血から自らの優れた可能性を見い出して、その可能性を、例えほんのささやかなものであっても、何らかの思想や行動原理に昇華して、それを実際行動として具現化していなければならない。

 蓮舫はそれだけの政治家、公党の代表となっているのだろうか。言葉の信用性を疑われる「多様性の象徴」とは至って逆説的で、あり得ない。自身を何様だと過大評価しているようだ。

 小賢しさと綺麗事満載の自己正当化と言い、自身を何様だと見立てた過大評価と言い、悪臭プンプンの鼻持ちならなさだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蓮舫の国籍問題を「外国人や日本国籍取得者への差別助長」、「多様性」の観点で論ずるのは問題のすり替え

2017-07-18 11:57:54 | Weblog

 民進党代表の蓮舫が7月11日(2017年)の党執行役員会で自身が台湾籍と日本国籍の「二重国籍」となっていた問題を巡り、日本国籍の選択宣言をしたことを証明するため、近く戸籍謄本を公開する方針を明らかにした。

 但しこの戸籍謄本公開の方針に賛否両論が湧き起こった。「産経ニュース」  

 民進党参議院議員有田芳生(よしふ)ツイッター。

 「戸籍を公開せよとツイッターで書いた民進党の国会議員は誰だ。黙せずに『うん』とか『すん』とか言えよ。安倍晋三政権が窮地にある局面で、『敵』に塩を送っている。公表を求めることは、社会的・歴史的な『いじめ』で間違っている。長年にわたる被差別問題などの闘いへの逆行だ」

 蓮舫がなぜ戸籍謄本を公開する必要に迫られたのか、その経緯を正しく理解していないようだ。

 2017年7月12日付「毎日新聞」記事は、〈民進党の蓮舫代表が日本と台湾の「二重国籍」問題で戸籍謄本を公開する意向を示したことに、党内から「外国人や日本国籍の取得をした人への差別を助長しかねない」と危惧の声が上っている。〉と伝えている。  

 国籍の違い(=民族の違い)によってその人間自体の価値を決める一部日本人が国籍の違い(=民族の違い)を確認するために戸籍謄本の公開を求めて確認できたとき、その人間自体の価値を決めることは国籍(=民族)の違う人間全体に対する差別に当たり、このような観点から迫られた蓮舫の戸籍謄本公開であるなら、確かに差別の助長を招きかねないが、そのような観点から迫られた蓮舫の戸籍謄本公開では決してない。

 いわば人種や民族の違いを人間自体の価値に結びつける多様性の排除から出た蓮舫に対する戸籍謄本公開要求ではない。単に蓮舫自身が二重国籍でないことの証明のために求められた戸籍謄本の公開要求であり、蓮舫自身によるその証明のための戸籍謄本の公開に過ぎない。

 記事が7月12日の有田芳生の「ツイッター」投稿文を紹介していたから、アクセスしてみた。
  
 〈蓮舫代表が戸籍を公開(メディアを通じて戸籍をさらす?)して何が明らかになるのか。国籍選択日が記入されているというが、それがどんな意味を持つのか。政党の代表が戸籍というもっともプライバシーに属することの公開を強いられて、それが一般人へのさらなる攻撃材料になることは目に見えている。〉――

 蓮舫の出自が台湾人であることは多くの日本人が知っている。日本人の中には現在の国籍に関係なしに公党の代表が日本人以外の人間であることを問題視している者がかなり存在するようだが、このこととは関係なしに蓮舫の国籍が問題となった発端は二重国籍ではないかという指摘である。

 対して蓮舫は台湾籍は抜いたと、いわば日本国籍取得者であって、二重国籍ではないことを言明している。

 「国籍法」は以下のように規定している。

(この法律の目的)

第1条  日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。

(出生による国籍の取得)

第2条  子は、次の場合には、日本国民とする。

1 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
2 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
3 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。

(国籍の選択)

第14条  外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が20歳に達する以前であるときは22歳に達するまでに、その時が20歳に達した後であるときはその時から2年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。

2  日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法 の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。

 つまり日本の国籍法は二重国籍を許していない。

 次に「公職選挙法」

(被選挙権)

第10条 日本国民は、左の各号の区分に従い、それぞれ当該議員又は長の被選挙権を有する。

 要するに二重国籍者は被選挙権の有資格者たり得ない。いや、それ以前の問題として蓮舫は日本国籍なのか、台湾籍のままなのか、国会議員になるに際して国籍に敏感でなければならなかった。日本国籍が例え便宜的なものであって、台湾人であることを自身の精神的なルーツとしようがしまいが、きちんと処理して、誰憚ることのない被選挙権の有資格者になっている必要があった。

 それゆえの台湾籍からの離脱であり、日本国籍の取得であって、二重国籍の否定であったはずだ。

 ところが、蓮舫は2016年9月13日、国会内で記者会見し、台湾籍が残っていて、疑惑されていた通り、いわゆる二重国籍状態となっていたことを認めた。しかも二重国籍は自身の記憶違いから発した問題だとした。

 2016年9月13日付「産経ニュース」  

 蓮舫「すいません。朝からお集まりいただきました。先般来、私の国籍のことでお騒がせしていますがが、これまでのご説明したとおり、17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今に至っていましたが、台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕、(台北経済文化)代表処(だいひょうしょ・事実上の在日台湾大使館)から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます。

 その上で、17歳のときに私が日本国籍を選択して、台湾の籍を父とともに抜いたという認識は今にいたっても同じでありましたが、17歳当時の私の記憶の不正確さによって、さまざまな混乱を招ねきましたことは、本当におわび申し上げたいと思います。

 合わせて、私の高校生時代の記憶によって、この間当初から発言がある意味、一貫性を欠いていたことに対してもおわび申し上げると同時に、大好きな父の台湾の方々にも心配をさせてしまったので、本当に申し訳ないと思っています。

 その上で、私はこれまで一貫して、政治家としては、日本人という立場以外で行動したことは一切ないし、日本人として日本のために、わが国のために働いてきたし、これからも働いていきたいと思います。

 これも申し上げておりますが、台湾当局に、私の籍を抜く届け出をしているので、この手続きが完了すれば、この籍に関することは、最終的な確定をされるということです。大好きな父の台湾の血、あるいは私の中に流れている謝家の血というものは、大切なルーツのひとつだと思っております。ただ、私は17歳のときに、自分の判断で日本国籍を選択した。日本人です。このことはもう一度言わせていただきたいと思う。以上です」

 国会議員を目指すために被選挙権を行使するに際して国籍に敏感でも何でもなかった。

 ところが、今度は「17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今に至っていました」との発言が問題視された。

 「台湾籍を抜く作業をした」なら、台北経済文化代表処から台湾籍離脱証明書といった書類が後日届くはずで、届いた際、確認して、それを保管しておくという手続きを取るはずだから、あるいは少なくとも父親か母親に書類を見せられて説明を受け、中国語が読めないなりにそれが記してある個所を自分の目で確認し、父親か母親に保管しておくからと言われただろうから、例えそれが17歳のときであっても、台湾籍離脱の記憶と共に確認と保管の記憶まで併せ持たせていなければならない。

 少なくとも現在50歳近くと言う常識を備えていなければならない年令になっている以上、「台湾籍は抜いた」と発言する際は台湾籍離脱の記憶だけで発言することは許されず、離脱証明書を受け取った際の離脱の確認とその書類の保管の記憶を裏付けとしていなければならなかったはずだし、それだけの責任を有していたはずだ。

 もしその記憶がなかったなら、以上の裏付けを取ってから発言すべきで、記憶もないまま、裏付けを取らないまま、「台湾籍は抜いた」と発言したなら、責任という点からも、誰が蓮舫の言葉を信用するだろうか。

 いわば一見国籍の問題に見えるが、実際は蓮舫の言葉の信用性の問題がかかっていたのであり、戸籍謄本の公開は言葉の信用の有無の証明でもあった。

 国籍の違い(=民族の違い)によってその人間自体の価値を決める差別観や多様性の排除からの戸籍謄本公開とは一線を画していたはずだ。
 
 1967年11月28日生れの蓮舫が30歳頃の1997年に雑誌「CREA」(文藝春秋)のインタビューで「自分の国籍は台湾だ」と発言していたことも問題視された。蓮舫は「多分、編集の過程で『だった』という部分が省かれてしまった」と釈明、「自分の国籍は台湾だ」は自身の発言ではないとした。

 要するに発売前にインタビュー記事のゲラ刷りを見せられなかったし、発売後も目を通していなかったことになる。インタビューがテーマを決められていて、そのために言葉を用意していたとしても、出たとこ勝負の言葉となる場合もあるのだから、インタビュー後に相応しい発言であったかどうかを確認しないというのは責任という点でも、言葉の信用性という点でも、非常に疑わしい。

 蓮舫の言葉の責任、言葉の信用性という点で見逃してはならないのは民進党代表であった岡田克也評である。

 2016年9月13日の日本外国特派員協会の記者会見。

 蓮舫「変わらぬ安定感、知識への欲求、ものすごくまじめな姿勢、全てにおいて学ばせていただいた。素晴らしいリーダーだ」(産経ニュース)  
 
 ところが遡ること約20日前の2016年8月23日の同じ日本外国特派員協会で岡田克也評。

 蓮舫「私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」――

 この発言がマスコミに取り上げられて問題視されると、蓮舫は同日の自身のツイッターで、「岡田代表への敬意を表しました。その上で、ユーモアのない真面目さを現場で伝えたかったのです」と釈明している。

 「ユーモアのない真面目さ」が岡田克也という政治家としての資質だとしても、そのことが政治家としての資質の有無の基準となるわけではない。だが、「人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」と言っていることは、自身の政治家としての資質の有能性を誇っている言葉であって、岡田克也には「ユニークさがない」と言う指摘となる。

 だから、「1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います」という評価に繋がったはずだ。それをツイッターで「ユーモアのない真面目さ」だと言い替える言葉の信用性をどこに見つけることができるだろうか。

 いずれにしても蓮舫は「人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」と言い切った。蓮舫の戸籍謄本公開を「外国人や日本国籍取得者への差別助長だ」、「多様性の排除だ」と論ずるのは問題のすり替えに過ぎないが、蓮舫が2016年9月15日に民進党代表に就任してから10カ月、言い切った割には代表としてどれ程の“ユニークさ”を発揮したのだろうか。

 2016年9月15日以前の岡田代表時の民進党支持率は9%前後あった。現在では6%前後、時事通信社の7月7~10日の世論調査に至っては、3.8%しかない。安倍内閣支持率が30%台から40%台に下げていて、その受け皿とすることができずに野党第1党の蓮舫民進党の政党支持率が却って下がっている。

 蓮舫の言葉の信用性・自身の言葉に対する責任感の欠如は留まるところを知らない。反安倍人間としては先ずは“ユニークさ”を発揮して貰って、有権者から安倍政権の受け皿と目されるようになって貰いたい。そのためには言葉の信用の回復から始めなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の中国の尖閣沖領海侵入、2013年国会で「冷静かつ毅然とした対応」とできぬことを約束

2017-07-17 07:22:13 | 政治

 中国海警局の船が尖閣沖周辺の日本領海侵入のみならず、2017年7月15日の午前1隻、午後2隻の計二回、長崎県の対馬沖と福岡県の沖ノ島沖の日本の領海に今回初めて相次いで侵入したという。

 7月15日付「産経ニュース」記事によると、午前中の領海侵入に対して海上保安庁の巡視船が無線で領海から出ていくように呼びかけると、30分後に領海から出たが、午後に入り、午前中の船を含む計2隻が再び領海侵入。

 要するに無線やマイクで領海から出ていくよう呼びかけるのも恒例、呼びかけたとしても、一時的な効果のみの恒例となっているのは尖閣沖の日本領海への度重なる領海侵入が既に証明している。

 同侵入を伝えている「NHK NEWS WEB」によると、〈各国の軍の艦船などには、ほかの国の秩序や安全を害さなければ、その国の領海を通過できる「無害通航権」が国際法で認められていて、外務省によりますと、今回の中国海警局の船の航行がこれに当たるかどうか確定的には言えないとして、抗議ではなく、関心の表明を行った〉ということだが、午前中日本の領海に入った船が午後になって他の1隻と再び入ってきたということは「無害通航権」の行使には見えない。           
  
 同じ7月10日には中国海警局の船4隻が尖閣沖の日本の領海に相次いで侵入した。先月6月26日以来で、今年に入り合わせて18日だと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 中国の公船が尖閣沖日本領海に侵入するのも恒例となっているが、政府が首相官邸の危機管理センターに設置の「情報連絡室」を「官邸対策室」に切り替えて情報収集と警戒監視に当たるのも恒例となっている。

 この記事では触れていないが、日本の外務省が在日中国大使館に「尖閣諸島は日本の固有の領土である」と抗議すると、中国側から「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国の固有の領土である」とお互いが領有権を主張するのも恒例となっているのだろう。

 恒例とは一種の儀式化である。儀式は一般的には何らかの有益性を持って初めて意味を持つ。決まりとして単に繰返すだけの儀式となっていたなら、意味を持たない。


 「海上保安庁」のサイトには尖閣諸島周辺海域の中国船の日本領海侵入確認延隻数が載っている。2012年9月に野田民主党政権が尖閣諸島を国有化して以来、領海侵入延隻数がぐっと増えている。  

 2017年に入って6月30日までで確認延隻数は63隻にのぼっている。一度に3隻、4隻と領海侵入した場合、無線やマイクで領海から出るように呼びかけるのを1回と数えると、呼びかけの恒例化した儀式は延隻数よりも少なく計算しなければならないが、それでもかなりの回数、恒例化した儀式を繰返していたことになる。

 首相官邸の危機管理センターに設置の「情報連絡室」を「官邸対策室」に切り替える恒例化した儀式もそれなりの回数を繰返し、情報収集と警戒監視に当たる、これまた恒例化した儀式を同数繰返してきた。

 第2次安倍政権2012年12月26日発足後から2カ月と約10日後の2013年3月7日の衆議院予算委員会。文飾は当方。

 萩生田光一自民党議員「私は、新聞ですとか週刊誌の記事をもとに質疑をすることは本意ではないんですが、また、今さら民主党政権下の非をあげつらうつもりは全くございませんけれども、事安全保障の問題ですので、あえて触れておきたいと思います。

 一昨日、産経新聞の一面に驚くべき記事が載りました。

 昨年9月の尖閣諸島の国有化後、挑発を繰り返す中国海軍の艦船に、一つ目、海自は15海里、約28キロの距離を置いて近づかないようにというふうに求められた。二つ目、他国軍の艦船の領海侵犯に備えるためには先回りして領海内で待ち構えるのが常套手段なんですが、それも自制をせよ、こう言われた。

 そして三つ目、海洋監視船はヘリを搭載可能で、ヘリが飛び立てば即領空侵犯になるので空自のスクランブルの必要性がある、こういう議論をしていたんだけれども、当時の岡田副総理は、軽微な領海侵犯だから中国を刺激するな、海上保安庁に任せればいいと準備を認めなかったという記述であります。

 先日、レーダー照射の事案で、民主党の委員は、政府の対応を遅いと断じ、中国海軍の解説までしていただき、問題意識をもっと高く持つようにと促しておりましたけれども、もしこの記事が事実とすれば、民主党政権時代の間違ったメッセージがもたらした当然の結果と言えます。

 政府は、本件について事実を確認しているのでしょうか。また、安倍内閣にかわり、これらの対応は具体的にどのように変わったのか。お尋ねいたします。

 安倍晋三「尖閣諸島周辺海域において中国公船による領海侵入が繰り返されている等、我が国を取り巻く情勢は厳しさを増しています。

 このため、海上保安庁において、大型巡視船の新規建造や海上保安官の大幅な増員などにより専従の警備体制を確立し、その体制を強化するとともに、自衛隊の艦艇、航空機等を用いた警戒監視と適切に連携するなどして、その警戒警備に、現在、万全を期しているところであります。

 そして、今委員が御指摘になられたこの警戒警備の状況については、前政権のこととはいえ、我が方の手のうちにかかわることでございますので、詳細について申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、あえて一言申し上げさせていただければ、前政権下においては、過度に軋轢を恐れる余り、我が国の領土、領海、領空を侵す行為に対し当然行うべき警戒警備についても、その手法に極度の縛りがかけられていたというふうに私は承知をしております。

 このことは、相手方に対して誤ったメッセージを送ることにもなり、かえって不測の事態を招く結果になることすらある、私はそう判断をしたわけでございまして、安倍内閣を発足させた直後から、この危機的な状況を突破するために、前政権の方針を根本から見直しを行いました。そして、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示したところでございます。

 今後とも、我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くという決意のもとに、引き続きしっかりと警備、警戒を行っていく考えであります。

 萩生田光一「いたずらに緊張を高めることを望んでいるわけではありません。我が国が毅然とした安全保障の姿勢を示し続けるということが必要だと思いますので、ぜひ総理にはそのことをお願いしたいと思います」

 安倍晋三が国会で約束した民主党政権とは異なる安倍政権の「冷静かつ毅然とした対応」とは中国公船に自由に領海侵入させることだったようだ。

 民主党政権の中国側の尖閣沖領海侵入対策、「その手法に極度の縛りがかけられていた」と言っているが、安倍政権の対策が同じ繰返しの恒例化した儀式となっていること自体が既に「極度の縛り」にかかった状況に陥っている、その罠にはまり込んでいることを示しているはずだ。

 要するに安倍晋三はできもしないことを国会で約束した。アベノミクスの好循環と言い、安倍晋三はできもしないことの約束が得意技となっているようだ。身振り手振りで言葉巧みに立派なことを約束する、もう信用しない方がいい。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲田朋美の機能性よりもファッション性重視の防災服と国民の生命と安全を守る場合のTPOとの大きなズレ

2017-07-16 06:50:56 | 政治

 2017年7月15日付「産経ニュース」記事、「【政論】誰のための被災地視察か 稲田朋美防衛相の“頑張ってますアピール”ではなかったか」が7月14日の防衛相稲田朋美の北九州北部豪雨災害被災地福岡県朝倉市視察を題名通りの趣旨で批判している。  

 大分県からは自衛隊は撤収したが、福岡県では4千人態勢で行方不明者の捜索や救援活動中で、防衛省トップが多数の高官を引き連れて現地入りすると、災害救助で手一杯の現場の負担は大きいし、救援の人手を剥がすことになる、首相や防災担当相の被災地視察は被災者や自治体のニーズの把握、復興予算や激甚災害指定の判断に関係していくが、防衛相の部隊激励は防衛省の組織内の論理であり、被災者には関係ないとなかなか手厳しい。

 そして過去に潜水艦を視察した際はハイヒール姿で潜水艦に乗り込み、海上自衛艦の士気を却って低下させたと、いわば立場を弁えない心無い行為の累犯性まで指摘している。

 記事は誰のための視察だったのか、現場の自衛官や被災者のためなのか、稲田朋美の“頑張ってますアピール”のためではなかったかとの疑惑を基調としている。

 産経ニュース記事は安倍晋三寄りの記事を書くことで有名だが、いくら稲田朋美が安倍晋三お気に入りの女性議員であっても、事彼女に関しては拒絶反応を強くしているようだ。自衛隊の指揮官としてふさわしくないと見ているのだろう。

 記事の内容にはさして驚かなかったが、記事添付の画像の稲田朋美の服装に驚いた。とてものこと救命・復旧活動中の自衛隊部隊視察時の服装に思えなかった。画像を拝借して載せておくが、一目見て、機能性よりもファッション性重視の防災服に見えた。
 
 ついでに足許を拡大した画像を載せておいたが、流石にハイヒールは履いていなかった。編み上げの安全靴を履いている。

 他の記事添付の画像によると、胸に赤い刺繍で「国防大臣」と入っているから、稲田朋美用の防災服なのだろ。しかし防災服と言っても素材が難燃性となっているというだけのことで、作業服であることに変わりはない。

 平成28年度政府総合防災訓練の画像も添付しておくが、稲田朋美と総務相の高市早苗の二人の防災服に作業ズボンの左右の太腿の脇に付き物のポケットが見当たらないから、他の閣僚やその他の一般的な防災服と異い、女性用にと考えたのかもしれない。安倍晋三の防災服にはポケットがちゃんと付いている。

 例え女性用であったとしても、稲田朋美ならずとこも、被災地を訪れた閣僚やその他の政府の職員は自衛隊員が安否不明者の捜索や救命のために困難な役目に奮闘している、あるいは被災住民が生活再建のために困難な様々な片付けに奮闘している同じ現場に立つという敬意がなければならない。何様として現場に立つわけではない。

 敬意がないにも関わらず、被災住民の「生命と安全を守る」といったことを言う資格を欠くことになる。あるいは敬意がないままに自衛隊員を労うことは許されないことになる。

 稲田朋美その他が自衛隊員や被災住民と同じ作業をすることはないだろうが、同じ現場に立つ以上は敬意は服装のTPOにも反映されなければならない。

 服装のTPOを反映させないままの出で立ちで被災地の復旧現場に立つことは、それだけ敬意を欠くことになって、一般常識から言っても、許されるはずはない。

 と言うことは、被災地に立つ場合の服装のTPOを守るということは、それを防災服と名付けようが名付けまいが、作業服としての意味を常に持たせていなければならないことになる。言い替えると、被災地に立つ以上、機能性重視の、と言うよりも、機能性一点張りの作業服をTPOとしていなければならないということであろう。

 いわば服装だけでも自衛隊員の作業や被災住民の作業と符合させておかなければならないことになる。

 当然、そこにファッション性をほんの少しでも入り込ませる余地などあるはずはない。入り込ませたとしたら、自衛隊員の作業や被災住民の作業と符合しないことになって、自衛隊員や被災住民のTPOと大きくズレることになる。

 このズレは稲田朋美が防衛大臣として役目としている国民の生命と安全を守る場合のTPOとの大きなズレに重なっていくことになる。

 稲田朋美は様々な点で防衛大臣としての資質に疑問符が投げかけられている。機能性よりもファッション性重視の防災服を身に纏うこと自体が既に防衛大臣としての資質を欠く証明としかならない。

 安倍晋三の任命責任は重い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の人権に物申さぬ傍観者だった菅義偉と岸田文雄が劉暁波氏の死に哀悼の意を表するマヤカシの神経

2017-07-15 11:05:55 | 政治

 
 【謝罪】昨日(2017年7月14日)のブログの題名中、「ノーベル平和賞劉暁波氏」と書くべきところを「ノーベル文学賞」と書き誤ってしましました。文中は「ノーベル平和賞」としていたのですが、迂闊でした。謝罪します。 

 ノーベル平和賞受賞、中国の民主活動家劉暁波氏が末期ガンで収監されていた刑務所を仮釈放されて治療のために病院に収容されると、アメリカやドイツ、EUが劉暁波氏の無条件釈放と海外での治療を求めた。

 7月7日と8日(2017年)、ドイツのハンブルクでで開催されたG20サミット出席のために訪独していた中国の習近平主席にメルケル首相は劉氏のドイツへの受入れを表明したが、受け入れられなかった。

 欧米の努力も虚しく、劉暁波氏は7月13日、この世を去った。この不条理な死に対して各国から哀悼の言葉が寄せられた。

 「日経電子版」 

 EUのトゥスク大統領とユンケル欧州委員長が7月13日に共同声明を公表。〈劉氏は「中国における最も卓越した人権の擁護者のひとりだった」と追悼。中国政府に対して、自宅軟禁下にある劉霞さんら家族の移動や連絡の制限を解除し、希望する場合には出国を認めるよう求め〉、〈「EUは中国における(言論や思想を理由に収監されている)良心の囚人をすべて解放すべきだと改めて要求する」と中国政府に訴えた。〉

 「NHK NEWS WEB」  

 ティラーソン米国務長官(7月13日)「中国で平和的な民主化運動を進めたため、長期に渡る懲役を科され、そのさなかに亡くなったノーベル平和賞の受賞者、劉暁波氏の死を悼む人たちに私も加わる。劉氏は中国の発展、正義と自由の追求に、命をささげた。

 劉氏は自由や平等を求める闘いを通じて、ノーベル平和賞がたたえる精神を具現化した」
 
 ティラーソン長官は中国政府に対して軟禁状態に置かれている劉暁波氏の妻の劉霞さんを解放し、本人が希望すれば出国を認めるよう求めたという。

 同記事は7月13日にドイツ政府報道官がツイッター上でメルケル首相のコメントを紹介したと伝えている。

 メルケル首相コメント「人権と言論の自由のために戦った勇気ある闘士の死を悲しんでいる」

 シュタインマイヤー独大統領「勇敢な人権活動家で、ノーベル平和賞受賞者の死を深く悲しんでいる。劉氏は中国のためにできるかぎりのことをしたいと望み、その彼が忘れられることはない」

 イスラム諸国の国民や女性に対する人権意識に問題があり、人権を口にする資格に疑問符がつく米大統領トランプだが、アメリカ自体が中国の人権に物申してきたから、劉暁波氏の死に一言言う資格はあるのだろう、ホワイトハウスはトランプの劉暁波氏の死に対する思いを7月13日に紹介している。

 「時事ドットコム」    

 「トランプ氏は劉氏死去の報を聞き、深く悲しんだ。劉氏は民主主義と自由の追求に生涯をささげた」

 劉暁波氏に冠した各人の言葉、あるいはコメント、「人権の擁護者」、「自由や平等を求める闘いを通じて、ノーベル平和賞がたたえる精神を具現化した」、「人権と言論の自由のために戦った勇気ある闘士」、「勇敢な人権活動家」、「民主主義と自由の追求に生涯をささげた」等は逆に中国の抑圧性を張り巡らした人権状況を言い当てていて、そのような人権状況に対する批判――物申す意思を裏合わせしていることになる。

 大体がノーベル平和賞を選考する機関であるノルウェー・ノーベル賞委員会が国家政権転覆扇動罪で投獄されていた劉暁波氏にノーベル平和賞を授与したのは中国の共産党一党独裁が基本的人権を保障していない政治体制であって、そのことに物申す意図があったはずだ。

 中国政府が劉暁波氏ノーベル平和賞受賞に猛反発したのは、この意図に対してだろう。

 アメリカやドイツ、EUは中国の劣悪な人権状況に憂慮し、その人権姿勢に常に物申してきた。決して常に音無しの構えでいたわけではなかった。決して傍観者ではなかった。

 哀悼の意は中国の劣悪な人権状況に意思表示してきた憂慮が功を奏することなく新たな犠牲を生み出したことの自責の念と改めての憂慮の意思表示であるはずだ。

 「NHK NEWS WEB」  

 官房長官の菅義偉「自由と民主主義の追求に人生を捧げた劉暁波氏のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表したい。

 政府としては、自由、基本的人権の尊重、法の支配は、国際社会における普遍的価値であり、これらが中国でも保障されることが重要だと考えている。引き続き高い関心を持って中国の人権状況を注視していきたい」

 外相岸田文雄「自由と民主の追求に人生をささげられた劉暁波氏のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表したい。

 自由、基本的人権の尊重、法の支配は国際社会における普遍的価値であり、これらが中国においても保障されることが重要だ。引き続き、高い関心をもって中国の人権状況を注視していきたい」

 安倍晋三をも含めて劉暁波氏に対する中国政府の人権対応に憂慮とまではいかずとも、最低限、懸念の意思表示を目的に何かを物申すこともせず、音無しの構えを決め込み、傍観者状態でいながら、菅義偉も岸田文雄も「自由と民主主義の追求に人生を捧げた」と劉暁波氏に哀悼の意を示すことのできる神経とは、どのような神経なのだろうか。

 あるいは安倍晋三をも含めて劉暁波氏に対する中国政府の人権対応に憂慮とまではいかずとも、最低限、懸念の意思表示を目的に何かを物申すこともせず、音無しの構えを決め込み、傍観者状態でいながら、いわば何ら関心を示してこなかったにも関わらず、菅義偉も岸田文雄も「引き続き、高い関心をもって中国の人権状況を注視していきたい」と言うことのできる神経とは、どのような神経なのだろうか。

 このマヤカシに説明がつくのだろうか。

 同記事は、〈菅官房長官は、劉氏が海外での治療を希望していたものの中国政府が認めなかったことについて、「詳細は差し控えるが、さまざまなルートで日本政府の考え方を実は中国に伝えていた」と述べました。〉と書いているが、2013年2月1日の第2次安倍政権2012年12月26日発足後初の通常国会での安倍晋三の所信表明演説に対する参議院での各党代表質問で、「劉暁波氏の釈放は求めますか」とのみんなの党の水野賢一の質問に対して安倍晋三は「釈放されることが望ましいと考えます」と、当たり障りのない単なる願望を表明しただけで、その後、「このような観点から、これまでも政府間の対話などの機会をとらえて民主活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」と言っている「懸念」の伝達にしても、当たり障りのない文言に留まる儀式性を相互対応することになるはずで、菅義偉の安倍晋三と同じ趣旨の「詳細は差し控えるが、さまざまなルートで日本政府の考え方を実は中国に伝えていた」にしても、同一線上の当たり障りのない形式的な文言での伝達と見なければ、整合性が取れない。

 大体からして他国の悪質な人権状況に対してある国が憂慮や懸念の声を上げるのは他国に対して自国の良好な人権状況との比較から行うのであって、同時に自国の人権状況を手本として提示する意味合いも含めている。

 前者・後者が成り立っていないのに他国の人権状況に憂慮や懸念の口出しをする資格はない。

 当然、一国のリーダーなりが口に出して他国に憂慮や懸念を伝えてこそ、国対国の関係の中であるべき人権状況を当たり障りにではなく、明確に伝え切ることができる。

 安倍晋三が自分の口で自ら伝えなければ、意味は無いということである。

 この点からも、いわば安倍晋三が一度も自らの口で中国政府に対して劉暁波氏の釈放を求めいていない以上、「さまざまなルートで日本政府の考え方を実は中国に伝えていた」は自ずと、当たり障りのなことしか伝えていなかったという答を出していることになる。

 安倍晋三だけではなく、菅義偉にしても、岸田文雄にしても中国の人権に物申さぬ傍観者であることに変わりはないというオチと、人権意識がその程度であることに変わりはないというオチしか出てこないのだが、知らぬが仏でそのオチをオチとしないマヤカスことに長けた神経だけは見事である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三のホンモノの人権意識を覗くことができるノーベル平和賞受賞者劉暁波氏に対する音無しの構え

2017-07-14 11:19:07 | 政治

 中国の人権活動家であり反体制活動家であった劉暁波(りゅうぎょうは・リウシアオポー)氏(61)が末期ガンで入院先の遼寧省瀋陽市の病院で2017年7月13日午後5時35分に亡くなったとマスコミが一斉に報じている。

 劉暁波氏は人権活動や民主化運動に参加、度々投獄され、投獄中の2010年にノーベル平和賞を受賞、今年2017年5月に末期ガンで服役中の刑務所を仮釈放されてから36日目であったという。

 末期ガンで仮釈放されて以降、アメリカやドイツが無条件釈放を求めたが、人権に国境は存在しないはずだが、中国政府は「内政干渉」を楯に頑として応じなかった。劉暁波氏は当初は北京での治療を望んだが、今年秋5年に1度の党大会を控えyている関係からかといった見方をマスコミは伝えているが、中国政府が拒否、劉暁波夫妻その後は国外での治療を望んだが、それも拒否。

 アメリカとドイツが自国への移送を申し出たが、中国政府は無視、両国が自国医師の派遣を提案すると、当初はそれも拒否したが、後に受け入れを表明。中国の医師と共同で治療に当たることになった。

 アメリカとドイツの医師は劉暁波氏のガンは末期に至っていて重篤な状態だと発表。但し両医師共、「国外移送は可能だ」とした。

 劉暁波氏が助からぬ命だと悟っていたとしても海外での治療を望んだのは、例え中国の病院からドイツかアメリカの病院に移るだけのことだったとしても、移動中の旅客機の中で自由の地に向かっているのだという感覚、そしてアメリカかドイツの病院のベッドに落ち着いてから、僅かな時間であったとしても、自由の地にいるのだという感覚を味わいたかったのかもしれない。

 7月6日、欧州議会が劉暁波氏を妻の劉霞氏(56)と共に即時釈放し、自分の望む場所で治療が受けられるよう中国政府に求める声明を採択した。

 この動きと一連のものだろう、7月7日と8日(2017年)、ドイツのハンブルクでで開催されたG20サミット出席のために訪独していた中国の習近平主席にメルケル首相が劉氏の受入れを複数回、表明していたとマスコミが伝えていた。
 
 7月10日、アメリカは劉暁波氏の無条件の釈放と治療のための移動を再び求めた。 

 7月12日、ドイツが中国政府に対して迅速な出国容認を重ねて求めた。

 劉暁波氏とその妻の希望も虚しく、アメリカとドイツの尽力も実を結ばずに7月13日、劉暁波氏は息を引き取ることになった。中国共産党一党独裁主義が劉暁波氏の命を奪った。

 7月7日と8日とG20サミット出席のために訪独していた我が日本の安倍晋三が7月8日夕方、習近平との首脳会談に臨んでいる。

 会談では、〈安倍総理大臣は、東シナ海の情勢について「いかなる地域でも法の支配に基づく海洋秩序が重要だ」と述べ、改善を求めたのに対し、習主席は「東シナ海の平和と安定を維持していく」と述べました。〉と2017年7月8日付NHK NEWS WEB記事が伝えていた。

 その他の話題は北朝鮮問題、そして先月上野動物園で生まれたパンダが元気に育っている等のことだそうだ。

 どのマスコミも安倍晋三が劉暁波氏の釈放や国外での治療を求めたとは書いていない。安倍晋三は常々、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交」を掲げている。習近平との首脳会談でも、「法の支配に基づく海洋秩序」の重要性を訴えているが、対して習近平は「東シナ海の平和と安定を維持していく」と、いわば自国流の“法の支配”を貫くことを譲らないでいる。

 要するにお互いが主張することは主張して役目を終わりにする儀式であって、安倍晋三の「法の支配」は習近平に対して何の効力も持たないことになる。

 アメリカやドイツは自国の劉暁波氏釈放要求や海外治療要求が中国政府には効力はないと予測していたとしても、それらは単なる儀式であったろうか。儀式だったら、一事態・一要求で終わる。度重なる要求をすることはなかったろう。

 いずれにしても安倍晋三は習近平との首脳会談で劉暁波氏の釈放も国外での治療も求めなかった。日本政府は別の機会を捉えて、同様の要求もしなかった。安倍晋三の人権意識は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」をいくら唱えようと、その程度だということの証明にしかならない。

 2013年2月1日、第2次安倍政権2012年12月26日発足後の初めての通常国会での安倍晋三の所信表明演説に対する参議院での各党代表質問が本会議で行われた。

 水野賢一みんなの党議員「総理は、外交方針として自由、民主主義、法の支配などの価値観を共有する国々との連携を模索しているようです。そういう意味では、中国はこれらの価値観が一致するとは言い難い状況です。

 中国では、共産党一党独裁の下、様々な人権侵害が続いています。3年前、民主化運動をしている劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞しましたが、政治犯として服役中のため授賞式に出席することさえできませんでした。

 そのとき、自民党議員は当時の菅首相に釈放を求めるべきだと随分と詰め寄っていました。みんなの党も、劉暁波氏の釈放を求める決議案を国会に提出をしました。

 安倍総理は、劉暁波氏を含む中国の民主活動家やチベットの独立運動家などに対する中国政府の弾圧に対して、どのような姿勢で臨むのですか。具体的には、劉暁波氏の釈放は求めますか」

 安倍晋三「中国の民主活動家等をめぐる人権状況や劉暁波氏の釈放についてお尋ねがありました。

 国際社会における普遍的価値である人権及び基本的自由が中国においても保障されることが重要であります。劉暁波氏についても、そうした人権及び基本的自由は認められるべきであり、釈放されることが望ましいと考えます。このような観点から、これまでも政府間の対話などの機会をとらえて民主活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」

 「釈放されることが望ましい」であって、「釈放される」べきだとは口にしていない。いわば願望の表明であって、望ましい事態への要求の表明にまで達していない、遙かそれ以前の段階に留まっている。

 もし望ましい事態への要求の表明であったなら、その表明は国会で口にするだけで終わるこをは許されず、外交ルートを通じて中国政府に求める次の段階に進まなければならなくなる。

 にも関わらず願望の表明で終わっているということは、「これまでも政府間の対話などの機会をとらえて民主活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」と言っている「懸念」も当たり障りのない単なる儀式として行い、相手も儀式として応じている程度ということになる。

 要するに安倍晋三の人権意識の程度の低さは最初からであって、本質的に何も変っていない。

 みんなの党の水野賢一が3年前(2010年)、「自民党議員は当時の菅首相に釈放を求めるべきだと随分と詰め寄っていました」と言っていることを以前、「ブログ」で取り上げているので、その一部を再度ここに記してみる。   

 2010年10月14日の参議院予算委員会。

 山本一太「先般、中国では服役中の民主活動家劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞されました。先ずこれについての総理の見解をお伺いします」

 菅首相「ノーベル賞受賞が会ったと、私がコメントを求めれた、あー(喉が小さくゴロゴロと鳴る。)、ところ、で、ありました。まあ、あたしは、えー・・・(喉を鳴らす)、えー、これ、ノルウェー、えー、の、ノー・・・ベル賞の、委員会が、あー、普遍的な価値である、人権というものを、おー・・・(喉を鳴らす)、考え、て、えー・・・、えー・・・、受賞を、おー・・・、いわゆるノーベル賞の受賞を、決められたものだろうと、ま、こういうふうに申し上げました。

 えー・・・、まさに人権の問題は、あー・・・(喉鳴り)、国境を超えての、おー・・・(喉鳴り)、人類、共通の課題でありますので、私は、あー・・・(喉鳴り)喜ばしいことだと、このように、受け止めております」

 山本一太「あの、ちょっと総理、奥歯に挟、物が挟まったような、非常に歯切れの悪いご答弁だと思いますけど、もうちょっと、もうちょっと踏み込んだお話をいただけないものでしょうか」

 奥歯に挟まったものの言い方というよりも、普段頭に押さえていない不慣れな考えだから、つっかえつっかえとなるのだろう。「20年間の日本の閉塞状態を打ち破るには――」といった自身が常にスローガンとしている主張は滔々と声を張り上げてさえ述べることができるのだから、その逆の頭にないことの意見表明ということなのだろう。

 菅無能「まあ、劉暁波氏の、おー・・・(喉鳴らし)、中に人間、あるいは国際的な活動について、私自身、そう詳しく、それ以前知っていた、わけではありません。シー、えー・・・(喉慣らし)、しかし、えー・・・、ノーベル賞、の、委員会が、そういう活動を、ヲー・・・(喉慣らし)、評価して、えー・・・、こういうノーベル賞を、おー、受賞を決められたわけです。シー、ま、このことは、ま、どこまで踏み込んでということになるか分かりませんが、ま、ある意味で、国際社会に対してと同時に、ま、中国自身に対してもですね、えー、人権に問題についての、もっと、おー・・・(喉鳴らし)、そういうものを、おー・・・、しっかりと尊重するようにという、まあ、ある意味での、おー・・・、そういう、うー・・・、意思というか、そういうものを伝えられたんだと思っています。

 シー、私も、その、おー・・・(喉鳴らし)、意味は、えー・・・、そういう、うー・・・、立場で、えー・・・、その問題についても、おー・・・、受け止め、場合によっては、あー・・・、必要なことがあれば、対応していきたいと、そう思っています」

 山本一太「今のは総理、従来よりは一歩踏み込んだご答弁だったと思います。やっぱり中国についても、人権問題についてはしっかり慎重、人権問題については尊重していくべきだと、そういう国際的な意志が示されたと、総理がおっしゃいましたので、これは以前よりも踏み込んだ答弁だと思いますが、総理、ご存知のようにアメリカのブッ、あのー、オバマ大統領は、中国政府に対してこの劉暁波氏の釈放を求めています。

 そして総理、これもご存知だと思いますが、EUもそうです。英国政府も、フランス政府も、ドイツ政府も、この劉氏の釈放を求めているか、あるいは釈放を願うと、そういうステートメントを出しておりますけれども、日本政府として今後、このこの劉氏の釈放を求めると。こういうことをおっしゃる、ヨ、予定は、あるんでしょうか」

 山本一太は劉暁波氏の釈放を求めて菅無能を散々に責めるが、菅無能は最後にこう答弁している。

 菅無能「何かいやにですね、決めつけて色々言われていますが、エ、決めつけてですね、あまり私の言葉をですね、曲解して、この場でですね、あの、言わ、言わないで欲しい。いや、今ちゃんと何度も、説明をいたしました。基本的な価値である人権について、これは守られるべきだと。基本的な自由についても守られるべきだと。

 そういう立場から、勿論、ノル、ノーベル賞、受賞、いや、ノーベル委員会でも、そういうことが、えー、そういうことに基づく活動が評価されたんだと、いう認識を、ヲー、申し上げた上で、えー、そういう考え方に立って、(原稿を見る。)劉暁波氏が釈放されることが望ましい。(言葉を強めて)明確に申し上げています」

 結論は中国政府に釈放を求めますではなく、その決意があれば、山本一太にいたぶられる前に釈放を要求していたはずだが、「基本的な価値である人権と基本的な自由は守られるべきだから、劉暁波氏が釈放されることが望ましい」との願望表明に過ぎなかった。

 2010年10月14日の参議院予算委員会で民主党政権の菅無能が「釈放されることが望ましい」と釈放の願望を国会で口にし、自民党政権の安倍晋三が2013年2月1日の参議院本会議で「釈放されることが望ましい」と釈放の願望を同じく国会で口にしている。

 何の変化もない音無しの構えを繰返したに過ぎない。この無変化な音無しの構えは両政権の人権意識の低さが何も変わらずに推移していることを示しているに過ぎない。

 山本一太は「EUもそうです。英国政府も、フランス政府も、ドイツ政府も、この劉氏の釈放を求めているか、あるいは釈放を願うと、そういうステートメントを出しておりますけれども」と言っているが、今回、劉暁波氏が刑務所を仮釈放されて病院で治療に入った以降、自民党が安倍政権に対して劉暁波氏の釈放と海外治療の要求を出すよう求めたというマスコミ報道は目にしていない。

 いわば自民党にしても音無しの構えを守った。

 このことは山本一太の発言の経緯が人権意識から、あるいは「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」に立脚した立場から菅無能に劉暁波氏の釈放を中国に求めるよう「詰め寄って」(水野賢一)いたのではなく、単に菅無能を困らせて菅政権の評価を下げるために「詰め寄って」いたに過ぎないことの証明としかならない。

 その首相・党総裁にしてこの自民党ありで、人権意識の程度の低さに於いて自民党と安倍晋三は同じ穴のムジナだということになる。

 端無くも劉暁波氏が拘束されていた刑務所を仮釈放となって病院で末期ガンの治療をすることになった以降の安倍晋三の対応――音無しの構えが安倍晋三自身の人権意識の程度の低さを改めて炙り出すことになった。

 普段口にしている「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」にしても、中国に対抗するための便宜的な手段であって、自身が血や肉としている価値観ではないはずだ。

 なぜなら、2014年、ウクライナの主権と領土の一体性を侵害してクリミアをロシア領土に併合した「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」に真っ向から反するロシアの、これも自身が常々異議を唱えている“力による現状変更”を厳しく批判して然るべきを安倍晋三は欧米のロシアに対する経済・金融制裁に付き合い程度に参加した便宜的態度が証明することになる。

 人権が「人間が人として本来持っている権利」とされている以上、人間活動の充足は人権の保障が基本となる。安倍晋三の本質的な人権意識がこの程度であるということは、安倍晋三が唱えている「再チャレンジ可能な社会」にしても、単に経済活性化が目的か、あるいは政策を見栄えよくする便宜性から出たスローガンの域から出ず、人権の保障を基本としなければならない人間活動の充足――国民の幸福への願いから発していることにはならない。

 安倍晋三の政策全てが自身の何らかの利益を狙った便宜性から出ていると見た方がよい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリエモンのNHK「ごごナマ」出演物議のTシャツ人物デザインはヒトラー? ヒトラーに似せた安倍晋三?

2017-07-13 11:17:20 | 政治

 実業家堀江貴文(ホリエモン)が出演した7月12日生放送NHK番組「ごごナマ」で着用のTシャツの人物デザインがヒトラーその人なのか、ヒトラーに似せた人物なのか、兎に角ヒトラーに似た肖像が描かれていたということでNHKに苦情なのか、問い合わせなのか、来たのだろう、阿部渉アナウンサーが番組の終盤で謝罪したとマスコミが伝えていた。

 このことがネット上で物議を醸しているようだ。「謝罪すべきはアナウンサーではなく、堀江貴文本人」だとか、「やばい奴にはモザイクかけておけよ」、「ヨーロッパでこれやったら普通に逮捕だよ」等々の声が飛び交っている。

 阿部渉アナウンサーの謝罪のコメントを「東スポWEB」記事が紹介している。  

 「Tシャツはご本人が持参されたもので、戦争反対を示す『NO WAR』という文字や反戦のマークが入っていました。しかし、ヒトラーを想起させるというご意見をいただきました。不快な思いを抱かれた方にはおわび申し上げます」

 要するに第2次世界大戦を引き起こし、人種優越主義からユダヤ人をホロコースト(大量虐殺)に至らしめた悪名高いヒトラーを逆手に取って反戦を訴えるというユーモアを込めたTシャツの人物デザインということになる。

 と言うことは「不快な思いを抱かれた方」は「NO WAR」という文字や反戦マークを読み取らなかったか、読み取った上で、それでも第2次世界大戦のヨーロパの戦場で軍人・一般市民合わせて4000万人近くと言われている死者を生み出した戦争開始のキッカケを作ったヒトラーを反戦の道具に使うことに納得がいかなかったか、いずれかになるのだろうか。

 先ずホリエモンがどういったTシャツを来ていたのか、ネットで探して、その画像と「ごごナマ」の画像を載せておいた。

 次に反戦のマークがどういうものか知らなかったから、「Wikipedia」で調べてみた。正式名は「ピースマーク」
 〈「ピースマーク」(英語: Peace symbols)は平和運動や反戦運動のシンボルとして世界中で使われているマーク。円の中に鳥の足跡を逆さまにしたような形をしている。

 起源については諸説あり、平和を象徴するハトの足跡のデザインとされることがあるが、事実ではない[1]。イギリスの平和団体の核軍縮キャンペーン(CND)のためにイギリス人アーティストのジェラード・ホルトム(Gerald Holtom) が1958年にNuclear Disarmament(核軍縮)の頭文字「N」と「D」を手旗信号で(「N」の両腕を斜め45°で下ろした形と「D」の右手を真上に左手を真下にした形を合体させ、これを円で囲んで)表したものをデザインしたものである。1960年代後半のアメリカのヒッピー運動やベトナム反戦運動と共に平和・反戦の象徴として世界中に広まった。〉

 このページに「ピースマーク」の画像が載せてあったから、ついでにここに載せておいた。ホリエモンのTシャツのヒトラーの左襟の所に確かに「ピースマーク」が付いているが、私みたいに知らなかった者にしたら、気づかなかったかもしれない。

 ホリエモンがNHKの謝罪コメントに関して2017年7月12日の日付で自身のツイッターに一文を寄せている。  

 「しかしNHKの影響力半端ねーな。ヒトラーがピースマークでNO WAR叫んでるTシャツ何回も着てたけど初めて炎上してる笑。どっからどう見ても平和を祈念しているメッセージTシャツにしか見えないだろこれ笑。」

 ホリエモンは何回も着ているとして、NHKの番組に出演した日の着用が初めてではないことを伝えているが、NHKの番組に出演するからと数あるTシャツのうち、わざわざヒトラーのTシャツをチョイスして着用に及んだ、いわば確信犯的着用だったかどうかはこの一文からでは読み取ることはできない。

 この後、ホリエモンは「頭悪いな」と一言。

 この一言が謝罪をコメントしたNHKに対してなのか、「不快な思いを抱かれた方」に対してなのか、あるいは着用に抗議しているネット民に対してなのか、あるいはそのすべてに対してなのかは分からない。

 この一言に対してのリツイート「ツイッター見てると堀江さんがヒトラーを肯定していると思って左翼の人達が必死で騒いでるようです(笑)反戦の風刺Tシャツと理解していないんですよ」

 ホリエモンは同じ7月12日に「ZOZOで買ったんだけどこのTシャツバカ売れだろうな。。」とツイートしている

 調べてみたら、「ファッション通販ZOZOTOWN」と出ている。要するに自作のTシャツでもなければ、オーダーメイドしたTシャツでもないことになる。たまたま気に入って、その1枚を選んだ。

 ヒトラーが襟に「ピースマーク」をつけ、「NO WAR」を口にしている、そのギャク的な逆説性に思わずニヤリとなって面白みを感じ、買い求めて着用しているのか、この面白みと元々あった反戦思想のカケラとがマッチしてチョイスしたということなのだろうか、想像するしかない。

 但しホリエモンが着用していたTシャツのヒトラーを見ると、デザインされた人物が実際にヒトラーだったとしたら、反戦のヒトラーという構図自体に逆説的な諧謔性を認めることができるが、ユダヤ人に対するガス室等を使ったホロコーストで600万人は虐殺した冷酷なヒトラーにしては悪の鋭さがどこにもない、似ても似つかない顔をしている。似ているのは口髭だけである。

 ついでにヒトラーの画像を載せておくが、比較して欲しい。実際のヒトラーは誰をも畏怖させる必要性から内に情け容赦の無さを秘めた、実際にもユダヤ人に対しては情け容赦がなかったのだろう、鋭い眼光を演出させていて、それが当たり前の表情となった、まさに悪人ヅラそのものの顔つきとなっている。

 一方Tシャツのヒトラーは悪の鋭さのカケラもないばかりか、悪人ヅラからも程遠く、顔全体がどこかふっくらとしていて、メタボに入りかかったようなオッサン風情をしている。

 Tシャツのヒトラーが実際の冷酷さを備えていない別の人物になっていたなら、「NO WAR」の道具立てに利用したとしても、逆説的な諧謔性が薄れるばかりか、思わずニヤリとしながら、反戦を噛みしめる思いも薄れることになるし、自身の反戦の思いをTシャツを使って周囲に知らしめるインパクトも薄れることになる。

 それどころか、どこかのオッサンが「NO WAR」を叫んでいるだけなら、Tシャツにする意味をかなり失う。意味を持たせるためにはヒトラーとは似ていなくても、ヒトラーとしなければならない。

 但しヒトラーそっくりにデザイすることなど簡単なはずだという疑問が湧いてくる。

 にも関わらず、似ても似つかないということは、そこに何か意味を持たせているのだろうか。
 
 今の日本でこの国の進む方向に懸念を示し、「NO WAR」の思いをぶつけたい中心人物は新安保法制を成立させ、日本を監視社会に陥れかねないテロ等準備罪を成立させ、市民権は得ているものの、実際は憲法違反となっている自衛隊の存在の憲法への明記を狙い、日本をして世界的な軍事大国の地位を獲得せしめようと狙っている国家主義者・天皇主義者の安倍晋三を措いて他には存在しない。

 いわば安倍晋三の側に立つ以外の日本人が最も「NO WAR」と言わせたい人物は、百万に一つも言うはずはないと理解していながら、それでも微かな望みをかけて安倍晋三であるはずだ。

 Tシャツの安倍晋三が「NO WAR」を言い、左襟に「ピースマーク」を付けている。見事なギャク的な逆説性を取ることになる。

 だが、Tシャツのデザインにして商売をし、利益を得るとなると、肖像権の問題が生じるし、安倍晋三が許可を出すはずはない。

 Tシャツをデザインした人物はこの中間を取ったのではないだろうか。ヒトラーにしたら、今の日本ではさして意味がない。安倍晋三にして「NO WAR」を口にさせたいが、肖像権の問題が生じる。

 そこでヒトラーそっくりではなく、安倍晋三そっくりでもない、思いだけはヒトラーに似せた安倍晋三を描いて、結果的にメタボに入りかかったようなオッサン風情になってしまったが、襟に「ピースマーク」、口に「NO WAR」をデザインしたと解釈すると、意味が通ってくる。

 根拠はただ一つ。よくよく見ると、安倍晋三混じりのヒトラーになっているように見えることである。

 ヒトラーに似せた安倍晋三であることによって逆説的な諧謔性が増すばかりか、安倍晋三の「NO WAR」とは反対の軍事志向――「YES WAR」を浮きた立たせることになって、却って反安倍闘争の力となるように思える。

 ホリエモンがここまで穿った見方をしてこのTシャツを買い求めて、着用しているのかどうかは分からない。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三北九州北部豪雨災害下の北欧3カ国訪問と稲田朋美防衛省不在の適切性は日程変更が可能か否かによる

2017-07-12 10:30:40 | 政治

 民進党代表の蓮舫が2017年10月10日の加計学園安部晋三政治的関与疑惑の閉会中審査で九州北部の豪雨災害防衛省対応中の7月6日(2017年)昼時に防衛省を70分間不在にし、そのうち40分間は政務三役(大臣・副大臣・政務官)全てが不在になったことを取り上げ、その行動が適切であったか否かを官房長官の菅義偉に問い質した。

 だが、菅義偉からは同7月6日の記者会見での、「今日昼ごろ、防衛省の政務三役が40分程度、省内に不在だったということだが、稲田大臣も含めて複数の政務三役がすぐ近くに所在をして、秘書官から随時連絡を受けて、速やかに省内に戻る態勢だったということだ」との問題はないとする発言以上のことを引き出すことができなかった。

 要するにその程度の質問能力しかなかった。どこに問題点があったのだろうか。以下両者のやり取りを見てみる。
 
 蓮舫「自衛隊の状況に応じて適切な指示を出す稲田大臣、およそ70分間、防衛省にまさに特別警報が出ているさ中、おられなかった。これは適切な判断だったということでしょうか」

 菅義偉「私が報告を受けているところによりますと、7月6日昼頃、防衛省政務三役が約40分程度省内に不在だったということです。で、大臣を含め政務三役がすぐ近くに所在をしていた。

 秘書官から随時連絡を取れる、そして速やかに省に戻ることができる態勢になっていたというふうに報告を受けています。いずれにしろ自衛隊に於いては稲田防衛大臣の指示に基づいて、被災者の救助、情報収集、全力で当たっており、その対応に問題はなかったと思います」

 蓮舫「いや、ちょっと理解できないですね。まさに豪雨が次から次へ、被害が広がり、河川が決壊し、あるいは土砂災害が新たに起きる恐れが本当にある中、一刻一秒の猶予もなく、大臣の指示が適切に被害状況に応じて出されなければいけない中、大臣が70分、防衛省におられなかった。

 それが問題ないという認識なんですか。国民の命を守る指示より稲田大臣が優先させた政務とは何でしょうか」

 菅義偉「私は承知しておりません」

 蓮舫「その政務を承知しないで、稲田大臣が指示を出せるその場におられないのは適切との判断ですね」

 菅義偉「昼休みの間に防衛関係の会合に出席していたということは報告を受けておりますけども、どこでということについては承知しておりません。ただ大事なのは現場にそうした救命・救助、復旧に向けて自衛隊そのものが対応できる態勢であるかというふうに思っています。

 えー、大臣に於いては電話で連絡を取れる状況であってですね、15分程度で帰ってこれるところだというふうに報告を受けています」

 蓮舫「いや、菅官房当官、その政務はランチミーティングだったんじゃないですか」

 菅義偉「私は詳細については承知しておりません。ただ防衛関係の会合であるというふうに報告を受けています」

 蓮舫「いや、把握してください。7月7日に防衛大臣は会見をして、『ちょうど昼時だったので食事が出ています。その食事はせずに冒頭の説明、質問を受けて戻った』ということです。

 参加者にも大臣にもお食事が出て、食事を摂りながらのランチミーティング。その間に被害が拡大をして、今朝段階で21人が亡くなられ、20人を超えて安否不明者という方がおられる。

 現地の状況、本当に国民の命を守るために一刻一秒を争う中、不在があったというのは私はこの政務はキャンセルすべきだったと思いますが、どうしてそういうふうに指示をしないのですか」

 菅義偉「防衛大臣として前の夜についても確か10時過ぎだったと思いますが、連絡を取りまして、しっかり自衛隊の出動に対しての要請は大臣がしっかり指示をしていたという報告は承知をしています。

 で、やっぱり危機に対して大切なことというのは危機対応、マネージすることが一番大事だというふうに思います。どこにいるのかということではなくてですね、特に大臣そのものがですね、15分程度で帰ってこられるところで常に連絡が取れる態勢でいたということであります」

 蓮舫「いや、ちょっと認識が全く違います。自民党の中でも中谷元(前の間違い)防衛大臣、石破元防衛大臣も、危機管理、マネージメントでおかしいと言っている。その意見、じゃあ、間違っていますね」

 菅義偉「あの、色んな方が色んなことを言っていることは承知しておりますが、ただ大臣として、私は大臣として適切な判断を行っていたというふうに考えています」

 蓮舫「私は適切かどうかは国民の皆さんが判断されると思いますが、私は稲田大臣が都議選のときに『防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてお願いしたい』。自民党の個別の候補の当選をお願いしたという、これは憲法にも、あるいは公選挙法にも、自衛隊法にも違反していると思います。

 このような法律違反をしている方をなぜ罷免をしないのか分からないんですが、総理と罷免するかどうかについて話したことはありますか」

 菅義偉「総理と話したことはありません」

 蓮舫「こうした発言を、あるいは豪雨災害の途中で防衛省を不在にしてランチミーティングをしていたことについても適正だった理解でよろしいですね」

 菅義偉「大臣として職務を遂行できる状態にあったというふうに承知をしております」

 蓮舫「国民の判断に委ねたいと思います」

 加計学園疑惑に質問を進める。

 一定の規模で災害派遣された自衛隊の以後の活動は現場に司令部を構え、各自治体と連絡を取り合って人員の配置や重機類の配置、それらの移動等を決めていって、その決定事項を部隊派遣先の自衛隊駐屯地司令部に報告、司令部は了解を与えて、さらに統合幕僚監部や防衛省内部部局に報告、その報告を防衛大臣に伝えるといった手続きを取るはずで、要するに実際の配置や配置に基づいた活動は現場の自衛隊に任されていて、各上層部はその報告を受け、了解を与える役柄の連携関係にあるはずで、稲田朋美がどこにいようと携帯電話一丁を持っていさえすれば、防衛大臣としての用を足すことができるはずだ。

 だが、自衛隊全体の統括者であり、その自衛隊が死者が出ている災害活動に携わっている以上、当該災害によって脅かされる状況にある国民の生命と財産に総理大臣と共に切迫した状況で関与していかなければならない責任はどこにいようと負っていることになる。

 当然、どこにいたかではなく、あるいは自衛隊の災害現場の態勢に滞りはないといったことではなく、防衛省を一時不在にしても構わない「防衛関係の会合」であったかどうかによって自らが負っている責任に対する意識がどの程度か判断できることになる。

 官房長官の菅義偉はこのことは何も問題にはしていないし、蓮舫にしても、ただ単に防衛省を不在にした責任だけを問題にしている。

 防衛相という役目上負っている国民の生命と財産に関与していかなければならない責任の意識がどの程度かの判断はその「防衛関係の会合」が日程変更がどうしてもできない会合であったかどうかにかかっていることになる。

 もしどうしても日程変更もできない、稲田朋美自身は欠席して参加者だけで会合を行い、日程を変更して出席し直すこともできない程の重要な会合であったなら、携帯電話一丁を頼りに責任を果たすことができないわけでもない。

 但し国民の生命と安全に関与していかなければならない責任以上の会合に出席しなければならない責任があるかどうかである。

 もし日程変更できる会合であるか、稲田朋美自身は欠席して、日を改めて開いて出席し直すことのできる会合であったなら、防衛相としての責任意識は非常に軽いということになる。

 蓮舫は菅義偉にそのことを問うべきだった。勿論、菅義偉は稲田朋美の資質に関わる答弁は、下手をすると安倍晋三の任命責任に関わってくるから、行わないのは分かり切っているが、何を問うべきかを前以って絞らずに質問したようだ。

 だから、7月6日の記者会見以上の発言を菅義偉からは引き出すことができなかった。

 安倍晋三が7月7日と8日、ドイツのハンブルクで開催されたG20サミットへの出席 その後9、10日と北欧3カ国訪問 スウェーデン、フィンランド、デンマークを訪問、それぞれ首脳会談を行っている。

 7月7日と8日G20サミットは安倍晋三の都合で日程変更はできない会合なのは分かっている。だが、北九州北部の国民の生命と財産に深く関わる豪雨の被害下にあって北欧3カ国訪問は日程変更が不可能だったのだろうか。

 尤も首相が国内に不在であったとしても、災害危機対応に滞りが出るわけではない。だが、稲田朋美が防衛相として負っているのと同様に首相として役目上負っている自然災害の切迫した状況下にある国民の生命と財産にどれ程に関与しようとしているかの責任意識の問題が生じる。

 北欧3カ国訪問の記事が外務省のサイトに載っている。果たして日程変更ができなかったのかどうか見てみる。

 日・スウェーデン首脳会談(外務省/平成29年7月9日)
   
 現地時間7月9日現地時間9時25分から約60分間,スウェーデンを訪問中の安倍総理は,ロヴェーン・スウェーデン首相と日スウェーデン首脳会談を行ったところ,概要は以下のとおりです。

1 冒頭
(1)安倍総理から,4月にストックホルムで起きたテロで犠牲となった方々への追悼の意を表明しつつ,卑劣なテロを断固非難する,強い連帯を表明する旨述べました。また,自由,民主主義,人権,法の支配といった基本的価値を共有するスウェーデンとの関係を重視している旨述べ,今回の訪問を契機に,来年の外交関係樹立150周年に向けて,幅広い分野での両国の協力関係を一層発展させたい旨述べました。

(2)これに対しロヴェーン首相からは,スウェーデン訪問を歓迎するとともに,特に,イノベーション,女性の活躍といった分野において,日スウェーデン関係の協力を更に推進したい旨,またビジネス分野においても良好な二国間関係を基礎に更に発展させていきたい旨述べました。

2 二国間関係
(1)安倍総理から,昨年2月に訪日されたカール16世グスタフ国王陛下とは懇談の機会を得て光栄,本年4月にはヴィクトリア皇太子殿下が訪日し,両国の皇室・王室間の親密な関係は良好な二国間関係の礎である旨述べました。

(2)両首脳は,来年の外交関係樹立150周年に向け,女性の活躍やイノベーション等の幅広い分野で協力を促進することで一致しました。

(3)特にイノベーション分野に関し,今回の首脳会談に合わせ,日本の大強度陽子加速器施設「J-PARC」と,スウェーデンにおいて建設が進む欧州核破砕中性子源「ESS」との間の協力に関する文書が交換されました。

(4)両首脳は,安全保障分野の情報共有や防衛装備・技術協力のあり方につき引き続き検討しつつ,安保・防衛協力を推進することで一致しました。

(5)安倍総理から,本年も「国際女性会議WAW!」を東京で開催予定である旨紹介し,両首脳は,世界でのジェンダー平等達成のため,引き続き協力していくことで一致しました。

(6)両首脳は,両国間の人的・経済交流を促進するため,日スウェーデン社会保障協定の交渉を引き続き鋭意進めていくことで一致しました。また,交渉中のワーキング・ホリデー制度に関する協定について,2018年の外交関係樹立150周年に向け,交渉を加速させることで一致しました。

(7)ロヴェーン首相から,様々なつながりにより新たな付加価値が創出される日本のコンセプトである「コネクテッド・インダストリーズ」との協力推進につき言及があり,両国間で何ができるかについて検討していくことで一致しました。

3 日・EU関係

(1)安倍総理から,我々は自由で開かれた,ルールに基づく国際社会を維持していかなければならない旨述べました。両首脳は,欧州が,国際社会の諸課題に引き続き日米と共に取り組むパートナーであり続けること,また,英国のEU離脱後も結束した欧州が国際社会の平和と安定に積極的に貢献していくことの重要性を確認しました。

(2)英国のEU離脱に関し,安倍総理から,英国のEU離脱交渉を注視している旨述べつつ,離脱による企業への影響を最小化するよう,配慮を要請しました。これに対し,ロヴェーン首相からは,日本の企業の多くが英国に進出していると承知しており,ご懸念を共有する,スウェーデンも,ビジネス・フレンドリーであり,代替の進出先候補になり得る旨述べました。

(3)日EU経済連携協定(EPA)に関し,安倍総理から,保護主義的な動きの中,EPAと戦略的パートナーシップ協定(SPA)の大枠合意を実現できたことは,日本とEUが自由貿易の旗を高く掲げ続けるとの強い政治的意思を示す世界に対する力強いメッセージである旨述べ,両首脳は,この成果を基礎として,これらの協定の早期締結に向け,引き続き協力していくことで一致しました。

(4)安倍総理から,福島県産等の日本食品等を対象とするEUの輸入規制の撤廃への協力を要請したのに対し,ロヴェーン首相からは,しっかり対応していきたい旨述べました。

4 地域情勢
(1)東シナ海・南シナ海情勢について,両首脳は法の支配に基づく国際秩序の維持のため,引き続き緊密に連携していくことで一致しました。

(2)北朝鮮については,両首脳は,7月4日の北朝鮮による弾道ミサイル発射も踏まえ,北朝鮮への圧力強化が必要であることを確認しました。また,安倍総理から,拉致問題の早期解決に向けた理解と協力を求め,支持を得ました。

(3)ロシアについては,安倍総理から,最近の日露関係について説明し,両首脳は,対露政策を連携して進めていくことを確認しました。


 日・フィンランド首脳会談 (外務省/平成29年7月10日)  

 現地時間7月10日午前10時15分から約50分間、フィンランドを訪問中の安倍総理は、ニーニスト大統領と日・フィンランド首脳会談を行ったところ、概要以下のとおりです。

1 二国間関係

(1)安倍総理から、コイヴィスト元大統領の逝去に追悼の意を表しました。
(2)両首脳は、2019年の外交関係100周年に向けて、両国の戦略的関係を一層発展させていくこと、経済、防衛、環境、医療などの分野で協力を強化していくことで一致しました。
(3)9日に日本の国立環境研究所とフィンランドの国立環境研究所との間で環境協力に関する協力覚書が署名されたことを受け、安倍総理から、今般の環境分野における両国研究機関間の研究協力に関する覚書署名を歓迎する旨述べ、両首脳は、環境分野及び医療分野でも協力を強化していくことで一致しました。
(4)両首脳は、女性のエンパワーメント分野での協力に関しても一致しました。
2 日EU関係

(1)日EU関係については、安倍総理から、我々は、自由で開かれた、ルールに基づく国際社会を維持していかなければならない、欧州が、国際社会の諸課題に引き続き日米と共に取り組むパートナーであり続けることを期待する旨述べました。その観点から、強い欧州を支持し、英国のEU離脱後も結束した欧州が国際社会の平和と安定に積極的に貢献していくことを期待する旨述べました。
(2)英国のEU離脱に関しては、安倍総理から、英国のEU離脱交渉を注視している旨述べつつ、離脱による企業への影響を最小化するよう、配慮を要請しました。
(3)日EU・EPAに関し、安倍総理からは、保護主義的な動きの中、EPAとSPAの大枠合意を実現できたことは、日本とEUが自由貿易の旗を高く掲げ続けるとの強い政治的意思を示す、世界に対する力強いメッセージである旨述べました。安倍総理から、協定の早期締結に向け、引き続きの協力を求めました。
(4)これに対しニーニスト大統領からは、ルールに基づく国際社会の維持に賛成するとともに、この観点でも日EU・EPAの大枠合意は重要である、強い欧州を推進したい旨述べました。
(5)さらに安倍総理から、福島県産等の日本食品等を対象とするEUの輸入規制の撤廃への協力を要請し、先方より、この点はEUともしっかりと協議していきたい旨述べました。
3 北極

北極政策について、安倍総理から、フィンランドの北極評議会議長国就任を歓迎し、フィンランドのリーダーシップの下、日本としても北極評議会の活動に一層積極的に貢献していく旨述べました。また、両首脳は、北極の環境保護等で協力を推進していくことで一致しました。
4 地域情勢

(1)東シナ海・南シナ海情勢について、両首脳は、法の支配に基づく国際秩序の維持のため、引き続き緊密に連携していくことで一致しました。
(2)北朝鮮について、両首脳は、4日の弾道ミサイル発射も踏まえ、今は対話ではなく、北朝鮮への圧力強化が必要であること、中国の役割が重要である事を確認しました。また、拉致問題については、安倍総理から早期解決に向けた理解と協力を求め、先方の理解を得ました。
(3)ロシアについては、安倍総理から、7日の日露首脳会談の結果も含めて、最近の日露関係について説明をしました。両首脳は、対露政策を連携して進めていくことを確認しました。


 日・デンマーク首脳会談 (外務省/平成29年7月10日)     

 現地時間7月10日18時05分から約45分間,安倍総理は,ラスムセン首相と日デンマーク首脳会談を行ったところ,概要は以下のとおりです。
1 冒頭

 安倍総理から世界に冠たる海洋貿易立国であり,自由で開かれた海洋と自由貿易に繁栄の基盤を置くデンマークとの関係を重視していると述べました。両首脳は,今回の訪問を契機に,海洋における法の支配の徹底等の幅広い分野での両国の戦略的な協力関係を一層発展させていくことで一致しました。

2 二国間関係

(1)安倍総理から,皇室・王室間の歴史ある御交流を基礎に両国関係は緊密,外交関係樹立150周年を機に,先月,皇太子殿下がデンマークを御訪問された際には,ラスムセン首相との懇談を含め,温かくお迎えいただき感謝する,その翌月に自分がデンマークを訪問でき嬉しい旨述べました。

(2)両首脳は,両国の「戦略的パートナーシップ」を,再生可能エネルギーや海事・港湾,保健・医療等の分野において具体的な協力を進めながら,一層推進していくことで一致しました。

(3)両首脳は,先般,租税条約の改正交渉が実質合意に至ったことを歓迎しました。

3 日EU関係

(1)日EU関係については,安倍総理から,我々は,自由で開かれた,ルールに基づく国際社会を維持していかなければならない,欧州が,国際社会の諸課題に引き続き日米と共に取り組むパートナーであり続けることを期待する旨述べました。その観点から,強い欧州を支持し,英国のEU離脱後も結束した欧州が国際社会の平和と安定に積極的に貢献していくことを期待する旨述べました。

(2)英国のEU離脱に関しては,安倍総理から,英国のEU離脱交渉を注視している旨述べつつ,離脱による企業への影響を最小化するよう,配慮を要請しました。

(3)また,両首脳は,保護主義的な動きの中,日EU経済連携協定(EPA)と戦略的パートナーシップ協定(SPA)の大枠合意を実現できたことは,日本とEUが自由貿易の旗を高く掲げ続けるとの強い政治的意思を示す,世界に対する力強いメッセージであり,この成果を基礎として,これらの協定の早期締結に向け,引き続き協力していくことで一致しました。

(4)更に,安倍総理から,福島県産等の日本食品等を対象とするEUの輸入規制の撤廃への協力を要請しました。

4 北極政策

 安倍総理から,グリーンランドでの資源開発や研究開発等,日本が北極政策を進める上でデンマークは重要なパートナーである旨述べ,両首脳は,北極評議会等の活動を通じ北極に関し一層協力を推進することで一致しました。

5 地域情勢

(1)東シナ海・南シナ海情勢について,両首脳は,法の支配に基づく国際秩序の維持のため,引き続き緊密に連携していくことで一致しました。

(2)北朝鮮について,両首脳は,4日の弾道ミサイル発射も踏まえ,今は対話ではなく,北朝鮮への圧力強化が必要であること,中国の役割が重要である事を確認しました。また,拉致問題については,安倍総理から早期解決に向けた理解と協力を求めました。

(3)ロシアについては,安倍総理から,7日の日露首脳会談の結果も含め,最近の日露関係について説明しました。

 どれも両国関係の一層の緊密化と発展の表明、外交問題では対中国、対北朝鮮問題での緊密な連携の表明等々で、どれもある意味形式化した友好関係の表明となっていて、日程変更ができないわけのものとはなっていない。

 但し今年4月下旬にロシア、英国、北欧4カ国のノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデンへの訪問を予定していたが、北朝鮮情勢の緊迫化を受けて北欧4カ国の訪問を中止し、今回はその日程変更で、再度の日程変更は躊躇する気持があったとしても、どちらを優先させるかの安倍晋三の判断一つに自然災害時の国民の生命と財産に関与しようとする責任意識はかかっていることに変わりはない。

 だが、2014年8月20日の結果的に80人近くの死者を出した広島市の豪雨災害・土砂災害時に情報招集によって朝のうちから死者が出ることを予想しなければならないにも関わらず、さらにテレビが朝未明から行方不明者が出たことを伝え、午前5時過ぎには心肺停止状態で子どもの発見を伝えていたにも関わらず、安倍晋三は7時頃からゴルフに出かけて2時間近くプレイに興じる程にも災害時に国民の生命と財産に積極的に関与しようとする責任意識は希薄であった。

 この希薄さも手伝った自らの責任意識を他処に日程変更もしないで行うことができた北欧3カ国訪問だったということかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加計学園疑惑閉会中審査:山本幸三の安倍晋三の政治的関与解明のカギとなる発言に気づかなかった民進桜井充

2017-07-11 12:20:54 | 政治
 
 国家戦略特区を使った加計学園獣医学部新設認可に安倍晋三が個人的な便宜を図った政治関与疑惑を質す閉会中審査が2017年7月10日午前中衆議院、午後参議院で行われた。午後の参議院質疑で民進党の東京医科歯科大学医学部卒、東北大学大学院医学研究科博士課程卒、61歳の桜井充が質問に立った。

 桜井充「山本大臣がこれ(文科省案に『広域的に』という文言を入れたこと)の指示を出したとおっしゃっていますが、これ、本当でしょうか。あの、答弁、午前中メチャクチャ長かったので、簡潔にお答え頂けますか」

 山本幸三「全くそのとおりでありまして、私が判断して、そのように指示を致しました」

 桜井充「じゃあ、大臣はどなたと相談して判断して、そのように指示を致しました?」

 山本幸三「藤原審議官に指示をしたわけでありますけども、相談はそれ以前からも民間議員の方々、あー、等の、等、それから、あー、文科省・・・・、等々の遣り取りの中で、えー、獣医師会について、えー、しっかりと、また対応する必要があると言うことを踏まえてですね、えー、最終的には私が判断したわけでありますが、あー、そん中では民間議員との、コミュニケーションもありました」

 民間議員とは国家戦略特別区諮問委員会の民間からの有識者議員を言う。一見すると、落ち着いて答弁しているように見えるが、先ずこれだけの短い発言の間に「あー」と発する言葉、「等」の単語を入れて具体的に「誰と」を言い切ることのできない曖昧な指摘となっていることら言って、表には出さないものの内心はうろたえた心理状態になっていると見なければならない。

 内心のうろたえの理由は虚偽の情報だからだろう。

 また、「最終的には私が判断した」と言っていることも虚偽の情報である証拠となり得る。獣医学部新設の地域条件を決める重要な事案なのだから、国家戦略特区ワーキンググループなり、国家戦略特区諮問会議等々の正式な会合とそのような場での正式な議論と賛成多数という表決によって決めた地域条件でなければならないからだ。総理大臣が仕切っている会合の場であっても、個人の判断で決めていい案件は存在しない。

 尤も個人の判断を優越的地位を利用して議論を誘導、賛成多数に持っていって結果的に全体の判断とすることもあり得る。但しこのような場合であっても、少なくとも正式な会合の場は用意されていたことになる。

 「内閣府地方創生推進事務局」のサイトには、〈産業競争力会議において、これまでとは次元の違う国家戦略特区の創設の検討が提案されたことを受けて、国家戦略特区の具体的な制度設計等の検討を行うため、国家戦略特区ワーキンググループを設置しました〉との文言が記載されている。    

 と言うことは、地域条件変更の制度設計は先ずは国家戦略特区ワーキンググループ内で内閣府と文科省との間の議論と決定を経てから国家戦略特区諮問会議に諮らなければならなかった。  

 要するに安倍晋三の「総理のご意向」が政治的関与として働いて決められた「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とする」の地域条件ではないのかとの疑惑が起きているとういうことは、疑惑が事実であった場合、正式な会合の場での正式な議論を経ずに密かに決められた地域条件ということになるのだから、山本幸三が「獣医学部新設認可のプロセスに一点の曇りもない」という態度を取っている以上、その答弁は正式な会合の名前を言わなければならないが、そのような名前は出てこない。

 桜井充が「どなたと相談して判断して――」と聞いたから、「相談」という言葉を使って、「民間議員」と行ったようなことを言っているが、「相談」で決めることができる地域条件でもない。

 桜井充は正式な会合の名前とメンバーは誰と誰なのか、どのような議論を経て、「広域的に」、「限り」と地域条件を変えるに至ったのかを追及すべきだったが、しなかったために山本幸三の内心のうろたえによって答弁に表れた虚偽の情報を見逃してしまうことになった。

 見逃さなければ、民進党を国民に注目させるキッカケとなって、このようなキッカケの積み重ねが民進党の政党支持率を上げていく要因となるはずだが、民進党が野党の中では国会質疑で最も長い時間を与えられていながら、政党支持率が6~7%程度で喘いでいるということは、ムダな追及で時間を費やしている何よりの証明であろう。

 桜井充「そういうふうにコミュニケーション取っているのであれば、元々内閣府がですね、文部科学省に送られた原案の中にこういうふうにすればよかったじゃないですか。

 その原案の中に『広域的に』とか、そういう文言は入っていませんよ。今言ったのは過去に議論したんですよ。過去に議論しているんであれば、あの文書(内閣府が文部科学省に示した原案)を出すときに、当然、『広域的に』と文章入っていないと、文言入っていないとおかしいんですよ。

 今の答弁絶対違いますからね。結局は『広域的に』と言うことを入れざるを得なくなってきたんですよ、文科省から修正してきて。だから、それから議論しているはずです。誰と議論しました?

 これ、今の答弁違いますからね。絶対おかしいじゃないですか。前々から議論しているんであったなら、内閣府が出したものについて最初から『広域的に』と入っていないとおかしいんですよ。

 ウソ言わないでくださいよ。誤魔化さないでくださいよ。ちゃんと答弁してくださいよ。山本大臣」

 6月16日(2017年)の参院予算委で内閣府の藤原審議官が民進党の福山哲郎の質問に対して次のように答えている。

 藤原審議官「これは昨年(2016年)の10月28日に獣医師養成系大学のない地域に於いてという原案を文科省に提示したのが10月28日でございます。31日に文科省から意見の提出があり、11月1日にはワーキンググループと文科省との折衝を行いました。

 その際山本大臣が文科省意見で指摘された日本獣医師会等の理解を得る観点から対象地域をより限定するご判断をされまして、広域的に限るとという区域にするようにとのご指摘を受けまして、私が文案に手書きで修正を加えた次第であります」――

 と言うことは、11月1日の国家戦略特区ワーキンググループと文科省との折衝の前に山本幸三は正式な議論の場で正式な議論によって「広域的に限る」との地域条件の変更を既に決めていなければならなかったことになる。

 桜井充が「過去に議論しているんであれば、あの文書(内閣府が文部科学省に示した原案)を出すときに、当然、『広域的に』と文章入っていないと、文言入っていないとおかしいんですよ」と質問していることに当たる。

 正式な会合の場での正式な議論による地域条件の変更であるなら、同じ内閣府の藤原審議官が11月1日のワーキンググループと文科省との折衝のときに山本大臣の指示を受けて地域条件の変更を手書きで加筆したということは、裏を返すと、藤原審議官が国家戦略特区問題を扱う地方創生推進事務局審議官という立場にありながら、そのような重要な地域条件の変更をそれまで承知していなかったから加筆したということになって、立場上、大きな矛盾が生じる。

 この矛盾を解くとしたら、文科省が存在していたことを公表した2016年11月1日のメールには、「指示は藤原審議官曰く、官邸の萩生田副長官からあったようです」と書いてあるように萩生田光一が安倍晋三の指示を仲介する形で「広域的に」、「限り」との地域条件の変更を加筆させ、その加筆を山本幸三の指示だと偽っているとしなければならない。

 上記6月16日(参院予算委での藤原審議官の答弁について2017年6月2日の当「ブログ」に、〈公表された(上記2016年11月1日付の)メールと文書からすると、安倍晋三の指示が最も自然であるが〉と書いて、安倍晋三の指示で地域条件の変更がなされたと見ることによって、その線で次の疑問〈山本幸三が従来の制度から、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り」と地域限定を修正して「獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う」とした決定は誰と諮ってのことか、独断なのか、疑問は尾を引くことになる。  

 山本幸三が独断でできる問題ではないから、安倍晋三の政治的関与の疑惑が単なる疑惑に過ぎないのか、事実なのかを究明するためにも山本幸三が指示した修正は誰と諮ってのことか、独断なのかを突き止めなければならない。〉と、その解明を訴えたが、地域条件の変更は山本幸三指示の体裁を取っているが、実際は安倍晋三指示、萩生田光一経由の決定が疑惑の正解ということになる。

 山本幸三「あの、ちゃんとそれだけの答弁をしております。おっしゃるように内閣府の中での色んなケースを考えておりまして、私がその中の幾つかのバリエーションを考えてやるのです。

 最初に打ち出すのはどれにするかということの判断はあります。最初は既存の獣医学部がないっていう所だということを先ず打ち出してやりましたけどれども、その場合、先程話があったように、じゃあ、都道府県でなければという話もくると、そのことについて獣医師会は非常に心配していると。

 そういうことを踏まえてですね、私共も次の段階のものとして、『広域的に』と言うことを入れると判断したわけでございます」

 山本幸三が引き続いての答弁でも、正式の場での正式な議論を経た正式な決定であることを証明できないでいることは安倍晋三指示、萩生田光一経由の決定、山本幸三指示体裁の補強証拠としかならない。

 桜井充「えーと、大臣と遣り取りしていると時間のムダなので、すみませんが、元々あった内閣府から文部科学省に提示された文章を文部科学省が修正を致しました。

 そしてさらに再加筆しております。この経緯について一体いつ、誰がどこでこういう議論をして、こういう遣り取りをしたのかこれをきちんと時系列的に並べて、資料を提出をしてもらいたいと思います」

 委員長「後刻理事会に於いて協議をさせて頂きます」

 桜井充は正式な会合の名前とメンバーは誰と誰なのか、どのような議論を経て地域条件を変えるに至ったのかの解明は質疑の途中でできたのだが、最後になって資料を求めることで委ねることになった。

 「一体いつ、誰がどこでこういう議論をして、こういう遣り取りをしたのか」という疑問の解明を質問の途中で適宜挟むことができなかったことが山本幸三に追及逃れをさせてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の国民も気づき始めた国家主義・強権主義は「雀百まで踊り忘れず」であることを肝に銘ずべき

2017-07-10 09:23:52 | Weblog

 安倍晋三の強権主義的政治手法に国民はようやく気づき始めたようだ。

 「強権」という言葉の意味は「国家が国民に対して持っている司法・行政上の強力な権力」を言うが、それが「主義」という言葉がつくと、「国家の立場に立って強権を専らの姿勢として国民統治を行う」、あるいは「強権を先鋭化させて国民統治の有力な基盤とする」といった意味を取り、国家主義と重なることになる。

 国家主義とは「国家をすべてに優先する至高の存在、あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(大辞林)を言うが、国家の在り様を最優先する余り、国民の在り様を無視する体制を採用する過程でそこに強権主義の介在を必要条件とすることになるからである。

 いわば国家主義者でなければ、強権主義の政治手法は取らない。民主主義者が強権主義に走ったら、民主主義者としての資格を失う。

 安倍晋三の強権主義・国家主義は新安保法制やテロ等準備罪等の国会での強行採決に象徴的に現れているが、これが戦後の民主主義の時代だから、この程度で収まっているが、もし安倍晋三が戦前の日本に生きた政治家、あるいは軍人であったなら、十分に東条英機になり得たはずだ。

 安倍晋三の自著『この国を守る決意』の文中の言葉、「(国を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」の言葉は1941年1月8日に陸軍大臣東條英機が示達した戦陣訓の一節「恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」と本質的には同質の思想で成り立っている。

 安倍晋三も東条英機も、戦争を基準に「命を捧げる」ことのできる国民を理想の国民像と見做し、そのような理想の国民像が国家を成り立たせるとする考えに立っている。

 戦前の日本は戦争を基準に国民の価値を決めていたから、身体障害者や精神障害者は戦争に役立たない者として非国民扱いされた。安倍晋三はその手の思想を戦後まで引きずっている。

 そしてこのような価値観には明らかに国家優先・国民二の次の国家主義が織り込められている。

 2017年7月9日付けの「朝日デジタル」が7月9日、東京都新宿区の新宿中央公園で約8千人が集まった反安倍政権のデモが行われたと伝えている。  

 「安倍内閣退陣」、「NO 共謀罪」等々のプラカードが掲げられたという。新安保法制の強行採決のときも、テロ等準備罪の強行採決のときも国会周辺に反安倍政権のデモ隊が連日集結したが、強行採決に安倍晋三の強権主義が現れていることに気づき、その阻止のために抗議という形で行動しなければならない必要性が一定の国民を動かしているということでであろう。

 この一定の国民の同行が2017年7月9日付け「朝日新聞世論調査」にも現れている。  

 7月8、9日両日の全国世論調査(電話)。

 「内閣支持率」33%(7月1、2日前回調査-5ポイント)
 「内閣不支持率」47%(前回調査+5ポイント)

 「男性支持率」39%
 「男性不支持率」45%

 「女性支持率」27%

 「無党派層の支持率」14%(前回調査-5ポイント)
 「無党派層不支持率」60%(前回調査+5ポイント)

 「加計学園問題に対する安倍政権の姿勢」

 「評価する」10%
 「評価しない」74%
 「内閣不支持層の評価しない」95%

 勿論、内閣支持率は今後高くなることもあり得る。だが、安倍晋三の国家主義・強権主義は本質的な政治姿勢であるゆえに変わることはない。憲法改正案の国会採決でも、国家主義・強権主義に基づいた強行採決は行われるだろう。

 安倍晋三のアベノミクス経済政策にも国家主義・強権主義を見ることができる。一見強権性は見えないが、経済的に上のみが潤い、下が潤わない格差は国家優先・国民二の次の国家主義がそうさせているのであって、逆方向への尽力がない以上、上方向のみへの強権性が見えない形で働いていることになる。

 例え安倍晋三が巧みな言葉でどう取り繕うと、あるいはソフトな態度をどう装おったとしても、本質的な政治姿勢としている安倍晋三の国家主義・強権主義は変わらないということである。

 その国家主義・強権主義は安倍晋三の精神性に「雀百まで踊り忘れず」の形を取って生き続けることになるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする