安倍晋三のホンモノの人権意識を覗くことができるノーベル平和賞受賞者劉暁波氏に対する音無しの構え

2017-07-14 11:19:07 | 政治

 中国の人権活動家であり反体制活動家であった劉暁波(りゅうぎょうは・リウシアオポー)氏(61)が末期ガンで入院先の遼寧省瀋陽市の病院で2017年7月13日午後5時35分に亡くなったとマスコミが一斉に報じている。

 劉暁波氏は人権活動や民主化運動に参加、度々投獄され、投獄中の2010年にノーベル平和賞を受賞、今年2017年5月に末期ガンで服役中の刑務所を仮釈放されてから36日目であったという。

 末期ガンで仮釈放されて以降、アメリカやドイツが無条件釈放を求めたが、人権に国境は存在しないはずだが、中国政府は「内政干渉」を楯に頑として応じなかった。劉暁波氏は当初は北京での治療を望んだが、今年秋5年に1度の党大会を控えyている関係からかといった見方をマスコミは伝えているが、中国政府が拒否、劉暁波夫妻その後は国外での治療を望んだが、それも拒否。

 アメリカとドイツが自国への移送を申し出たが、中国政府は無視、両国が自国医師の派遣を提案すると、当初はそれも拒否したが、後に受け入れを表明。中国の医師と共同で治療に当たることになった。

 アメリカとドイツの医師は劉暁波氏のガンは末期に至っていて重篤な状態だと発表。但し両医師共、「国外移送は可能だ」とした。

 劉暁波氏が助からぬ命だと悟っていたとしても海外での治療を望んだのは、例え中国の病院からドイツかアメリカの病院に移るだけのことだったとしても、移動中の旅客機の中で自由の地に向かっているのだという感覚、そしてアメリカかドイツの病院のベッドに落ち着いてから、僅かな時間であったとしても、自由の地にいるのだという感覚を味わいたかったのかもしれない。

 7月6日、欧州議会が劉暁波氏を妻の劉霞氏(56)と共に即時釈放し、自分の望む場所で治療が受けられるよう中国政府に求める声明を採択した。

 この動きと一連のものだろう、7月7日と8日(2017年)、ドイツのハンブルクでで開催されたG20サミット出席のために訪独していた中国の習近平主席にメルケル首相が劉氏の受入れを複数回、表明していたとマスコミが伝えていた。
 
 7月10日、アメリカは劉暁波氏の無条件の釈放と治療のための移動を再び求めた。 

 7月12日、ドイツが中国政府に対して迅速な出国容認を重ねて求めた。

 劉暁波氏とその妻の希望も虚しく、アメリカとドイツの尽力も実を結ばずに7月13日、劉暁波氏は息を引き取ることになった。中国共産党一党独裁主義が劉暁波氏の命を奪った。

 7月7日と8日とG20サミット出席のために訪独していた我が日本の安倍晋三が7月8日夕方、習近平との首脳会談に臨んでいる。

 会談では、〈安倍総理大臣は、東シナ海の情勢について「いかなる地域でも法の支配に基づく海洋秩序が重要だ」と述べ、改善を求めたのに対し、習主席は「東シナ海の平和と安定を維持していく」と述べました。〉と2017年7月8日付NHK NEWS WEB記事が伝えていた。

 その他の話題は北朝鮮問題、そして先月上野動物園で生まれたパンダが元気に育っている等のことだそうだ。

 どのマスコミも安倍晋三が劉暁波氏の釈放や国外での治療を求めたとは書いていない。安倍晋三は常々、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交」を掲げている。習近平との首脳会談でも、「法の支配に基づく海洋秩序」の重要性を訴えているが、対して習近平は「東シナ海の平和と安定を維持していく」と、いわば自国流の“法の支配”を貫くことを譲らないでいる。

 要するにお互いが主張することは主張して役目を終わりにする儀式であって、安倍晋三の「法の支配」は習近平に対して何の効力も持たないことになる。

 アメリカやドイツは自国の劉暁波氏釈放要求や海外治療要求が中国政府には効力はないと予測していたとしても、それらは単なる儀式であったろうか。儀式だったら、一事態・一要求で終わる。度重なる要求をすることはなかったろう。

 いずれにしても安倍晋三は習近平との首脳会談で劉暁波氏の釈放も国外での治療も求めなかった。日本政府は別の機会を捉えて、同様の要求もしなかった。安倍晋三の人権意識は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」をいくら唱えようと、その程度だということの証明にしかならない。

 2013年2月1日、第2次安倍政権2012年12月26日発足後の初めての通常国会での安倍晋三の所信表明演説に対する参議院での各党代表質問が本会議で行われた。

 水野賢一みんなの党議員「総理は、外交方針として自由、民主主義、法の支配などの価値観を共有する国々との連携を模索しているようです。そういう意味では、中国はこれらの価値観が一致するとは言い難い状況です。

 中国では、共産党一党独裁の下、様々な人権侵害が続いています。3年前、民主化運動をしている劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞しましたが、政治犯として服役中のため授賞式に出席することさえできませんでした。

 そのとき、自民党議員は当時の菅首相に釈放を求めるべきだと随分と詰め寄っていました。みんなの党も、劉暁波氏の釈放を求める決議案を国会に提出をしました。

 安倍総理は、劉暁波氏を含む中国の民主活動家やチベットの独立運動家などに対する中国政府の弾圧に対して、どのような姿勢で臨むのですか。具体的には、劉暁波氏の釈放は求めますか」

 安倍晋三「中国の民主活動家等をめぐる人権状況や劉暁波氏の釈放についてお尋ねがありました。

 国際社会における普遍的価値である人権及び基本的自由が中国においても保障されることが重要であります。劉暁波氏についても、そうした人権及び基本的自由は認められるべきであり、釈放されることが望ましいと考えます。このような観点から、これまでも政府間の対話などの機会をとらえて民主活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」

 「釈放されることが望ましい」であって、「釈放される」べきだとは口にしていない。いわば願望の表明であって、望ましい事態への要求の表明にまで達していない、遙かそれ以前の段階に留まっている。

 もし望ましい事態への要求の表明であったなら、その表明は国会で口にするだけで終わるこをは許されず、外交ルートを通じて中国政府に求める次の段階に進まなければならなくなる。

 にも関わらず願望の表明で終わっているということは、「これまでも政府間の対話などの機会をとらえて民主活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」と言っている「懸念」も当たり障りのない単なる儀式として行い、相手も儀式として応じている程度ということになる。

 要するに安倍晋三の人権意識の程度の低さは最初からであって、本質的に何も変っていない。

 みんなの党の水野賢一が3年前(2010年)、「自民党議員は当時の菅首相に釈放を求めるべきだと随分と詰め寄っていました」と言っていることを以前、「ブログ」で取り上げているので、その一部を再度ここに記してみる。   

 2010年10月14日の参議院予算委員会。

 山本一太「先般、中国では服役中の民主活動家劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞されました。先ずこれについての総理の見解をお伺いします」

 菅首相「ノーベル賞受賞が会ったと、私がコメントを求めれた、あー(喉が小さくゴロゴロと鳴る。)、ところ、で、ありました。まあ、あたしは、えー・・・(喉を鳴らす)、えー、これ、ノルウェー、えー、の、ノー・・・ベル賞の、委員会が、あー、普遍的な価値である、人権というものを、おー・・・(喉を鳴らす)、考え、て、えー・・・、えー・・・、受賞を、おー・・・、いわゆるノーベル賞の受賞を、決められたものだろうと、ま、こういうふうに申し上げました。

 えー・・・、まさに人権の問題は、あー・・・(喉鳴り)、国境を超えての、おー・・・(喉鳴り)、人類、共通の課題でありますので、私は、あー・・・(喉鳴り)喜ばしいことだと、このように、受け止めております」

 山本一太「あの、ちょっと総理、奥歯に挟、物が挟まったような、非常に歯切れの悪いご答弁だと思いますけど、もうちょっと、もうちょっと踏み込んだお話をいただけないものでしょうか」

 奥歯に挟まったものの言い方というよりも、普段頭に押さえていない不慣れな考えだから、つっかえつっかえとなるのだろう。「20年間の日本の閉塞状態を打ち破るには――」といった自身が常にスローガンとしている主張は滔々と声を張り上げてさえ述べることができるのだから、その逆の頭にないことの意見表明ということなのだろう。

 菅無能「まあ、劉暁波氏の、おー・・・(喉鳴らし)、中に人間、あるいは国際的な活動について、私自身、そう詳しく、それ以前知っていた、わけではありません。シー、えー・・・(喉慣らし)、しかし、えー・・・、ノーベル賞、の、委員会が、そういう活動を、ヲー・・・(喉慣らし)、評価して、えー・・・、こういうノーベル賞を、おー、受賞を決められたわけです。シー、ま、このことは、ま、どこまで踏み込んでということになるか分かりませんが、ま、ある意味で、国際社会に対してと同時に、ま、中国自身に対してもですね、えー、人権に問題についての、もっと、おー・・・(喉鳴らし)、そういうものを、おー・・・、しっかりと尊重するようにという、まあ、ある意味での、おー・・・、そういう、うー・・・、意思というか、そういうものを伝えられたんだと思っています。

 シー、私も、その、おー・・・(喉鳴らし)、意味は、えー・・・、そういう、うー・・・、立場で、えー・・・、その問題についても、おー・・・、受け止め、場合によっては、あー・・・、必要なことがあれば、対応していきたいと、そう思っています」

 山本一太「今のは総理、従来よりは一歩踏み込んだご答弁だったと思います。やっぱり中国についても、人権問題についてはしっかり慎重、人権問題については尊重していくべきだと、そういう国際的な意志が示されたと、総理がおっしゃいましたので、これは以前よりも踏み込んだ答弁だと思いますが、総理、ご存知のようにアメリカのブッ、あのー、オバマ大統領は、中国政府に対してこの劉暁波氏の釈放を求めています。

 そして総理、これもご存知だと思いますが、EUもそうです。英国政府も、フランス政府も、ドイツ政府も、この劉氏の釈放を求めているか、あるいは釈放を願うと、そういうステートメントを出しておりますけれども、日本政府として今後、このこの劉氏の釈放を求めると。こういうことをおっしゃる、ヨ、予定は、あるんでしょうか」

 山本一太は劉暁波氏の釈放を求めて菅無能を散々に責めるが、菅無能は最後にこう答弁している。

 菅無能「何かいやにですね、決めつけて色々言われていますが、エ、決めつけてですね、あまり私の言葉をですね、曲解して、この場でですね、あの、言わ、言わないで欲しい。いや、今ちゃんと何度も、説明をいたしました。基本的な価値である人権について、これは守られるべきだと。基本的な自由についても守られるべきだと。

 そういう立場から、勿論、ノル、ノーベル賞、受賞、いや、ノーベル委員会でも、そういうことが、えー、そういうことに基づく活動が評価されたんだと、いう認識を、ヲー、申し上げた上で、えー、そういう考え方に立って、(原稿を見る。)劉暁波氏が釈放されることが望ましい。(言葉を強めて)明確に申し上げています」

 結論は中国政府に釈放を求めますではなく、その決意があれば、山本一太にいたぶられる前に釈放を要求していたはずだが、「基本的な価値である人権と基本的な自由は守られるべきだから、劉暁波氏が釈放されることが望ましい」との願望表明に過ぎなかった。

 2010年10月14日の参議院予算委員会で民主党政権の菅無能が「釈放されることが望ましい」と釈放の願望を国会で口にし、自民党政権の安倍晋三が2013年2月1日の参議院本会議で「釈放されることが望ましい」と釈放の願望を同じく国会で口にしている。

 何の変化もない音無しの構えを繰返したに過ぎない。この無変化な音無しの構えは両政権の人権意識の低さが何も変わらずに推移していることを示しているに過ぎない。

 山本一太は「EUもそうです。英国政府も、フランス政府も、ドイツ政府も、この劉氏の釈放を求めているか、あるいは釈放を願うと、そういうステートメントを出しておりますけれども」と言っているが、今回、劉暁波氏が刑務所を仮釈放されて病院で治療に入った以降、自民党が安倍政権に対して劉暁波氏の釈放と海外治療の要求を出すよう求めたというマスコミ報道は目にしていない。

 いわば自民党にしても音無しの構えを守った。

 このことは山本一太の発言の経緯が人権意識から、あるいは「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」に立脚した立場から菅無能に劉暁波氏の釈放を中国に求めるよう「詰め寄って」(水野賢一)いたのではなく、単に菅無能を困らせて菅政権の評価を下げるために「詰め寄って」いたに過ぎないことの証明としかならない。

 その首相・党総裁にしてこの自民党ありで、人権意識の程度の低さに於いて自民党と安倍晋三は同じ穴のムジナだということになる。

 端無くも劉暁波氏が拘束されていた刑務所を仮釈放となって病院で末期ガンの治療をすることになった以降の安倍晋三の対応――音無しの構えが安倍晋三自身の人権意識の程度の低さを改めて炙り出すことになった。

 普段口にしている「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」にしても、中国に対抗するための便宜的な手段であって、自身が血や肉としている価値観ではないはずだ。

 なぜなら、2014年、ウクライナの主権と領土の一体性を侵害してクリミアをロシア領土に併合した「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」に真っ向から反するロシアの、これも自身が常々異議を唱えている“力による現状変更”を厳しく批判して然るべきを安倍晋三は欧米のロシアに対する経済・金融制裁に付き合い程度に参加した便宜的態度が証明することになる。

 人権が「人間が人として本来持っている権利」とされている以上、人間活動の充足は人権の保障が基本となる。安倍晋三の本質的な人権意識がこの程度であるということは、安倍晋三が唱えている「再チャレンジ可能な社会」にしても、単に経済活性化が目的か、あるいは政策を見栄えよくする便宜性から出たスローガンの域から出ず、人権の保障を基本としなければならない人間活動の充足――国民の幸福への願いから発していることにはならない。

 安倍晋三の政策全てが自身の何らかの利益を狙った便宜性から出ていると見た方がよい。

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