安倍晋三と特区民間議員の獣医学部1校限定は獣医師会要請は安倍晋三の「総理のご意向」隠蔽のための強弁

2017-07-09 12:45:06 | 政治

 安倍晋三の2017年6月24日の《神戸「正論」懇話会》での発言。  

 安倍晋三「獣医学部の新設も半世紀以上守られてきた堅い岩盤に風穴をあけることを優先し、獣医師界からの強い要望をふまえ、まずは1校だけに限定して特区を認めました。
 しかし、こうした中途半端な妥協が、結果として、国民的な疑念を招く一因となりました。改革推進の立場からは、今治市だけに限定する必要はまったくありません。すみやかに全国展開を目指したい。地域に関係なく2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん獣医学部の新設を認めていく。国家戦略特区諮問会議で改革を、さらに進めていきたい、前進させていきたいと思います」――

 要するに「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度」を設定して、特区指定の今治市への加計学園獣医学部新設認可が1校となったのは「獣医師界からの強い要望」だったとしている。

 そしてこの1校限定を「中途半端な妥協」と見做しているが、何を言うか今更、「中途半端な妥協」をしたのは国家戦略特別区域諮問会議であり、最終責任はその議長である安倍晋三自身にある。

 「結果として、国民的な疑念を招く一因」となったことも、安倍晋三自身の責任となる。但し「疑惑」は主として二種類ある。事実を勘繰っただけの疑惑なのか、事実を言い当てている疑惑なのか。

 疑惑が常に前者であるとは限らない。国民の多くが後者の「疑惑」と捉えているから、加計学園問題に関する世論調査で政府の説明は「納得できない」が7、8割を超えることになっているのだろう。

 国家戦略特区諮問会議の民間議員も6月26日夜(2017年)に記者会見を開いて、安倍晋三同様に1校限定は日本獣医師会の要望だと発言している。まあ、連携プレーと言ったところなのだろう。

 民間議員の八田達夫大阪大学名誉教授の発言を2017年6月26日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 八田達夫「(国家戦略特区は)あくまで提案したところはどこでも適用できるような条件でやるというのが元来の趣旨だ。ところが、既得権側がさまざまな条件を付けてきた。

 最後に『1校だけに限る』ということを獣医師会が山本地方創生担当大臣に申し入れ。『これをやらなければ何もできないかもしれない』というふうに判断し、引き受けたというのが状況だ。1か所でできれば、ほかのどこでもできるという原則を曲げたのは、むしろ獣医師会の側ではないか」

 改めて国家戦略特区指定の今治市への加計学園獣医学部新設認可までの経緯を振返ってみる。

 2015年6月4日に今治市と愛媛県は第2次安倍政権が進めたアベノミクスの成長戦略の柱「国家戦略特区」に「国際水準の獣医学教育特区」を提案している。

 この提案は名乗りを上げている候補者が存在していなければできない。候補者とは加計学園で決まったのかだら、加計学園を指すことになる。今治市と愛媛県が2007年から2014年までの計15回も獣医師定員増の地域規制解除を提案していることも証拠として挙げることができる。 

 安倍晋三側は否定するかもしれないが、この提案を受けてのことだろう、2015年6月30日に「獣医師養成系大学・学部の新設検討」を盛り込んだ「日本再興戦略」改定を閣議決定し、2015年12月15日の第18回国家戦略特別区域諮問会議で今治市を国家戦略特区に指定。

 但し「内閣府地方創生推進事務局」のサイトには、〈2016年1月、3次指定として、広島県・愛媛県今治市、千葉市(東京圏の拡大)、北九州市(福岡市に追加)を指定。(合計10区域)〉との記述がある。  

 2015年12月15日の第18回国家戦略特別区域諮問会議では今治市に獣医学部新設を想定した議論が行われている。

 そして2016年11月9日、第25回国家戦略特区諮問会議が「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度を直ちに行う」とする案を提出、その案を決定。

 要するに獣医師系養成大学が存在しない四国に獣医学部新設の可能性を高めたことになる。

 この決定を受けて日本獣医師会は2016年12月8日、安倍晋三や諮問会議民間議員が言っている「1校限定」を内閣府に要請したということになる。

 今治市への2017年1月11日までの獣医学部新設応募受付けに対して加計学園岡山理科大学一校のみが応募。

 2017年1月20日、安倍晋三が加計学園岡山理科大学獣医学部を正式に事業者に認定。

 内心、「してやったり」とばかりにニンマリとしたかどうかは本人以外に窺い知ることはできない。

 そしてこの加計学園1校のみの獣医学部新設認定は日本獣医師会の「1校限定」の要望を踏まえた決定だと安倍晋三も諮問会議民間議員も主張しているということになる。

 ここで分かりきったことを断っておくが、定数1校限定は募集数1校限定では決してないということを踏まえておかなければならない。

 今治市が自らの地域に対する国家戦略特区申請を加計学園の獣医学部新設を前提として行っている経緯と募集数1校限定ではないにも関わらず応募校が加計学園1校のみである経緯は相互関連し合っているはずだ。

 そしてこの相互関連は国家戦略特区指定の今治市への獣医学部新設認可が安倍政権の既定路線となっていることを関係者が知っていなければ可能とならない。

 2014年5月1日に関西圏国家戦略特区として京都市全域が国家戦略特区に指定されている。この指定を受けて「京都府」は2016年11月に実施主体を京都産業大学とした獣医学部設置の認可を担当省庁である内閣府、厚生労働省、農林水産省、文部科学省に対して要請している。     

 そして2016年3月24日の第8回関西圏国家戦略特別区域会議で京都府は同じ内容の要請を行っている。

 京都産業大学が撤退した理由は2016年11月9日、第25回国家戦略特区諮問会議が「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度を直ちに行う」とする案を決定したからだろう。

 隣接県の大阪府にある大阪府立大学が獣医学を持っているために上記条件から外れることになって、どう逆立ちしても京都市に獣医学部を設置することは不可能だからだ。

 いわば少なくとも四国と言う地域に関しては「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とする」制度そのものが既に「1校限定」となっている。

 では、なぜ日本獣医師会は「1校限定」を内閣府に要請することになったのだろう。

 2017年6月27日放送のTBSテレビ「ひるおび!がその要請文の画像を画面に写し出して解説していたのをチラッと見たから、その動画がネットに出回るのを待ってからダウンロードし、手書きで文字起こしした文章を今朝パソコンに取り込んでみた。

 ほぼ画像通りの文字の並びとなっているが、文字の大きさの関係で並びがずれる所は読みやすいように行の長さを変えることにした。



                            28日獣発第230号
                                平成28年12月8日

 
    内閣府特命担当大臣
   (地方創生・行政会改革)
      山本幸三様 


                 公益社団法人 日本獣医師会
                  会長    蔵内 勇夫

                国家戦略特区による獣医学部新設に関する要請

            11月9日に開催された第25回国家戦略特別区諮問会議において、「国
           家戦略特別区における追加の規制改革について」の中で「広域的に獣医師系
           要請大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制
           度の改正を直ちに行う。」ことが決定され、11月18日付けで、「文部科学
           省関係国家戦略特別区域法第26条に規定する政令等規正事業に係る告示の
           特例に関する措置を定める件の一部を改正する件(案)に関する意見募集が
           行われています。

            本会は、このような戦略特区による獣医学部の新設は、文部科学省、獣
           医学部系大学等多くの関係者による半世紀に亘る獣医学教育の国際水準達成
           に向けた努力と教育改革に全く逆行するものとして、適当でないと主張して
           きました。

            しかし、今回、獣医学部教育及び獣医師職域の現状及び将来の在り方につ
           いて十分な検証も行われず、また、本会等関係者が意見を述べる機会もない
           まま、一方的に獣医学部の新設が決定されたことは、極めて遺憾であります。

            つきましては、本件に関し下記のとおりに要請いたしますので、ご高配を賜り
           ますようお願い致します。

                 記

           1 仮に国家戦略特区諮問会議の決定に従い地域が指定され獣医学部の設置
            認可申請があった場合には、国際水準の獣医学教育を提供することは勿論、
           当該獣医学教育施設及び体制が、平成27年6月30日に閣議決定された4条
            件を満たすものとなるよう、内閣府、文部科学省、農林水産省等において
            厳しく審査すること。

           2 今回決定された「広域的に獣医師養成系大学等の存在しない地域」とは、
            1カ所かつ1校のみであることを公的に明記すること。
                                            以上
 

  安倍晋三と諮問会議民間議員が言っている「獣医師会の要請を踏まえた1校限定」は、〈2 今回決定された「広域的に獣医師養成系大学等の存在しない地域」とは、1カ所かつ1校のみであることを公的に明記すること。〉と書いてあるところに当たる。

 だが、この文言はどう読んだとしても、「1校限定」の要請を意味していない。もし「1校限定」の要請だったなら、「1カ所かつ1校のみにすること」という言葉の体裁を取った要請となるはずだ。

 「1カ所かつ1校のみであることを公的に明記すること」という要請は獣医師会側が「1カ所」・「1校」が既定となっていることを既に承知していて、既定以上に増えると獣医師会としても困るから、「1カ所」・「1校」であることの“公的な明記”を求めたという意味を取るはずである。

 いわば「1カ所」・「1校」の言質を求める趣旨の要請である。

 日本獣医師会は国家戦略特区を使った獣医学部新設に向けた今治市や安倍政権の動きに対して多方面に亘る様々な関係者からの情報収集によって「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とする」と制度を改正したこと自体が既に「1校限定」の認可を前提とした改正だと気づいていた。

 だが、例え「1校限定」の認可であったとしても、新設そのものを反対していた獣医師会からしたら、危機感を持たざるを得なかったはずだ。そこで「1校」は容認するとしても、それ以上増えては困るからと、「1カ所」・「1校」であることの“公的な明記”を求める要請を出した。

 このように解釈することによって、日本獣医師会が内閣府の山本幸三に出した「要請」は文章としての整合性を持ち得る。

 「1校限定」を求める要請でもないのに安倍晋三と諮問会議民間議員が共々、「1校限定」は獣医師会の要望を踏まえたものだと強弁するのは加計学園獣医学部新設認可に安倍晋三の「総理のご意向」が働いていたからで、それを隠蔽するために強弁がどうしても必要になったからに他ならない。

 もう一つ「1校限定」の要請ではないことの証拠を挙げることができる。獣医師会が「要請」を出した平成28年12月8日以降の国家戦略特区諮問会議で「要請」を決定するについては議論しなければならないはずだが、この提案を何ら議論していないことである。

 「総理のご意向」という安倍晋三の政治的関与が働いていなければ、何も強弁することはない。


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稲田朋美の豪雨対応中の防衛省内70分間不在 どのような集まりの勉強会だったのか、それが問題になる

2017-07-08 11:52:48 | 政治

 防衛相の稲田朋美が九州北部の豪雨災害防衛省対応中の7月6日(2017年)昼時に防衛省を70分間不在にし、そのうち40分間は政務三役(大臣・副大臣・政務官)が不在だったとして、マスコミが問題に、野党や自民党内からも批判が上がっている。

 「Wikipedia」に防衛大臣の役目を、〈内閣総理大臣の下で(統合幕僚長を通じて)自衛隊全体を統督する。防衛大臣の自衛隊の部隊運用に関する指揮は、統合幕僚長が補佐し、統合幕僚長を通じて行われる。命令の執行も統合幕僚長が行う。〉と紹介している。

 例え防衛大臣の意思の反映が形式的であったとしても、いわば統合幕僚長の指示を防衛大臣としての指示としてオウム返しに反復するだけで、そこに防衛大臣としての意思が何ら含まれなかったとしても、災害対応従事の自衛隊は稲田朋美の指示に基づいて動くことになる。

 勿論、携帯電話を所持しているだろうから、統合幕僚長の指示をどこにいても受けることができ、その指示をそのまま実行に移すように指示、統合幕僚長が防衛大臣の指示として活動対象の自衛隊部隊に伝えて、当該部隊が防衛大臣の指示として、その指示に則って活動するという指揮命令系統は滞りなく成立させることはできる。

 要するに稲田朋美がいなくても、自衛隊は機能するということである。
 
 だとしても、防衛大臣が自衛隊全体の実際行動に関わる指揮・命令者であることに変わりはない。幕僚長にしても、防衛大臣が自衛隊に出す指示が自分が出した指示に変わりはなくても、防衛大臣を通して出さなければならない。防衛大臣にしても幕僚長から上げってくる指示に応じて自衛隊の動きを把握していなければならない。

 防衛大臣がロボット的存在であったとしても、何よりも自衛隊の運用に関する全責任は防衛大臣が負わなければならない。それだけの責任がある。

 防衛省の「災害時に政務三役が常に在庁することを定めた規範は存在しておらず、それに関する記録はない」とする見解を2017年7月6日付け「NHK NEWS WEB」記事が伝えていたが、そのような規範が存在していたとしても、役目に対してはどこにいようと、責任を常に付帯させていなければならないことになる。

 一方で官房長官の菅義偉も7月6日午前の記者会見で、「今日昼ごろ、防衛省の政務三役が40分程度、省内に不在だったということだが、稲田大臣も含めて複数の政務三役がすぐ近くに所在をして、秘書官から随時連絡を受けて、速やかに省内に戻る態勢だったということだ」との発言で何ら問題がないとしている態度を同日付の別の「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 稲田朋美自身は70分間の不在を防衛記者会の質問に対して文書で「政務として、民間の方々との防衛政策に関する勉強会に出席した」と説明したと言う。

 稲田朋美のこの一時不在を伝えている2017年7月6日付け「朝日デジタル」記事は、〈「政務」は、後援者との会合や選挙応援など政治家としての活動。閣僚としての業務である「公務」とは区別される。「政務」の内容について、防衛省は「民間との防衛政策に関する勉強会に出席した」とした。〉と解説している。   

 公務でない以上、防衛大臣という肩書は持っていても、勉強会は一政治家の一私的な会合ということになる。

 防衛省の「民間との防衛政策に関する勉強会に出席した」はあくまでも稲田朋美の説明に基づいた防衛省の説明なのだろう。あるいは稲田朋美と防衛省が口裏を合わせてそういうことにしたということもあり得る。

 「政務」が後援者との会合や選挙応援など政治家としての活動を言うなら、稲田朋美が言う「政務」が例え後援者との会合であったとしても、自然災害に対応して自衛隊が活動中に自衛隊指揮・命令者である防衛大臣が防衛省を一時不在となり、その不在が他の政務二役と重なったとしても、秘書官と随時連絡を取り合い、必要に応じて省内に戻ることのできる近辺に所在していたなら、役目上の責任は何も問題はないということになる。

 このことを受け入れるとしても、道義上の責任は残らないだろうか。自衛隊が出動しなければならない規模の自然災害と言うことなら、当然、死者が出ることも想定しなければならない。洪水や土砂災害が甚大且つ広範囲に亘っている場合は死者は連続して出てくることも想定しなければならない。

 当然、人命救助に携わる自衛隊の活動態勢にも影響が出てくる。

 国民の生命・安全を守るのは何も内閣総理大臣だけではない。全ての閣僚は共に担っているはずだ。

 防衛相としても危機管理上このような想定しなければならない切迫した状況を前にして在庁を決めた規範がなく、近くにいて連絡を取り合い、直ちに省内に戻ることのできる態勢でいさえすれば、勉強会が後援者との会合であるなら、私的も私的の会合ということになって、道義上の責任を規則上の責任同様に問題無しとすることができるのだろうか。

 防衛省サイトに稲田朋美の一時不在釈明の7月7日「記者会見」が載っている。アクセスして、「勉強会」が具体的にどのような集まりだったのか確かめることにした。    

 稲田朋美は記者の一時不在の適切性を問う最初の質問に対して自衛隊の災害対応の態勢は十分に整っていて、防衛省を外出する際にも現場から報告を受けている上に秘書官に適切な状況報告を指示し、外出と言っても、近傍に所在して随時連絡を受けることのできる態勢と連絡に応じていつでも省に戻ることができる態勢を取っていたとして、何も問題はないことを示唆した。

 菅義偉が問題はないとした発言通りの趣旨となっているが、あくまでも役目上の行動について何も問題はないと言っているに過ぎない。

 記者「勉強会とおっしゃいましたけども、支援者とのランチじゃなかったのですか」

 稲田朋美「そうではありません。勉強会において、私が冒頭発言をし、説明をして、その上で質問を受けて、そしてもちろん、ちょうどお昼時だったので御食事は出ておりましたけれども、その御食事はせずに、冒頭の説明とそして質問を受けて戻ったということでございます」

 記者は「勉強会」なるものについてそれ以上の追及はしなかった。「勉強会」とはその会の主催者もしくはその会の中心人物を中心にして決めたテーマを勉強し合う会合であろう。

 そしてそれが「政務」である以上、一政治家の一私的な会合からは出ない。

 出席者はどのような人々の集まりだったのか、何人ぐらい集まったのか、会費は取ったのか取らなかったのか、あとの方で「防衛政策の説明だけ行ってきた」と言っているが、どのよう防衛政策について説明したのか、その説明に関してどのよう質問を受けたのか、食事が出ていたが、食べなかったと言っているが、他の出席者は食事を摂りながら、防衛政策の話を聞いていたのか、なぜ食べなかったのか、勉強会は何時間の予定で開催したのか等々を追及したなら、開催時間に応じて会合の重要度の判定や、防衛省が「民間との防衛政策に関する勉強会に出席した」と説明している「民間」が一定の社会的地位を持った同業者の集まりなのか、一定の社会的地位にはあるが、異業種の集まりなのかが分かってくる。

 このような質問に答えた稲田朋美の説明を総合すれば、単に稲田朋美の選挙区の支持者(=支援者)の集まりだったのか、一定の有識者の集まりで、稲田朋美にも防衛政策の勉強になる勉強会だったのか、自ずと炙り出すことができる。

 前者なら、「勉強会」とは防衛省を留守にしたこと単に正当化するための、と言うより、誤魔化すための体裁に過ぎないことになって、国民の生命・財産が脅かされつつある甚大且つ広範な自然災害を他処に見て自らの役目よりも支持者の集まりを優先させたことになり、道義的責任は免れ得ない。

 ところが記者の質問は稲田朋美が役目上は何も問題はないとしているにも関わらず、「災害派遣中にそちらを優先する理由は何ですか」とか、「これからもこういう事態があったら、そちらを優先するのですか」とか、「勉強会」なるものの実態を問わずに仕事よりも勉強会を優先させた適否だけを問うことにエネルギーを費やしていた。

 勉強会が一定の有識者の集まりで、稲田朋美にとっては防衛政策の勉強に欠かすことのできない重要な集まりであったとしても、私的な会合であるなら、同じような会合を二度と開く機会がないということはないはずだから、やはり死者が出ている自然災害を前にして自衛隊指揮・命令者である防衛大臣が私的な集まりである会合を優先させた道義的責任はゼロとすることはできない。

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安倍晋三「語るに落ちる」加計学園獣医学部新設認可政治的関与を今度は特命担当相山本幸三「語るに落ちる」

2017-07-07 12:17:09 | 政治

 安倍晋三の6月24日(2017年)神戸ポートピアホテルで開催の神戸「正論」懇話会設立記念特別講演会での「発言」

 国家戦略特区指定の今治市への加計学園獣医学部新設認可は加計学園理事長が安倍晋三の友人だから認めてくれと言われて認めたわけではないと断った上で次のようにのたまわっている。

 安倍晋三獣医学部の新設も半世紀以上守られてきた堅い岩盤に風穴をあけることを優先し、獣医師界からの強い要望をふまえ、まずは1校だけに限定して特区を認めました。

 しかし、こうした中途半端な妥協が、結果として、国民的な疑念を招く一因となりました。改革推進の立場からは、今治市だけに限定する必要はまったくありません。すみやかに全国展開を目指したい。地域に関係なく2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん獣医学部の新設を認めていく。国家戦略特区諮問会議で改革を、さらに進めていきたい、前進させていきたいと思います」――

 この発言を6月25日(2017年)の当「ブログ」で、獣医学部新設は獣医に関わる各関係者、国家戦略特区の有識者、関係省庁等々の議論・検討を経なければ認可できないことを、それを無視して安倍晋三の一存で決めようとしていることは加計学園獣医学部新設を「総理のご意向」(=安倍晋三の一存)で決めたからこそできることで、安倍晋三の政治的関与を「語るに落ちる」形で認めてしまったといったことを書いた。

 「語るに落ちる」とは「問うに落ちず語るに落ちる」の略で、「問い詰められるとなかなか言わないが、勝手に話させると、うっかり秘密をしゃべってしまう」(「コトバンク」)ことを言う。

 安倍晋三のこの「語るに落ちる」加計学園獣医学新設認可政治的関与を特命担当相の山本幸三が同じく「語るに落ちる」形で認める発言をしていることを2017年7月5日付「毎日新聞」《加計問題 獣医増え万歳?「どんどん新設」閣僚も首相援護》記事が間接的に伝えている。     

 記事は先ず、〈山本氏は7月4日、閣議後記者会見で熱弁をふるった。年間収入5000万円以上の犬猫診療施設が3割を超えているとする日本獣医師会の2015年の調査結果を引き、ペット獣医の収入が高すぎるとした。〉と、ペット獣医への需要の偏りを問題視した姿勢を紹介している。

 どう発言したかは画像で示しているのみである。内閣府サイトにアクセスして記者会見の要旨を覗こうとしたが、山本幸三の記者会見発言はなぜか5月30日止まりとなっている。他の内閣府特命担当相(経済財政政策) の石原伸晃の記者会見要旨は7月4日分まで載っているし、原子力防災の特命担当相の山本耕一の場合は6月30日までの記者会見要旨が紹介されている。

 山本幸三の場合、6月分の記者会見が全て抜けているということは、加計学園疑惑で突つかれたら不都合な発言があって、それを隠すための可能性が高い。なぜなら、5月以前の全ての月の記者会見要旨は紹介されているからだ。

 仕方なく、7月4日閣議後記者会見の発言を画像の文字から起こしてみた。

 山本幸三「公務員(獣医)改善すればいいと獣医師会は言うが、皆がペットに行くのは儲けるから。(診療料金高止まりの原因は)獣医師の供給を制限しているから。

 供給が増えれば、(診療料金が下がり、公務員給与と)バランスする。収入5000万円以上の(ペット診療)施設は3割を超えている。

 経済論理から言えば、こっちが偏っている」

 要するに獣医師の供給増を主張することで安倍晋三の「どんどん獣医学部の新設を認めていく」“総理のご意向”を側面援護し、その意向を正当化している。

 但し記事は山本幸三の「収入5000万円以上の(ペット診療)施設は3割を超えている」に異議を唱えている。

 〈だが、日本獣医師会によると、この「収入」は一般企業の売り上げに当たり、諸経費を差し引いていない。また、厚生労働省の2016年の賃金構造基本統計調査によると、民間で勤務する獣医の平均年収は約569万円。医師(約1240万円)や歯科医師(約857万円)に及ばない。 〉

 とは言っても、獣医師の中でも需給関係から言って、ペット獣医師の収入が高いのは事実だろう。但し、《平成26年獣医師の届出状況(獣医師数)》による「獣医師法第22条の届出状況」を見ると、犬猫関係の個人診療施設のうち開設者は8340人、被雇用者は6865人、計15205人となっていて、半数近くが雇用されている獣医師であって、院長に当たる開設者のような収入を得ていないはずだ。 

 それに開設者は犬猫病院開設の為の初期投資の負担がある。ネットで調べてみると、場所によって大きく違うだろうが、土地を賃貸として、医療機器や薬等の初期在庫、そして医療消耗品、広告費、人件費等の運転資金などで2000万円から3000万円必要とあった。

 当然この開店資金は減価償却していかなければならないが、月々の売上の影響を受けることになるから、雇用される獣医師と違って経営者として使わなければならない神経・気苦労も収入に加算しなければならないはずだが、山本幸三はこういった事実は無視した情報捜査を行っている。

 記事は獣医関係者2人の発言を伝えている。

 西川芳彦獣医コンサルタント「犬猫病院の臨床医は一般に公務員より勤務時間が長い。病院によって差はあるが、院長や経営者を除き、時給に換算すると公務員より低い」

 高井伸二北里大獣医学部長「若いペット獣医は安い給料で頑張っている。山本氏の見解は表面的な数字を見ただけの暴言。現場の獣医たちは怒りまくっている」

 山本幸三は東京大学経済学部卒の68歳。それだけの常識を弁えていていいはずだが、安倍晋三の「どんどん獣医学部の新設を認めていく」“総理のご意向”を側面援護し、正当化するために諸経費を含めた犬猫病院の総収入をその開設者の収入として、さも高額の収入を得ているかのような情報操作を平気で行った。

 もし加計学園獣医学部新設認可が適正な手続きを経て決まった案件であったなら、いわば“総理のご意向”案件でなかったなら、如何なる情報操作も必要はない。

 だが、情報操作を必要とした。そのこと自体が安倍晋三の政治的関与を特命担当相の山本幸三が「語るに落ちる」形で認めたことを意味する。

 誤魔化しの情報を用いてまでして適正な手続きだったと思わせようとしているからだ。正当性を言い立てるために様々に言葉を用いているが、用いれば用いる程に「語るに落ちる」ことになる。

 山本幸三の安倍晋三政治的関与「語るに落ちる」形を取る情報操作はこれだけではない

 先ず《獣医事をめぐる情勢》農林水産省消費・安全局畜水産安全管理課/平成28年9月)から、獣医師の診療従事別分野と分野毎の人数、割合を見てみる。 

 ○ 獣医師として、約39,100人(平成26年)が免許を保有。

 ① 産業動物診療:約4,300人(11%) 家畜や家きん(産業動物)の診療に従事。

 ② 公務員:約9,500人(24%)家畜伝染病の防疫(国内防疫・動物検疫)、家畜改良技術の研究開発、食肉等の安全の確保(食肉検査)、食品衛生監視・指導、狂犬病等の予
   防などの行政に従事。

 ③ 小動物診療:約15,200人(39%) 犬、猫等のペットの診療に従事。

 ④ その他の分野:約5,600人(14%) 大学の教員、動物用・人体用医薬品の開発、海外技術協力などに従事。

 ⑤ 獣医師として活動していない者:約4,600人(12%)

 確かに犬、猫等の小動物診療は獣医師免許所有者の約4割もの圧倒的多数が占めている。山本幸三は上記記者会見で獣医師数を増やせば、いわば全国に「どんどん獣医学部の新設を認めて」いけば、小動物診療獣医師給与と公務員給与とのバランスが取れて、小動物診療獣医師数が減って、公務員獣医師数が増えるといったことを主張しているが、この発言に情報操作はないか、同PDF記事のグラフを画像にして添付しておいた。

 先ず「家畜の飼養頭数」と「家畜の飼養戸数」と「犬・猫の飼養頭数」を見てみる。

 「家畜の飼養頭数」は豚も肉用牛も乳用牛も年々減り続け、「家畜の飼養戸数」は肉用牛を飼養する戸数が急激に減っている状況にあり、乳用牛の戸数も減り、減っている豚の戸数が少し持ち直している状況にあるが、要はそれぞれの飼養頭数が関係する。

 現在日欧EPA交渉が大筋合意したことが伝えられているが、もし妥結して欧州産の安いチーズが入ってくるようになると、国内の乳用牛がさらに減る可能性は否定できない。

 牛や豚が減っている状況の飼育数に応じて獣医師の需要も減ることになる。いわば牛・豚に関して「どんどん獣医学部の新設を認めて」いい状況にはない。

 犬は平成20年の1310万頭が平成27年には992万頭、118万頭も減っている。猫に関しては平成20年1089万頭が平成21年、22年と減って、961万頭、それ以降増えたり減ったりを繰返して、平成26年には少し増えたものの、27年には経るという一進一退の状況で987万頭、全体的には頭数をかなり減らしている。

 だとしても、平成26年の豚・肉用牛・乳用牛合計頭数1351万頭に対して平成26年の猫・犬の合計は1979万頭と、628万頭も上回っている。この頭数の違いが犬、猫等の小動物診療に獣医師が集まる理由ともなっているはずだ。

 この状況の反映なのだろう、PDF記事は、平成26年から平成27年へと小動物診療分野の就職が増えているが、〈獣医大学の卒業生は、10年前に比べ、小動物診療分野で減少傾向が見られる一方、公務員分野及び産業動物診療分野で増加傾向にある。〉と書いている。
 
 確かに賃金の違いや職場の環境、きれいにしていられるとか、汚くなる、汚れる、あるいは将来的保証といったことがどこに勤めるのかの診療分野の決め手ともなるが、こういったことだけではなく、動物の種類に応じたそれぞれの飼育数もそれぞれの需給関係に影響を与えている診療分野別の獣医師の増減傾向ということでもあるはずだ。

 こういったことを無視して、小動物診療への獣医師の一極集中だけを根拠に肉用牛、乳用牛、豚、犬、猫が頭数を減らしている趨勢にあることからして、全国的に「どんどん獣医学部の新設を認めて」いいという状況にはないにも関わらず、山本幸三にしても安倍晋三にしても、獣医学部新設をさも無制限に認めるかのように主張することができるのはそこに情報操作を介在させているからに他ならない。

 かくまでも情報操作をしてまで加計学園獣医学部新設認可を正当化しなければならないのは、既に指摘したように認可に安倍晋三の政治的関与が働いていたことの現れであって、政治的関与を隠蔽するための「どんどん獣医学部の新設を認めていく」であり、このような情報操作自体が安倍晋三の政治的関与を山本幸三が「語るに落ちる」形で認めたことを何よりも証明することになる。

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安倍晋三 欧州訪問とG20ハンブルク・サミット出席空港会見、「改革だ」、「改革だ」と言うだけの改革

2017-07-06 10:28:30 | 政治

 安倍晋三が7月5日(2017年)、欧州訪問とG20ハンブルク・サミットに出席のため羽田空港から飛び立つ際、午後2時少し前に記者会見を行った。

 「首相官邸」   

 「まず、日EU・EPA(経済連携協定)は、アベノミクスの重要な柱の一つです。また、世界の自由貿易を推進していく上においても大きな意味をもちます。

 現在、岸田外務大臣が全力で交渉に当たってくれていると思いますが、攻めるべきは攻め、守るべきは守り、この際、大枠合意を実現させたいと考えています。

 また、G20の機会を生かして、トランプ大統領、習近平国家主席、プーチン大統領、文在寅大統領を始め、世界のリーダーたちに、昨日の弾道ミサイルの発射によって脅威を増した北朝鮮に対して国際社会が緊密に連携して対応していく、その必要性について強く訴えていきたいと思っています。」
 
 「国政に一時(いっとき)の停滞も許されません。内外に課題が山積する中、より一層身を引き締め、反省するべきは反省し、謙虚に、しかし改革すべきことについては大胆に、政治を前に進めていきたいと思います。

 政権奪還時の初心に立ち返り、高い緊張感をもって一つ一つ結果を出していくことによって国民の皆様の信頼回復に努めていきたいと考えています。」

 カギ括弧が二個所ある。二度目の発言の前に記者が都議選惨敗について聞いたのだろう。

 北朝鮮が7月4日に行った「弾道ミサイルの発射によって脅威を増した北朝鮮に対して国際社会が緊密に連携して対応していく、その必要性について強く訴えていきたいと思っています」と力強く発言しているが、国際社会は金正恩にミサイル開発と核開発を思いとどまらせる有効な手段を思いつくことができていないのだから、単なる言葉の儀式で終わるだろう。

 但し安倍晋三はどこそこの首脳と北朝鮮問題について話し合い、両国が国際社会と共に連携して北朝鮮抑止の具体的な行動を取っていくことで意見が一致したと、例の如くにさも外交成果のように吹聴するのは目に見えている。

 中国もロシアも北朝鮮という隣国が核を保有していることは一つのリスクではあるが、中国の共産党一党独裁及びロシアの、少なくともプーチンの強権主義とアメリカの民主主義とが水と油の関係にあることを前提に考えると、このような関係によって両国が万が一アメリカと一触即発の状態で決定的に対立したとき、両国の友好国であり、アメリカとは敵対国である北朝鮮が核を保有していることは強い味方となることから、前者のリスクよりも後者の危険性に備えることのメリットを選択肢として視野に入れているとしたら、北朝鮮の核保有を望んでいることになる。

 中国とロシアが北朝鮮のミサイル開発・核開発阻止の行動に決定的に出なかったこれまでの対北朝鮮政策も参考材料とすることができる。

 安倍晋三は「国政に一時(いっとき)の停滞も許されません」と言って、都議選の惨敗と国政を別扱いしている。「政権奪還時の初心に立ち返る」とは言っているが、あくまでも自民党の一部議員や政権内の一部閣僚の問題であって、安倍晋三自身の問題とはしていない。

 当然、「反省するべきは反省し」と言っていることは自身を入れていない反省と言うことになる。

 そして「改革すべきことについては大胆に、政治を前に進めていきたい」と言って、「改革」の意欲とそれを成し遂げる自らの能力を示している。

 但し一つ一つの制度改正を成し遂げたとしても、全体として国民の暮らしに利便性と豊かさを与える形で世の中を前進させていかなければ、改革とは言えない。

 なぜなら、人間の利害の基本は経済――暮らしにあるからだ。かつて日本と日本国民について「豊かな国の貧しい国民」と言われた、国と国民の暮らし自体に大きな格差があった。今日、国の豊かさと国民生活の豊かさは相関性を保ち得ているだろうか。

 だが、安倍晋三の始めたアベノミクスで「企業業績の改善」→「投資の拡大・賃金の増加」→「消費の拡大」をサイクル上の各構成要素として最初の項目に戻る経済の好循環が日銀金融緩和による円安と株高で大企業の業績を改善させ、高額所得者の収入を増やしたが、目に見える程の賃上げと賃上げに応じた消費の拡大を実現させていないのだから、自律的な循環性を与えることができずに最初の項目止まりで終わる看板倒れとなっている。

 要するに大幅に賃金が上がることによって自律的な国民生活改革の性格を併せ持つことになる安倍政治の1丁目1番地であるアベノミクス経済改革が国民の生活の豊かさに繋がらがないままに頓挫している。いわば改革の意欲はあったものの、アベノミクス経済改革を成し遂げるだけの能力を持ち合わせていなかった。

 にも関わらず、「改革すべきことについては大胆に、政治を前に進めていきたい」と改革の意欲と成し遂げる能力があるかのようなことを口にする。

 自分自身が設定した最優先課題のアベノミクス経済改革が行き詰まっていながら、「改革」を口にするのは言うだけの改革に等しい。

 既に触れたように一つ一つの制度改正を成し遂げたとしても、全体として国民の暮らしに利便性と豊かさを与える形で世の中を前進させていかなければ、改革とは言えないからだ。

 アベノミクス経済改革の頓挫と伝えている2017年7月5日付「NHK NEWS WEB」記事がある。    

 記事は昨年度・平成28年度の国の一般会計の税収が前年度を8167億円余り減少の55兆4686億円となったということを主な内容としている。

 理由を幾つか挙げている。

 一般会計の税収として法人税が年度前半の円高の影響で企業収益が伸び悩んだことなどから前年度より約5000億円の減。所得税と消費税がそれぞれ約2000億円の減。

 企業活動が自律性を欠いているから、為替変動がそのまま企業業績に影響を与える。所得税と消費税合わせた各約2000億円の税収減は企業や個人の収入減と消費額の減少を示していることになって、アベノミクスの好循環が停止したままの状態になっていることを示している。

 記事が〈税収が前の年度を下回ったのは、リーマン・ショックの影響で景気が悪化した平成21年度以来7年ぶり〉と書いている。

 今回の税収減は2009年のリーマン・ショック時のような重大かつ深刻な外的要因は見当たらないから、殆どが円安から円高への振れが主原因となったのだろう。如何に他律性に頼った他力本願のアベノミクスかが分かる。

 記事は経済の専門家の発言を伝えている。

 宮前耕也SMBC日興証券シニアエコノミストアベノミクスが始まって以来、円安で企業収益を上げて、法人税収を増やしてきたが、円安をこれ以上進めることは難しく、中長期的に税収がどんどん増えていくことは考えづらい。

 これまでは、税収の増加を前提に経済成長と財政健全化を両立できてきたが、それが難しい局面になり、アベノミクスは岐路に立たされている。両立が難しくなれば、政権は今後、経済成長を優先して、財政健全化を犠牲にしかねない。

 これまでのような円安頼みの成長ではなく、痛みがあっても、構造改革を進めることで生産性を高めていくことが求められる」

 要するにアベノミクスは円安による企業収益の改善を起爆剤とした企業活動への転換とその転換を受けて円安に頼らない企業収益の形に持っていくことができず、最初から最後まで円安頼みのアベノミクス経済改革であり、企業活動だったことになる。

 と言うことは、安倍晋三という一国の首相としての経済政策能力は何ら関わっていなかった。

 だから、為替が円高に触れると、円高に応じたしっぺ返しをたちまち受けることになる。

 安倍政治の1丁目1番地のアベノミクス経済改革が円安頼みの上に目指した経済の好循環が頓挫したままの貧相な状況に陥っている。安倍晋三がいくら「改革だ」、「改革だ」と改革の意欲を見せ、改革を成し遂げる能力があるかのように見せかけたとしても、言うだけの改革で終わるのはアベノミクス経済改革そのものが示している。

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安倍晋三の都議選最終日:反対派を「こんな人たち」は自己絶対正義の国家主義に立った排除・蔑視の思想

2017-07-05 07:43:50 | Weblog

 安倍晋三が都議選最終日の7月1日秋葉原応援演説で聴衆の「安倍辞めろ」コールに対して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げて遣り返したことが言ってはいけない一言だといった批判を受けている。

 どう言ってはいけないのか確かめるために演説内容を2017年7月1日付「産経ニュース」記事から拝借して、その発言個所をここに記載してみる。

 安倍晋三「(首相の演説中、「安倍は辞めろ」などと叫び続けている反対派の聴衆について)あのように人が主張を訴える場所に来て、演説を邪魔するような行為を私たち自民党は絶対にしません。私たちは政策を真面目に訴えていきたいんです。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗(ひぼう)中傷したって何も生まれないんです。こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない。都政を任せるわけにはいかないではありませんか」

 「憎悪からは何も生まれない」と言っているが、憎悪が全て悪と言うわけではない。民主主義者が独裁主義者を憎悪する。この憎悪は独裁主義者にとっては悪だが、民主主義者には自明視される。

 価値は常に一方的な解釈で成り立つわけではなく、ときには相対化される。

 独裁主義者が民主主義者の独裁主義者に対する憎悪を悪と捉えるのは独裁主義を以って国家を統治する自身を絶対正義と捉える独善に陥っているからで、民主主義者にしても民主主義の原理に立って国家を統治していたとしても、統治する自身を絶対正義とする独善に陥った場合、独裁主義者とさして変わらないことになる。

 なぜならいくら民主主義が国民平等を謳っていたとしても、如何なる政治家であろうと、国民全ての利害に応じることのできる政策を創り出す万能の能力など持ち合わせていないことが平等の原理を裏切る民主主義の欠陥となっているし、何よりも人間は常に間違うことのない絶対的存在ではないにも関わらず、自己を絶対正義に位置づけてしまうからだ。

 民主主義の原理に基づいた政治を行っていると思い込んでいたとしても、保身に走ったり、保身のために妥協してはならない妥協をしたり、裏取引したり、責任回避を図ったり、自己を最優先したりといった国民の信頼を裏切る様々な間違いを犯す。

 このような間違いを間違いだと気づかずに国家統治は自分以外にいない、他者には任せることができないからだと正当化していた場合、既に自身を絶対正義とする罠に陥っていることになる。

 聴衆の安倍晋三に対する「安倍辞めろ」とか、「安倍帰れ」コールは確かに安倍晋三に対する憎悪の感情を含んでいないわけではないだろうが、それはあくまでも安倍晋三という政治家の政策に現れている思想や政治の進め方、あるいは利害の偏りが罷り通ることへの批判が憎悪の感情となって現れているのであって、一方の安倍晋三は憎悪の構成要因を一切考えない自己を絶対正義とする反応で応じている。

 先ず自分たちが訴える政策は全て正しい政策――正義そのものであるかのように「私たちは政策を真面目に訴えていきたいんです」と言っている。全利害対応の政策が存在しない以上、どのような政策であっても、すべての国民に対してこの政策こそが絶対正義だと認めさせることなどできないにも関わらず、「訴えていきたい」と言うことで、安倍晋三の政策のみを絶対正義としている。

 自分たちの政策そのものを絶対正義としていなければ、具体的な政策だけを訴えるだろう。但しその政策が約束する利害を選択するかどうかは国民自身が決める問題であって、選択した国民に限っての絶対正義となったり、比較正義となったりする。ときにはアベノミクス政策のように言っているとおりの利害に騙されて、その利害を選択した国民にとっても絶対正義どころでないといったことも生じる。
 
 要するにどのような政策であろうと、絶対正義であるとかないとかは政治家が決める問題ではなく、国民個々が決める問題である。
 
 自分たちの政策を絶対正義としているから、「安倍辞めろ」、「安倍帰れ」コールが安倍晋三という政治家の政策に現れている思想や政治の進め方、あるいは利害の偏りが罷り通ることへの批判を構成要因としていることに気づかず、考えもせず、単純なまでに憎悪という感情一つに集約することができる。

 そして「誹謗中傷」、反対派の声を誹謗中傷とすること程、気が楽なことはない。また反対派の声を誹謗中傷と見做すことは自己の政策や政治行動を絶対正義としていることによって成り立つ。

 如何なる政策も国民全ての利害に応じることはできないが、より多くの国民の利害に応じることによって、国全体を良くしていくしかないという謙虚さ、あるいは一部の国民の利害にのみ応じてしまう政策が往々にして起こるゆえにそのことに気をつけなければならないという謙虚さを少しでも持ち合わせていたなら、単純に反対派の声を「誹謗中傷」で片付けることはできない。

 反対派の「安倍辞めろ」、「安倍帰れ」コールを「憎悪」だと単純に解釈し、コールそのものを「誹謗中傷」に貶める。そうである以上、「こんな人たち」とは「この程度のレベルの人たち」と見下した意味を取る。

 これも自己を国民の上に置いて自らを絶対正義としているからこそ、「こんな人たち」と見下すことができる。

 安倍晋三の自己絶対正義視は国民の利益よりも国家の利益を優先させる国家主義に起因している。

 安倍晋三がもし国家主義者ではなく、国民主義者であったなら、全利害対応の政策が存在しないことを痛感、常に謙虚な姿勢を取ることになるだろうから、反対派のコールを「憎悪」と表現することもなく、「誹謗中傷」と非難することもなく、「こんな人たち」と蔑視こともない。

 いや、こういった発言を口にすることもない。

 蔑視の感情は排除の思想を裏打ちしている。

 民主主義国家に於いて、あるいは民主主義国家であっても、政治が国民と向き合う姿勢を慣習にしていると、全ての国民の利害に応じることはできないゆえに自己を絶対正義とする弊害に陥ることは難しいが、国家と向き合った政治を自らの姿勢としていると、国民の利害を軽視し、国家のためという理由一つで自己を絶対正義に向かわせる弊害を招きやすくなる。

 戦前、日本の軍部は自らを絶対正義者として国民の上に君臨し、国家の正義を体現していた。

 官房長官の菅義偉が安倍晋三の「こんな人」発言を「首相の発言は極めて常識的だ。民主主義国家なのだから選挙応援の発言は自由。縛ることなどあり得ない」と述べたと、「共同通信47NEWS」記事が伝えていた。  

 「首相の発言は極めて常識的」で、「選挙応援の発言は自由」と見做す感覚は、菅義偉も国家主義に侵されているのか、見事である。「縛ることなどあり得ない」と言っていることは安倍反対派の「安倍辞めろ」、「安倍帰れ」コールのことを言っているのだろうが、安倍晋三が国家優先の国家主義者である以上、発言を“縛りたい”欲求は持っているはずだ。

 安倍晋三の報道の自由を抑圧しようとする動きは既に出ていることが証明する。

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安倍晋三都議選自民惨敗の弁から窺い得る認識能力と責任感 「都民の審判」は叱咤を意味せず「裁き」の部類

2017-07-04 12:39:32 | 政治

 7月2日(2017年)投開票の都議選で都議会第1党だった自民党は現有57議席から34議席減らす23議席の大惨敗を受けた。翌日の7月3日午前、自民党総裁でもある安倍晋三が首相官邸の玄関ホールでだろう、記者に取り囲まれ、囲み記者会見を開いた。その全文を「産経ニュース」が紹介している。
   
  --都議選の開票結果の受け止めを
 「大変厳しい都民の審判が下されました。わが党に対する、自民党に対する厳しい叱咤と深刻に受け止め、深く反省しなければなりません。今後、党一丸となって、しっかりと体制を整え、結果を出していくことによって、国民の信頼を回復していきたいと、このように決意をいたしております」

 --国政への影響は

 「国政には一時の停滞も許されないわけであります。内外に課題は山積しております。こういうときこそ、私たちは一層身を引き締め、反省すべき点はしっかりと反省しながら、謙虚に丁寧に、そしてやるべきことはしっかりと前に進めていかなければいけないと考えています」

 --今回の結果の最大の理由は

 「これは政権が発足してすでに5年近くが経過をするわけであります。その中において安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったのだろうと思います。そのことはしっかりと真摯に受け止めなければいけないと思います。われわれが政権を奪還したときの、あの初心に立ち返って全力を傾けてまいる決意であります」

 現有57議席から34議席減の「都民の審判」を「自民党に対する厳しい叱咤」だと受け止めている。あれ、あれ、安倍政権に対する厳しい目も大きく影響した惨敗のはずだと思っていたら、最後になって、安倍政権の「緩み」に対する「厳しい批判」を挙げているが、あくまでも「厳しい批判があったのだろうと思います」と推測の範囲にとどめている。

 大惨敗の正確な分析はこれからだから、推測とならざるを得ないということかもしれないが、一党の総裁・一国の首相を務めているのだから、自らの認識能力に添った原因と結果のおおよその分析は即座にできるはずであるし、即座にできなければならない。

 それが即座のおおよその分析であったとしても、的確な分析に近い程、認識能力が高いことになる。

 そして当たり前のことだが、原因と結果の分析は責任の所在を明らかにする分析ともなる。責任の所在に触れない原因と結果だけの分析は意味を成さないし、そういった分析はあり得ない。誰が果たすべき責任を果たしたか、誰が果たすべき責任を果たさなかったか、それぞれに明らかにしてこそ、より妥当性を持たせた原因と結果の分析となるばかりか、今後のどう行動すべきかの教材となり得る。

 要するに都議選惨敗の弁に、それが感覚的な原因と結果の分析であったとしても、安倍晋三の認識能力と責任感を窺うことができることになる。

 安倍晋三は都議選惨敗という結果を、いわば「都民の審判」を「自民党に対する厳しい叱咤」だと分析した。

 「審判」という言葉の意味は主として、「物事の是非・適否・優劣などを判定すること」と、「キリスト教で、神がこの世を裁くこと」(「goo辞書」)の2つの意味に集約することができる。

 対して「叱咤」という言葉の「叱」も、「咤」も、「叱る」という意味だが、二つを合わせて「叱る」という意味だけではなく、「叱り、励ます」と意味も持たせていて、主に後者の意味で使う。

 「叱り、励ます」という行為は決して見放すという意味ではなく、より良い結果への期待を込めて気持を引き締め直させたいときに使う、そのような意味を持たせた行為であろう。

 都議選での自民党の結果が現有57議席から34議席減らす23議席の大惨敗であり、都議会でのこの状況を一般的には4年間引きずることを考えると、「都民の審判」は単に「物事の是非・適否・優劣」の判断基準に基づいてより多くの都民が都民ファーストの会を選択した投票行動の結果ではなく、自民党に“裁き”の思いを込めた審判の形を取った投票行動と見るべきだろう。

 そう、かつての民主党政権誕生時のように。民主党政権は失敗したが、小池都政が民主党政権の二の舞を演じる保証はない。

 だが、安倍晋三は「都民の審判」を「自民党に対する厳しい叱咤」程度に分析した。その判断能力はいくら身贔屓から出たものであったとしても、甘くはないだろうか。

 なぜ、安倍晋三はこのように甘い分析となったのだろうか。安倍晋三は「政権が発足して既に5年近くが経過をするわけであります。その中において安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったのだろうと思います」と推測程度の分析をしているが、“裁き”に等しい「都民の審判」の中にも、安倍政権の緩みの中にも安倍晋三自身を加えていないから、このような甘い分析となったのだろう。

 昨日のブログで安倍晋三自身の森友学園国有地格安売却に於ける政治的関与疑惑、国家戦略特区を使った加計学園獣医学部新設に関わる政治的関与疑惑に関して自分たちの方から積極的に説明責任を果たそうとする姿勢を取るのではなく、逆に不誠実な姿勢に終始したこと、国民の多くが反対しているにも関わらず新安保法制やテロ等準備罪の採決を強行した国民に対しての不誠実な姿勢、さらには自民党議員や閣僚の立場・役目を弁えない非常識で認識外れな言動が数多く見られたことが影響した都議選惨敗だと分析したが、当然、安倍自身をも対象者のトップに加えなければならない「都民の審判」であり、同じくトップに加えなければならない政権の驕り・緩みとしなければならなかったはずだが、そのように厳しく分析するのではなく、その逆で、自民党と安倍政権という身内にも甘く自身にも甘いから、分析自体が甘くならざるを得なかった。

 惨敗の原因と結果の分析が甘いということはそのまま安倍晋三自身の認識能力と責任感の甘さを見せつけることになる。

 安倍晋三は下野時の「初心に立ち返って」と言っているが、自民党共々安倍政権に緩みが出たということは政権に就いて4年半程度で初心を忘れてしまったことを意味する。

 安倍晋三も含めて政権担当に持すべき忍耐能力がその程度のものでしかなかった。加えて選挙結果の分析に関わる認識能力と責任感が甘ければ、形式的な「初心に帰る」で終わり、再び何年かすると政権の緩みが出ることになるだろう。

 政権に緩みが出たことの原因の一つに閣僚が資質が問われることになる無責任な言動を犯しながら、安倍晋三が任命責任の回避から厳しい処罰を取らずに職にとどまらせることが成功すると、誰もがこの程度で誤魔化すことができると甘く見ることになって、自ずと緩みが出てくることを挙げることができる。

 要するに都議選惨敗は安倍晋三自身にも大きな責任があることは排除できない。惨敗に於ける原因と結果の分析にその責任を含めなければ、安倍晋三自身の認識能力と責任感が問われることになる。

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安倍晋三都議選大敗原因の一つ:景気の実感なしにも関わらずアベノミクス好調宣伝の各統計に聞き飽きたこと

2017-07-03 12:01:50 | 政治

 安倍晋三の自民党都議選大敗は安倍晋三自身の森友学園国有地格安売却に於ける政治的関与疑惑、国家戦略特区を使った加計学園獣医学部新設に関わる政治的関与疑惑と、これらの疑惑に対して自分たちの方から積極的に説明責任を果たそうとする姿勢を取るのではなく、逆に不誠実な姿勢に終始したこと、国民の多くが反対しているにも関わらず新安保法制やテロ等準備罪の採決を強行した国民に対しての不誠実な姿勢、さらには自民党議員や閣僚の立場・役目を弁えない非常識で認識外れな言動が数多く見られたことが影響していることは明らかだろう。

 そしてもう一つ。国民の多くがアベノミクス景気を実感できていないことに反して野党議員との国会論戦や記者会見で景気に関わる好調な各統計を持ち出してアベノミクスが好調に推移しているかのように宣伝に相務めていることが既に耳にタコができて聞き飽き、うんざりしていることが原因しているように思えてならない。

 仏の顔も三度までである。

 国民の多くが知ってしまった実際の景気と乖離しているアベノミクスの現実を安倍晋三自身が気づかずにアベノミクス好調の宣伝に相務めているとしたら、相当に鈍感な話となるが、気づいていながら、そうしているのだとしたら、アベノミクスの現実を認めたくないことからの、あるいはアベノミクスの現実を覆い隠すための強気の言い繕い――偽装工作となる。

 安倍晋三が国会で野党の都合の悪い質問にはまともに答えない誤魔化しの姿勢を常套手段としていることからすると、どうも後者に思える。

 もし後者だとしたら、国民に対してこれ以上ない不誠実な姿勢となる。

 国民の多くがアベノミクス景気に実感が持てないでいることは第2次安倍政権が発足した12012年12月に始まったアベノミクス景気が1990年前後のバブル経済期を抜いて戦後3番目の長さになったと伝えている2017年4月6日付日経新聞電子版」《アベノミクス景気、戦後3位の52カ月 実感乏しい回復》記事が証明してくれる。    

 記事は国内要因として円安を受けた企業の収益増や公共事業の好調さを挙げている。海外要因として世界経済の金融危機からの回復と米国経済が2009年7月から長期の回復局面を迎えたこと、海外景気が比較的安定していたことを挙げている。

 要するに日本の我が安倍晋三のアベノミクス戦後3番目の最長景気の主原因は自律性を内部構造としているのではなく、他律性に依存した景気ということを表している。

 このことはアメリカの何らかの景気指数が悪化するか、何らかの政治的要因でアメリカの株価が下がると、日本の株価も下落、為替は円高に振れて、アメリカが逆の動きを取ってアメリカの株価が上がると、日本の株価も上がり、円安に振れる相関性が既に証明している。

 いわばアベノミクスは自律的勢いを持つに至っていない。このことがアベノミクスが好循環の軌道性を持ち得ない原因であると同時に実質賃金が満足に増えないことと個人消費が活発化しないことの原因なのだろう。

 記事はこのことを、〈これまでの回復は緩やかで「低温」だ。戦後最長の回復期だった2000年代の輸出は8割伸びたが、今回は2割増。設備投資も1割増と2000年代の伸びの半分だ。賃金の伸びは乏しく、個人消費は横ばい圏を脱しきれない。〉と解説している。

 アベノミクス公共事業の好調さは東日本大震災復興事業から始まった。土木関係の人員が被災地に集中、人手不足が起こり、人材確保のための賃上げ現象が起きた。経済の好循環を受けた積極的な賃上げではなく、止むを得ない消極的な賃上げであったために、全体的な賃金抑制の傾向は本質的には変わらなかった。

 結果、アベノミクスが好調に推移していることの宣伝に熱心な安倍晋三一人だけがアベノミクスの現実から遊離して浮き立つことになった。

 安倍晋三は6月30日の小金井市での都議選自民党候補応援演説でも、選挙戦最終日の7月1日のJR秋葉原駅前での同じく自民党候補応援演説でも、好調な統計を持ち出して、その好調さを以ってアベノミクスが好調に推移しているかのように宣伝に言葉の多くを費やしている。

 「我々は政権を取って4年間で185万人雇用をつくりました」

 「正規の雇用をマイナスからプラスに増やすことができました」

 「正規雇用が79万人増えたんです」

 「間違いなくこのように私たちの経済政策の果実は行き渡りつつあります」

 「みんなが仕事につけて、給料も上がってきた結果、今まで貧困ラインの下にいた方々もしっかりと、自分で所得を得ることができるようになった」

 もう耳にタコができる程に聞き飽きた、現実の景気に反映されていない例の如くのアベノミクス自画自賛である。二度消費税増税を延期し、公共投資事業に多額の国家予算をつぎ込みながら、景気に自律的な活動性を注ぎ込むことができなかった。

 消費税増税延期にも関わらずアベノミクスがこの程度の貧相さなのだから、もし消費税を上げていたなら、円安物価高のみならず消費税増税物価高を受けてアベノミクスは壊滅、安倍晋三は早々に退陣していたに違いない。

 秋葉原の都議選応援演説では国会論戦で頻繁に利用している民主党政権時代の景気動向を持ち出して、それをアベノミクスが如何に改善したかの例示にいつもの如くの展開で利用している。

 「経済。皆さん、民主党政権下を思い出していただきたい。どんなに頑張って、どんなに汗を流しても、なかなか仕事を守れない。『連鎖倒産』という言葉が日本中を覆っていた。学生さんたちはなかなか仕事を得ることができなかった」

 「われわれは185万人の雇用を作った。正規雇用はずっと減ってきた、しかし一昨年、マイナスだったこの正規雇用は8年ぶりにプラスに転じ、昨年も増えた。とうとう79万人も正規雇用は増えたんです。

 前政権(旧民主党政権)時代はマイナス55万人だった。マイナス55万人からプラス79万人に劇的に変えることができたんです。

 そして給料も賃金も上がっている。賃上げはこの4年連続、今世紀に入って最も高い水準で、賃上げはまさに成功しています」――

 既にお馴染みとなった発言光景でしかない。

 民主党政権時代の結果を出すことができなかった景気政策をダシに使って、それとの比較でアベノミクスの各景気指標が上向いていることの根拠にしているが、多くの国民が景気を実感できないでいる以上、各指標上昇の目安とし得ても、アベノミクス景気が現実のものとなっていない事実を打ち消す証明とはならない。

 第2次安倍政権発足から4年半経過している。いつまでの民主党政権下の景気動向と比較して、自分の景気政策の方が良い結果を出していると自慢してどうなるというのだろうか。

 安倍晋三がそのようになっていることはスポーツの世界記録で日本の記録が劣っているにも関わらず、日本の記録でトップのアスリートが2位のアスリートよりも自分の方の記録が優れていると誇るのに似ている。

 いわばアベノミクスという景気政策の結果自体を評価の対象としなければならないのにいつまでもそこに到達できずに民主党政権下の景気動向との比較でしかアベノミクスの評価ができない。

 比較で以ってアベノミクスの姿をよく見せるだけのためにいつまでも民主党政権をダシに使うことはもうやめた方がいい。

 比較でしか優秀さを証明できないのはその優秀さが比較の範囲内でとどまっているからで、個別の理由でその優秀さを自慢できる領域にまで達していないからだろう。

 その領域とは勿論、安倍晋三が謳った景気の好循環が十分に機能している場面を指すが、その場面を実現できていないから、結果的に比較法でアベノミクスの好調さを宣伝しなければならない。

 それがいつまで経っても現実世界に反映されず、都合の良い統計だけを使ってアベノミクスが好調に推移しているかのような宣伝に相務めているから、耳にタコができて聞き飽きることになる。

 国民はこのことにようやく気づいたのではないだろうか。気づいて、他の要因と共に都議選で自民党に鉄槌を与える一因とした。

 民主党政権の満足に結果を出すことができなかった景気政策をダシに比較法でアベノミクスの好調宣伝に利用することと併せて好調な景気指標を同じ目的に使って、多くの国民に景気の実感を与えることができていないアベノミクスの現実を覆い隠すための強気の言い繕い――偽装工作そのものであったとしたら、余りにも卑怯と言うことになり、もはや一国のトップリーダーを務める資格を失うことになるが、アベノミクスが現実の景気と乖離していることに気づかないままの同じ行為であるとしても、認識能力が余りにも鈍感ということになって、やはりトップリーダーとしての資格を失う。

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安倍晋三は都議選応援演説で野党転落時の「原点」――国民目線に立った政治に戻ることができなかったと告白

2017-07-02 12:03:57 | 政治

 ――賢い上に謙虚な人間は自らの過ちは時間を置かずに気づき、その過ちを直ちに修正できる。過ちを時間が経ってから口にする反省は信用できない。賢さも謙虚さもない人間は同じことを繰返すからだ―― 

 安倍晋三が6月30日の東京都小金井市の小学校で行った自民党候補の応援演説を「産経ニュース」が伝えている。性懲りもない相変わらずの内容に驚いた。      

 「政権を取って4年間で185万人雇用をつくった」、「8年間、ずっと減ってきた正規雇用をマイナスからプラスに増やし、79万人増えた」、「相対的貧困率は改善し、子供の相対的貧困率は2ポイントも下がった」と良好な統計だけを持ち出してアベノミクスを自慢している。

 賃金については次のように自慢している。

 安倍晋三「賃金も上がりました。4年連続賃上げ率、今世紀に入って最も高い賃上げが4年連続行われました。『これ大企業だけではないのか』、そんな声も聞こえるんですが、そんなことはありません。

 今年、中小企業の皆さんの賃上げ額は初めて大企業の賃上げ額を上回ったんです。最低賃金も大幅に上がって、そして東京では930円を超えた。パートで頑張る皆さんの時給は過去最高となってきました。間違いなくこのように私たちの経済政策の果実は行き渡りつつあります」

 確かに2017年の賃金動向調査によると全体の賃上げ率は2.08%で、4年連続で2%の伸びとなっているが、伸び幅は2年連続で縮小している。要するに尻すぼみ状態に陥っている不都合な事実は決して口にしない。

 いくら雇用が増えても、賃金が上がっても、それが生活の豊かさ、精神的満足度のバロメーターともなり得る個人消費に回らなければ、さしたる意味はない。

 総務省6月30日(2017年)発表の「家計調査」は先月5月の1人暮らしを除いた世帯別家庭消費支出は28万3056円で、物価の変動を除いた実質で昨年同月を0.1%下回ったとマスコミは伝えていた。

 個人消費に全く勢いのない、いわば生活に豊かさを感じさせないアベノミクスの果実とはまさにパラドックスそのものである。

 大体が1カ月に28万3056円の支出できる世帯がどれ程あるだろうか。あくまでも平均値であって、消費額の高額支出の大部分を担っているのはアベノミクスの円安・株高で大いに潤った富裕層と準富裕層と見ることによって、個人消費の低迷が説明可能となる。

 この根拠として平成26年1月1日から12月31日までの1年間の所得状況を記事にしている《平成27年 国民生活基礎調査の概況 各種世帯の所得等の状況》厚労省)を挙げてみる。   

 28万3056円の支出を1年間続けるとしたら、約340万円。年間収入300万円以下の世帯は34%あり、2015年6月4日現在の全国世帯総数5036万1千世帯のうち、約1712万3千世帯はとてもとても年間約340万円の消費支出は逆立ちしても不可能な世帯ということになる。

 300万~400万の世帯は13.1%だが、月に28万3056円、年間340万円を消費に回すことはできるが、その内貯蓄に回すことができる世帯は、300万~400万世帯13.1%のうちの約半数ぐらいでしかないことになる。

 それも貯蓄できる金額は月に5万円がとこでしかない。年間400万円収入世帯も思いがけない支出に備えて節約に心掛けなければならないはずだ。

 今回の2012年12月から始まったアベノミクス景気は現在も続いていて、バブル期を抜いて戦後3番目の長さだというが、個人消費に向かっていないのだから、実感無き景気と言われている。

 小泉内閣(2001年4月26日~2006年9月26日)時代とほぼ重なって2002年2月から2007年10月まで続いた戦後最長景気も大企業は軒並み最高益を記録したが、賃金は増えず、当然、個人消費は見る影もなく、多くの国民にとって景気という実感を感じさせない景気だと言われたが、アベノミクス景気はその再来に過ぎない。

 要するに安倍晋三はアベノミクスについて言葉でキャンバスのない虚空に向かって演説するときみたいに手振り身振りよろしく一生懸命に景気のいい話を描いているだけでしかない。

 安倍晋三はこの応援演説の最後の方で今国会が政策論争にならなかった理由を述べている。

 安倍晋三「これは『売り言葉に買い言葉』。私の姿勢にも問題があった。このように深く、反省をしているところであります」
 
 今通常国会閉会を受けた2017年6月19日の記者会見でも同じ趣旨の発言をしている。

 安倍晋三「この国会では建設的議論という言葉からは大きく懸け離れた批判の応酬に終始してしまった。政策とは関係のない議論ばかりに多くの審議時間が割かれてしまいました。

 国民の皆様に大変申し訳なく感じております。

 印象操作のような議論に対して、つい、強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省しております」――

 要するに前々から指摘を受けていた、首相という立場を弁えない再三に亘った「売り言葉に買い言葉」、強い口調の反論、マスコミに指摘され、評判となったキレてしまう態度は国会開会中は改めることができなかった。

 閉会して、つまり国会審議に距離を置くことができて初めて自らを省みることができ、反省を思い至った。

 このことは国会審議に距離を置かなければ自らを省みることも反省もすることもできなかったと言っていることと同じになる。

 自らの過ちは時を置かずに気づき、直ちに態度・発言を修正できる人間は賢さと同時に謙虚さを自らの性格としているからだろう。

 自らの過ちに気づかないまま長い時間修正できずにいて、自分自身の心掛けからではなく、国会審議に距離を置くことができる、自分以外から与えられたキッカケによって初めて過ちに気づいて遅ればせながらに反省するというのは、謙虚さを欠いた賢くない人間のすることだろう。

 こういった人間の反省は往々にして自身の利害からのポーズに過ぎないことが多く、同じ過ちを繰返す確率は高い。安倍晋三にとって反省を見せることの利害とは主に内閣支持率が下がったことのこれ以上の低落からの回避、都議選での不利からの回避であろう。

 首相という立場を弁えない冷静さを欠いた発言・態度が国会開会中続いて、閉会までに修正できなかった事実からのみ、安倍晋三という政治家を判断すべきである。この事実の原因は選挙に負けたことのない自身の選挙術に対する過剰なまでの自信、選挙によって手に入れた自民党の議席数の多さ、見せかけのアベノミクス景気に過ぎないにも関わらず、自分ではホンモノと思っていることなどによって自分の中で育てた思い上がり・驕りにあるはずだ。

 安倍晋三は反省の後に次のように訴えている。

 安倍晋三「私たちはしっかりと原点に戻らなければならないと思っております。この原点とは何かと言えば、それはあの野党時代に、3年3カ月であります。われわれはなぜ野党に転落をしてしまったのか。あの深刻な反省から私たちは新しい自民党を作っていく、こう決意をしたわけであります。

 失われた自民党への信頼を取り戻す。そして民主党政権時代に失われた政治への信頼を取り戻す。日本を取り戻す。これが私たちの原点でありました。これからもこの原点をしっかりと胸に刻みつけながら、謙虚、誠実に、丁寧にしっかり、そして改革には大胆に取り組んで、結果を出していきたいと思っています」

 「失われた自民党への信頼を取り戻す。そして民主党政権時代に失われた政治への信頼を取り戻す。日本を取り戻す。これが私たちの原点」・・・・・・

 事実政治の信頼を失わせたのは戦後ほぼ1党支配を続けた自民党政治であり、その驕りであった。国民目線に立っていない政治だと批判を受けた自民党一党支配を終わらせるキッカケを民主党は国民に与えたが、民主党政権は国民目線に立つことができず、政治への信頼をなお裏切ることになった。

 自民党は野党に落ちた反省から、批判を受けた国民目線に立つべく驕りを捨て、謙虚さを取り戻そうと従来の姿勢からの転換に務めた。当時自民党は「党利党略に走ることなく、国民のための政治を実現します」などと盛んに謳っていたりした。

 要するにそれまでの自民党が党利党略に走り、国民のための政治(=国民目線に立った政治)を行っていなかったことへの反省である。

 そして政権交代して4年半。安倍晋三は今更ながらに「私たちはしっかりと原点に戻らなければならない」と訴えている。

 この発言は政権交代して4年半の間に「原点」に戻ることができなかったことの証明以外の何ものでもない。驕りを捨て、謙虚さを取り戻すことができなかったと、安倍晋三が自ら告白したことになる。国民の目線に立った政治を口では言ったが、言ったどおりには実践できなかったいう告白でもある。

 このことは一旦下野して「原点」に戻ろうと約束し合い、約束し合ったとおりに政権交代した当座は謙虚であろうと務めたものの、一時的にしか長続きせず、喉元通れば熱さ忘れずで再び元の木阿弥となってしまったことの意味にしかならない。

 確かに第2次安倍政権発足以来、少なくない閣僚たちが自らの言動で辞任に追い込まれるか、内閣改造を機に職を外されるかしてきた。そして現在も少なくない閣僚が言動に問題のある騒ぎを起こしているだけではなく、安倍晋三自身が不正行為を疑われる問題を引き起こしている。

 こういったことも「政策論争以外の話を盛り上げてしまった」原因に付け加えなければならない。

 このような経緯は賢さも謙虚さも持ち合わせていない人間が自身の過ちにいくら反省しても長続きしない経緯と同じ軌跡を辿っている。

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下村博文「加計学園ヤミ献金疑惑」を事実無根と否定したが、事実有根と肯定する仮説

2017-07-01 12:40:19 | 政治

 元文科相下村博文は2017年6月28日に「週刊文春オンライン」が伝え、6月29日発売の『週刊文春』7月6日号に『下村博文元文科相 加計学園からヤミ献金200万円』と伝えた記事内容について同日の6月29日午前に自民党本部で記者会見を開いて、疑惑を「事実無根」と全面否定した。

 この下村の事実無根全面否定に呼応するかのように加計学園が「当学園は献金をしたことはないし、パーティー券を購入したこともない」とコメントを発表している。下村博文が記者会見を開いたのは6月29日午前、加計学園のコメントを伝えている「朝日デジタル」記事の報道日時が2017年6月29日21時52分。   

 明らかに呼応する形を取っている。

 以下のコメントからも、呼応関係を見て取れる。

 「学園と関係のある個人や会社の計11のパーティー券代を元秘書室長が預かり持参した。そのお金を学園が負担した事実はない」

 (元秘書室長が現金を預かった経緯について)「上京し下村事務所に寄るついでがあったためと聞いている」

 (それぞれの名前について)「プライバシーなどがあるので回答は差し控えさせていただく」(以上)

 それぞれが下村博文の発言通りのコメントになっていて、名前の公表に関しても下村博文も記者会見でプライバシーを持ち出し、「先方の了解が得られれば」との条件付きで確認を取ってもいいとしていたが、どこでどう上手の手から水が漏れるか分からないから、「先方の了解が得られなかった」とするのは目に見えている。

 結果的に加計学園コメントの「回答差し控え」と同じ呼応関係を取ることになる。 

 下村博文が事実無根と全面否定するなら、事実有根とする全面肯定の仮説を立ててみることにした。

 下村は自身の政治資金パーティーのパーティー券の販売と集金の窓口になった人物を加計学園の秘書室長と紹介していたが、加計学園のコメントでは「元秘書室長」となっている。下村は一度も「元」を付けていなかった。

 問題鎮静まで暫くの間役を解いたということなのか、定年退職となったのか、あるいは何か不祥事を起こして、免職となったのか、いずれか分からないが、下村が「元」をつけなかったのは、それ程親しい関係にあるわけでないことのタネ明かしに使うためと疑うことができないわけではない。

 しかし親しくないとすると、窓口を引き受けた根拠が今度はおかしくなる。

 下村博文は記者会見で加計学園の秘書室長が下村が政治資金パーティをやるなら協力しようと申し出て、自らがパーティー券販売と集金の窓口になり、加計学園関係の職員、会社ではない個人、あるいは企業にパーティ券購入の声を掛けて、11口分売り捌くことができたから、集金した100万円ずつを2年に亘って合計200万円を下村の東京の事務所に自ら持参したといった説明をした。

 秘書室長とは秘書が所属する部署の長、秘書室の統括者だから、加計学園理事長加計孝太郎が加計学園本部内外で行動するときに付き添って、理事長がその時々に必要とする様々な業務を直接サポートする役目の秘書とは違うはずだ。

 秘書室長が理事長に同行する種類の秘書ではないにも関わらず、どこでどう知り合いとなったのだろか。その説明は記者会では一切なかった。
 
 下村は記者会見冒頭発言で加計学園理事長と赤坂で会食したことを伝えている。

 下村博文「平成26年10月17日に塩崎先生、山本順三先生及び理事長と赤坂の料理屋で会見しているとの指摘が(週刊誌には)あります。事務所で確認したところ、私の大臣留任を機にメシを食べようかと言うことになり、私の知り合いを誰でもいいから連れて行くということになり、塩崎先生と山本順三先生をお連れ致しました。

 平成26年とは2014年である。

 そして冒頭発言後、記者の質問に答えて自身と加計孝太郎との関係について説明している。

 下村博文「いつ頃からですね、大臣になる前から、存じ上げておりました。年に一、二回お会いすることがあるかどうかというぐらいで、特別親しいわけでございませんが、勿論存じ上げている方、前からですね、いう方であります」

 「年に一、二回」が毎年続く親しい関係であり、下村自身がその内の何回かは加計学園本部に出入りするケースがあったとしても、理事長室への出入りが殆んどだったろうから、加計学園本部の内勤と思われる秘書室長と親しく口を利く機会がどこであったのだろうか。

 秘書室長が加計孝太郎と同行する秘書であったと仮定したとしても、加計孝太郎と共に年に一、二回顔合わせをしているだけで、自ら下村の政治資金パーティー券の販売と集金の窓口を買って出た熱心さも不可解ということになるが、同行秘書が本来の役目以外の仕事を引き受けた場合、逆に本来の役目に差し障りが生じることになる。

 差し障りが生じないのは秘書室長が同行秘書ではない場合であろう。内勤の場合、時間に融通を利かせて仕事の合間合間にパーティー券の販売と集金に専念できる。

 但し下村博文が加計学園本部に親しく出入りする程ではない加計孝太郎との関係であるなら、内勤の秘書室長と知り合う機会が少ないと予想できることから、窓口を買って出る熱心さの根拠が限りなく希薄になる。

 勿論、下村の政治姿勢に共鳴して個人として窓口を買って出たとする理由も考えられるが、組織に縛られている人間として加計学園の名前を使うわけにはいかない。あくまでも個人の立場を貫かなければならないことになって、個人の名前で、いわば加計学園をバックとせずに2年間に各年1口平均10万円近いパーティ券を11口、合計200万円も売り上げるのは早々簡単ではないはずだ。

 逆に加計学園をバックとしていたなら、約25前後の学校と2企業を持ち、資本金が760億円近い組織であることを考えると、秘書室長が加計学園本部の秘書室に座って電話のみで1年間に100万円のパーティー券を売り上げるのはさして困難な仕事ではなくなる。

 当然、秘書室長が加計学園という組織をバックに下村のパーティ券を売り、そのカネを集金するについては加計孝太郎の指示がなければできない。

 このようは構図を描くことによって、下村と親しく口を利く機会があるようには見えない秘書室長が下村に協力して各年11口もの高額なパーティー券を売り捌くことができたことの説明がつく。

 下村博文が加計学園理事長の加計孝太郎と赤坂の料理屋で会食したのは2014年10月17日で、愛媛県を選挙区とする現在厚労相の塩崎泰久と参議院議員の山本順三が同席した。

 今回安倍晋三の愛媛県今治市の国家戦略特区指定を手続きとした加計学園獣医学部新設が認可されたが、今治市と愛媛県は小泉内閣が進めた構造改革特区と第2次安倍政権が始めた国家戦略特区に2007年から2014年にかけて獣医師養成系大学設置を15回に亘り提案している。

 これまでの経緯から、獣医師養成系大学とは加計学園獣医学部を指すことになる。

 この会食の5カ月半前の2014年5月1日に関西圏国家戦略特区として京都市の全域が国家戦略特区に指定されている。2014年当時、京都産業大学が国家戦略特区を使った獣医学部新設を考えていたかどうか分からないが、獣医学部新設自体は既に構想していたことは、「京都産業大学 獣医学部設置構想について」京都府10/17 WG)記事によって知り得る。  

 〈京都産業犬学獣医学部設置構想に至る経緯

 1989年に本学に工学部生物工学科が設置されたことに始まる。教育・研究の進展に伴い、食の安全あるいは感染症リスク対処法に発展する案が浮上し、獣医学部設置が検討された。一方、2006年に本学に鳥インフルエンザ研究センターが新設され、鳥インフルエンザ僕滅のための国際的な活勤が始まり、更なる社会的貢献を目指して獣医学部設置が真剣に検討された。

 ところが、国の方針で、医師、船舶織員養成教育機関同様新設は当面不可能であることが判明した。そこで総合生介科学部が新設され、将来を見据えて獣医師の教員からなる勣物生介医科学科を設置した。現在、ライフサイエンス分野を担う実験動物専門技術者養成の教育に力を注いでいる。〉――

 当時、小泉構造改革特区と安倍国家戦略特区を使って獣医学部新設を狙っていた当時の加計加計孝太郎が同じ大学関係者として京都市全域の国家戦略特区指定と京都産業大学の獣医学部設置の検討に気づいていないはずはない。

 当時国は獣医学部新設を抑制する方針にあったから、京都産業大学に先を越されたら、ただでさえ狭き門が閉じられれしまうことになりかねない。

 一方の今治市が2016年1月に国家戦略特区に指定されるまでに約2年待たなければならなかった。遅れたのは指定された場合の戦略特区に抑制方針にある獣医学部新設を想定していたからと考えることができる。

 加計孝太郎としては焦ったに違いない。30年来の腹心の友である安倍晋三に指定を働かかける一方で、国家線戦略特区指定は内閣府の所管であるが、大学設置認可は文科省の所管であるために当時の文科相下村への働きかけがあったとしても不思議はないし、加計孝太郎と安倍晋三が親友の中であること、そして下村が安倍晋三の忠実な金魚のフンであることを考えると、働きかけがない方がおかしい。

 そのような働きかけの一貫として愛媛県を選挙区とする塩崎泰久と山本順三の会食への同席ということであったはずだ。有力な多くの政治家を味方につけて利害を通じ合う作戦は国の認可を必要とする事業開始によく使われる手となっている。

 当然、当時の加計学園が置かれていた状況からすると、「私の知り合いを誰でもいいから連れて行くということになった」と言うのは余りにも素朴に過ぎるし、加計孝太郎の利害を考えると、余りにも淡白過ぎる。

 加計孝太郎が下村博文と塩崎泰久、山本順三の3人と今治市への国家戦略特区指定とそこでの獣医学部新設で既に通じ合っていて、計画実現に向けた話し合いだった可能性は否定できないし、そのような展開であってこそ、事業者と政治家の関係がよりよく理解できる。

 以上のように仮説を立ててくると、下村博文の政治資金パーティー券は文科相の下村に獣医学部新設認可に向けて便宜を期待することの見返り、利害上の取引きではなかったかと、次の仮説を成り立たせることができる。

 この利害上の取引きはパーティー券を加計学園自体が購入することによって加計学園側の利害としての価値と効果をより高める。いわば恩を売るには他人に負担させるよりも自分で負担する方が効き目は高い。

 言ってみれば、加計孝太郎は自分の方から申し込んでもパーティー券を加計学園で引き受けなければならない利害に差し迫られていた。

 一方でパーティー券購入代金を11口、20万円以下に分けることによって下村博文が自由に使うことのできるカネにロンダリングする不正に手を貸すことによって、腐れ縁を確かなものにし、加計学園側の要望に応えざるを得ないという義務を下村に負わせるメリットが生じる。

 要するに加計学園の秘書室長がパーティー券販売と集金の窓口となったのは事実であったとしても、下村が記者会で言っていた販売先が「11の個人及び企業」というのは偽装であって、実際は加計学園という仮説を立てることが十二分に可能となる。

 秘書室長が窓口となった経緯にしても、極くごく自然な筋立てとすることができる。

 下村が秘書室長とどれ程に面識があったのか、なかったとしても、具体的にどういった経緯で「個人的にパーティーをやるなら、協力しましょう」と申し出る程にも積極的な姿勢となったのか、厳しく追及すれば、以上の仮説が仮説ではなく、事実その通りと証明される可能性は高いと自信を持って言うことができる。

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