仙谷官房長官が国会答弁で持ち出した自衛隊は「暴力装置」なるフレーズを正しい発言だとして、軍隊は「暴力装置」だと主張する面々が存在する。マキャベリを持ち出し、レーニンを持ち出し、ウェーバーを持ち出し、トロッキーを持ち出して、軍隊は「暴力装置」であるばかりか国家をも「暴力装置」だとしている。
中には警察も「暴力装置」の仲間に入れている。《自衛隊も警察も「暴力装置」でしょ》(BLOGOS/秋原葉月/2010年11月19日09時30分)
〈いくら綺麗事を言っても、自衛隊は他国の軍隊同様「暴力を行使する機関」であることは否定できない客観的事実です。他国の軍隊では「軍隊は暴力装置である」といわれて怒り出す軍人が果たしているでしょうか?むしろ「その通り、暴力装置だ。だから我々は厳しいシビリアンコントロールに服している。」という返事が返ってくることでしょう。警察も軍隊も自衛隊もいわば必要悪の暴力装置です。だから厳しく法で律し、誤った方向に行かぬよう常に監視の下におかれるのです。〉――
と言うことなら、「暴力」としてそれぞれの権限を行使することになる。各上層部の指示と指揮の元、その範囲以内の許される「暴力」を以って他を制御、もしくは制圧する。
例えば中国軍が軍事的に実効支配すべく尖閣諸島に上陸、占拠した場合、中国軍は「暴力装置」としての機能を持って行動したと言えるが、中国軍を排除すべく行動を起した場合の自衛隊、もしくは米軍は「暴力装置」として行動したことになるのだろうか。
軍隊や警察が持つ暴力性の一面は否定できないとしても、民主主義国家の軍隊、警察はそれぞれの権限を「暴力」として行使するわけではあるまい。
ミャンマーの国軍、警察は民主化要求デモに対して、あるいは中国に於いては特に天安門の民主化要求デモ制圧時の中国人民軍は「暴力装置」そのものと化したが、民主国家に於いては例えデモが暴徒化したとしても、社会秩序維持としての制圧力を機能させることはあっても、いわば「社会秩序維持装置」との働きをしても、「暴力装置」としての能力を示すわけではあるまい。
もし「暴力装置」となったなら、もはや民主国家の資格を失うのではないだろうか。
上記記事は、〈警察も軍隊も自衛隊もいわば必要悪の暴力装置です。〉とした上で、次のように述べている。
〈それを「暴力装置」と言う言葉を謝罪し「実力組織」だと言い換えるなんて、仙谷さん、何遠慮してるんでしょ。畏れ多くも自衛隊に「暴力」というネガティブなイメージの言葉を使うのは不敬である、とでも?それとも「暴力装置」と言われて傷つく自衛官がいるとでも?・・・そんなナイーブな人に自衛官や警察官を勤められてもねぇ(笑)自衛官や警察官は、自分たちは合法的に暴力を振るうことができる暴力装置だからこそ法を遵守せねばならない、という強い自覚のある人でないと困るのですが。暴力装置なのは事実なのに、その言葉を問題視する方がむしろ問題だと思います。〉――
法を遵守する合法的暴力という論理は果して成り立つのだろうか。あるいは社会的事実としても成り立つのだろうか。だが、成り立たせて、自衛官や警察官に「暴力装置」として機能しろと言っている。「合法的に暴力を振るうことができる暴力装置」なのだから、「暴力」だと認識して、自らの使命とせよと。
国家論から軍隊を「暴力装置」だとする主張を見てみる。それぞれが学問に時間と頭脳を投資して深い学識を得た側からの主張であって、私みたいな無学の者は太刀打ちできないが、私なりに考えてみる。
《アナーキー・国家・ユートピア》(池田信夫blog/2010年11月19日10時16分)
池田信夫氏は軍隊が「暴力装置」であるばかりか、国家の本質は「暴力の独占」だとまで言っている。〈軍隊が暴力装置であり、国家の本質は暴力の独占だというのは、マキャベリ以来の政治学の常識である。それを「更迭に値する自衛隊否定」と騒ぐ産経新聞は、日本の右翼のお粗末な知的水準を露呈してしまった。〉と、――
そしてレーニンや、誰だか知らないが、ノージックなる人物、あるいはマルクス主義を取り上げて、それぞれの欠点を言いつつ、国家の本質も「暴力装置」だと主張している。
その上で、国家の本質が「暴力装置」であることを理解できない無知が様々な矛盾を生んでいると批判している。
〈マルクス主義の限界は、暴力装置を誰がコントロールするのかという国家論が欠けていることだ。このため日弁連に典型的にみられるように、刑事事件で国家と闘うときは「権力=悪」という図式で議論するのに、過払い訴訟で消費者金融を壊滅させるときは、国家は財産を悪者から弱者に再分配する慈愛に満ちた福祉国家になる。
このようなダブル・スタンダードは、官僚機構を批判しながら政府の「景気対策」を求めるメディアから、「派遣村」で政府を批判しながら厚労省に生活保護を求めるボランティアまで広く分布している。それは「平和憲法」が暴力装置としての国家の本質を曖昧にしてきたからだ。しかし尖閣諸島や普天間基地の問題は、このような脳天気なご都合主義が、そういつまでも続けられないことを示している。〉――
国家の本質は「暴力装置」なのだから、そのことを深く認識して尖閣問題や普天間問題に取り組めとの教えである。
マキャベリが生きた1500年前後のヨーロッパも含めたイタリアは封建制が強く残った時代であったろう。共和制を国家体制としながら、君主独裁制を敷いた指導者も存在したという。
そういった時代の空気を吸って、マキャベリは〈軍隊が暴力装置であり、国家の本質は暴力の独占だと〉する政治学を確立した。その思想が現代の政治解釈に通じる知識を備えていたとしても、部分的であって、国家そのものの体質は当時と現在とでは大きく変質しているはずである。少なくとも先進民主国家に於いてはマキャベリが生きた封建制と独裁性が混在した時代とは明らかに違うはずで、マキャベリが言い、後世の学者が引き継いだ「国家暴力装置」論を現代の国家に果してそのまま当てはめることができるのだろうか。
トロツキー、レーニンの場合はロシア帝政時代の絶対王権下に生れ、育ち、帝政を倒してソビエト社会主義共和国連邦を成立せしめたが、その政治体制は共産主義一党独裁である。
いわば封建制と独裁性が混在した時代の国家を洞察してマキャベリが打ち立てた「国家の本質は暴力の独占」だとする「国家暴力装置」論を説いた政治学をトロツキーもレーニンも学び、受け継いだとするなら、絶対王権を国家体制としたロシア帝政時代の水を飲み、その政治体制を眺めつつマキャベリの「国家暴力装置」論を自分たちの思想として育み、自分たちなりの政治学の常識として体現し、革命を暴力措置そのままに発動、その集大成が共産主義一党独裁体制の国家であったということであろう。
マキャベリの「国家暴力装置」論を出発点とし、時代状況や地域性、国民性の違いによる解釈の違いや方法論の違い等によっていくばくかの変質があったとしても、マルクスの影響をも受け、自分たちを「暴力装置」とさせて、樹立した共産主義一党独裁国家の本質とした。
当然、国家維持の重要な手段である軍隊にしても「暴力装置」である国家に内包された「暴力装置」としての位置づけを受けることになる。
このような経緯、国家の本質を現代の先進的民主国家にそのまま適応させることができるのだろうか。植民地主義時代の列強やその軍隊には当てはめ可能かもしれないが、先進民主主義国家に限っては当てはめ可能はその時代辺りまでで、戦後の民族自決時代以降は当てはめ不可能の国家の姿を取っているのではないだろうか。ましてや軍隊にしても。
つまり「国家暴力装置」にしても、「軍隊暴力装置」にしても、封建制、独裁体制と共に歩み、存在した。封建制、独裁体制の領域以外では生息不可能の生態となっていた。
当然現在の21世紀の時代でも、封建制や独裁体制を国家体制としている国家に於いては今尚、「国家暴力装置」にしても、「軍隊暴力装置」にしても生息可能であるし、実際にも生息させてていると言える。
その区別をつけず、民主国家に所属する日本国家やその軍隊である自衛隊に対してまでも「国家暴力装置」論、あるいは「軍隊暴力装置」論を振り回す知識人は過去の学問を学ぶことで自身の殆んどの知識・情報を成り立たせていて、頭でっかちとなっているように思えてならない。
あるいは私自身の解釈が見当違いということなのだろうか。
認識自体が二律背反の矛盾を犯している。
昨18日(2010年11月)午前の参院予算委員会。丁度NHKの国会中継をパソコンを叩きながら見ていたときだったが、自民党世耕議員の質問に対する答弁で仙谷官房長官が自衛隊を「暴力装置」と発言した。世耕議員がすぐさま発言の撤回と謝罪を求めると、仙谷官房長官はあっさりと「実力組織」と訂正、謝罪した。あまりにもあっさりと。
世耕議員が発言の撤回と謝罪を求めたのは優れた戦法とは言えない。なぜ「暴力装置」なのか、その理由を質すべきだったろう。答弁で理由を言わずに不適切発言だとして、仙谷官房長官の方から謝罪と発言の撤回を行った場合、「謝罪と撤回の前に自衛隊をなぜ暴力装置と言ったのかご説明を願いたい」と食い下がるべきだったろう。
これは言葉遣いを間違えたと言った問題ではなく、認識の問題だからだ。仙谷官房長官は自衛隊組織を「暴力装置」と認識していた。そう看做していたと言うことである。そのように自身の認識としていたから、あるいはそう看做していたから、「暴力装置」という言葉となって口を突いて出た。
菅首相も見苦しいばかりに合理的認識能力を全く欠いているから、認識としているということを把握できず、単なる言葉としてのみ扱っていた。
多分、世耕議員は謝罪と撤回で済ませてしまったことに不味かったと気づいたのだろう、午後の同じ自民党の元テレビアナウンサー、丸川珠代議員が取り上げて追及している。HP「参議院インターネット審議中継」から動画をダウンロードして、文字化してみた。菅首相の判断能力が一国の政治的指導者にふさわしくない、如何に貧困この上ないか分かる、例の如くの「あー、えー、うー」の合いの手を入れた、スムーズに答えることができない四苦八苦の答弁となっている。
これは四苦八苦状況にある認識の反映としてある言葉の四苦八苦状況であろう。
丸川珠代「自由民主党の丸川珠代でございます。先ずここまでの、本日の予算委員会の議論の中で、仙谷官房長官から、我が国の自衛隊に対して、『暴力装置』という飛んでもない表現がありました(最後はよく聞き取れなかったが。「飛び出しました」とも聞こえた。)。国の根幹である国防に命をかけて取組み、また日本の国際貢献に汗をかいている、この自衛隊の方々にとって、大変、失礼極まりない、飛んでもない発言であると思います。菅総理大臣は、内閣の代表で自衛隊の最高指揮権を有する、最高責任者として、この発言を、どう、思われますか」
菅首相「マ、先程、おー・・・、おー・・・、仙谷、官房長官が、エ、その表現に対して、エー、撤回をし、謝罪をされ、実力組織という、ウー、言い方、あー、に、エー、変更されたわけでありました。シー、エー、そういう意味では、あー、あー、最初の表現は、やや、あのー、おー、問題があった、あ、あったと、オ、このように思っておりまして、ご本人から、あ、そうした訂正が、あったことは、あー、そ、そのこととして、よかったのではないかと思っております」
丸川珠代「やや、ではないと思いますが、総理大臣のご認識を改めて伺いますけども、暴力装置と、いう言葉、これは謝って済む問題だと思っておられますか」
菅首相「ま、言葉というものはあの、色々な、あの、感じ方が、あると思います。エー、その上で、(ヤジ、声を張り上げる)そ、その上で、エー、私も、実力、ウー・・・、ウー、部隊と言いましょうか、あー、そういう実力組織といった、ことの方が、あ、そうしたですね、何か、暴力という言葉には非常に、あのー、マ、率直に申し上げて、悪いイメージがあります。
あのー、おー、自衛隊が勿論武力というモノを持って、いることは当然、のことであります。ですからそういうことを含めて言えばですね、エー、その暴力装置という表現は、あのー、おー、好ましくないと、おー、そういう意味で、実力、ア、装置ということに、ご本人が、謝罪し、訂正して、エ、あー、エー、変えられたわけですから、それは、あー、それでよかったのではないかと思います」
丸川珠代「申し訳ないが、この暴力装置という言葉は、我々の平和憲法を否定するものですよ。シビリアンコントロール否定するものですよ(激しい語調)。謝って済むと思ってるんですか(菅首相の方に咎めるようにゆび指す)」
菅首相「マ、ご本人が、謝られたわけですけども、私は、あー、あー、その言葉を使われた本人が、謝れたのが、そのことが一番、あー、本質的に、な、謝罪になっているんじゃないでしょうか」
丸川珠代「自衛隊の最高指揮官として、今のような暴力装置という発言に、あれだけの、ただ形だけ謝っただけで、ホントーに隊員の士気が維持できると思いますか。命をかけて国を守っている人たちに、これで納得がしてもらえると思ってるんですか、あなた。最高指揮官として」
(丸川議員に「あなた」と言われて、快感でゾクゾクっとしたのではないだろうか。四苦八苦の答弁ではそんな余裕はないか。)
菅首相「まあ、私も、あの、先日のォ、おー、自衛隊のー、観閲式に、出かけて、エー、また大変、多くの隊員があー、訓練を、ヲー、励んでおられる姿を、ヲー、拝見をいたしました。シー、また、あー、ま、少し古い話になりますが、カ、カンボジアー、アー、ニイー、於ける、PKO活動に、エー、出ておられた、自衛隊の部隊に、エー、訪問をしたことも、かなり以前ですけれども、あり、エ、大変、エー、現地のみなさんにも、おー、大変、エー、感謝をされていた。
そういう姿も見てきております。ま、そういう意味で私は、あのー、さらに言えば、国内でも、おー・・・、宮崎の、おー、口蹄疫などでも大変ご苦労をいただいたと、このように思っております。
そういう意味で、エー、自衛隊の、オー、みなさんが、あー、非常に、エ、まさに、イー…、骨身を惜しまず、訓練に励み、日本の安全保障のため、あるいは国民の、あ、安全のために頑張っておられる、私も最高責任者として、そのことを、ヲー、誇りに思うと同時に、そうしたみなさんの、ヲ、ご苦労に、感謝を申し上げております。
マ、そういう意味で、先程の、おー、仙谷官房長官の、エ、言葉については、あー、私が、あー、勿論、おー、(ヤジがあり、ヤジの方に手を上げて委員長に何か言うが、そのま続ける)ご本人が(声を強める)話をここでされた中で(右手を突き出して上下に動かしながら、)質問者の方から、その訂正を求められ、謝罪を求められて、訂正をし、謝罪をされたわけでありますが、改めて注意をするということであれば、改めて、後に、でも、おー、ご本人を、招いて、注意をいたします」
丸川珠代「ということは、後で仙谷さんに総理が注意をなさるということでありますね。エ、総理の注意とは別に、内閣総理大臣として、自衛隊の最高指揮官として、そう発言がご自身の内閣から出たことに謝罪をすべきではありませんか。国民に対して、そして自衛隊のみなさんに対して」
菅首相「まあ、内閣の、一員である、ウー・・・、官房長官から、あ、そうした発言が出たことは、まあ、ある意味で私の、オー、広い意味での内閣全体の責任者として、エー、エー、エ、そうした、あー発言が、あー(喉を鳴らす)、自衛、・・・隊のみなさんに対して、エー、そうしたみなさんの、あ、ある意味でのプライドを傷つける、こと、こと、となった、あー、ことについてはァ、あ、私からも、お詫びを申し上げたいと思います」
丸川珠代「エ、防衛大臣は、こうした発言が内閣かだ出たことについてどうお考えですか」
北沢防衛相「まことに残念なことであります」
丸川珠代「私は、こういう、シビリアンコントロールであるとか、平和憲法を否定する発言が閣内から出た。その発言者は問責に値することは当然でもありますけれども、総理大臣、ご自身で、罷免をすべきだと思いますか。総理大臣、如何ですか」
菅首相「ちょっと私はですね、その今の丸川さんの、論理で、シビリアンコントロールということ、と、おー、ま、言葉遣いが、不味かったということとは私、そう思いますが、シビリアンコントロールとの関係で、問題だというのは、ちょっとどういう意味なのか、私は必ずしも理解できません」
丸川珠代「先程から、与党の、民主党の理事の方が、色々と声を上げておられるんですが、暴力装置、ということについて私が触れましたときに、本質を言っているんじゃないかという、川上理事からご発言がありましたけれども、こういう暴力装置は本質的な指摘だという、民主党の理事のご発言は、民主党全体のお考えなんでしょうか」
菅首相「まあ、あの、色んな言葉をいろんな方が使われることがあるわけで、シー、自衛隊というのは、あのー、おー、武力を、オ、持って、エー、我が国を防衛するということを、ヲー、オ、大きな、主要な任務にしております。ですから、その、おー、武力を持った、組織であるということは、客観的な事実だと思います。
まあ、それを、おー、実力、ウー、ウ、部隊とか、エー、そういう表現で、エー、言うことも、あります。ですから先程、おー、暴力という言葉がエー、何かこう、悪いですね、エー、ことをする、ウー、そういう、ウー、言葉として、エー、一般的には使われるということで、先程申し上げたように、エー、シビリアンコントロールが、侵されたとか、云々という、その論理は私には理解できません」
丸川珠代「武力と暴力は同じものですか」
菅首相「マ、言葉ですから、勿論、武力、という・・・・」
委員長「不規則発言、お静まりください」
菅首相「言葉ですから、それぞれに意味がありますので、エ、そういう意味では、あー、勿論、違うと思います」
丸川珠代「暴力は暴れる力と書きます。コントロールが効かない、効かない力を暴力と言いますが、もし自衛隊に暴力装置という言葉を使うのであれば、自衛隊はコントロールが効かない、効かない力であるということになりますが、シビリアンコントロールが効いていないということを示唆して、もし暴力装置ということにつながるのであれば、つまり、シビリアンコントロールをしているあなたたちがコントロールできていないということになるわけですよ。
それを暴力装置という言葉はたいした問題ではい言葉だと、謝って済む言葉だと、そうお考えになりますが」
委員長「丸川委員、あの謝罪をされておりますので、・・・・議論を続けてください」
質問責から一人が委員長席に抗議のためか近づくが、すぐに戻る。
丸川珠代(立ち上がって、左手を一直線に上に上げ)「菅総理大臣」
菅首相「あの、何度も申し上げておりますが、暴力という言葉について、エー、本人も、謝罪して、撤回されたわけでありますし、私も、そういう言葉を自衛隊に関して、使うべきではないということで、後程きちんと注意をしたいと、こう思っております。ただ、先程申し上げましたように、暴力という言葉、あー・・・、撤回を、された中で、官房長官が、撤回をされた中で、またですね、またですね、そのシビリアンコントロールが効いているとか、効いていないとか話が、こう、つながっていく、その論理が私には理解できません」
丸川珠代「理解できないことが理解できないですね。私は申し訳ないけれども、エ、申し訳ないけれども、私はこういう暴力装置という言葉が、言の葉にのぼること自体本当に謝罪では済まない問題だと思いますので、今後仙谷大臣の問責を求めていきたいと思います。
次の質問に移ります」
(この「次の質問に移ります」を効くと、ホッとする。面倒臭い文字化がこれで終わるかと思って。)
菅首相は終始勘違いをしていた。何が問われているのか最後まで気づかなかった。仙谷官房長官の自衛隊組織を名指しして「暴力装置」だと言ったことを単なる言葉と看做して、それが官房長官の認識だとすることができなかった。
だから、「シビリアンコントロールとの関係で、問題だというのは、ちょっとどういう意味なのか、私は必ずしも理解できません」とか、 丸川議員が民主党の川上理事が仙谷官房長官の「暴力装置」は本質を言っているというヤジを捉えて、「民主党全体のお考えなんでしょうか」と問い質したことに対して「色んな言葉を色んな方が使われることがある」と単なる言葉の使い方に矮小化もできた。
丸川議員の「武力と暴力は同じものですか」の質問に対しても、「言葉ですから、それぞれに意味がありますので」と答えて、言葉の問題とし、言葉に応じた意味の違いのみとしか認めない合理的判断能力を見せている。
自衛隊組織は軍隊ではあっても、決して暴力装置でも何でもない。文民統制が効いているからであるし、独裁政権下の軍隊のように政府批判の国民の反政府抗議活動を武力で鎮圧する暴力装置の役目を担っているわけでもないからである。
戦前の大日本帝国軍隊は文民統制を体制としてはいなかったが、南京虐殺を例に取るだけで理解できるように、本国司令部の統制を離れて、暴力装置としての働きをしたことは多くあったに違いない。
だが、仙谷官房長官は文民統制下にある自衛隊組織を「暴力装置」として認識していた。このことは暴力装置としての役目・機能が独裁政権下の軍隊のように自衛隊に本来的に備わっている組織性だとしていたことになる。
このことは恐ろしい認識となる。
仙谷官房長官の認識からすると、自衛隊がこれまでPKO活動等で行ってきた人道貢献、復興支援は「暴力装置」であることを隠す、いわば羊の皮をかぶったオオカミであることを隠す活動ということになる。
仙谷官房長官は自衛隊のこの「暴力装置」をいつ如何なるとき、またどの国、どの国民に対して正体を露にし、牙を剥き、発動することを考えているのだろうか。決して言葉の問題ではないし、言葉の意味の違い片付けていい事柄ではない。
言葉の問題や言葉の意味の違いで片付けることしかできない判断能力の持主が一国の総理大臣を務めている。
仙谷官房長官は文民統制下にある自衛隊を「暴力装置」だとする認識を、常識的に見ると最初に触れたように二律背反の矛盾を犯しているに過ぎない認識だが、自らの頭に巣食わせていた。この一点を取り上げるだけでも、自衛隊を文民統制下に置いている民主国家である日本の政府の官房長官の資格を失う。
丸川議員が言うように、「謝って済む問題」ではないということであり、罷免に値する「暴力装置」認識であろう。
埼玉県狭山市の航空自衛隊入間基地支援の民間団体「入間航友会」会長が同基地航空祭に招かれ、式典で尖閣事件に関わる菅内閣の対中国対応を取り上げた挨拶。《「政治的発言する人、行事に招くな」防衛省、幹部に通達》(asahi.com/2010年11月17日11時36分)
菅首相に余っ程腹が立っていたらしい。あるいは腹に据えかねていたということになるのか、それが一人や二人で終わらない状況が内閣支持率に現れているということになるだが、菅首相の方は昨日の国会で、会長が批判したように尖閣事件の対中国対応で批判を受けると、「5年後には自分の内閣が冷静に対応したときちんと評価されると確信している」と以前にも言っていた答弁を行い、どこ吹く風、意に介する様子なし。
5年後にいくら評価されたとしても、屈辱外交、対中国過剰譲歩の上にその後の変遷がつくり上げることになる評価ということなのだから、あってはならない屈辱外交、対中国過剰譲歩の事実は残る。
戦後日本がアメリカの援助や朝鮮特需、ベトナム特需等々の様々な変遷を受け、世界第2位の経済大国という評価を受けることになったが、侵略戦争とそのことを受けた国家の壊滅という事実は残るのと同じである。
その事実は原爆被害訴訟や強制連行裁判、慰安婦裁判等の後遺症となって今以て尾を引いている。
あるいはある女性が売春で荒稼ぎし、そのことを隠したまま稼いだカネを資金に事業を起こして優秀な起業家だと社会から評価を受けたとしても、私自身は大いに結構なことだと思うが、本人の中では売春という事実は残るのと同じであろう。
【腹に据えかねる】「許せる範囲をこえている。我慢しきれない。」(『大辞林』三省堂)
「入間航友会」会長「一刻も早く菅内閣をぶっつぶして――。・・・民主党政権では国が持たない」
首相、閣僚が国会答弁で、「議員と同じ思いを共有しています」と、同じ思いとすることで追及をかわす手として時折利用するが、「入間航友会」会長と同じ思いを共有する国民は朝日新聞世論調査で譬えるなら「菅内閣を支持しない」の52%のうち、その大半と言えるのではないだろうか。
同じ思いを共有しない国民は「支持する」27%の大半と見てもいいのではないか。
会長の挨拶を聞いて、自衛官のうち何人が会長と同じ思いをしたかである。世論調査を単純に当てはめると、約半数前後が共有した。
自衛官にも日本国民としての選挙権も被選挙権も認められている。どの党を支持し、どの党の立候補者に投票しようと自由である。「自衛隊員の政治的中立性」をいくら言おうと、政治信条の自由は自衛官とて認められている。自民党であろうが公明党であろうが、どっこいしょ、たちあがれ日本であろうと、社民党であろうと、みんなの党であろうと、どの政党を支持しようが構わないはずだ。
「自衛隊員の政治的中立性」とは職務上の制約を言うはずだ。自身が支持しない政党が政権を取り、政権の代表たる首相が最高指揮官となったとしても、その指示に忠実に従う、その中立性を言うはずである。
だが、自衛隊員としての公務を離れた私生活の場では、政治に関心ある者は新聞記事、テレビ番組、あるいはインターネット等から数ある情報のうち自身の選択によって政治に関わる情報をそれぞれに手に入れて自身の情報とし、政治的判断の糧とする。
いわば職務上の政治的中立性を厳格に守りさえすれば、如何なる情報の入手も自由であり、どのような政治信条に立とうと自由である。何人たりとも個々の政治信条を奪うことはできないし、ましてや政治に対する関心を奪うことはできない
だが、このようなあるべき姿に棹差す動き(反動?)が当の政権党から出た。上記「asahi.com」記事も触れているが、《防衛事務次官通達の要旨》(47NEWS/2010/11/17 02:02 【共同通信】)から見てみる。
「隊員の政治的中立性の確保について」
先般、自衛隊施設内での行事で協力団体の長があいさつし、施設を管理する自衛隊側が自衛隊法や同法施行令の政治的行為の制限(政治的目的のために国の庁舎、施設を利用させること等を禁止)に違反したとの誤解を招くような極めて不適切な発言を行った。
防衛省・自衛隊としては、かかる事案が二度と起きないよう各種行事への部外団体の参加等については、下記の通り対応することとする。
一、各種行事への部外団体の参加にかかわる対応
防衛省・自衛隊が主催またはその施設内で行われる行事に部外の団体が参加する場合は、施設を管理する防衛省・自衛隊の部隊や機関の長は以下の通り対応する。
▽当該団体に対し隊員の政治的行為の制限を周知するとともに、隊員が政治的行為をしているとの誤解を招くことがないよう要請する。
▽当該団体の行為で、隊員が政治的行為をしているとの誤解を招く恐れがあるときは当該団体の参加を控えてもらう。
一、部外行事への隊員の参加にかかわる対応
隊員が防衛省・自衛隊の施設外で部外団体が主催する行事への参加を依頼され、その参加が来賓としてのあいさつや紹介を伴う場合は、当該隊員は以下の通り対応する。
▽当該団体に対し、政治的行為の制限について周知する。
▽参加を依頼された行事に政治的行為の制限に抵触する恐れのある内容が含まれていないことを確認し、確認できないときは行事に参加しない。
この通達だけを見ると、妥当な内容、あるいは妥当な要請だと一見上見えるが、基地航空祭に招かれた「入間航友会」会長の式典での「一刻も早く菅内閣をぶっつぶして――。・・・民主党政権では国が持たない」の発言は会長自身の政治的発言であって、隊員自身の「政治的行為」でも何でもなく、例えその発言に共鳴する隊員がいたとしても、それは職務とは関係しない普段の個人的な政治信条に反応した共鳴であって、何ら不当なことはなく、職務上の「政治的中立性」に本人の自覚によって阻害を来たさなければ問題はないはずである。
「入間航友会」会長の挨拶が隊員の「政治的行為」でも何でもないにも関わらず、このような局面に基づいて、「隊員が政治的行為をしているとの誤解を招く」と、隊員も参加した「政治的行為」であるかのように捏造して「誤解を招く恐れ」とし、そのことに制限を加えるのは飛躍し過ぎであるばかりか、「隊員が政治的行為をしているとの誤解を招くことがないよう要請する」ことを名目として、いわば隊員の参加を阻むことによって逆に団体の発言を制限する措置となっている。
当然、その措置は団体に対する政治信条の自由に対する、あるいは思想・信条の自由に対する制限に当たる。
自民党がこの通達を民間に対する言論統制だとしてを国会で北沢防衛大臣の辞任を要求した。対して仙谷官房長官も菅首相も問題なしとしている。
《政治的発言する部外者「呼ぶな」は妥当…仙谷氏》(YOMIURI ONLINE/(2010年11月17日12時30分)
仙谷官房長官(会長挨拶について)「非常に荒々しい政治的発言であることは間違いない。どこまで許されるのかということだ」
仙谷官房長官「自衛隊員の政治的な中立性が確保されなければならない。防衛相の責任の下に必要な対応がとられたと認識している」
菅首相。《柳田法相発言「私からも強く注意」17日の菅首相》(4asahi.com/2010年11月17日20時18分)
菅首相「自衛隊が、誤解を受けることにないように、注意するということは重要だと思います」
菅首相「北沢大臣は、ご本人も言われていましたけれども、自衛隊の活動が、誤解を招かないようにと、自衛隊の活動が誤解を招かないようにという意味で、言われてましたので。おおらかさということとは、特に矛盾しないんじゃないでしょうか」
仙谷官房長官は「自衛隊員の政治的な中立性の確保」を言い、菅首相は「自衛隊の活動が誤解を招かないように」としている。
既に触れたように自衛隊員が自ら「一刻も早く菅内閣をぶっつぶして――。・・・民主党政権では国が持たない」と発言したわけではない。だが、仙谷も菅首相も通達と歩調を同じくして自衛隊員の「政治的中立性」を人質として、あるいは「誤解を招かないように」を人質として、「政治的中立性」に合致する発言を求める言論の自由の制限を団体に対して意志している。
第三者の発言をどう受け止めようと、例え強い思いで共鳴しようと、職務上の「政治的中立性」を阻害しない限り問題はないはずである。問題とするかどうかは本人の自覚・使命感・判断能力に待つしかないし、本人の意思に任せるべきであろう。使命を忘れて簡単に洗脳されるようなら、そもそもからして自衛隊員の資格はない。
問題が発生した経緯を見ると、民主党政権の批判は許さないということから発した通達とに見える。いわば政権批判は許さないという方向からの「隊員が政治的行為をしているとの誤解を招くことがないよう」にを口実とした、その範囲の発言に制限する民間団体に対する言論統制と言える。
気が向いたなら、tweetをお願いします。
勿論、本人は否定している。そのとおりですよと言うわけはない。
12日(2010年11月)、外務委員会で新党大地の浅野貴博議員が前原外相に対する北方四島問題で質問を行った。ご存知のように新党大地代表だった衆議院議員鈴木宗男がワイロ罪などで実刑判決が確定、9月15日を以って議員失職、それを受けて比例代表北海道ブロックからの繰上げ当選を9月28日に決定、まだ1ヵ月半の議員経験、1978年4月5日の生まれだと言うから、32歳の若さだが、静かに落ち着いて、だが気鋭の雰囲気を漂わせて前原外相に当たっていた。
新党大地は民主党と会派を組む。いわば半ば与党同士の質疑となるが、完璧な与党同士のヨイショはなかった。
浅野貴博「我が新党大地、北海道の地域政党でございます。北海道と言えば、やはり北方領土問題。今大変、道東釧路、根室のみなさん、大変な懸念を持っておられます。そこで前原大臣にお聞きします。
昨年10月17日、当時国交大臣、北方担当大臣でいらっしゃいました。えー、根室訪問された際に、えー、海上保安庁の巡視船「くなしり」に乗られ、国後島を会場から視察された後、羅臼町で記者に対して、ええー、『日本国民として、望郷の念を強くした。ロシア側に不法占拠と言い続け、四島返還を求めていかなければならない』と発言されていると、承知しています。
北方四島は、歯舞、択捉、国後、エー、色丹。この四島がロシアに不法占拠されているという認識に、大臣、今でも変わりはありませんでしょうか」
前原「えー、北方四島は、我が国固有の、おー、領土でありますけれども、我が国は現在、えー、管轄権を事実上行使できない状況にあると、いうことでございまして、えー、四島の帰属を確定して、そして平和条約を結ぶ。何とか、この、おー、領土問題、イー、1956年の、おー、日ソ、共同宣言後ですね、えー、解決をしない領土問題、何とか解決をしたい、という思いでございまして、その思いに変わりはございません」
浅野「不法占拠という思いには、変わりはありませんでしょうか?」
前原「えー、繰返しになって恐縮でございますけれども、北方領土は我が国固有の、領土であるけれども、えー、管轄権を、事実上行使できない、状況が続いていると、いうことでございます」
浅野「ハイ、分かりました。えー、昨年10月の前原、当時の国交大臣のご発言、そのうち、我が師である鈴木宗男、おー、代表が出した質問趣意書の答弁が、昨年11月24日、閣議決定されまして、その中に、『政府としてはロシア連邦が北方四島を不法に占拠している現状に於いて』と、いう文言があります。
これ、当時新聞報道なされましたが、ロシアが大変、激しい反発をいたしました。また、本年の9月29日、前原大臣、ベールイ駐日大使を外務省に呼びつけて抗議をされています。『北方四島は我が国固有の領土であり、ロシアが』、あーあー、によって『実効支配されている』
これは事実でございますが、この不法占拠という言葉が殊更、昨年来政府が強調をして、何も私はロシアの側に立つ者ではありませんが、ロシアとしては、日ロの、おー、冷静な議論を、えー、北方四島に関する交渉を行う、冷静な空気を、日本側が壊したと。
少なくともロシア側がそう受け取って、今回のメドベージェフ大統領の国後訪問、強硬、姿勢を取らざるを得なくなった。こういう背景があろうかと思うんですが、前原大臣、どういうふうにお考えなりますでしょうか」
前原「様々な見方はあるかもしれませんが、私共は、あー、えー、そのような見方はあまりしていません。えー、これは累次、イー、今までも、国会答弁をしてきておりますけれども、私はやはり大きいのは、えー、国際社会の中で、資源価格が高騰してですね、えー、石油や天然ガスの、おー、産出国である、ロシアの財政というのは豊かになった。
今まではなかなか資金が回ってこなかった。あー、北方四島が、あるいは千島列島にでもですね、おカネがまわってくるようになってきた。そしてこれは、2006年8月3日に、閣議決定された、クリル諸島、社会連邦発展特別プログラム、ま、以下クリル開発計画と言わせていただきますが、えー、これが先ず、この2007年から、2010年までが第一段階。そして来年からは第二段階に入ってきて、えー、内外企業の投資誘致、漁業コンプレックス企業、の、集中的発展、養殖業の創設と、効果的な操業確保、そのためのインフラ整備、また、観光リクリエーション発展、等ということで、かなりの資金を、エー、投入をすると、ま、いうことで、えー、その視察のために、2002、5年以降は、多くの、おー、要人たちが、北方領土を、訪れるようになってきております。
エー、今までですと、イワノフ国防大臣であるとか、あるいは、ア、また、これは、イワノフさんが、えー、副首相になってから、えー、ラズロフ外相、(言い直す)ラブロフ外相も何度か、訪れております。えー、あるいはサハリンの、知事、あるいは長官、様々な要人が、訪れて、エ、この開発計画の実施状況を視察に来ておりまして、むしろそういった要因の中で、エー、今回の視察が、ま、行われた、可能性が高いのではないかと思っております。
ただ、いずれにしましても、エ、北方領土、国後島も含めて、我が国固有の領土を、エ、ロシアの大統領が訪れたということは極めて、遺憾でありまして、エー、私の方から、アー、抗議を、ヲー、いたしました」
浅野「えー、何よりもこの問題、いろんな要因があると私も考えています。エー、先日の外務委員会で前原大臣、外交は原理原則だけじゃできないと。まして外交はケンカじゃないと、おっしゃったのは私も印象に残っております。兎に角今私の二度に亘る質問で、前原大臣、不法占拠という言葉をおっしゃいませんでしたけども、ま、一国民、もしくは一国会議員、が言うのではなく、閣僚が不法占拠と、殊更相手側を刺激する言葉を使うのは、我が国にとって国益にならないと思います。何よりも、静かに冷静な環境で実利を得るべく、四島を如何に取り戻すべきか、現実的な交渉をこれからも、大臣はお願いしたいと思います。
続きまして、最後にあのー、(壁時計?掛け時計?に眼をやって時間を確かめながら、)メドベージェフ大統領の、国後訪問につきまして聞きたいと思います。これ10月28日、の産経新聞でしょうか、11月1日の産経新聞ですね。河野駐ロ大使が記者団の質問に対して。えー、噂はー、ア、『今回のメドベージェフ大統領の訪問について、噂はあるが、具体的な計画があるとは承知していない、準備しているという話はない』と語った、という記事が出ております。
また、これ記事になっているわけではないんですけども、小寺外務省欧州局長が、えー、マスコミ関係者との懇談会の中で、この常識的に考えれば、ないだろうと判断していた、私の判断が間違いか、ロシアの常識がおかしいのか分からないが、結果として訪問、領土に行かないという判断は間違えていたと。
このロシア、えー、に、日本の全権代表として行かれている河野大使、そして対ロシア外交責任者とも言うべき欧州局長、大変非常に、甘い認識を有していたことは、この中で窺い知れます。この発言事実がどうか、外務大臣、確認されてますでしょうか」
前原「エ、河野、ロシア大使の発言は、これはマスコミに対して行ったものでありまして、えー、そういった趣旨を大使が、発言したということは承知しております。えー、ただ、一方で小寺欧州局長の発言についてはですね、シー、これは、非公式の形で行われたのか行われていないのか、えー、そこは確認をしておりませんし、えー、そのような、ア、発言を、公式の場で、したことは認識しておりません。
ま、いずれも、いずれにしてもですね、これは浅野委員が先程おっしゃっていただいたことで、私は大変、意を強くしたんですが、1956年から、(笑いながら)解決しない、大変大きな問題、ですよね。えー、そう一朝一夕で、エ、これは解決する問題ではないというふうに思います。やはり今までの、交渉経過というものを、しっかり紐解いて、そしてまた、今の、ロシアの、国内事情、ヲ、というものを、しっかりと読み解く中で、えー、焦らずにですね、エ、しかし、自らの立場をしっかり保ちながら、あー、交渉を進めると、いう姿勢が、我々、この、オ、連立政権でも必要ではないかと、ま、こう思っておりますので、是非、この問題、関心を持っておられる浅野委員にも、様々な観点からの、エ、お知恵をいただきたい、アドバイスをいただきたい、こう思っております」
浅野「今、大臣、焦らずにとおっしゃいました。確かに一朝一夕に、イー、明日(あした)にでもすぐにこの問題が解決すると思っておりません。ただ、あー、北海道、特に、イー、多くの、元島民の方がお住まいの、根室、そして釧路、元島民の皆さんが、もう平均年齢が、70代後半になっております。時間が、残された時間が極めて少ないです。焦り以上、ソウショウカン(焦燥感)と言いますか、絶望感、皆さん抱いていらっしゃいます。
中にはこの60年以上経って、外務省に解決できないんであれば、外務省じゃなくて、内閣府にやってもらえればいいと(フッと笑いをこぼす)、そういう厳しいことをおっしゃる方も、いらっしゃいます。今日明日にでも解決する問題ではないことは確かです。ただ、今回少なくとも河野、大使、あの、大臣、先程確認できていないとおっしゃいましたが、小寺局長、前線に立って、情報を集めて、大臣、そして菅総理に、情報を上げるべき人間が、この認識が甘かった、判断を間違えた、ことは事実だと思います。
我々国会議員、仕事を、おー、選挙で議員バッチをいただいて、それを任期まで、選挙できちっと仕事ができなければ、選挙に於いて国民から厳しい審判を下されます。信賞必罰というものはどの組織にも必要だと思います。今回のこの事態を受けまして、河野大使、小寺局長、人事を一新するお考えはあるでしょうか」
前原「あの、先程焦らずにと申し上げたのは、エー、焦ると、オ、交渉相手に、足許を見られて、えー、交渉が、ア、うまくいかない、あるいは、こちらの言い分というものが、叩かれると。マ、こういう意味で申し上げたわけでありますが、他方で、浅野議員がおっしゃったように、解決していない、よく解決していない問題で、元島民の方々の高齢化、エー、後は半分の方々が亡くなって、おられます。
マ、そういう意味では、勿論、悠長に構えてやるという意味ではなくて、交渉に於いて、エー、その、焦るということはエー、交渉に於いては一般論として、エー、慎むべきだと、いうことを申し上げたわけであって、ただ早くに解決しなければいけないという問題だと浅野議員と問題意識を共有しております。
なお、私もこの立場に立って、エー、1ヵ月半、余り、が経ちます。シー、エー、ま、組織の中の、おー・・・、ま、人事、それから体制のあり方、エ、これについては、一緒に仕事をしていく中で、エー、シビアに見ていかなくてはいけない、問題だと思っております。
マ、従いまして、個別にどの部署がどう、誰かにどうのっていうことは今、何も考えておりませんけれども、今、直ちに何かをするということは考えておりませんが、当然ながら、浅野議員がおっしゃったように、組織というものは官僚組織だけじゃなくて、これは政治家の組織も同然だと思いますけども、エー、信賞必罰、そして、エー、頑張った者が報われる、ま、そういうものでなければいけない。そう思っておりますので、役所全体で、エ、考えてまいりたいと、エ、思っております」
浅野「ありがとうございます。今回の問題、イー、今回の問題に限りませんが、ここ数年、特に、大臣、外務大臣を支えるべき外務官僚がきちっとした仕事をしていないと、私は痛切に感じております。
大臣、外務大臣、前原大臣を裂帛の気合で守り抜くと、菅総理を守り抜く、こういう気合が交渉の実務者である外務官僚にない限り、北方領土問題に限らず、日本外交、再生はあり得ないと私は考えておりますので、前原大臣に於かれましては、きちっとしたリーダーシップを発揮されて、日本の国益のために、頑張っていただきたいと思います。ありがとうございました」(質問終了)
最後は会派を組む関係らだろう、半分ヨイショ混じりの激励で終わっている。
浅野議員が質問の最初に当時国交相・北方担当相だった前原の根室訪問時に発言した「日本国民として、望郷の念を強くした。ロシア側に不法占拠と言い続け、四島返還を求めていかなければならない」を捉えて、その認識に現在も変わりはないかと問い質した。
だが、前原大臣はなかなか巧妙・狡猾である。どう認識しているかは直接答えず、「不法占拠」を「管轄権を事実上行使できない状況」にすり替える誤魔化しを働かせて見事かわしている。
浅野議員の再度の問い質しに対しても、ほぼ同じ回答で自身の認識については明かさない。
「不法占拠」の主体はロシアである。「管轄権を事実上行使できない状況」にある主体は日本である。後者の主体は決して認めることはできない主体であって、ロシアの主体を排除して、そこに日本を据える方策の模索があって然るべきだが、答弁の間、そういった模索は一切なしに自身の「不法占拠の」認識を「管轄権を事実上行使できない状況」の主体に日本を置くすり替えはロシア非難の後退を示すだけではなく、「北方四島は我が国固有の領土である」の主張の一層の形式化、あるいは一層のお題目化に導くことでもあるはずである。
「不法占拠」とすることが「北方四島は我が国固有の領土である」の主張をより活かすことができるのであって、逆に「不法占拠」の撤回、もしくは隠蔽となっている。
但し浅野議員も「不法占拠」発言はロシアの反発を買うから控えるべきだとする態度を取っている。自身が質問の中で触れているように日本側の不法占拠だとする姿勢がロシアの強い反発を招いた経緯があるかとしているからだが、その延長上にある今回のメドベージェフ大統領の国後訪問ではないかと追及するが、それもあっさりとかわされる。
昨年10月17日の視察を記事から見てみる。《前原沖縄北方担当相:北方領土を視察 「不法占拠」と発言》(毎日jp/2009年10月17日 18時09分)
2009年10月17日に北海道根室市の納沙布岬を訪れ、対岸の北方領土の島々を視察、その後、根室海上保安部の巡視船に乗り洋上からも国後島を視察・
前原国交相「歴史的に見ても国際法的に見ても(北方領土は)日本固有の領土。終戦間際のどさくさにまぎれて不法占拠されたもの。やはり四島の返還を求めていかなければならない」
《北方領土 「不法、言い続けないと」 前原担当相洋上から視察》(Doshin Web/09.10.17)
前原国交相「日本国民として望郷の念を新たにした。歴史的に見ても北方領土は日本固有の領土。(ロシア側の)不法占拠と言い続けないといけない。・・・容易ではない交渉だが、四島の返還を求めていかなければならない」
次にロシアの反発。《前原氏の「不法占拠」発言にロシア「遺憾だ」 北方領土》(asahi.com/2009年10月20日10時12分)
ロシア外務省「新政権がロシアとの関係発展に前向きな意向を示し、9月のニューヨークでの日ロ首脳会談が建設的に行われた背景の中、受け入れがたく不適当で法的根拠のない発言が再びなされた。・・・(前原氏の発言が)対決的な気分を残している」
対する前原国交相の再反論
《前原北方担当相:「不法占拠」発言へのロシアの批判に反論》(毎日jp/2009年10月20日)
前原「鳩山外交の姿勢と違うとは全く思っていない。・・・自民党政権時代からの日本政府としての法的な立場を改めて申し上げただけだ」
前原「お互いの認識が違うからこそ、領土問題が未解決になっている。・・・・四島の帰属を明確にし、日露間で平和条約が結ばれた中でさらなる協力関係が結べる状況になればいい」
浅野貴博議員が自身の政治の師だとしている鈴木宗男も前原発言を批判している。
《鈴木宗男氏が前原氏の「不法占拠」発言を批判》(MSN産経/2009.10.20 17:19)
鈴木宗男衆院外務委員長「不法占拠という表現は失敗だった。(ロシア側は)係争地域であると認めている。(11月にシンガポールで予定される)日露首脳会談の前に言うと、間違って受け止められる。・・・・過激なことを言えば受けると思ったら大間違いだ。外交は静かにやるものだ」――
浅野貴博議員の「不法占拠」を刺激的表現と把えている忌避反応は政治の師であるとする鈴木宗男の批判を受けた反応であろうが、例えロシアがどう反発しようと、「不法占拠」だと内外に向けて言い続けることによって、「北方四島は我が国固有の領土である」はより具体的、強硬な訴え・抗議となるはずである。
いわば、「不法占拠」と「北方四島は我が国固有の領土である」は一体の認識とすべきである。「管轄権を事実上行使できない状況」とする認識は「北方四島は我が国固有の領土である」を曖昧化する一方の認識でしかない。
前原外相は浅野議員が指摘したロ大統領国後島訪問の要因を否定し、否定の代りに取り上げた要因は、この日の質疑から4日遡る11月8日の衆議院予算委員会で民主党の城井崇衆議院議員と前原外相との間の質疑応答での答弁とほぼ同じとなっている。
浅野議員は北海道比例区選出で四島返還問題に取り組んでいる国会議員として情報として手に入れ、検証しているはずだから、知らない情報としているわけない。知らない情報としていたなら、怠慢となる。前原外相としたなら、相手も既知としている情報だとの認識を持つべきを、持つことができずに尤もらしい落ち着きを見せて、4日前に述べたことの繰返しを、それ以前にも述べているかもしれないが、行った。
内容は極東方面の開発に向けて投資する資金の余裕ができ、その開発の進捗を背景としたロ大統領の訪問だとしているが、実態はロシア側が北方四島で展開している事実の経緯の説明に過ぎない。
資金の余裕ができて、「社会連邦発展特別プログラム」に則って北方四島の開発を進めているなら、日本との間で外交問題となる北方四島を大統領が何もわざわざ訪問しなくても、開発は進む。大統領訪問が開発進展の要因となるわけではない。資金と計画の有効性が要因となる開発であろう。
だが、訪問し、外交問題化させた。日本側の反発・抗議に対して、ロシア外相は「国内問題」だとし、メドベージェフ大統領は日ロ首脳会談で「私が自らロシア領土への訪問を決定した」と北方四島をロシア領土だと印象づけている。いや、大統領自らの訪問はロシア領土の宣言にも当たる象徴的行為であるはずである。大統領自身が「ロシア領土」だとしている国後島の地に二本足で立ったのである。他の何を象徴したというのだろうか。
大統領自身が訪問してロシアの領土だと宣言する象徴的行為を必要とした要因は訪問しなくても進めることができるロシア政府の手による開発・ロシア領土化であるはずはなく、「不法占拠」だとする日本側の認識がロシア側の開発を害することになる心理的な障害を考えるべきであろう。
「不法占拠」という言葉は「「北方四島は我が国固有の領土である」よりも質が悪く、その土地に開発を進めることになるからだ。その障害を取り除くには日本側に「北方四島は我が国固有の領土である」を諦めさせるしかない。
《北方領土は「解決不能」 ツイッターでロ大統領》(47NEWS/2010/11/14 00:47【共同通信】)
国後島を訪問した11月1日に自身のツイッターに次のように書き込んでいる。
「大統領の義務は、最も遠いところも含めたロシアの全地域の発展を監督することだ」
そして13日の日ロ首脳会談後のツイッター。
「日本の首相に会い、解決できない論争より経済協力の方が有益だと伝えた」――
解決できないんだから、諦めろ、我々は北方四島の開発を進めるのみだとの意志を滲ませた文章となっている。
誰々が北方四島を訪問したといった単に経緯を述べるだけの危機感のなさも然ることながら、浅野議員が駐ロ日本大使と外務省欧州局長の情報収集能力と情報解読能力を個別の人間の資質の問題として質問したにも関わらず、組織の人事、組織の体制のあり方という一般論にすり替える危機感のなさ、封じることになったゆえに将来的な成算もなく発したことが分かる、そのメッキを剥がした「不法占拠」発言から否応もなしに炙り出すことができる、有能な政治家であるか見せるかける虚勢を張った姿等々が前原と言う政治家の正体を表すことになっている。
昨日2010年11月15日、夜7時半からのNHK「クローズアップ現代」【「尖閣映像」流出問題影響は】が海上保安菅のネットビデオ流出の是非を取り上げていた。
ゲストの元外務省官僚田中均が基本的には政府は事実として公開すべきではなかったかの姿勢を示していたが、「政府が秘密にしていたものを政府の一機関の職員が公開すべきではない」といったことを発言していた。
録画していなかったし、記憶力がいたって最悪に出来上がっているから、この番組に関する情報をネット上で探したところ、NHK関連のHP、《NHKクローズアップ現代【尖閣映像流出問題】詳細情報》を探し当てた。
一応参考までに全文無断引用――
▽「尖閣映像」流出問題影響は】の詳細情報です。
◎キャスター:国谷裕子
◎ゲスト:
・田中均(日本総研国際戦略研究所理事長)
・立花隆(ジャーナリスト)
尖閣諸島沖での中国船との衝突事件の映像が流出した問題で、警視庁や東京地検は「自分が映像を流出させた」と話している海上保安官への事情聴取を進めていますが、海上保安官には国家公務員法の守秘義務違反が問われる可能性があると見られる一方、専門家の間には「国が映像を公開すべきだった」という声も上がっています。
さらに、一連の出来事を通じて「ネット社会の情報管理の限界」や「機密情報の取り扱いのあり方」「機密情報と国民の知る権利との関係か」などの問題が問いかけられ、今回のNHKクローズアップ現代では、映像流出の経緯を追うとともに、今回の問題が社会に投げ掛けた課題について考察しました。
尖閣諸島沖での中国船との衝突事件後、日本政府は中国船の船長を拘束しましたが、フジタの社員が軍事基地内に入ったことを理由に中国当局に拘束されたこともあり、日本政府は方針転換して中国船の船長を釈放しました。
現在取り調べ中の「尖閣映像」を流出させた海上保安官は「国民に広く知ってもらいたかった、本来隠すべき映像ではない」と言っていますが、同僚の海上保安官は「彼のやったことは理解できるがそれを認めてしまったら組織が成り立たない」と語ります。
内部告発専門サイト「ウイキリークス」では、アメリカ軍が3年前にイラク民間人を誤射した映像や、多額の税金が投入され国有化されたアイスランドの銀行のずさんな融資実態がわかる内部文書などが公開されていますが、アイスランド国営放送が事実を放映しようとしたところ、裁判所から放送直前にストップがかかりました。
これが問題視され、アイスランドでは「公共の利益になる場合、公務員は秘密を守る必要はない」という文言を盛り込んだ法律を制定する動きが出ています。
今回のNHKクローズアップ現代に出演した元外交官の田中均氏は、「政府の決定事項に対して海上保安官が自分の正義を主張するのは問題だが、今まで非公開にする保管体制があったのか?非公開は無理があったのではないか?公開非公開を問わず、今回の政府の対応は一貫性に欠け、国益になるか総合的にシミュレーションをすべきで、国民の感情をあおるのではなく説明責任をはたし、何が国益になるか最終的に決断するのは政治家」とコメントしていました。
また、ジャーナリストの立花隆氏は、「今回の映像流出問題は一個人が放送局の役割をして情報を短時間で拡散させたという意味で既存メディアにとって大事件、情報が拡散するネット社会は情報を隠している人には脅威で、知りたいという情報飢餓状態に火をつけたと言え、多くの日本人はいいことを知ったと思っているのではないかと思うが、公開非公開の判断基準はやはり公共の利益にかなうかどうかではないか」とコメントしていました。
この記事では田中均の海上保安菅の行為についての是非論は「政府の決定事項に対して海上保安官が自分の正義を主張するのは問題だが」の言葉でのみ書いている。
いわば政府は7分前後のほんの一部分公開以外は非公開の決定を行うことを政府の“正義”とした。これは“情報を隠す正義”に当たる。対して海上保安官はネットに公開するという“情報を暴く正義”を敢行した。
政府が公開・非公開の権限を掌中のものとしていたことは仙谷官房長官のいくつかの発言を見れば明らかである。《中国漁船・尖閣領海内接触:ビデオ流出 秘密保全へ法整備 官房長官が方針》(毎日jp/2010年11月9日)
仙谷官房長官は11月8日(2010年)、〈ビデオネット流出問題を受けて秘密保全の法整備のための検討会を新たに設ける方針〉を衆院予算委員会で表明している。
〈法整備の議論は、自民党政権末期の昨年7月に設置された有識者会議で行われていたが、同9月の政権交代で中断。流出問題により法整備の遅れが再浮上し、民主党政権としても検討に乗り出すことになった。【野口武則】〉――
仙谷官房長官「同盟国との関係で、安全保障上の機密保全は極めて重要。野党のお知恵を頂きながら、検討を早急に進める場を作りたい」
要するに尖閣ビデオを「安全保障上の機密」――国家機密と看做していた。表向きはビデオを捜査中の証拠資料としていたが、その公開・非公開に実質的には政府の意志が関与していたことを示す。
仙谷官房長官が望遠カメラで写されてスクープされ、盗撮だと騒いだ新聞の暴露記事――《映像公開で量刑下がる?仙谷長官「厳秘」資料》(YOMIURI ONLINE/2010年11月9日12時31分)もビデオが国家機密となっていたことを証拠立てている。
仙谷官房長官が9日午前の衆院予算委員会の答弁席で隣り合って座っていた菅首相に二つ折りを広げる形でリーフレット様の資料を見せている場面をテレビが流している。
テレビでは判読できなかったが、その資料には「極秘」の文字が記されていて、ビデオの一般公開の法的根拠やメリット・デメリットが3項目に分けて書いてあったという。
3項目とは、
〈1〉国会提出済みの映像記録
〈2〉動画投稿サイト「ユーチューブ」に流出した映像
〈3〉マスター映像
デメリット「流出犯人が検挙・起訴された場合、『政府が一般公開に応じたのだから、非公開の必要性は低かった』と主張し、量刑が下がるおそれがある」
「犯罪者を追認するに等しく、悪(あ)しき前例となる」
メリット「中国による日本非難の主張を退けることができる」――
公開のデメリットに関しては捜査・裁判に限定した言及と言えるが、メリットに関しては国益上の問題としている。だが、「中国による日本非難の主張を退けることができる」メリットを見込むことができるとしていながら、政府は公開に一貫して拒絶反応を示してきた。
考え得ることは「中国による日本非難の主張を退けることができる」メリットに優る中国を刺激して関係悪化する恐れがあるからとすることしかできない。
政府がどう判断しようと、その正当性如何に関わらず、政府は“情報を隠す正義”を選択した。
海上保安官の場合は、上記「クローズアップ現代」記事が「国民に広く知ってもらいたかった、本来隠すべき映像ではない」と書いているように“情報を暴く正義”を選んだ。
どちらの“正義”を正当であるとするかであるが、世論調査では国民は政府の“情報を隠す正義”よりも圧倒的に海上保安官の“情報を暴く正義”に軍配を挙げているが、専門家の間でも意見が分かれていると、《映像「秘密」か 見解分かれる》(NHK/2010年11月10日 19時54分)
堀部政男・一橋大学名誉教授「流出した映像は、公に議論されている事件に関するもので、すでに国会議員も見ているため、国家公務員法上の『秘密』には当たらない。・・・・そもそも今回の映像は、国民の知る権利の観点からも当初から広く公開すべきものだった。今回の件で守秘義務違反で刑事罰を科すのは酷であり、起訴されても裁判で有罪となるかは疑問が残る」
高井康行弁護士(元検察官)「流出した映像は、その存在は知られていても、詳しい内容までは明らかになっていなかったうえ、情報の漏えいにより中国との関係に大きく影響を与えることが予想されたもので、国家公務員法上の『秘密』に当たる。・・・・そもそも今回の映像は公開されるべきだったとは思うが、外交カードとして、公開の時期や方法が大切にされるべきものだった。捜査すべきではないという意見も聞くが、動機の解明や再発防止のために捜査は徹底して行う必要がある」
両者共、“情報を隠す正義”に関しては否定的だが、後者は条件付で、「情報の漏えいにより中国との関係に大きく影響を与えることが予想され」るから、「外交カードとして、公開の時期や方法」は温存されるべきだと、ビデオをあくまでも国家機密扱いとした上で、公開・非公開を政府の権限にとどめ、公開は後のこととしている。直接的には言及していないが、情報公開法に従って何年後といったところなのだろう。
菅内閣はビデオに関して“情報を隠す正義”を自らの正義とし、国民の多くは“情報を暴く正義”を正義としている。政府の“情報を隠す正義”に国民の誰もが唯々諾々と従った場合、その服従性を利用して、政府にとって公開は不利という理由のみで、国民の利益や国民の知る権利を無視して恣意的に“情報を隠す正義”を政府は選択する危険性が生じる。
あるいは都合のいい情報に仕立てて国民をコントロールする情報操作の危険性が生じる。
そうなった場合、政府側が発する「開かれた政治」といったお題目や国民の知る権利は有名無実化する。
これらの危険性は最悪の場合、政府による権力の恣意的行使に行き着くはずである。
ときには政府が唱える“情報を隠す正義”に単に唯々諾々と従うのではなく、国民、あるいは国民に代わるその他が“情報を暴く正義”で以て逆らう反逆性を示すことは政府側の情報に関わる正義の恣意性、あるいは権力の恣意的行使に歯止めをかける力となり得るはずである。
一つの例として自民党政権が長いこと米国との間で核密約の存在はない、国民の知らないところで核の持込は行われていないと否定してきたが、政権交代後の当時の岡田外相が核密約の存在を暴いていることを挙げることができる。これは自民党政府の“情報を隠す正義”に逆らって、民主党政権が“情報を暴く正義”を敢行、国民の知る権利に応えたと言える。
APECが横浜で開催された期間中の13日に日中首脳会談が行われたが、菅政府は首脳会談での具体的な発言内容を公表していない。政府は公表しないことを“情報を隠す正義”として選択した。《尖閣「日本の確固たる立場伝えた」 菅首相、中国主席に》(asahi.com/2010年11月13日22時46分)
福山哲郎官房副長官(胡主席の反応を含め、会談の詳細について)「外交上の理由から差し控えたい」」
国民には日中首脳会談で菅首相と胡錦涛主席との間でどういうことが話し合われ、対中外交がどういうふうに進められようとしているのかを、政治が有効に機能しているのかどうかの判断材料とするためにも知る権利を有しているはずである。それを無視する政府の“情報を隠す正義”となっている。
“情報を隠す正義”とするための理由として考えることができるのは、公表した場合の中国を刺激し、関係悪化に進む恐れからと、公表した場合の菅首相の発言内容から首相自身の政治家としての資質と能力が問われることになる、このいずれしか考えることができない。
どちらの場合であって、“情報を暴く正義”の介在を条件としない以上、政府の“情報を隠す正義”が正しい判断か否か、恣意的な正義に過ぎないのかそうでないのかの判定は不可能となる。
特に後者の場合、国民にとって最悪の不幸となる。最悪の“情報を隠す正義”に見舞われることになる。
例えそれが犯罪であっても、政治に関する“情報を暴く正義”の道を閉ざしてはならないはずだ。
14日(2010年11月)午後、菅首相がAPEC横浜開催の議長国として記者会見を行っている。ここでは《首相官邸HP》から記事を採録しているが、「MSN産経」が《【菅首相会見詳報】APEC首脳宣言「大きな歴史の1ページ」》(2010.11.14 17:08)の題名で報道している。
ここで会見のすべてを取り上げない。菅首相が政策や所信表明等の発言の傾向として、「農業の再生と開国の両立」といった政策にも見ることができるようにメッセージ自体は高邁に仕上げているが、具体論を併行させていなかったり、自画自賛、あるいは甘い認識から成り立っている箇所を発言の順を追って取り上げて、私なりの批判を加えたいと思う。
具体論の欠如、自画自賛、甘い認識等は深く指導力、指導性と相互反映し合う。
先ずは「冒頭発言」から。
菅首相「そして我が国においては,このAPECの開催を前にして、包括的経済連携に関する基本方針というものを閣議決定を既に致しております。つまりは,日本の今弱くなっている農業を活性化する、そのことと同時に他の国々に対して、やや立ち後れてきたこの経済連携自由化の一層の促進をまさに新しい平成の開国という形で推し進める、農業の再生と開国の両立をこの基本方針で明確にしたところであります」――
「農業の再生と開国の両立」を「包括的経済連携に関する基本方針」として明確にしたとしても、方針とする以上、こういう方向で行きますと言っているのだから、最低限、大まかな具体像――グランドデザインを国民に示すべきだが、これまでも「農業の再生と開国の両立」のメッセージを発するだけでグランドデザインを一度も発言してこなかったように「冒頭発言」でも一切触れていない。
後半の「質疑応答」で少し触れているが、このことについてはその箇所で述べる。
関係が取り沙汰されている米国、中国、ロシアについては次のように発言している。
菅首相「 米国とは、日米同盟関係を更に深化していこうという点で合意し、中国とは戦略的互恵関係の発展について合意し、ロシアとは領土問題の解決と経済協力について、2つのフィールドで話し合おうということで合意をし、それぞれ前進することができたと、このように思っております」――
日米同盟の深化は必要とする具体的行動を伴って、初めてその成果とし得る。伴わなければ、深化とは反対の力が働く。このことは政権交代後の鳩山前政権が既に経験している。
日米同盟に於ける現在の最も重要な懸案事項は5月28日の日米合意に基づく普天間基地の辺野古への移設の具体化であろう。私自身は県外・国外移設派だが、日米同盟深化が必要とする具体的行動を条件とする以上、菅政権は移設実現に向けた具体的行動が日米同盟深化の最初の試金石として試されていることになる。このことは政権を受け継いだ今年の年6月8日時点で認識していなければならないことで、日米同盟の深化を言う以上、菅政権発足後、移設に向けた菅首相自身のリーダーとしての行動がもう少しあっても然るべきだが、全然見えてこない。
いわばカギとなる点での具体的行動を見せないままの日米同盟深化の宣言となっている。このことは自身の内閣のスローガンとなっている「有言実行」とは反対の「有言不実行」を示す。口先だけの「深化」となっていないかと言うことである。
このこともリーダーシップに関係する要点だが、「質疑応答」で質問を受けているから、そこでも触れてみる。
ロシアとは「領土問題の解決と経済協力」の「2つのフィールド」で話し合うとしている。中国とは「戦略的互恵関係の発展」のみの単一の「フィールド」で取り組むとしている。では尖閣諸島の領土問題については触れないで置こうということなのだろうか。
この問題も「質疑応答」で再び飛び出す。
「冒頭発言」の最後の部分、締め括り発言。
菅首相「そういった意味で、我が国とアジアの国々、さらには太平洋を挟む南米やカナダといった国々との連携は,まさに日本がこの平成の時代に改めて開国する、150年前,明治維新が始まった頃に開国に舵を切ってそして開かれた港がこの横浜であることを伺いますと、この横浜におけるAPECは、APECの歴史としても大きな1ページになると同時に、我が国の歴史においても大きな新しい1ページになる、このことを私は確信し、是非国民の皆様には色々な問題点があることはもちろんでありますけれど、そういう問題点を越えていくという、そういう勇気と力を共に振り絞って新しい日本を作っていく、そのことで皆さんのご理解とご支援を改めてお願いして、冒頭の私からの話とさせて頂きます。
ありがとうございました」――
日本開国の地である横浜での開催だと意義づけているが、場所や歴史によって今後の成果を意義づけることができるわけではない。APECの理念をどう具体化していくか、どう内実化していくか、どう止揚していくかが問われているはずである。菅首相の実際の行動力を伴わないこれまでの言動を見てくると、果たすべき責任意識が今後の行動とその成果にかかっているとする認識に乏しいように思える
決意ある責任意識が伴ったリーダーシップに対する認識である。
《菅首相のAPEC議長国議長記者会見に見る指導性のなさ(2)》に続く
【質疑応答】――
日本テレビ 野口記者「日中,日露関係についてお伺いいたします。まず今回行われた日中首脳会談で、総理は尖閣での漁船衝突事件につきまして、日本の確固たる立場を伝えたということですが、この確固たる立場の意味するところ、尖閣は日本固有の領土という思いはその中に込めたのでしょうか。また、確固たる立場を示したことで、中国は同種の事案の再発防止に努めると考えますでしょうか。
また日露首脳会談におきまして日本とロシアの抱える領土問題の解決に向けて成果は今回得られたのでしょうか。今後、経済協力だけが進んで、領土は止まったまま、という懸念はないでしょうか。
菅首相「まず、日中の首脳会談は,尖閣列島は我が国固有の領土であって、この地域に領土問題は存在しないという基本的立場を明確に伝えたところであります。その上で再発防止についてのご質問を頂きましたが、今回はまさに首脳会談でありまして、基本的に、まずは認識を述べ、そして戦略的互恵関係を改めて進めていくことを確認する、基本的にはそういうある意味での大きな方向性を、改めて私の就任時の6月に戻すという、そういうことを実現することができたと、このように考えております。
日露の首脳会談では、メドベージェフ大統領が国後を訪問されたことについて、抗議の意を明確に伝えました。その上で、この間,領土問題は、ご承知のように、これが解決をしないために今でも日露間に平和条約が結ばれておりません。そういった意味で、領土問題についても話し合っていこうと。同時に現在、ロシアは全体として東の方、太平洋の方に色々な可能性を求めていると認識をしております。そういった意味で、我が国にとっては、天然ガス等の資源の問題もあり,経済問題でもしっかり話し合っていこうと、この2つのことは、もちろん性格は異なりますけれども、やはり2つの国が経済的にも協力関係が深まる中で、領土問題においても、いい影響が出てくる、そういうことが十分あり得る訳でありますが、その2つの場を積極的に作り、そして話し合いを進めていきたいと、このように考えております」――
日テレ記者は中国に対して伝えたとする「確固たる立場の意味するところ」と、ロシアとの関係では「経済協力だけが進んで、領土は止まったまま、という懸念」の有無について質問した。
対して菅首相は「地域に領土問題は存在しないという基本的立場を明確に伝えた」と答えているが、その明確な伝達に対する胡錦涛主席からの明確な伝達――反論、もしくは主張は何も明らかにしていない。胡錦涛主席が何ら反応を示さなかったとしたら、日本側の伝達を認めることになる。
いわば「確固たる立場の意味するところ」――双方それぞれがどういう立場を取ることになったのかについて何も答えていない。
国家間の関係であろうと個人間の関係であろうと、自身の主張のみで成り立つ関係と、相手の主張との兼ね合いで成り立つ関係がある。
このことは中国のレアアースの問題でも既に教えていることである。尖閣問題に関する中国との関係では日本側の「基本的立場」のみで成り立つ関係とはなっていなかったからこそ、中国との間で様々な問題が生じた。
菅首相は日本側の伝達に対する胡錦涛主席の伝達を隠した点で誤魔化しを働いたことになる。いわば自身に対する評価を操る情報操作と情報隠蔽の誤魔化しである。
「領土問題は存在しないという基本的立場」を相手から何の反論も反応もなく、明確に伝達させることができたなら、再発防止は自動的に作動することになる。だが、菅首相は日テレ記者の「中国は同種の事案の再発防止に努めると考えますでしょうか」の質問に対しても、首脳会談だから、戦略的互恵関係の確認という大きな方向性を打ち立てることが重要であって、22分間の会談で「改めて私の就任時の6月に戻すという、そういうことを実現することができた」とその成果を主張することで質問に答えない誤魔化しまで働いている。
だが、その戦略的互恵関係も尖閣沖での中国漁船衝突事件での日本側の対応一つで不安定化した。いわば日本にとっては領土問題は存在しないを基本的立場だとしていても、尖閣問題が戦略的互恵関係構築・維持の重大なカギとなっていることは否定できない。当然再発防止も話し合わなければならない懸案事項であったはずだが、胡錦涛主席の反論、もしくは主張を受けて、再発防止にまで議論が進展しなかったといったところだろう。
最初の誤魔化しが生んだ次の誤魔化しであろう。
大体が日中関係の今後の推移を見てみなければ、菅首相の就任時の6月に戻せるかどうかは不透明な状況にあるはずなのに、いとも簡単に戻す予定ができたかのようなことを言っている。この安請け合いの甘い認識は厳しい外交交渉には禁物の政治家にとっては不向きな資質であるはずである。
このような資質もリーダーシップに影響していく。
ロイター通信 リンダ・シーグ東京首席特派員「日中問題に関してフォローアップしたいと思いますけれども、もう少し問題を拡大いたしまして、明らかに中国との関係は最近の東シナ海における事件によって緊張してきておりますけれども、今回は中国の胡錦涛国家主席と会談を開かれましたけれども、22分で全ての問題が解決できるとは誰も思っていないと思うのです。日中両国はこのような根深い問題をどのように克服することができるでしょうか。
そしてまた経済安全保障という意味でこの問題の解決ができない場合に、アジア太平洋地域におけるリスクはどういうものでありましょうか。この関連に関してもう一つ伺いたいのは、中国がレアアースの輸出制限をとって日本は懸念を表明してこられましたけれども、解決できなければWTOに提訴なさいますか。
菅首相「まず尖閣諸島の地域には領土問題は存在しないというのが我が国の立場であることは何度も申し上げました。そういう意味でいろいろな国の例、他国の例をみても、それぞれの国と国が接する地域では色々な問題が今なお多く残っております。しかしそういった問題が残っているからその両国は経済的、あるいは文化的,あるいは人的交流が途絶えているかといえば、決してそうではありません。先日もインドのシン首相ともいろいろお話をしましたが、インドと中国は今大変経済的な関係を深めておりますけれども、色々な問題も残っているけれども、同時並行的に進めるべきことは進めていると、こういう国と国との関係はこれもまた多く存在しております。
日本と中国の問題も、これまでも我が国が戦後においてODAや色々な形で協力をしてきたことも、中国の発展の大きな力となったことは中国の皆さんも落ち着いた話の中ではそうした見方で感謝の言葉を述べられる方もある訳であります。そういった意味で両国間の問題は色々な問題があろうともそれを乗り越えて、しっかりした関係を結んでいくというのがまさに戦略的互恵関係のもつ大きな意味だと思っておりますので、そういう立場で日中関係の更なる発展を期していきたいと、このように思っております。レアアースに関しては,これは関係大臣が色々努力をされておりますけれども、中国側の対応,決してそれを何かの手段として使うつもりではないんだという趣旨のことも言われているようでありますので、今後の対応を見極めた上で、この問題にも冷静に対処していきたいと思っております。
」――
「国家間の関係であろうと個人間の関係であろうと、自身の主張のみで成り立つ関係と、相手の主張との兼ね合いで成り立つ関係がある」と先に書いたが、このことと同じで、国と国との関係に於いて「色々な問題」を確かに抱えているが、国際関係に於ける「我が国の立場」にしても、「我が国の立場」のみで成り立つ関係と他国の立場との兼ね合いで成り立つ関係とがある。
相手国の「立場」との関係で成り立つ「我が国の立場」の場合、相対的な関係性を強いられることになる。いわば尖閣に関しては「我が国の立場」のみで片付けることはできないはずだが、「我が国の立場」のみで片付けようと意志する一種の誤魔化しがここにある。
これは正面から向き合おうとしない一種の外交的逃避に当たる。そっとしておいて、問題が起きたときはその場その場で凌いでいくという対症療法、弥縫策で乗り切っていく考えに立っている。それを「色々な問題も残っているけれども、同時並行的に進めるべきことは進めていると、こういう国と国との関係はこれもまた多く存在しております」と言うことで面倒に蓋をしようとしている。
日中間で正面から解決しなければならない問題は尖閣問題と歴史認識、特に靖国神社への首相を含めた閣僚参拝であろう。この二つの問題の取扱いによって、戦略的互恵関係はいつでも不安定化、あるいは弱体化する。
東京新聞 竹内記者「日米関係、それから日米同盟の深化についてお尋ねします。昨日のオバマ米大統領との会談で来春の訪米を招請されまして、総理も応じる考えを示したと承知しています。来春の訪米時に仮にその同盟深化の共同声明をとりまとめるということだとすれば、現在懸案となっている普天間飛行場移設問題についてもそれまでに一定の前進が求められるのではないかと思います。同盟深化の共同声明の取り纏めに向けて、今後普天間問題も含めてどのように取り組まれていくお考えかお聞かせください。
菅首相「まず私が総理に就任するほんの少し前、5月28日に鳩山総理の下で日米合意がなされました。私はもちろんその時点でも副総理という立場で責任を分かちあう立場にあったということもありますけれども、まず私が政権を担うことになった時に多少ぎくしゃくしてきていると言われてきた日米関係をしっかりとした日米関係にまず立て直すことが必要だと、こういう立場からいくつかの努力を行いました。その中で、第一には日米同盟を日本外交の基軸に据えるというその基本方針には些かの変わりもない、また、5月28日の日米合意もそれをしっかりと踏まえて、同時に沖縄の皆様の負担軽減ということにも努力するとこういったところから、日米関係が次第に従来のような安定した形に戻って、今日に至っていると思っています。
同時に沖縄の問題について、私ももっと足を運びたいと思ったわけですけれども、まずは党内でも沖縄の仲間の皆さんとのいろいろな関係があるということで、しばらくはそういったことは党の方で対応するので、総理の行動は少しそういうものを踏まえてからにして欲しいという要請があり、また同時にいくつかの選挙,現在も知事選が行われておりますけれども、そういう選挙がありましたので、私自身が足を運ぶことは就任直後の戦争の慰霊の日に出掛けたところで、その後の動きは東京におけるいろいろな会議などを通して進めてまいりました。
今回の日米首脳会談でもそうしたことは細々とは申し上げませんでしたけれども、そういう中で今月、来週には沖縄の知事選も一つの結論を得るわけであります。そういう中で私として改めて沖縄の皆さんに私の思いをしっかりと伝えると、そういう機会を積極的に作っていきたいと、また,オバマ大統領に対しては、大変沖縄の皆さんの5月28日の日米合意に対する見方は厳しいけれども、私とはしては、全力を挙げてこの問題に取り組んでいくと、こういうことを申し上げました。
そういった意味では、かつて今からいえば14年前になりますけれども、普天間基地の危険性を除去するというところで橋本政権とクリントン米政権の時に始まったこの問題、何とか前進をさせていきたいとこのように考えております」――
言っていることが意味不明である。「5月28日の日米合意もそれをしっかりと踏まえて、同時に沖縄の皆様の負担軽減ということにも努力するとこういったところから、日米関係が次第に従来のような安定した形に戻って」いくとするなら意味は通る。
だが、「日米関係が次第に従来のような安定した形に戻って、今日に至っている」と、さも日米合意と沖縄の負担軽減をなした成果として現在の日米関係の安定があるかのように言っている。
これも誤魔化しに入る。大体が日米合意の5月28日から5ヵ月半、さらに菅内閣発足の年6月8日から5ヶ月、沖縄県に対して基地問題がどう進行したと言うのだろうか。どれ程の負担軽減を図ったと言うのだろうか。
現実には沖縄という現地に於ける問題は何ら進展していない。「私ももっと足を運びたいと思った」が、「しばらくはそういったことは党の方で対応する」という党の要望と選挙があったことを足を運ばなかった理由としている。
だが、日米合意を成し遂げる成し遂げないは自身のリーダーシップに偏にかかっているはずである。そうであるなら、「足を運びたいと思った」自身の思いを自ら実現させる積極的主体性を発揮すべきを、党がそう言うから、言うに任せる、あるいはその場の状況に従うといった他力本願、他人任せの消極性は窺うことができても、自らが行動するという指導性は些かも感じ取ることはできない。
沖縄入りだけではなく、米側と移設工法を決める期限を当初の8月末から県知事選(11月28日投開票)後に先送りしたことも、菅首相自身の指導性を反映させた推移であろう。
指導性、リーダーシップのないところに「沖縄の皆さんに私の思いをしっかりと伝える」ことも「全力を挙げてこの問題に取り組む」ことも期待できない。
ビジネス・タイムズ(シンガポール) アンソニー・ローリー記者「総理は日本の開国を公約されました。そして農業部門の再生を対価とされるということですが、この点に関し、もしかすれば非現実的な期待感を貿易相手国に、特に農業に関しては与えることになりかねないのではないでしょうか。日本の農業従事者がTPPに対して強く反対しているということがあるからです。しかし一方,農業部門を開放するということがあった場合に、日本は製造品の輸出増加ということで十分な利益を得られるでしょうか」
菅首相「現在の日本の農業は、ある部分では大変力強いものを持っております。今回のAPECでも日本の料理については大変高い評価を頂いております。そういう意味では、有機栽培の野菜や、あるいは、いろいろな見事に育ったいちごとか果物類、あるいは花なども非常に力強いそうした分野の成長があります。同時に、農業は一次産業というふうに言われておりますが、本来は農業で生まれたものをいろいろな形で加工する二次産業、そしてそれをレストラン等でみんなからある意味での喜びをもって迎えられるようなそういう三次産業、こういった形でそれらの付加価値を生産者も正当に分かち合うことができれば、あるいは、生産者自身が二次産業,三次産業にも関わるという、そういう形がとれれば、私は日本農業の再生の一つの道筋が見えてくると思っております。
同時に、現在農業に従事しておられる皆さんの平均年齢は65.8歳、約66歳になろうといたしております。なぜこういう状態が続くのか、若い人が農業をみんな嫌っているのか。私はそうではないと思うのです。つまり、農業がやりたい、あるいは、農業ならやってみてもいいと、そういう思いを持っている若い人はたくさんおられると思うわけです。しかし、残念ながら,日本では農業をやっていなければ農地を買うことができないという農地法が、その後いくつか修正されましたけれども、現在も基本的には残っております。床屋になりたい、大工さんになりたいという時にはもちろんそれなりのトレーニングが必要ですが、そうした障壁がないわけですけれども、農業に関していえば戦後の小作制度をなくす時に、また、力のある人がたくさんの土地を買い占めて大地主になって小作制度が復活する、それを防ぐためということで基本的に自作農を守るという立場で作られた農地法が、その後の時代変化の中で若い人が農業に自由に参画する、あるいはいろいろな現在でも農業法人は認められておりますけれども、一般法人が農業に乗り出すといったことにかなり制約になっております。そういった意味で私は若い人がそれこそベンチャー企業のような起業家精神を持った人が日本の優れた農業の技術をしっかりと持って、そして先程申し上げたように時に第二次、第三次産業を含めた形で展望して先導してもらえる形をとれれば、日本の農業の再生は可能だと考えております。
もちろん改革にはいろいろな痛みを伴う場面もありますけれども、まず農業改革の方から具体的な作業を始めたいということで、既に農業の改革本部も早急に立ち上げられるように鹿野農林大臣,あるいは玄葉担当大臣に指示をしているところであります。なんとしてもこの農業の改革と活性化のため、そして日本の貿易やあるいは『ヒト・モノ・カネ』の動きをもっともっと自由にしていく「開国」を両立させるため、内閣一丸となってその道に向かってがんばりたいと、こう考えております」(以上)――
一次産業である農業を二次産業、三次産業として利用するとしている発言にはファミリーレストラン等が安価なサービスを提供するために安価な輸入品で対応するといった視点が抜け落ちている。料理は豊富にして多彩な調味料に助けられて簡単においしい味に仕上げることが可能な時代となっていることが原材料のより安価な肉や野菜等の購入の方向に一層向かわせる可能性が生じ、輸入農産品が全体的趨勢を占めない保証はない。
この趨勢が菅首相が言っている農業規制の緩和の効用を薄めない保証もない。
また、この発言は2009年11日日曜日の朝日テレビの『サンデープロジェクト』で当時副総理であった菅首相の発言から殆んどと言っていい程一歩も出ていない。
菅副総理「最大の問題は農業・林業。漁業も若干あるが、そういう転職と農業や林業への就労の支援をプログラムでやっています。レストランをつくる。そのレストランに供給する農業をつくる。そこにまた研修の人を入れて、大変だけど、レストランが7、8軒あって、そこに供給する」
どちらの発言にしても、少なくとも「農業の再生」のグランドデザインとはなっていないと言うことである。個別・具体的効用を述べているに過ぎない。
もしTPPに参加するなら、政府の農業に対する戸別保障制度といった財政支援のみでは財源に制限があるだろうから、TPP参加によって利益を得る工業からその利益の一部を農業にまわして、農業の補助に向けるいった方策を取ることが必要ではないだろうか。
先進国は自国を豊かにするという国益追及の責任を負う。国益追求の成果を通した自国国民のより豊かな生活の追及であり、そのことを最終目的とする。
だが、その一方で貧しい国をより豊かにするという国際的な責任をも負う。国際的責任を通して貧しい国の国民の生活をより豊かにすることに貢献する責任と義務を負うはずである。
先進国から発展途上国、あるいは貧困国に向けた国際間のこの恩恵付与の責任力学は国内的にも政策の恩恵を受ける側から同じ政策によって不利益を受ける側への恩恵の一部を振り分ける責任力学として対応させてもいいはずである。
以上見てきたように菅首相の発言のどの場面を見ても、力強いリーダーシップ、強い決意を窺うことのできない誤魔化しばかりの記者会見に思えた。
朝7時(2010年11月14日)のNHKニュースを見ていたなら、日ロ首脳会談を取り上げていた。国会で野党から中国、ロシアとの首脳会談が実現した場合、中国に対しては尖閣諸島が、ロシアに対しては北方四島がそれぞれに日本固有の領土だと主張するのかと問い詰められて、最初は主張するとははっきりと明言しなかったが、しつこく追及されると、最後には主張するのは当然のことだと如くのことを言っていたから、どう持ち出すのか興味を持っていた。
主張するのかどうかの野党からの追及は菅首相の特に領土問題に関わる外交姿勢が信用されていないことの証明でもある。信用されない姿を自らつくってしまった。
ニュースは菅首相がロシアのメドベージェフ大統領に「国民感情からも受け入れられない」といったことを主張したことに対して、「私が自らロシア領土への訪問を決定した」とするメドベージェフ大統領の発言を伝えていた。
このメドベージェフ大統領の主張に対して菅首相はどう反論したのか、ニュースは何も伝えなかった。反論したが、ニュースが伝えなかったのか、反論しなかったから、伝えようがなかったのかは分からない。
NHKのWEBサイトにアクセスして記事を探した。《中ロと平行線 菅外交試練続く》(NHK/10年11月14日 5時14分)
記事は最初にたった20分か何がしかの日中首脳会談を取り上げて、両首脳が両国の利益を拡大する「戦略的互恵関係」は重要だという認識で一致したということを書き、その上で菅総首相が、〈中国漁船による衝突事件が起きた尖閣諸島について「日本固有の領土であり、東シナ海に領土問題は存在しない」という日本の立場を伝えた〉のに対して、〈胡錦涛国家主席からも、尖閣諸島をめぐる中国側の立場が表明され、議論は平行線に終わ〉ったと会談の内情を明かしている。
次の日ロ首脳会談でも菅首相は北方領土は日本固有の領土であると取り上げたとしている。
菅首相「大統領の北方領土訪問は、国民感情からも受け入れられない」
メドベージェフ大統領「私が自らロシア領土への訪問を決定した」
メドベージェフ大統領は菅首相の、北方領土は日本固有の領土とする主張と「大統領の北方領土訪問は、国民感情からも受け入れられない」に対して、「私が自らロシア領土への訪問を決定した」と反論した。当然その反論に対して菅首相の反論はあって然るべきだが、ニュースも記事も何ら触れていない。
記事は平行線で終わったこととしているが、メドベージェフ大統領は菅首相の主張を受けて、「私が自らロシア領土への訪問を決定した」と発言することで、北方四島はロシア領土だと断言した。ここで何ら反論しなかった場合、メドベージェフ大統領の「私が自らロシア領土への訪問を決定した」とする主張が最終結論と看做され、菅首相の最初の北方領土は日本固有の領土の主張も、「大統領の北方領土訪問は、国民感情からも受け入れられない」の主張も無力化することになる。
なぜなら、メドベージェフ大統領の「私が自らロシア領土への訪問を決定した」とする主張に対して菅首相は黙したことになるからだ。相手の主張に対して黙した場合、相手の主張を認めたと看做されるはずだ。
ここは譲って記事どおりに平行線を辿ったことにしたとしても、何ら反論しないままの平行線ということなら、双方の主張を並立させることになるから、くどいようだが、日本は北方領土は日本固有の領土であるを、ロシアはロシア領土であるを譲らないことになって、現状維持の容認となる。
だが、返還されないままの状況が続くという現状維持なる姿は日本にとっては決して認めることはできないはずだ。
つまり、菅首相は平行線に終わることは許されない立場で会談に臨まなければならなかったし、臨むべきであった。だが、何ら反論しなかったということなら、現在ある現状維持をなおのこと現状維持に任せたことになる。
尖閣諸島の場合も同じであろう。菅首相が「日本固有の領土であり、東シナ海に領土問題は存在しない」としたのに対して、胡錦涛主席は中国側の立場を表明した、いわば「釣魚諸島は中国固有の領土である」を表明して、記事は平行線に終わることになったとしているが、このことはそのままこれまでと同様に現状維持を容認したと言うことであろう。
尖閣諸島の場合は日本が実効支配しているからいいものの、中国との間で尖閣諸島を挟んだ外交問題を引きずることになる。
問題はやはり胡錦涛主席が菅首相の主張を受けて中国側の立場を表明したとき、菅首相がどう反論したかである。菅首相が最初に言い出して、相手の言い分に何ら反論できずに黙ってしまったなら、菅首相自身は自分ではそうではないと思っていたとしても、相手の言い分を認めたことになる。少なくとも心理的にはそういった構図を取る。
日ロ外相会談でも同じことが言える。《日ロ外相会談 日本の立場主張》(NHK/2010年11月13日 19時43分)
記事冒頭。〈さきにメドベージェフ大統領が訪問した北方領土は日本固有の領土だという日本の立場を重ねて主張したうえで、外相同士の信頼関係を深めながら、双方が受け入れ可能な解決策を探っていくことで一致〉したと書いている。
平行線を辿る現状容認を続ける限り、「双方が受け入れ可能な解決策」は幻想と化す。
先ずは信頼関係を確認し合った上で、〈前原外務大臣は、さきにロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪れたことについて、日本の国民感情を傷つけたなどとしたうえで、北方領土は日本固有の領土であるという日本側の基本的な立場を強調しました。〉
〈ラブロフ外相は、大統領の訪問は国内問題だなどとして、ロシア側の原則的な立場を示し、北方領土をめぐる双方の意見はかみ合いませんでした。〉――
ラブロフ外相は「国内問題」、いわば北方四島はロシア領土だと位置づけた。あるいはロシアの主権の及ぶ範囲だとした。これは単に〈双方の意見はかみ合いませんでした。〉とすることができる問題ではないはずである。
そうすることが日ロ首脳会談同様にそのまま平行線――即ち現状維持とすることになるからだ。
前原外相はラブロフ外相が大統領の訪問は国内問題だとしたとき、何か反論したのだろうか。双方が原則を述べ合ったところで終わりにしたのだろうか。
菅首相と前原外相がロシア側の主張にどう反論したのか、野党は追及すべきだろう。反論したかしなかったで、領土問題に対する姿勢、決意を推し量ることができるはずである。
Tweet
今朝のtweet――
《ビデオ流出「検察からでなくて心配消えた」 柳田法相》
法務省所管の検察からの流出なら、自分に責任が及ぶ。でなくてよかったと言うこと。これを自己保身の思想と言う。流出は検察以外からなら構わないということになる。これを無責任の思想と言う。
G20(主要20カ国・地域)首脳会議最終日の12日午後(2010年11月)、会議場の広いステージで各国首脳の記念撮影が行われた。我が日本の菅首相は自身に対する国際的・国内的評価を踏まえた自らの居場所を心得ていたのか、中心からは程遠い前列から2列目、左端から3番目の立ち位置。
こうも無防備にたわいもなくニコニコ笑えるものかと感心するぐらいの最大限のニコニコ笑いを浮かべていた。解決困難な個別・具体的な外交交渉の場に臨んでいるわけではなくても、自国国益追求の先頭に立つ司令官としてそのことを頭の中、腹の中に常に置いていなければならない立場にあるだけではなく、自国経済が厳しい状況に立たされている中での立ち位置でもある、いくら記念撮影だからといっても、首脳の多くが儀礼的な笑顔を見せている中で、儀礼を通り越してたわいもなく満面のニコニコ笑いを浮かべることができる。その緊張感のなさ、緩むに任せた表情は合理的判断能力の欠如の反映としてある神経の緩みとしか見えなかった。
今日13日(2010年11月)からAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議が幕を開くと言うのに、領土問題を抱える中ロのうち、ロシアのメドベージェフ大統領とは同じ今日13日に菅首相との会談が行われることが決定しているが、肝心の中国の胡錦涛主席との会談はこの期に及んでも決まっていない。
最後最後まで決まらないのは分かっていた。
11月8日(2010年)のtweet――
中国、胡主席の訪日を発表。首脳会談は未定。中国は会談する気があっても、最後の最後まで決定を延ばす。日本に依頼するだけ依頼させて、最後の最後になって恩を着せる形で日本の会談要請を受ける。それが正式の会談か立ち話かは中国のそのときの都合。これまでの温家宝と同じ遣り方を取るに違いない。 4:37 PM Nov 8th webから
常に日本は会談を要請する側。中国は常に要請を受ける側。菅内閣は首脳会談開催に於ける力関係をそういう形式にしてしまった。このことを菅首相は記者会見での自身の言葉で証明している。
菅首相「二国間の会談ができるかどうか、これは基本的には中国側で判断されることと、こう理解しています」(asahi.com)
中国側の判断次第とは日本には自律的決定権はないことを意味する。中国の決定に従属する立場に日本を置いているということであろう。このような力関係は尖閣沖での中国漁船衝突事件は例え意識していなくても、中国が悪いのではなく、日本が悪いとする逆転の構図を描くことになる。
菅首相は12日、G20首脳会議で訪れていた韓国・ソウルでメドベージェフ大統領との会見の心構えを記者会見で述べている。《「胡主席とひと言二言、声を交わした」12日の菅首相》(asahi.com/2010年11月12日20時30分)
題名は日本がG20首脳会議の場で日中首脳会談開催を打診しながら、実現できず、顔を合わせた機会に、「まぁ、本当にいろんな人が、20人の首脳が同席しているわけですから、いろんな機会にそれこそグッドイブニングから始まって、ハワイユーから始まってですね、いろんなことは、ひと言二言ということが多いんですけども。今回はちょうど席から私が立ち上がって振り向いたらそこをちょうど通っておられて、やあやあと言ってですね、まぁ、私のほうから、また横浜に行きますというか、横浜でまたお会いしたいですねと。そのくらいで終わりました」程度の一言二言会話を交わしただけと言っていることからつけた意味となっている。
一言二言で終わったことに会談に向けた自身の力量を問われると思ったのか、「いろんな機会にそれこそグッドイブニングから始まって、ハワイユーから始まってですね、いろんなことは、ひと言二言ということが多いんですけども」と弁解から入っている。弁解で以って胡錦涛主席との会話が一言二言で終わったことを正当化した。
一国の首相として、弁解で正当化するような毅然とした態度とは正反対の姿勢しか示せないものかと思うが、菅首相は知らず知らずのうちにこの場面でも日本が要請する側であり、中国が要請を受ける側とする関係に持っていっている。
そうであるばかりか、10月4日のベルギー・ブリュッセルのASEM(アジア・ヨーロッパ首脳会議)終了後の温家宝首相との25分の交談、10月30日のベトナムの東アジアサミットでの同じ温家宝首相との15分の「寒暄」(時候のあいさつ)から何ら学習しなかったようだ。
首脳会談と言う点では議論を尽くす時間を十分に設けた正式の会談でなければ殆んど意味がないということを学習していたなら、「グッドイブニングから始まって、ハワイユーから始まってですね、いろんなことは、ひと言二言ということが多いんですけども」といった弁解は口を突いて出ることはなかったろう。
学習していなかったために、正式な会談をセットできなかったことから諦め悪く胡錦涛主席と顔を合わせる機会を伺っていて、都合よく顔を和せることができたから、「やあやあと言ってですね」近づいたものの、言葉を交わす25分の機会も15分の機会も与えられずに、いわばフラれた。
ここからは一国の首相としての毅然とした主体性を窺うことはできない。
もう一方の領土問題を抱えたロシア大統領との正式に決まった会談について。
記者「日ロ関係について。大畠経産大臣が日ロ投資フォーラムで予定されていた経済協力の覚書の締結を見送って、それがメドベージェフ大統領の北方領土訪問に対する抗議であると明らかにしているが、これに対する受け止めとこれが日ロ首脳会談にどのような影響をあたえると見られているか?」
菅首相「その話はいま聞いたところで、まだちゃんと本人から確認をしておりません。いずれにしても、日ソ、日ソじゃないですね、日ロの首脳会談が行われるとすれば、しっかりとですね、日本の基本的な立場をしっかり伝えて、まだ今回2度目ですし、本当はもっとですね、本格的な日ロ間の色々な懸案事項も含めて、全体の戦略を持ってですね、この領土問題にあたる、そういうことをこの間も頭の中では考えたんですが、残念ながらこの5カ月の日程の中では、2度目の会談が、行われるとしてもこの時期になりました。まずは言うべきことを言った上で、そうした本当に戦略的な意味を持つ会談をさらにしっかりやりましょうという、その次につながる領土問題の本格的な議論につながるような会談にできればいいなぁと、こう思っています」
「まずは言うべきことを言った上で」とは、メドベージェフ大統領に「北方四島は日本固有の領土である」と言うということなのは誰の目にも明らかである。
当然、「その次につながる領土問題の本格的な議論につながるような会談」とは、北方四島の日本返還、日本帰属を交渉する会談のことを言うはずである。
だが、日本の首相として強い意志で以て、そのような会談が開催できるよう働きかけていくと、そのことを自身の使命とするのではなく、「つながるような会談にできればいいなぁ」と一種の希望的観測で終わらせている。
意志薄弱とも言えるこの使命感の希薄さ、ロシアと向き合って自身に担わされている立場上の責任とその責任に対する自覚の双方共に対する欠如はそのまま日本の首相としての資質の欠落を指摘していないだろうか。
11月9日の当ブログ《菅民主党政権は北方四島のロシア領土化にサジを投げている?》の推測が当たらずとも遠からじと言えるかもしれない。
菅首相が13日の露大統領との会談で、「言うべきことを言う」としている「北方四島は日本固有の領土である」程度の発言は少し時間をかけて訓練したオウムでも言えることである。
ロシアによる北方四島のロシア領土化を阻止する言葉とならないなら、「北方四島は日本固有の領土である」はオウムが言った程の価値もなくなる。
もし内心では北方四島のロシア領土化を前提としたロ大統領との会談での「北方四島は日本固有の領土である」の発言であったなら、単に 「言うべきことを言った」とする実績作りの形式的発言で終わる。
もはや取り返しのつかない場所に流されているのではないだろうか。
大畠経産相が経済協力覚書締結を見送ったという報道は《日ロ経済協力の覚書見送り 北方領土訪問に抗議》(47NEWS/2010/11/12 13:24【共同通信】)が昨12日の衆院経済産業委員会で経産相が明らかにしたと伝えている。
大畠経産相「北方領土問題は大変重要な問題だ。大統領の行動は日本人の(領土への)思い、心を踏みにじる行為」
そのようにロ大統領の国後島訪問を激しく抗議したということは、その報復として、少なくとも対抗措置として締結見送ったということであろう。
記事は、〈覚書の締結は、都内で同日開いた「日露投資フォーラム」で予定していた。覚書は、経済産業省とロシア経済発展省の間で、これまでに取り組んできた経済協力の継続や貿易投資の促進などを確認する内容。〉と解説している。
経産相が覚書締結見送りの理由をメドベージェフ大統領の国後島訪問への報復か対抗措置とした。このような重大な決定を菅首相は「その話はいま聞いたところで、まだちゃんと本人から確認をしておりません」と言っている。
もし事実だとしたら、内閣一体で連携プレーがあって然るべき決定に反して、菅首相の関与外で決定した国家主権回復を意図した一大臣の独断による、あるいは菅首相のみを外した、その決定を必要としない措置ということになる。菅首相の指導力はもはや要らないこととしていることを意味することにもなる。
このような経緯から見える光景は内閣ががたついている姿のみであろう。
あるいは菅首相も承知の締結見送りであるかもしれない。だが、ロ大統領国後島訪問に対するこの抗議はメドベージェフ大統領が計画していると言われている国後島訪問に続いた色丹島訪問を阻止する力とはなっても、果たして着々と進んでいるロシアによる北方四島領土化を阻止する強力な力となり得るだろうか。
多分、ロシアは大統領の色丹島訪問を見合わせることによって、経済協力覚書締結をクリアするに違いない。だが、色丹島訪問を見合わせる裏ではロシアによる北方四島領土化を着々と進めていくことは、いくら合理的判断能力に欠けていたとしても菅首相の目にも明らかに違いない。
果してロ大統領に向ける「北方四島は日本固有の領土である」をオウム以上の発言とすることができるのだろうか。
民主党の一大詭弁家枝野幹事長代理が11月6日(2010年)午前のBSテレビ番組で次のように発言している。
枝野幹事長代理「いくつかあるカードの一つは使えなくなった。向こう(中国)が公開されたくないものを公開しない方が有利な立場にある」(MSN産経)
実際には「カード」になどなっていないことを当ブログ《詭弁家枝野の尖閣ビデオ流出を「外交カードを失った」は非公開の薄汚い正当化に過ぎない》で書いた。
例え有効なカードとはなっていなくても、枝野代理が言っていることを裏返すと、菅政府はビデオを対中外交カードの一つとしていたということになる。それがネット流出して、「いくつかあるカードの一つは使えなくなった」――
いわば一部議員限定で7分前後に短縮編集したビデオのみを公開、マスコミへの情報流出を避け、そうすることで国民に対しては「開かれた政府」を演じてまでして全面公開を避けたのは対中外交カードの一つとし温存しておくためであった。
それがこともあろうか、下部組織の国家公務員によって意図的にインターネットに流出させられ、外交カードとしての意義を失うことになった。
枝野発言はこういった経緯を受けた発言であるはずである。
当然、ビデオの守秘管理に対する指示と指示が指示通りに実行されているかの監督の責任は本質的には菅政府にあることになる。海上保安庁が対中外交カードとしていたわけではあるまい。菅政府がカードとしていたのである。検察、海上保安庁は政府の指示を受けて守秘管理の実務を行う側であり、当然、実務責任は負う。
ネットに流出させたのが海上保安庁の職員であったとすると、海上保安庁は守秘管理の実務責任を守れなかったことの責任を負うが、海上保安庁の守秘管理の実務を管理・監督できなかった責任だけではなく、対中外交カードの一つを失った失態の責任は併せて政府が負うはずである。
このことを裏返すと、海上保安庁は職員によるビデオネット流出という事態を受けたのみであるが、政府は流出という事態と同時にさらに対中外交カード喪失という事態を受けた。結果としてこの対中外交カード喪失は政府にのみ降りかかる問題であり、そうである以上、政府が責任を負わなければならないことになる。
だが、実際はそうなっていない。《中国漁船・尖閣領海内接触:ビデオ流出 仙谷長官「海保長官重い責任」》(毎日jp2010年11月11日)
一昨日11日(2010年11月)の記者会見――
仙谷官房長官「強制力を持った執行部門は、政治からの影響力を排除する相対的な独立性がある。独立性、自立性に応じた責任は当然出てくる。強い権限がある代わりに強く重い責任を負う」
「強制力を持った執行部門」とは海上保安庁のことで、鈴木久泰海上保安庁長官の責任に言及した発言だと記事は伝えている。
海上保安庁を所管する馬淵澄夫国交相の責任については――
仙谷官房長官「政治職と執行職のトップは責任のあり方が違う」
馬淵国交相には責任はないとしている。
枝野発言からすると菅内閣がビデオを対中外交カードとし、そうである以上、政府が指示したビデオの守秘管理のはずだから、ビデオの守秘管理に関しては政府と検察(もビデオを所持していた)、海上保安庁は一体であったはずである。当然、一体である以上、それぞれの立場に応分の管理監督の責任を負う。
だが、仙谷官房長官は「政治からの影響力を排除する相対的な独立性がある」として、政府と海上保安庁をビデオの守秘管理について一体であることから分けている。
もし「政治からの影響力を排除する相対的な独立性がある」とする発言に正当性を与えるとするなら、政府がビデオを対中外交カードしていた点についてのみ、「政治からの影響力を排除する」立場に海上保安庁は位置していることとすることができ、その「相対的な独立性」を言わなければならなくなる。
既に触れたようにビデオを対中外交カードの一つとしていたのは政府であって、海上保安庁ではないからだ。ビデオの守秘管理を指示する場合でも、対中外交カードとしていること自体、例えマスコミや国民が推測することがあっても、機密事項としていなければならないはずだから「対中外交カードとしているから、しっかり管理して欲しい」とは言えなかったはずである。
マスコミ・国民が推測していたなら、海上保安庁の職員もそうだろうと推測した守秘管理意識に立ってビデオを管理するだろうが、ビデオの流出が生じたとしても、対中外交カード喪失の責任は海上保安庁に発生するわけではなく、偏に政府が負うべき責任であろう。
上記毎日jp記事はこの件に関する菅首相の10日の衆院予算委員会出の発言を伝えている。
菅首相「流出させたのが公務員だった場合は、最終的な責任は私にも当然あろうと思う。直接的には、監督する立場にあるそれぞれの部局にそれなりの責任がある」
菅首相のこれまでの口先だけの有言実行感覚からすると、責任を負うつもりもなく、体裁上言ったに過ぎない「責任」に違いない。このことは「直接的には」として、自身を「直接」から外していることでも分かる。
菅首相はビデオを流出させた責任だけを言っている。ビデオ流出によって対中外交カードを失った責任については隠している。最終的に一国の外交を指揮するのはその国の政府のトップである。責任についてもこのことに対応することになる。
枝野がビデオを対中外交カードの一つとしていたと言っている以上、ビデオ流出によって枝野が言うように「いくつかあるカードの一つは使えなくなった」ということなら、その責任は「直接的には、監督する立場にある」首相が負うことになる。
毅然とした態度を取ることができなかった領土問題での対応と言い、ビデオ流出による対中外交カードの喪失と言い、これは辞任ものの責任でなければならないはずだ。