枝野が言うようにビデオを対中外交カードとしていたなら、その流出責任は政府にある

2010-11-12 08:29:15 | Weblog

 民主党の一大詭弁家枝野幹事長代理が11月6日(2010年)午前のBSテレビ番組で次のように発言している。
 
 枝野幹事長代理「いくつかあるカードの一つは使えなくなった。向こう(中国)が公開されたくないものを公開しない方が有利な立場にある」(MSN産経

 実際には「カード」になどなっていないことを当ブログ《詭弁家枝野の尖閣ビデオ流出を「外交カードを失った」は非公開の薄汚い正当化に過ぎない》で書いた。

 例え有効なカードとはなっていなくても、枝野代理が言っていることを裏返すと、菅政府はビデオを対中外交カードの一つとしていたということになる。それがネット流出して、「いくつかあるカードの一つは使えなくなった」――

 いわば一部議員限定で7分前後に短縮編集したビデオのみを公開、マスコミへの情報流出を避け、そうすることで国民に対しては「開かれた政府」を演じてまでして全面公開を避けたのは対中外交カードの一つとし温存しておくためであった。

 それがこともあろうか、下部組織の国家公務員によって意図的にインターネットに流出させられ、外交カードとしての意義を失うことになった。

 枝野発言はこういった経緯を受けた発言であるはずである。

 当然、ビデオの守秘管理に対する指示と指示が指示通りに実行されているかの監督の責任は本質的には菅政府にあることになる。海上保安庁が対中外交カードとしていたわけではあるまい。菅政府がカードとしていたのである。検察、海上保安庁は政府の指示を受けて守秘管理の実務を行う側であり、当然、実務責任は負う。

 ネットに流出させたのが海上保安庁の職員であったとすると、海上保安庁は守秘管理の実務責任を守れなかったことの責任を負うが、海上保安庁の守秘管理の実務を管理・監督できなかった責任だけではなく、対中外交カードの一つを失った失態の責任は併せて政府が負うはずである。

 このことを裏返すと、海上保安庁は職員によるビデオネット流出という事態を受けたのみであるが、政府は流出という事態と同時にさらに対中外交カード喪失という事態を受けた。結果としてこの対中外交カード喪失は政府にのみ降りかかる問題であり、そうである以上、政府が責任を負わなければならないことになる。

 だが、実際はそうなっていない。《中国漁船・尖閣領海内接触:ビデオ流出 仙谷長官「海保長官重い責任」》毎日jp2010年11月11日)

 一昨日11日(2010年11月)の記者会見――

 仙谷官房長官「強制力を持った執行部門は、政治からの影響力を排除する相対的な独立性がある。独立性、自立性に応じた責任は当然出てくる。強い権限がある代わりに強く重い責任を負う」

 「強制力を持った執行部門」とは海上保安庁のことで、鈴木久泰海上保安庁長官の責任に言及した発言だと記事は伝えている。
 
 海上保安庁を所管する馬淵澄夫国交相の責任については――

 仙谷官房長官「政治職と執行職のトップは責任のあり方が違う」

 馬淵国交相には責任はないとしている。

 枝野発言からすると菅内閣がビデオを対中外交カードとし、そうである以上、政府が指示したビデオの守秘管理のはずだから、ビデオの守秘管理に関しては政府と検察(もビデオを所持していた)、海上保安庁は一体であったはずである。当然、一体である以上、それぞれの立場に応分の管理監督の責任を負う。

 だが、仙谷官房長官は「政治からの影響力を排除する相対的な独立性がある」として、政府と海上保安庁をビデオの守秘管理について一体であることから分けている。

 もし「政治からの影響力を排除する相対的な独立性がある」とする発言に正当性を与えるとするなら、政府がビデオを対中外交カードしていた点についてのみ、「政治からの影響力を排除する」立場に海上保安庁は位置していることとすることができ、その「相対的な独立性」を言わなければならなくなる。

 既に触れたようにビデオを対中外交カードの一つとしていたのは政府であって、海上保安庁ではないからだ。ビデオの守秘管理を指示する場合でも、対中外交カードとしていること自体、例えマスコミや国民が推測することがあっても、機密事項としていなければならないはずだから「対中外交カードとしているから、しっかり管理して欲しい」とは言えなかったはずである。

 マスコミ・国民が推測していたなら、海上保安庁の職員もそうだろうと推測した守秘管理意識に立ってビデオを管理するだろうが、ビデオの流出が生じたとしても、対中外交カード喪失の責任は海上保安庁に発生するわけではなく、偏に政府が負うべき責任であろう。

 上記毎日jp記事はこの件に関する菅首相の10日の衆院予算委員会出の発言を伝えている。

 菅首相「流出させたのが公務員だった場合は、最終的な責任は私にも当然あろうと思う。直接的には、監督する立場にあるそれぞれの部局にそれなりの責任がある」

 菅首相のこれまでの口先だけの有言実行感覚からすると、責任を負うつもりもなく、体裁上言ったに過ぎない「責任」に違いない。このことは「直接的には」として、自身を「直接」から外していることでも分かる。

 菅首相はビデオを流出させた責任だけを言っている。ビデオ流出によって対中外交カードを失った責任については隠している。最終的に一国の外交を指揮するのはその国の政府のトップである。責任についてもこのことに対応することになる。

 枝野がビデオを対中外交カードの一つとしていたと言っている以上、ビデオ流出によって枝野が言うように「いくつかあるカードの一つは使えなくなった」ということなら、その責任は「直接的には、監督する立場にある」首相が負うことになる。

 毅然とした態度を取ることができなかった領土問題での対応と言い、ビデオ流出による対中外交カードの喪失と言い、これは辞任ものの責任でなければならないはずだ。

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