菅首相の自らの外交政策に対する自己弁護な評価 「歴史に耐える対応」

2010-11-11 09:37:30 | Weblog

 昨10日(2010年11月)午前の衆院予算委員会。自民党の岩屋毅議員の質問と菅首相の相変わらず、おー。エーを入れなければ次の言葉につなげることができない歯切れの悪い、明晰とは程遠い答弁。これは頭脳不明晰からきている、それを反映させた答弁の質であろう。

 岩谷議員が国民が民主党の外交と安全保障政策を心配している。それが支持率低下につながっている。ここ1年余の民主党外交を振り返って、忸怩足る思いはないか、反省はないかと菅首相の思いを質す。

 菅首相「政権交代の意義を、おー、認められた中で、エー、特にこの1年間の外交、オー、の、オー、点についての、おー、ご指摘をいただきました。私は、今の岩屋、・・・さんの、お話、え、全面的に否定するつもりはありません。

 確かに、私が引き継いだ段階、勿論、副総理として内閣におりましたけれども、おー、特に、イー、普天間の問題に端を発した日米関係の、エ、やや不安定な状況、と言うのは、私も、政権を受け継いだときに、先ず、ウー、この点はしっかりしなければならない、という一番に考えたことであります。

 シー、6月に、イー、政権を引き継いで、6月末に、エ、トロントで、オバマ大統領と、おー、初めての、おー、首脳会談をやった、中で、エー、5月28日の、おー、日米・・・合意を、踏まえて、エー、やっていくと、日米同盟、エ、は、ア、まさに日米外交の機軸であるという、ま、元々、その方針で、いたわけでありますけれども、それを改めて、しっかりと、確認をすることをさせていただきました。

 その後、2度目の会談等も含めて、私は、先ず日米関係に関して、申し上げれば、シー、一時期、若干の不安定さはあったと思いますけれども、今日に於いては、アー、しっかりとした、信頼関係、同盟関係があー・・・、回復したと同時に未来に向かって、エー、この同盟進化と言うことで、エー、話し合いが進む段階にきていると、思っております。

 シー、その上で、エー、中国との関係、ロシアとの関係のご指摘もいただきました。ま、この尖閣の問題、まだ、半ば渦中でありますけれども、先程、海上保安庁の長官の、おー、答弁も伺いました。シー、エー、エー、追い返していたと、エー、いうこと、ヲー、であったわけでありますが、シ、今回の、おー、中国、漁船が、シー、エー・・・、衝突をしてきたという、うー、ぶつかってきたという、中で、エ、色々な対応があったわけであります。

 エー、確かに、イー、・・・・イ、この問題について、エー、対応について、エ、100点満点とは申し上げません。しかしこの問題は、あー、少なくとも、もう何年か経ったあとに、是非検証してみていただきたいと、思いますけれども、そうした中で、エー、冷静に、イー、対処したと、いうことで、私は、アー、歴史に耐える、対応を現在もいたしていると、このように思っております。
 
 エー、ま、まだ、色々ありますけれども、今申し上げたように、エー、すべては否定するつもりはありませんけれども、しかし、日米関係を軸にして、エ、あるいは、あー、ASEANとの関係も、前に進んでおりますので、エー、私は、十分にエ、これからの、日本外交、しっかりと進めることができると、このように考えております」

 この後岩谷議員から、外交の失敗は国の命運につながるから、しっかりと外交を進めて欲しいと激励だか叱咤だか分からない要請を受けて、岩谷議員は尖閣問題の質問に移っていく。

 激励だろうと叱咤だろうと、それを受けることは首相のリーダーシップの質の問題となって撥ね返る。

 最初に菅首相は「政権交代の意義を認められた」と言っているが、岩屋議員は、万年与党、万年野党の政治では政治が進化しない、政権交代が日本の政治にとって政治進化の貴重な経験となると思ったが、貴重な経験を通り越して大失敗で終わるかもしれないといったことを言って、政権交代というキーワード自体は認めはしたが、政権交代の対象としての民主党政権を認めたわけではない。大失敗で終わるかもしれないと政権交代に危機感すら見せたのである。

 これは岩谷議員一人の評価ではなく、多くの議員、多くの国民も共有した菅内閣に対する評価であるのは既に世論調査に現れている。

 それを「政権交代の意義を認められた」と民主党内閣の意義に代えて言うことができるノー天気な神経。ノー天気な判断そのものが既に合理性を失っている。

 その上で、岩谷議員の鳩山・菅内閣の特に外交政策、安全保障政策に対する否定的な指摘に対して菅首相は、「全面的に否定するつもりはありません」と、その指摘の正当性を部分的に肯定している。

 だが、日米関係では岩谷議員の不安視に対して、一時期、若干の不安定さはあったが、信頼関係、同盟関係は回復したと同時に未来に向かって同盟進化に関する話し合いが進む段階にきていると肯定的状況を説明して、自信さえ見せている。

 この最初に「否定するつもりはありませんけれど」の部分的肯定を持ってきて、後から全面否定して自己正当化の全面肯定に持っていく答弁方法は菅首相や仙谷官房長官がよく使うパターンだが、一旦は肯定しているのだから、いくら後から全面否定しても論理的に矛盾することになるのだが、自己都合からそのことに気づかない独善は如何ともし難い。

 「普天間の問題に端を発した日米関係のやや不安定な状況」を言いながらの、この自信である。普天間の辺野古移設は予断を許さない厳しい状況にある。沖縄県民の半数以上が県内辺野古移設を反対している上に28日(2010年11月)投開票の沖縄知事選で県内移設反対強硬派の知事が当選した場合、現在でも不透明な先行きが全く不透明化する。

 例え同じく県内移設反対を掲げている現知事が当選して元々の姿勢である辺野古容認に動いたとしても、反対派が大勢を占めている県民には変節と受け止められて激しい反対運動が起きる可能性は否定できない。

 尚且つ辺野古移設を有利に展開するために菅内閣の日米合意遂行を体現する自前の県知事候補さえ立てることができかった他力本願な、何ら指導力を発揮できなかった状況をさえ抱えている。

 言ってみれば、現在のところ移転の成果次第ではどうとでも変わる薄氷の上に日米関係、信頼関係が乗っかっている不安定状況にありながら、その認識もなく、自身の対米外交を全面的に肯定している。

 こういった眼前に横たわっている困難な状況を的確に把握できない近視眼的な判断能力自体が既に菅首相の政治能力に判定を下している。当然、外交政策など満足にできようがない。

 さらに中国漁船の対応に関して、「100点満点とは申し上げません」と、野党の批判に対して部分的に問題があったと例の如く部分肯定しながら、「もう何年か経ったあとに、是非検証してみていただきたい」と批判に対する何年か後の全面否定を策すことも論理矛盾そのものとなっている。

 このことは第三者の評価・判断を全面的に否定することでもある。合理的認識能力に欠ける菅首相ならいざ知らず、普通の人間の普通の判断・評価をも否定して自身のみの判断・評価を正しいとする論理矛盾は牽強付会そのものに当たる。

 この牽強付会を帯びた論理矛盾は次の言葉で最悪となる。 

 「冷静に対処した歴史に耐える対応を現在もいたしている」

 「100点満点とは申し上げません」と批判を部分肯定しながら、「冷静に対処した歴史に耐える対応」を「現在もいたしている」と、当初から現在に至るまで尖閣諸島事件処理に関しても対中外交に於いても「歴史に耐える対応」をしてきたと批判を全面否定している。

 野党の批判を全面否定することによる自身の外交政策の全面肯定でもある。

 一体誰が信じるだろうか。

 漁船事件後、二度の機会がありながら、温家宝中国首相と満足な会談に漕ぎつけることができない日中関係のギクシャクした関係、世界から領土問題で毅然とした態度を取れなかったと見られている優柔な外交、このことがロシア大統領の国後島訪問につがなっている可能性等を考慮に入れることもできずに「冷静に対処した歴史に耐える対応を現在もいたしている」と「100点満点」の自己評価をつけている。

 これは歴史に評価を委ねると言っているのとは違う。「現在もいたしている」としているのだから、常に「歴史に耐える対応」をしてきたと自身の外交に全幅の信頼と評価を与えていることになる。

 その評価を否定する主張に対しては、「もう何年か経ったあとに、是非検証してみていただきたい」と、「何年か経ったあとに」成果が証明されるとしている。決して後世の歴史に委ねるとして歴史の評価に逃避しているわけではない。

 だが、政治状況はそのときどきの国民の評価によって刻々と変化を見せる。場合によっては「もう何年か経ったあと」といった時間幅で待ってくれないこともある。

 例えば公明党は当初菅内閣の補正予算案に賛成の意向だったが、内閣支持率の急落、尖閣、北方四島の領土問題に対する対応等を見て、反対に回ることに今日11日の中央幹事会で正式決定するそうだが、このことがねじれ勢力を抱えている菅内閣に今後不利な政局となって影響を与えない保証はなく、「もう何年か経ったあと」といった評価の時間幅は水戸黄門の葵の御紋が入った印籠みたいな力を与えないことを教えてくれる。

 公明党を補正予算案反対に突き動かした大きな要因が菅内閣の政治評価である最近の世論調査である以上、菅首相が自らの外交政策を「歴史に耐える対応」だといくら言おうとも、菅内閣の外交政策、特に対中外交を批判している国民が80%以上も存在することは決して無視できないのだが、それを無視して自らの外交政策に「歴史に耐える対応」だと最大限の自己評価を与えている。

 仙谷官房長官にしても世論調査を短期的視野での評価で、中長期を見据えた評価ではないと否定するが、世論が政治、あるいは政局を動かす力を持っていることを無視した自己弁護に過ぎない。
 
 自身の政治能力、指導力を客観的に判断する能力を欠いた場合、自身が行っている政治が求められている方向から例えズレることがあっても、ズレていること自体を見抜く目を持たず、逆に目を逸らすことになって益々方向を間違えるということが往々にして起こる。

 合理的判断能力を欠いた政治家を国家のリーダとしていることに我々は留意しなければならない。

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