我が日本の偉大なる菅首相が27日(2010年11月)、これも偉大な政治家だった鳩山前首相と東京都内の中華料理店で世界に影響を与える約1時間半の会談を持ったという。これは菅首相からの呼びかけで、会談時間1時間半は菅・胡錦涛横浜日中首脳会談の22分と比較して4倍強の長さに亘ったのだから、世界に影響を与えるだけではなく、さぞかし日本国家の今後についての、あるいは緊張状態にある朝鮮半島情勢等々についての重要、且つ貴重な意見交換に費やされたに違いない。
先ずは《菅首相:「支持率1%になっても辞めない」…鳩山氏と会食》(毎日jp/2010年11月27日 21時36分)から見てみる。
菅首相(支持率が)「1%になっても辞めない」
記事はこの発言を、政権維持に向け意欲を強調したものだとしているが、単純な解釈に従うなら、支持率30%以下の危険水域突入やその他の菅首相を取り巻く環境の厳しさを振り払う強い反発心が働いた積極的な政権維持意欲の提示と受け取れもするが、皮肉な解釈に立つなら、指導力がないの、外交オンチだの、安全保障意識がなっていないのと周囲から散々責め立てられ、世論調査でも責め立てられ、逆に依怙地になった政権維持意欲だと受け取れないこともない。
記事は菅首相と鳩山前首相が日本と世界について熱い会話を交わしたことについては、あるいはそんな事実はなかったからなのか、一切触れていない。その代わり二つの憶測で埋めている。一つは、菅首相が鳩山前首相に対して仙谷由人官房長官、馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決され、〈政権運営が厳しさを増す中、協力を求めたとみられる。〉とする憶測。二つ目は、その協力要請に対して鳩山前首相が菅首相に対して、〈「非小沢」路線を修正する内閣改造などが念頭に〉、〈挙党態勢を構築するよう促した〉とする憶測。
菅首相は政治の話とは別にスイス・チューリヒで国際サッカー連盟(FIFA)12月開催理事会で2022年サッカーワールドカップ日本招致の活動を要請したという。
菅首相「政府専用機を用意する」
鳩山前首相「あまり期待しないでほしい」
記事は、鳩山首相は〈消極的な姿勢を示した。〉で結んでいる。
このサッカーワールドカップ日本招致活動要請は、《菅首相「支持率1%でも辞めない」=鳩山氏と会談》(時事ドットコム/2010/11/27-19:13)では、最終プレゼンテーションへの出席要請となっていて、二人の遣り取りは上記「毎日jp」よりもほんの少し詳しくなっている。
菅首相「政府専用機を用意する」
鳩山首相「あまり期待しないでほしい。・・・・あなたが出席したらいい」
この発言に対して菅首相は、〈北朝鮮による韓国砲撃を受け、28日から米韓合同軍事演習が始まることを挙げ、出席は困難との考えを示した。〉と書いて、記事を結んでいる。
先ず、「1%になっても辞めない」がどんな逆境に立たされようとも政権を維持するんだといった全うな強い決意を示した政権維持意欲なのか、散々悪く言われて却って依怙地になって政権にしがみついてやるといった政権維持意欲なのかである。
大体が全うな強い決意を常に提示可能な政治家なら、尖閣沖中国漁船衝突事件に端を発した領土問題で毅然とした態度を取れただろうし、事件以降の日中首脳会談、ロシアのメドベージェフ大統領の国後島訪問後の横浜日ロ首脳会談の成果を謳い上げはするが、具体的な会談内容を隠すといったことはしなかっただろう。全うな強い決意を常に常に必要とするゆえにその逆説である指導力がないなどと言われることもないだろう。
指導力がないの一事で以って、「1%になっても辞めない」が積極的な政権維持意欲からの発言ではなく、尻に火がついて依怙地になった「1%になっても辞めない」だと分かる。
指導力のない首相の「1%になっても辞めない」はそもそもからして滑稽な倒錯でしかない。不貞腐れ、依怙地と取らずに、何と取ったらいいだろうか。辞めてやるもんか、誰にも渡さないぞの「1%」に違いない。
「1%になっても辞めない」を考えることよりも、如何に指導力を発揮できる首相となれるかを考えるべきだろう。情けない話だが、判断を置くべき場所さえ間違えている。言うべき言葉ではないということである。
「1%になっても辞めない」は「5年後は評価されると確信」に対応させた発言であろう。《「5年後は評価されると確信」=尖閣沖衝突、政府批判に反論-菅首相》(時事ドットコム/2010/11/08-21:27)
米CNNテレビのインタビューに応じた発言だという。
菅首相(尖閣諸島について)「わが国固有の領土だと歴史的にも国際的にも認められた」
だが、中国は依然として中国固有の領土だと主張している。
菅首相「外交上の問題、特に領土問題はその国の国民の感情を強く刺激するものだ。5年、10年後に振り返ったときに、自分の内閣が冷静に対応したことはきちんと評価されると確信している」
菅首相「少なくとも(衆院議員の残り任期の)3年間、しっかりとした政策を進めることで国民から支持を頂きたいし、頂けると思う」――
「外交上の問題、特に領土問題はその国の国民の感情を強く刺激するものだ」は、一時的な感情からの評価で、今後を見据えた冷静な判断に立った評価ではないとして現況の世論調査を否定する発言であろう。
公平、合理的に考えるなら、現在の評価を正しくないとするなら、「5年、10年後」の評価も正しくないとすることができる。
現在の評価は現在の状況を踏まえた評価であって、その評価が正しい正しくないは関係なしに物事はその評価の影響を受けて動く以上、いわば現在の評価に関連付けられた行動となる以上、その動きの影響がなくなった「5年、10年後」の評価に替えるというのは奇麗事に過ぎない。
菅首相が現在の評価に何ら影響を受けないというなら話は別であるが、「1%になっても辞めない」という発言自体が既に影響を受けた行動となっている。鳩山前首相と会って政権運営の協力を求めたと記事が書いていることも、現在の評価に影響を受けた要請であるはずだ。
参議院の野党による問責決議案提出・可決も国民が参議院選挙で与えた評価と世論調査で示した政権に対する現在の評価が影響した動きであって、菅内閣はこの動きに影響を受けた政権運営を行うことになるが、「5年、10年後」の評価とは関係しない動きであろう。
それを「5年、10年後」の評価に待つとする。
状況の変化が政治行動に違いを与えることを証明する記事がある。《中国、ダライ・ラマと会談で貿易削減の報復?》(CNN/2010.11.04 Thu posted at: 19:45)
ドイツ大学の「ダライ・ラマ効果」と題した研究報告書からの引用で、〈中国が分裂主義者として非難するチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した外国首脳の所属国は会談後2年間の対中貿易で平均8.1%の輸出減少を被って〉いたという。
報告書の結論は、〈中国は対外貿易で政治的判断に大きな意味を持たせ、外交政策遂行の手段にもしている〉となっている。
報告書は中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が就任した2002年以降の期間を対象としているが、国連のデータを用いて1991年から2008年までの間の中国の貿易相手だった159カ国・地域の輸出動向を調査、ダライ・ラマと大統領、首相、国王、女王やローマ法王が会見した後、その指導者の所属国による対中輸出は必ず減少していることが判明。一方、下位の政府幹部などがダライ・ラマと会った場合は影響が出ていなかったという。
但し、中国指導部は貿易問題での処罰が政治的な生き残りにつながる可能性を高める場合、経済的、政治的なコストを負うこともためらわない姿勢を取っているが、「ダライ・ラマ効果」は永続的なものでなく、首脳との会談後から平均2年で転換しているという。
その理由として、〈ダライ・ラマとの会見に絡む対中輸出削減は短期的に中国経済の成長を損ね、長期的には貿易相手国が中国を回避しかねない可能性がある〉からだとの中国の経済問題専門家の見方を伝えている。
要するにダライ・ラマと会談した国に対する評価を対中輸出削減という懲罰を以って表現するものの、平均2年後には中国経済への打撃という状況の変化を踏まえて懲罰の評価を変えるに至るが、平均2年後の評価が正しいことを以って、当初の懲罰という評価を正しいとすることはできまい。
例え日中関係が尖閣問題で悪化したとしても、日中相互の政治・経済に悪影響を与える程の長期間に亘ることは相互の国益を損なうこととなる関係上、「5年、10年後」を待たずして関係修復を果たすだろうことは上記「CNN」記事を待たなくても予定調和と看做すことができるはずである。
それを以て菅内閣の成果だと言い換えることもできるが、状況の変化を無視する牽強付会に過ぎないはずだ。
「5年、10年後」の評価に期待するから、「3年間」は政権を維持したいという欲求が出てくる。
この欲求が「石にかじりついても頑張る」というそれぞれが相互対応し合った発言ともなる。《「石にかじりついても頑張る」=首相、政権運営で決意-衆院予算委》(時事ドットコム/2010/11/08-09:46)
11月8日の衆院予算委員会。
菅首相「わたし自身どこまで頑張りきれるか分からないが、物事が進んでいる限りは石にかじりついても頑張りたい」
菅首相「政権を担当したら4年間の衆院の任期を一つのめどとして一方の政党が頑張ってみる。4年後に(衆院)解散・総選挙で継続するかしないか国民の信を問うという考え方がこれから政治的な慣例になっていくことが望ましい」
同じ民主党の近藤洋介議員への答弁だと言うから、お互いにヨイショし合ったのだろう。
菅首相の頭には「政治は結果責任」という認識が一切入っていない。「4年間の衆院の任期」が「一つのめど」となるかどうかはあくまでも自身の政治行動の結果が決めることであって、自らの責任の成果次第の任期なのだから、任期を先に持ってくるのではなく、自らに与えられ立場上の責任を如何に果たすか、いわば自身が主張する政治を如何に運営・展開するか、如何に指導力を発揮するかの考えを先に持ってくるべきだが、後先を逆とすることができる判断能力は指導者の資質とは決して言えない。
4年間の衆院任期と首相の任期を一致させ、4年間は解散はないとした場合、その4年間はどのような失政も許されることになるばかりか、その4年間、国民の判断は遮断されることにもなる。4年任期の大統領制を取るアメリカの場合でも途中の2年後に上院・下院の選挙によって、大統領は評価を受け、その評価に影響されることになる。
要するに任期は自身の能力がつくり出す政治の結果として後からついてくるものでありながら、そのように位置づけることも価値づけることもできずに先に持ってきたということは4年は首相の職にとどまりたいという自身の都合だけを言っている発言に過ぎないということであろう。
かくまでも欠格した合理的認識能力とその欠格性に対応して同じく欠格した指導力から見ると、「1%になっても辞めない」は支持率低空飛行を受けて依怙地になってしがみつこうとした「1%になっても辞めない」としか解釈しようがない。
次に国際サッカー連盟スイス・チューリヒ12月開催理事会のサッカーワールドカップ日本招致最終プレゼンテーションへの出席要請について。
菅首相「政府専用機を用意する」
わざわざ政府専用機を飛ばすべき政治活動に入るのだろうか。招致は最終プレゼンテーションのみで決まるわけのものではない。各施設や施設までの交通の便、国民の招致意識等を国際サッカー連盟の委員が直接視察したりして総合判断で決める招致であろう。飛行機で乗り込もうと客船で乗り込もうとヨットで乗り込もうと何ら評価に影響しない最終プレゼンテーションのはずである。
いわば政府専用機ではなくても済むフライトのはずだが、それを政府専用機とする。金賢姫元死刑囚を日本に招請したときのチャーター機の費用は政府関係者の話として1千万円かかった(asahi.com)とされているが、さらに遠方のスイス・チューリヒとなると、1千万円以上はかかるはずである。政権運営のスローガンの一つとして掲げていたムダ遣い削減を菅首相自らが破ることになるのではないのか。
それを敢えて「政府専用機を用意する」ということは、鳩山前首相が代表選で小沢元代表を支持したり、尖閣問題では、「なぜホットラインを使って温家宝首相と直接話し合わなかったのか」と言ったり、菅首相が掲げる「最小不幸社会」を母校東大駒場キャンパスの講演で、「最小と不幸でイメージが暗くなるんだよね」(スポーツ報知)と批判したりしている関係を、政権運営の協力を要請する形で味方につける関係に変えるべく、「政府専用機」で歓心を買おうとした菅首相にとっての一大サービスとしか見ることができない。
プレゼンテーションに与える効果は何ら違いはないが、政府専用機で乗り込むのと一般の民間機で乗り込むのとでは乗り込む本人に対しては桁違いの虚栄心を与えるだろうからである。そのための一フライト1千万円以上の「政府専用機」ということでなければ、その金額の生半可ではないことの説明がつかない。 |