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民主党政権交代に刺激を受けた貴乃花の一門離脱、理事立候補?

2010-01-12 08:46:39 | Weblog

 現在ワイドショー番組が盛んに取り上げている貴乃花の一門離脱、理事強行立候補を民主党の自民党からの政権交代をなぞらえてのことに違いない、マスコミの中には“政権交代”と把えている向きもある。「JCAST」記事――《貴乃花と「相撲界政権交代」 なぜ今勝負かけるのか》2009/12/24 12:59)もその一つだが、記事からどういった展開となっているのか、一部見てみる。

 相撲部屋は現在52部屋。二所ノ関、出羽海、立浪、時津風、高砂の5つの一門で成り立っていて、各一門ごとに理事の数は決まっている。二所ノ関3人、出羽海各3人、立浪2人、時津風1人、高砂1人の計10人だという。

 つまり各一門にとっては決まった数の指定席となっているということである。当然、後生大事に守らなければならない虎の子の指定席となっているに違いない。官僚OBにとっての天下り席のように。

 政党の派閥が前内閣では自派閥から3人の大臣を出した、内閣が変わっても3人の大臣は維持しようと裏で駆引きを大展開、工作するのとは違って、相撲協会の場合は一門ごとに数の決まった指定席となっているから、各一門が指定席の数だけの立候補に収めていさえすれば、混乱も不満も起きないことになる。

 いわば各一門がそれぞれに割り振られた指定席の数を守ることに主眼を置くことで、協会組織全体を守ることになる守りの姿勢を植えつけてきたとも言える。

 各一門は一門ごとに決まった数で割り振られている指定席を誰が占めるか一門ごとに前以て調整して、決まった数を守っていく。その選出のルールは「JCAST」記事には書いてないが、年功序列が重視されるのだと言う。

 理事の数が各一門に決まった数の指定席として配分されていて、各一門がその指定席を年功序列で席埋めしていくという順番制の組織運営は否応もなしに従来どおりの権限や規則の墨守と無難の風潮を横行させることになる。理事となる目的が経歴と年間手当を含めて3千万円以上となると言われている報酬と名誉等の獲得が目的となりかねない。

 だからこその年功序列に従った順番制を守ることになるのだろう。世論といった外圧でもない限り、自前発の思い切った改革などできない土壌を培っているに違いない。

 二、三日前だったか、テレビでみのもんたが一人の官僚OBの天下りを取り上げて、2年かそこらで退職金を得て次の天下り先へ移っていき、そこでも2~3年の間高額報酬を得て、最後に退職金を手に入れてさらに次へと移っていって、最終的に総額3億以上の高額報酬を収奪する渡りを批判的に紹介していたが、その批判は世間一般の常識に反した総額3億以上の高額報酬に焦点を当てたものだったが、渡りを可能としているのは後釜に席を譲るために2~3年在籍して新たな天下り先に渡っていき、空いた席に新手(あらて)の官僚OBが渡ってくる延々とした循環形式の天下り人事操作であって、相撲協会の理事も一門の幹部を除いて末端の理事を年功序列式に順次入れ替えていく点で官僚OBの天下り・渡りと似ていないことはない。

 投票となった場合は10票が当選ラインだそうだが、貴乃花が所属する二所ノ関一門の親方は現在28人であっても、無投票無風なら指定席の3人はすんなり理事に収まることができる。3人が3人共、3千万円、ごっつぁんです、である。

 ところが二所ノ関一門では間垣親方が任期途中で辞めた後釜に鳴戸親方が入る順番としていたところへ、順番を予定していなかった貴乃花が年功序列の慣習を破って立候補の名乗りを上げた。

 3人指定席と数が決まっていて既に3人が席を占める予定だったところへ座れるわけもない4人目が現れたからといって予定していた3人が譲るわけもなく、誰もが「ごっつぁんです」を取り上げられたくないからだろうが、元相撲取りばかりで体が大きいから、窮屈この上ないウザい出現だとムカッときたのか、話し合いはつかず、貴乃花は一門を離れて単独で理事立候補の道を選んだ。

 予定外の貴乃花の立候補意志で大相撲初場所後の日本相撲協会の理事改選選挙が02年以来4期8年ぶり、通算4度目の投票に持ち込まれる公算が強まったという。

 いくら二所ノ関一門は3人が指定席と決まっていても、協会全体で10人定員の所へ11人が立候補、選挙となって万が一貴乃花が当選した場合、10人が10人共無投票無風で理事となる年功序列・指定席の調和が破れて、調和の外に弾き出される一人が出現することになる。貴乃花としたら予定の行動だったろうが、権限及び規則墨守と無難をモットーとするその他有象無象の親方衆にとっては腹立たしい掟破りに映ったに違いない。

 ブッシュ前大統領がオサマ・ビンラディンを憎んだ如く、特に二所ノ関一門のうち、貴乃花を支持しない親方衆は貴乃花を憎んだのではないだろうか。

 間垣親方の辞任を受けて二所一門の3人目の指定席に滑り込みセーフを謀る鳴戸親方(元横綱隆の里)が、自身の滑り込みセーフを危うくしかねない、弾き出されるのは新参の自分かもしれないという危機感からだろう、貴乃花の立候補に一言あったのは自然な成り行きと言える。

 《鳴戸親方、貴乃花親方の行動に怒り/大相撲》(サンスポ/2010.1.11 05:02)から見てみる。

 鳴門親方「疑問に感じている。先代の二子山親方(故人、元大関貴ノ花)も一門を踏まえてやってきた。大先輩もそうだった。・・・・(貴乃花を)支持するといいながら、こっち(一門に)軸足を置くのは納得いかない。(処分などの)話も出るだろう」

 一門の仕来りに従え、従えないなら、一門を取るか、貴乃花を取るか、二者択一にしろ、できなければ処分だと民主的観点に反する排除の論理を展開している。

 貴乃花が目指す改革を、サポーター制度、年俸制度の導入、チケット販売方法の改革、相撲学校の創設等で、〈要するにタニマチ脱却と裾野の拡大だという。〉と「JCAST」記事は書いている。記事の中から各出演者の発言を拾ってみる。

 (電話コメント)杉山邦博「相撲界にもチェンジが必要。若い人は大いに手をあげるべし。しかし、一門も大事にしないといけない。孤立してしまってはいけない」

 記事は〈これでは動くなといってるようなもの。〉と批判しているが、前段の嗾(けしか)けが意味を成さない、それを帳消しとする後段の現状維持・中庸のススメとなっている。本人自体が事勿れを性格としているからなのだろう。手を挙げて得る利益と孤立せずに一門を大事にして得る利益のうち、前者を取るか、後者を取るかは貴乃花の生き方に関係した選択なのだが、事勿れな性格が災いして事勿れな性格どおりのコメントしかできなかったとしか見えない。

やくみつる「貴乃花は、単に理事になればいいのではなく、将来は理事長も視野に入れている理事ですから、いま一門を離れたらまずいのではないか」

 これも事勿れ。

赤江珠緒(局コメンテーター?)「普通にいけば、絶対理事になれる人なのに、いま勝負をかけて改革をしたいという思いが……」

やく「その思いが強いことはわかるが、いまひとつ席が空いたところへ入りたいということでしょうが、チケット販売の改革とか子どもたちへの普及とかは、協会もやっていること。むしろ順当に広報部長とかいう要職に就いていくという規定の路線の方が、自分の意志を反映しやすくなると思う」

小木(局アナ?)「それでもいま一石を投じてかきま回したいというのがある?」

やく「旧態依然たる一門制度そのものをどうしようということまで視野に入っているのかなとも思いますね」

小木「横綱のガッツポーズ問題なんかも考えているのか」

やく「教育のなかに入っているのかも」――

 貴乃花が大相撲は日本の国技だ、日本の伝統だ、文化だと杓子定規な格式の面からのみ把えて、ガッツポーズまで一切禁止だと窮屈な規則で雁字搦めにしてスポーツが持つ娯楽の面を殺いだ場合、それが貴乃花の生き方からきている姿勢だとしても、どのようなスポーツの場合でも時代を超えた要請としてある理屈抜きに愉しむ部分・愉しめる部分を剥ぎ取るばかりか、相撲の所作をその時代に生きる人間の行動性に反して型にはめることとなってに相撲取り自身を萎縮させかねず、無難な取組みしか望めなくなるのではないだろうか。
 
 政権交代したからと言って、交代した政権が成功するとは限らない。貴乃花が一門を離脱して理事に立候補、当選したからと言って、本人の目指す改革が成し遂げられるとは限らない。だが、年功序列・指定席といった権限及び規則の墨守を主体とした制度が醸し出すことになる、創意や新風を許さない停滞した事勿れな空気に一石を投ずる効果はあるに違いない。

 最後に「デイリースポーツ」記事――《KONISHIKI、貴乃花親方にエール》(2009年12月24日)からKONISHIKIこと、元大関の小錦が貴乃花に送ったエールを見てみる。

 クリスマスにちなみ、ボランティアでサンタに扮して都内の幼稚園を訪問、最も若い人間の群像である幼稚園児とクリスマスを楽しんだ後、インタビューを受けた言葉だという。

 「貴乃花親方には新しい考え方があるかもしれない。貴乃花親方だけじゃなく、もっと若い人も出てほしい」――

 記事は若い人の出現――〈角界の新陳代謝を望んだ。〉と書いている。

 KONISHIKIの明るいユーモアのセンス、目を丸くしたときの人並み外れた愛嬌、ハワイ出身だから、ハワイアンは勿論、ジャズやカントリーまで幅広く巧みに歌う音楽の才能と楽器演奏の才能を素晴らしいと思って、現役時代から大ファンだった。

 大関時代、横綱になる成績を手にしていながら、横綱審議委員会のメンバーから「外国人の横綱はいらない」と言われ、大相撲にいい気持は持っていない面もあるだろうが、だからこそ若い人間の柔軟な考えの吹き込みを望んだに違いない。


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普天間移設に見る曖昧、いい加減な“合意”の形

2010-01-11 10:05:55 | Weblog

 辺野古移設調査費が13億円も超過したとして検査院が軽い処分で済ませた防衛省に責任者に対する懲戒処分を求めたと09年12月23日付「asahi.com」記事――《辺野古調査費13億円超過 検査院、防衛省に懲戒要求へ》が報道している。

 当時の那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)が02年合意の普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古沖への移設に向けた海底地質のボーリング調査に04年に着手、反対住民による調査阻止活動等により調査業務が停滞、05年に建設予定地が沿岸部に変更、業務は一時中断、都内の請負業者4社との契約を解除、契約額計8億5千万円を上限に支払うことを決定。

 2006年3月17日の「琉球新報」記事――《辺野古調査費 超過20億円払わず》によると、〈受注業者3社との契約額約8億4千万円〉となっている。

 上記支払い決定に対して4社は阻止活動への対応で監視船を大量に導入したことや追加調査などで費用がかさんだことを理由に上限付きの支払いを拒否、06年に超過分の支払いを求める損害賠償訴訟を起こした。08年に和解が成立、同局が4社に対して和解金として計約22億円を支払った。

 この超過支払いの経緯に関して検査院は、同局の職員が反対運動に対処するため契約に無い業務を業者に次々発注、予算オーバーを来たしていたにも関わらず予算の執行状況を確認しなければならない当時の局長2人の職務怠慢責任を軽い処分で済ませた点などを問題視、2局長に対して「債務を負わす原因となった重過失行為」に当たると判断して懲戒処分にする要求を出すことを決めた。

 同省人事教育局の担当者「過去の処分状況などを総合的に勘案して『注意』などの処分を出しており、今回だけ処分が軽い、という認識は全くない」――

 記事は〈会計検査院の懲戒処分要求〉について解説している。

 〈検査院は、国の会計事務を処理する職員が故意または重大な過失によって国に著しい損害を与えたと認める場合や、予算執行職員が法令または予算に違反した支出などをして国に損害を与えた場合などに、各省大臣に対し、職員の懲戒処分を要求することができる。今回の要求は、57年前の1952年に電気通信省(当時)の建設部の工事費の経理について不当事項があった4件について、検査院がは電気通信大臣に対し懲戒処分を要求して以来となる。〉――

 参考までに2006年3月17日付の「琉球新報」記事を全文参考引用しておく。

 《辺野古調査費 超過20億円払わず》琉球新報/2006年3月17日)

 米軍普天間飛行場の移設先の変更に伴う、従来の辺野古沖計画の関連事業の契約解除問題で、海底の地質を調べるボーリング調査費が約28億円に上り、受注業者3社との契約額約8億4千万円の3倍以上に上っていることが17日までに分かった。関係者が明らかにした。

 防衛施設庁は超過分の約20億円を、契約書にない作業と位置付け、支払わない方針を固めた。同庁は、反対派の根強い抵抗運動で停滞していたにもかかわらず、作業続行を認めていた疑いのある那覇防衛施設局の職員らを処分する方針だ。

 ボーリング調査業務は2004年4月から着手され、今月までの契約で東京の3社に委託されていた。作業開始後、反対派住民の強い抵抗と台風の影響などで中止に追い込まれた。移設計画自体がキャンプ・シュワブ沿岸案に変更になり、施設局は16日に関係事業の契約を解除した。

 関係者によると、業者は社員を作業船に乗せて海上や辺野古漁港などで待機。夜間作業を強いられたり、1日数百万円以上のスパット台船のチャーター料などがかさみ、経費は大幅に膨らんだ。

 業者側は「施設局職員からの要請を受け、作業船を出していた」と主張し、全額の支払いを求めている。施設局建設部幹部が防衛施設庁建設部と連絡を取り、契約額を超える分の作業続行を認めていた疑いが出ている。

 昨年11月1日の作業の一時中止後、建設部からかさんだ作業費の報告を受けた那覇防衛施設局幹部はがく然としていたという。

 予算オーバーを問題とせずに契約に無い業務を業者に次々発注したコスト意識=税金意識も見事だが、自らの判断で8億5千万円上限を相当とした契約金額相当の支払い予定が、このときだけはコスト意識=税金意識を働かせたのか、損害賠償裁判の末13億円も超過して約22億円もの金額で和解金を支払うこととなった損失に対するコスト意識=税金意識をまるきり作動させることはなかったからだろう、責任意識に結びつける気持はきれいさっぱりさらさらなく、痛くも痒くもない13億円超過だから、「過去の処分状況などを総合的に勘案して『注意』などの処分を出しており、今回だけ処分が軽い、という認識は全くない」責任意識を答としたのだろう。

 こういったコスト意識=税金意識のない、当然責任意識もない役人にムダのない予算の編成が期待できるだろうか。至る所にムダを忍ばせた予算編成になるに違いない。

 普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古沖への移設が02年合意。04年に移設に向けた海底地質のボーリング調査に着手。作業開始後、反対派住民の強い抵抗と台風の影響などで中止に追い込まれ、05年に建設予定地が沿岸部に変更。

 では、2002年7月に政府と県、名護市が名護市辺野古沖を埋立てて軍民共用空港を建設するとした計画に合意は中止に追い込まれる程に反対闘争は激しく、計画を断念したことから見ると、政府は勿論、沖縄県も名護市も県民・市民の意向を無視して上が勝手に強行した見せ掛けの合意だったということになる。

 ということなら、04年の海底地質のボーリング調査自体が上が勝手に強行した見せ掛けの合意に従った無用な調査であり、そもそもの8億5千万円の契約自体が不必要な支出だったことになる。当然、裁判沙汰による契約額から13億円も超過した和解金の約22億円自体もそこまで進むことはなかったムダな支払いとなる。

 そして名護市辺野古沖埋め立て移設を中止、国のためにも県のためにも、県民・市民のためにも何ら役に立てることができなかった約22億円の税金をドブに捨てることになり、05年に名護市辺野古沿岸部(V字形滑走路)に移設先を変更。

 ところがここに来て、1月6日首相官邸で行われた米軍普天間飛行場の新たな移設先を検討する政府・与党3党の「沖縄基地問題検討委員会」第2回会合で、2006年5月に稲嶺恵一知事(当時)と額賀福志郎防衛庁長官(同)が交わし、県が名護市辺野古沿岸部建設現行案(V字形滑走路)を事実上容認したとする根拠としてきた「在沖米軍再編に係る基本確認書」に関して防衛省が当時の政府と県が合意したとは言い切れないとの認識を初めて示したと《県、受け入れ合意なし 普天間移設》沖縄タイムズ/2010年1月7日 09時55分)が報道している。

 防衛省側の説明は次のようになっている。

 「当時の政府としては(両氏が)サインしたから合意と思っている。しかし稲嶺前知事は違うと言っているので、100%合意とは言えないと思う」

 防衛省は持ち帰って、12日予定の次回会合までに正式に報告するそうだ。

 記事はこのことに関する稲嶺前知事の1月6日の発言を載せている。

 「(当時)県は、政府案には合意してはいないとの県民向けのメッセージを発表するなどして、県の立場を一貫して主張してきた。・・・・行政の立場は、オールオアナッシングでは物事を進めていくことはできない。米軍再編の協議が進む当時の状況の中で、(基本確認書への合意は)ギリギリでベターな選択だった」

 1月8日付の「琉球新報」記事――《普天間飛行場移設問題 普天間V字案 まやかしで禍根残すな》は稲嶺前知事の対応を次のように解説している。

 稲嶺前知事は「基本確認書」に署名しながらも、基本確認書は合意書とは異なるとの認識を示し、「合意はしていない」と公式に否定してきたという。

 一方の国は国と名護市がV字案で合意した基本確認書を「合意書」と同じとの認識から「県とも合意した」と主張してきたとしている。

 記事は〈稲嶺前知事も「合意」したと誤解されかねない「基本確認書」に署名した責めは逃れられない。〉と稲嶺前知事を批判もしているが、双方の「基本確認書」の位置付けが異なっていた点を挙げている。

 要するに合意決定権の主体はあくまでも沖縄県なのだから、沖縄県が「合意していない」としている以上、防衛省としても「100%合意とは言えないと思う」とするしかなかったのではないのか。

 これがどう転ぶかは分からない。鳩山政権が現行案反対をアメリカに正当付けるために持ち出した防衛省の見解ということもあり得る。

 こう見てくると、辺野古沖埋め立て案は県民・市民の反対を押し切って上が勝手に強行した見せ掛けの合意を推し進め、和解金約22億円のコスト意識=税金意識=責任意識なき膨大なムダを生む“合意”だったことになる。

 そして辺野古沿岸部(V字案)は政府側が稲嶺前知事と交わした「基本確認書」を辺野古沿岸部(V字案)に県が合意した根拠としたことに反して稲嶺前知事が「合意していない」とする姿勢を無視して自民党政府は辺野古沿岸部に移設を推し進めるべくアメリカと交渉し予算まで組んできた、上から強引に推し進めた半ば強制的な“合意”だったことになる。

 その結果、防衛省が「100%合意とは言えないと思う」と、ホンネはどこにあるのか分からないが、少なくとも表面上はその強制性に異を唱えるに至った。

 例え現行案で決着することになったとしても、県民・市民の意向を無視して様々なムダを生む大騒ぎを演じることとなった曖昧、いい加減な“合意”の形を歴史とするに違いない

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菅直人円安誘導発言はグローバル経済に不平等となる一種の保護主義ではないか

2010-01-10 09:14:49 | Weblog

 まあ、私の鈍(なまく)らな経済知識からのお粗末な薀蓄でしかないが、1月4日の当ブログ記事《中国外需が迷走鳩山内閣を延命させる》で、〈「NHK記事」が1ドル84円台の円高ドル安がアメリカの不況が長引く予想から生じた相場で、ここのところの一時93円台までの円安ドル高がアメリカの景気回復に対する期待感などから円が売られる展開となったことが原因だと伝えていることからすると、日本の経済が外需依存型を宿命としていて、中国の景気回復のみならずアメリカの景気回復をも必要条件とする相互依存関係にある以上、アメリカの景気回復基調と連動する円高ドル安はアメリカの景気が回復するまでの一時的動向だとして歓迎すべき要件ではないだろうか。〉と書いたが、このことに反してアメリカ経済が明確な回復基調を取ったわけでもないのに藤井前財務相の病気辞任(一説によると小沢幹事長との軋轢辞任)を受けて跡を引き継いだ菅直人新財務相が1月7日の就任記者会見で「経済界から(1ドル=)90円台の半ばあたりが、貿易の関係で適切ではないかという見方が多い。(現状より)もう少し円安の方向に進めばいいなと思っている」(asahi.com)と円安誘導とも取れる発言を行った。

 藤井前財務相も〈就任直後の昨年9月、「緩やかな動きなら介入には反対」と発言。市場から「新財務相は円高容認」と受け止められ、円相場は一時、政権発足前より3円近くも円高・ドル安の1ドル=88円台前半まで急騰した〉(毎日jp)意図せざる為替介入の前科がある。円高容認派の藤井前財務相と意見を異にする菅直人の円安容認となっている。

 多分高い政治能力を有していることから発言影響力に凄いものがあるのだろう、発言直後に一時的にだが、市場では円安が進み、〈異例とも言える明確な「口先介入」となった。〉と同「asahi.com」は伝えている。

 勿論、日本にとって〈円高ドル安はアメリカの景気が回復するまでの一時的動向だとして歓迎すべき要件〉が正しい見方なのかどうかは分からない。とは言うものの、市場の自然な為替動向に任せるべき姿勢に反する菅直人発言である上に主要国の財務相が為替水準への言及を避けるのが慣例となっていることからだろう、鳩山首相が「為替は安定が望ましいわけで、急激な変動は望ましくない。政府としては基本的に為替に関しては言及すべきではない」(《菅流“介入” 閣内から苦言 再び円安発言 認識に温度差》SankeiBiz/2010.1.9 05:00)と窘めたというし、ほかの閣僚からも批判的な声が上がり、市場関係者の中にも軽率な発言だ、経済を知らないと批判的に把える向きが大方となっている。

 〈「90円台半ば(の円安)が適切との見方が、輸出企業を中心に経済界に多い」というのが菅財務相の言い分。これに対してニッセイ基礎研究所の矢嶋康次主任研究員は「通貨当局の責任者が言っていいことではない」と切り捨てる。〉(同SankeiBiz)――

 菅直人新財務相は批判の矢面に立たされてもなお強気である。

 「首相が言われたことは原則としてその通りだと思うが、経済界の期待や希望も十分勘案しなければならない」(同SankeiBiz

 財務相が為替水準への言及を避けるのが慣例だということも「口先介入」の自制もあくまでも「原則」でしかない。「経済界の期待や希望」次第では為替相場への介入もあり得ると宣言したわけである。

 この姿勢に関しては《菅財務相:「90円台半ば」発言 苦言、相次ぐ 菅氏は反論 市場、不安視》毎日jp/2010年1月9日 東京朝刊)は次のように伝えている。

 8日の会見。

 (輸出企業が円高に苦しんでいることを引き合いに)「マイナスを与えたとは思っていない。・・・・・基本的に為替をマーケットに任せるのは当然だが、いざというときに行動をとることは財務相の権能だ」

 「SankeiBiz」記事よりも「毎日jp」記事の方がなお強気の菅直人像となっている。

 「毎日jp」記事はこの強気の理由を〈景気回復とデフレ脱却を重視する菅氏にとって、円安は追い風になるためだ。〉としている。

 だが、菅直人の、言ってみればこの“円安観”は国内経済のみを把えた保護主義的な視点となっていて、日本経済が日本の経済のみで成り立っているわけではない経済が世界的にグローバル化した今日、世界に対して平等な姿勢を維持するためにもやはり可能な限り保護主義を排して市場の動向に任せるべきではないだろうか。

 また鳩山政権が円安・外需主導から内需主導の成長への転換を重点目標としていると言っても、短期間に転換不可能で、相当部分外需主導の側面を今後とも残すだろうから円安が有利だとしても、やはりグローバル化に反する一国主義的な自国都合・保護主義的“円安観”にしか見えない。

 菅直人財務相の1月7日の「円安」誘導発言に対して、日本時間なのか、現地時間なのか、記事には8日と書いてあるが、アメリカの大手自動車メーカー3社は「深く失望している」として、発言に抗議する声明を発表したと「NHK」記事――《米自動車3社 円安発言に抗議》(10年1月9日 9時56分) が報道している。

 クライスラー、フォード、それにGM=ゼネラル・モーターズの3社でつくる「アメリカ自動車政策評議会」の声明だそうだ。

 「日本政府が為替相場を市場の原理にまかせず、操作したり介入したりする方向に突然、かじをきったことに驚き、深く失望している。・・・・アメリカの景気回復に向けた努力を損なう可能性もある」

 さらにアメリカ政府に対して日本政府を非難するよう求めているという。

 アメリカの大手自動車メーカー3社は菅直人の円安誘導発言は「アメリカの景気回復に向けた努力を損なう可能性もある」と批判している。

 となると、円安誘導を意図的に操作して自国経済のみの回復を図る一種の保護主義に終始するか、市場の動向に任せてアメリカの景気回復も視野に入れるか、いわば 自然な為替の動向に任せた〈円高ドル安はアメリカの景気が回復するまでの一時的動向だとして歓迎すべき要件〉として容認し、市場介入は行わない損をして得を取る発想を取るかどうかにかかってくる。

 中国の巨大市場化はここ20年相当のことだが、アメリカは常に巨大市場であった。アメリカが景気回復さえすれば、再び巨大市場として蘇るのは間違いないだろう。

 自国経済を保護することはあっても、日本経済が日本の経済のみで成り立っているわけではなく、経済が世界的にグローバル化している以上、そのことまで視野に入れてより平等な姿勢でグローバル経済に立ち向かう姿勢が菅直人財務相には必要に思える。


 

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傾きつつある谷垣“みんなでやろうぜ全員野球”自民丸

2010-01-09 10:50:55 | Weblog

 昨年夏の総選挙で名誉の落選を果たした自民党の山崎拓元幹事長73歳が、73歳にもなって先がないという思いに至ったからなのだろう、老いの執念を燃やし、その割にはテレビで放映していた雪降る中での支持者たちとのユニホームを着たソフトボール大会のコースが定まらないピッチャー姿、バットを振って一塁に走るヨチヨチ歩きに近い姿は執念というよりも痛ましさを感じさせて、山崎拓が置かれている現在の苦境を暗示しているようだったが、今年7月に予定されている参院選で国政復帰を果たすべく1月6日、谷垣禎一総裁、大島理森幹事長と党本部で会談、参院選比例区での公認を求めた。

 自民党の参院比例選の公認候補の場合の選定基準は、「原則70歳未満」、但し「総裁が国家的有為な人材と認めた者」などの例外規定があるということである(YOMIURI ONLINE)。

 当然、山崎老いの執念は「原則70歳未満」に抵触する。残された道は「総裁が国家的有為な人材と認め」るかどうかにかかる。

 1月6日の会談では離党の可能性まで仄めかせて公認を迫ったが、谷垣総裁は“みんなでやろうぜ全員野球”の標榜に反して、「もう少し時間が欲しい」と先延ばししたという。

 「離党の可能性」とは、国民新党に入党して参議院選挙に打って出るという噂がマスコミの間で飛び交っている。国民新党の亀井静香代表は記者会見で入党を否定も肯定もしなかったことから、その噂は信憑性を帯びるに至っている。

 勿論、自民党から戦力外通告の結果を受けた国民新党入りは国民新党の利益に適うかどうかの利害損得が基準となる。否定も肯定もしないということは今のところ利益に適うと見ている可能性がある。

 また谷垣総裁が即答しなかったということは「国家的有為な人材」と認める程の候補者とは即座に看做し得なかったことを示す。

 そして翌1月7日の新聞・テレビは谷垣総裁が山崎老いの執念公認決定の結論は先送りしたと一斉に伝えた。山崎老いの執念の場合、“みんなでやろうぜ全員野球”というわけにはいかない、今のところ仲間外れだということである。イコール「総裁が国家的有為な人材と認めた者」にはやはり入れ難いということであろう。

 ここで公認を得ることができなければ、衆院議員であろうと参議員であろうとほぼ国会議員となる道を閉ざされることになる戦力外通告となるのか、“みんなでやろうぜ全員野球”で残留となるのかはっきりしない結論の先送りということになるが、残留反対、戦力外通告賛成の党内勢力を無視できないことからの谷垣のイエス・ノーを明確にできない結論先送りらしい。

 〈例外的な公認は党内の中堅・若手を中心に強い批判があり、党再生に後ろ向きとの印象を与えかねないからだ。〉(asahi.com

 中堅・若手「自民党は旧態依然とした政党というイメージを増幅し、参院選にマイナス」(YOMIURI ONLINE

 (定年制順守を求めて)党幹部「人事権を持つ谷垣氏が英断しなければ、いつ、存在感を示すのか」(同YOMIURI ONLINE

 中堅・若手を中心とする残留反対・戦力外通告勢力は山崎老いの執念を「国家的有為な人材」のうちに全然入れていない、眼中にもない。「原則70歳未満定年制」一つでお払い箱は十分だと看做しているというわけである。

 大体が“みんなでやろうぜ全員野球”など、最初から無理があった。自民党総裁選に立候補した河野太郎が「古い政治の手法を引きずった人を再びベンチに入れることはない。森元首相や比例復活の派閥の領袖は退場して、若い世代に議席を譲るべきだ」(FNN)と主張したように世代交代を掲げた勢力が存在することを無視し、そういった勢力を党内に抱えた、派閥の領袖も古い世代の政治家もひっくるめて、当然その主導となる“みんなでやろうぜ全員野球”なのだから、様々な矛盾・綻びが生じるのは時間の問題であった。

 いわば“みんなでやろうぜ全員野球”は奇麗事でしかなかった。

 勿論、谷垣総裁に稀に見る指導力があると言うなら、世代間の利害、選挙区や衆参の利害を抑えて一つに纏めることも可能だが、“みんなでやろうぜ全員野球”とすることで人間間に複雑に絡み合う利害損得に目を向けることができなかった時点で、指導力のなさを露呈したのである。

 なぜなら“みんなでやろうぜ全員野球”は行動の主体を利害の異なる“みんな”に置くことになって、谷垣自身を“みんな”の中の一人としてしまい、その主体性を全体の中に埋没させることになるからだ。当然指導力も“みんな”の中に埋没させることとなる。

 それぞれが複雑に利害を絡み合わせているなら、“みんなでやろうぜ”ではなく、自身の政治手法で誰がどこまでついてくるか、イチかバチかでぶっつかっていく取捨選択の道を取るべきだった。

 そして参院選が近づいて個々の利害があからさまに露出することとなり、衆議院落選組みが参議院に乗り換えることに参議員側が拒絶反応を見せた。

 さらに1月9日のマスコミは公認しない方針を固めたと山崎老いの執念の戦力外通告を決定的とする報道を行い、“みんなでやろうぜ全員野球”が山崎老いの執念には適用されない利害であることを思い知らせた。

 だが、これは矛盾している。“みんなでやろうぜ全員野球”はすべての利害を超えたところに存在するはずだからだ。だが、実際はそうではなかったということは“みんなでやろうぜ全員野球”が奇麗事であることの改めての証明でしかない。

 さらに自民党の舛添要一前厚生労働相が1月5日、政界再編や新党結成の可能性に言及して“みんなでやろうぜ全員野球”に衝撃を与えた。

 5日の仕事始めの会合に出席した後、記者団に次のように発言している。

 「最終的には政界再編という大きな目的を遂げないといけない。一つの政党が失敗したときに受け皿になる政党をつくるという原点を守って判断していく」(時事ドットコム

 「政界再編という目的を遂げないといけない。あらゆる可能性を否定しない。行動すべき時は行動する」(東京新聞

 「一緒になる人が野にいようが、今の政権にいようが構わない。数は力なので仲間を募る。国民が望めばリーダーシップを発揮する」(同東京新聞

 (先月下旬の発言)「自民党再生は駄目だ。悪いものを再生してもしょうがない。叩き割って新しいものをつくらないといけない」(上記時事ドットコム

 「党内でやるべきことはやるが、大きな政治のうねりの中で行動すべき時は行動する。最終的には政界再編という大きな目的を遂げたい」(msn産経

 「古くなって国民から見捨てられた政党を再生してもだめだ。新しく作るぐらいの気構えがないといけない」(同msn産経

 対して大島理森幹事長(5日の記者会見)「政界再編という言葉は責任ある政治論ではない。そういういことは起こり得ないし、起こしてはならない」(上記時事ドットコム

 大島発言は自己利害から言っている言葉に過ぎない。困るのは自身が幹事長を務めている自民党の数が減って現在以上に不利な状況に立たされるからに過ぎない。また既に矛盾を来たしている“みんなでやろうぜ全員野球”を破滅させる要因ともなるからだろう。

 舛添は政界再編について次のようにも発言している。

 「小沢一郎民主党幹事長は自民党の最も古いやり方を踏襲しており、(与野党問わず)新しい感覚で政治をやる人との糾合も必要だ」(上記msn産経

 昨年の12月下旬には小沢一郎のことを次のように言っていた。

 「誤解を恐れずに言うなら、今の自民党には小沢さんよりももっとラジカルな独裁者が必要。負けたという危機感がなさ過ぎる」(スポーツ報知

 「小沢さんよりももっとラジカルな独裁者が必要」と小沢一郎の独裁性を比較対照的な必要基準として評価していながら、1月5日には「小沢一郎民主党幹事長は自民党の最も古いやり方を踏襲して」いると、その政治性を否定している。

 この君子態度豹変は民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の2004年土地購入代金4億円の政治資金収支報告書未記載問題で同会の事務担当者だった民主党石川知裕衆院議員(36)が東京地検特捜部の事情聴取を受けたことと、それが小沢氏本人から現金で受け取ったと供述していることが1月1日の元旦早々にマスコミに報じられたことからの発言訂正なのは間違いない。

 見事なご都合主義の君子態度豹変だが、そんなことはお構いなしに谷垣総裁の“みんなでやろうぜ全員野球”にダメージとなる攻撃を仕掛け、その息の根を止めようとしている。息が止められたら、沈没しかない。

 党内に世代交代を求めて青木幹雄・前参院議員会長(75)に政界引退を迫る動きがあるにも関わらず、5選を目指して立候補の構えを示し、党に公認申請する動きを見せていることに対して、谷垣総裁が7日の記者会見で「比例区は年齢制限があるが、青木氏は選挙区であり、関係ない」 (asahi.com)と75歳の青木古い政治家に限っては“みんなでやろうぜ全員野球”の仲間に入れる、相手に応じて基準を変えて公認を容認する姿勢を示したと言う。

 見事な“みんなでやろうぜ全員野球”となっている。

 もう一人の老いの執念、2007年の参院選で落選した片山虎之助元総務相(74)については、「原則70歳未満」ルールを無視して比例区で公認する方向で調整している(FNN)という。このルール無視は青木老いの執念の後押しが(msn産経)あることからの動向だということだが、“みんなでやろうぜ全員野球”適用の恩恵を受けることができるかどうか、偏に古い政治家青木老いの執念の力にかかっている。

 参議院選挙で公認を得ることができるかどうかの利害、あるいは4年後になるか、4年よりも短い間で行われるか分からない次の総選挙の公認を保証する支部長に就けるかどうかの利害、さらに党執行部側からの当落の可能性に向けた利害等が絡み合い、落選議員の離党が相次いでいることも“みんなでやろうぜ全員野球”“みんなでやろうぜ全員野球”となっていないことの暴露となっている。

 そのような利害の荒波にもまれ、舵を握っているはずの谷垣自民党総裁の方向定まらない指導力に恵まれて、まさに“みんなでやろうぜ全員野球”は傾きつつあると言える。


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財政規律化は事業仕分けのみならず、すべての事業予算の1割カットの方が手取り早い

2010-01-08 10:27:12 | Weblog

 多くの国会議員がその無能力を省みずに大臣病に取り憑かれている中で、いくら病気理由とは言え、藤井財務相が自ら大臣を投げ捨てる辞任を申し出て慰留していた鳩山首相に了承され、後任に菅直人副総理・国家戦略担当相が就任。仙谷由人行政刷新担当相が国家戦略担当相を兼務することとなった。

 昨7日、菅副総理兼新財務相が財務省内で記者会見をしている。《【菅・財務相就任会見】(1)「財務省ではなく、国民の代表」》SankeiBiz/2010.1.7 17:29)から見てみる。
 

 冒頭の発言。

 「財務大臣に就任いたしました菅直人です。就任にあたっての会見ということで少し私の方から申し上げて、後は皆さんのご質問に答える形で進めたい。

 私は10数年前、厚生大臣になったときも申し上げたが、大臣というのはその役所の代表ではなくて、国民が役所に送り込んだ国民の代表。これは市町村(長)や知事の場合はわかりやすい。市長というのは市役所の代表である前に、市民の代表として市役所に入っていく。

 基本的には大臣も同じだ。国民の皆さんが選んだ国会議員が選んだ総理大臣が任命する。今回も財務大臣の任命を総理からいただいたが、財務省の代表となるという前に、国民の代表として財務省に(来た)。国民のために働く役所であるようにということで大臣に就任した。それを改めて私なりに確認している。

 加えて私の場合、副総理という役割もある。財務省はもちろんだが、内閣全体のことについても総理を支える立場で十分に目配りをしていかなければならないと考えている」――

 なかなかいいことを言う。要するに省益を図るために就任する大臣でもなければ、企業利益を図るために就任する大臣でもない。勿論族益を図るために就任する大臣でもない。「国民の代表」だから、国民の利益を図るために就任する大臣であって、そうである以上、役所を常に国民の利益を図る組織として存在するよう努めなければならない。

 しかしこのスタンスは当たり前のことであって、理想の境地に位置づけてはならない。当たり前のことを記者会見で殊更言わなければならないのは当たり前のことが当たり前になっていないことから起きている事態なのは誰の目にも明らかである。

 しかし当たり前のことだからと言って、当たり前のこととして最後まで貫くことができるかどうかは別問題であるところが厄介なところである。人間は自己利害の生きものだから、いつの間にか「国民の代表」から離れて自己保身が目的とならない保証はどこにもない。

 菅直人財務相は予算に関しては次のように発言している。
 
 「一つは予算案はすでに出来上がって、いよいよ国会が始まるが、予算執行についての『透明化』ということだ。これはマスコミの皆さんもそういうところがあるが、(予算案の編成過程では)非常に多くの情報が国民に伝えられるわけだが、予算がいったん成立して、例えばある項目に100億円予算がついたと。じゃあ、その100億円が具体的にどのような形で使われて、当初の目的通りに本当に効果的に働いたのか。こういうことについて必ずしも十分なフォローができていないように思う。

 国家戦略室でも議論をしてきたが、財政の体質、いわゆる予算執行の中身をできるだけ国民の皆さんに公開していく。それを通して、その予算が本当に国民のためになっているのかどうかを判断することができるような(財政)運営、支出管理ということ。国家戦略室でも取り組んでいただくことだと思っているが、一番多くの情報を持っている財務省がそれを実行していきたいと思っている。

 また、民主党のマニフェスト(政権公約)の中で207兆円の総予算、つまり一般会計、特別会計を含む総予算について、全面的に見直すとなっているわけだが、この3カ月半では着手という段階にとどまっている。そういった意味では、ありとあらゆる特別会計や独立行政法人、公益法人について、主に行政刷新会議が担当していただくことになると思うが、財務省の立場でもこの問題にしっかりと取り組んでいきたいと思っている」――

 各予算について国民の利益に適った執行がなされたかかどうか「支出管理」を厳格に行い、その情報を国民に公開していくことと、着手段階で終わっている一般会計と特別会計合わせた「207兆円の総予算の全面的な見直し」を今後とも続けていくとしている。

 確かに独立行政法人、公益法人等の高すぎる人件費や一般省庁も加えた随意契約、一社応札を駆使した事業の丸投げや高値契約、口止め料も含めたかなりいい利益へと平均化させることとなる丸投げや高値契約が提供するボロ儲けからのキックバック等々は「支出管理」や「207兆円の総予算の全面的な見直し」によってかなり是正できるだろうが、それ以外の予算に対する「支出管理」も「207兆円の総予算の全面的な見直し」もその多くは後追い作業となるから、予算執行側がその作業の網を潜り抜けるために前以てゴマカシを働かせて辻褄を合わせておかないとも限らない。
 
 また後追い作業となると、仕事の効率や労働生産性の問題が取り残されかねない。随意契約、一社応札を駆使した事業の丸投げや高値契約は減らすことができても、慣例通りに何ら工夫もなく事業を組み立て、組み立てた事業に応じて同じく慣例通りに予算を組み、それを慣例に従ったまま競争入札にかけたり、独立行政法人、公益法人等にそのまま下げ、独立行政法人、公益法人等が別の独立行政法人、公益法人等に、あるいは関連省庁の天下りが在籍している企業も参加させて入札にかけるという従来通りの事業執行であったなら、仕事の効率が向上しない以上、あるいは労働生産性が向上しない点、否応もなしに随所に少しずつムダを含むことになって、その総計は「207兆円の総予算」から見た場合、決して無視できないかなりの量のムダになるはずである。

 農林水産省が所管する全国の農業ダム190カ所のうち44カ所で想定を大きく上回る水漏れや水の利用が低いムダな事業だった問題が生じていることも後追いの検証作業で分かることで、赤松広隆農水相は役人が言ったことを鵜呑みにしたのか、ダム完成時の正確な需要を見通すのは難しいなどとして、国営事業としては離島を除き、新たな農業ダムは造らない方針を明らかにしたということだが(asahi.com)、水漏れはさておいて、水利用率が低いと言うことは
地元の要望がないままの需要見通しというあり得ない矛盾を無視して建設した疑いか、10年20年経過して農業の後継者不足から生じた水利用率の低下であったとしても、農業の後継者不足は現在の日本では一般現象なのだから、そのことまで含めた需要見通しの甘さの疑いが生じることから、ただ単に深い考えもなく慣例通りに惰性で建設し続ける予算執行を行ってきたとしか思えない。

 ムダが生じている以上、ムダに応じて労働生産性は低い所にある。

 「207兆円の総予算の全面的な見直し」とは別に後追い作業となる「支出管理」から洩れるムダ遣いを可能な限り排除するためには以前《事業仕分け/予算圧縮は官僚のコスト意識の観点からムダの存在を絶対前提とすべし》(2009-11-27 12:35:35)と《概算要求95兆円から3兆円圧縮への査定は少な過ぎないか》(2009-10-20 14:46:23)で書いたように各事業予算を一律1割カットして、1割カットした予算でコスト意識を持たせて遣り繰り算段する工夫を凝らさせる中で国民の利益に適う的確な必要性から割り出した各事業設計と予算編成を成果とさせることが必要ではないだろうか。

 結果的に少なくないムダが排除され、仕事の効率と労働生産性の向上へとつながっていくはずである。

 勿論、このような事業設計と予算編成が慣例となった場合、前以て1割上乗せした予算編成を行う省庁も出てくる恐れがあるが、そういうことをさせないように省庁を横断的に高額予算の事業をいくつかピックアップして1割上乗せしていないか、無駄がないか厳しく企業仕分けすることにしたなら、前以ての上乗せは防げるはずである。

 もし上乗せしてあったなら、その予算は執行しない罰則を課すぐらいの厳しい態度を示すべきである。

 河村たかし名古屋長が「市民税10%減税」を掲げて、その減税案を市議会を通すことに成功したが、河村氏のHPによると、市民税2500億円の10%、減税分の250億円減収分は名古屋市の平成20年度予算総額2兆6,000億円の1%相当に当たるが、減収分は徹底した行財政改革により無駄遣いを根絶することで対処するとしている。

 昨年末だったと思うが、河村氏は朝日テレビの「サンデープロジェクト」で、「各予算の10%ぐらいはムダがあるから、予算総額2兆6,000億円の1%ぐらいは簡単に圧縮できる」といったことを言っていたが、“10%のムダ”は政治家としての直感からくるこのくらいのムダがあるはずだという数字だと思う。

 いずれにしても、前以て一律1割カットして、その中で事業とその規模の必要性を的確に見極めさせ、ギリギリの予算を組む習慣を植えつけて遣り繰り算段の工夫をつけさせる。もしそれで国民の利益に適う事業とするには予算が不足ということなら、後払いでもいいのだから、不足分を補正予算を組んで付け足すことにしたらいい。

 そもそもからして国の赤字財政は09年度末の国債発行残高は592兆円から601兆円に膨らみ、98年度末の295兆円から倍増し、国債以外の借り入れを含めた国と地方の長期債務残高は820兆円超となり、先進国最悪の水準を更新する対国内総生産(GDP)比で1.7倍に達する状況にあるのだから、財政規律化は待ったなしの緊急事態にあるはずである。

 鳩山内閣が閣議決定した10年度予算、一般会計総額92.3兆円、うち国債発行額44.3兆円、特別会計114,7兆円――「総予算207兆円」を一律1割カットしたら、一般会計総額83、07兆円、うち国債発行額39,87兆円、特別会計103、23兆円――「総予算186,3兆円」の減額となる。

 一般会計のみで9.23兆円の節約。子ども手当初年度半額支給(月額1万3千円)は約2兆3千億円の財源が必要で、暫定税率を廃止した場合2・5兆円減税分が減収となる。合わせて4.8兆円、一般会計の9.23兆円カット分のうち4.43兆円まだ余裕がある。

 勿論計算どおりには正確にはいかないが、子ども手当の地方負担だ、所得制限だと騒ぐこともなかったし、暫定税率維持はマニフェスト違反だと批判されることもなかったのではないのか。

 財政規律化への大きな一歩を踏み出すことにもなる。

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アジアをカネ儲けの場とのみ把えず、モノのみならずヒトも対等意識を原則とした相互利益供与を図るべし

2010-01-07 09:58:19 | Weblog

 1月5日、日本経済団体連合会(経団連)、日本商工会議所(日商)と経済同友の経済3団体新年祝賀パーティーが都内で開催、3団体にしても〈日本経済復活のカギとして、環境分野への積極的な取り組みやアジアなど新興国の成長を取り込む経営の重要性を指摘〉したとアジア外需頼みなところを披露したらしい。その中心はあくまでも中国であるのは言を俟たない。
 
 「NHK」記事――《“復活のカギ 環境・アジア”》(10年1月6日 5時9分)が伝えている。

 経済界も同じアジア外需頼みだと言うのは、前のブログでちょっと触れたが、鳩山首相が経済成長戦略の基本方針で、成長著しいアジアの需要を取り込むことを経済成長の柱の一つに据えて国内総生産(GDP)の2020年度までの平均成長率を名目3%超、実質2%超に押し上げる目標を掲げたが、日本の“成長停滞”に反してアジアを“成長著しい”と対極に位置づけたこと自体がアジアに対する依存状況を表していて、政・財共にアジア外需頼みで足並みを揃えているからである。外需依存の経済構造となっている以上、当然の行き着く先でもある。

 新日本石油の渡文明会長は悲観的である。

 「現在は分岐点にあり、悪化することも考えられるし、年末ごろに回復して薄日が差すことも考えられる。非常に危機感を持っているのはデフレで、デフレスパイラルという悪循環になっていくことを心配している」

 対して三菱重工業の佃和夫会長、新日鉄の三村明夫会長両氏の外需志向の重要性を訴えている。

 佃和夫会長「市場の変化は、われわれの予想以上に急激に変化している。市場の中心が先進国から中国、インドを中心とする新興国に変わっており、日本企業は深刻に考えて対応を急がなくてはならない」

 三村明夫会長「日本にいるだけでは世の中が縮んでみえる。しかし、中国やブラジル、東南アジアに行けば大きなダイナミズムが存在している」
 
 同じ1月5日の自動車工業団体新春賀詞交歓会でも経済界の外需頼みの姿勢を「NHK」記事――《自動車業界 “新興国重視を”》(10年1月5日 21時17分) が伝えている。

 三菱自動車工業益子修社長「これから需要が爆発的に伸びる可能性があるのは新興国で、新興国向けに低価格のクルマをどう開発して生産するかが自動車メーカーが成長するカギになる。中でもインドは中国と並んで人口が多く、将来の成長性は大いに期待できるため、ことしは力を入れていく積極的なメッセージを出したい」

 インドでおよそ50%のシェアを占めているスズキの鈴木修会長。

 「インドや中国は勿論のこと、アジア全体が成長が見込める市場だ。販売を伸ばすためには日本と風俗、習慣、環境の違いを理解して、その国の環境に合った車づくりをしていくことが欠かせない」――

 中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の自由貿易協定(FTA)が1月1日発効、大半の輸出入品目に関して関税が撤廃され、域内人口約19億人の巨大自由貿易圏が誕生、息も絶え絶えな日本を置いてけぼりにアジアは勢いづいている。

 その勢いの差が出たのだろう、既にその地位を失っているのか、今年限りの命なのか、少なくともこれまでは外需依存の経済構造で世界第2位の経済大国というメシにありついてきた。今後とも外需依存で経済というメシにあり続けなければ日本は立ち上がれなくなってしまう。

 だが、これまでのようにアジアを企業がカネを稼ぐ市場としてのみ把えて、日本の経済の発展の道具としていたなら、過去の戦争を検証・総括して認めるべき過ちは認める潔さを見せず、逆にアジア解放の戦争だった、あるいはインフラ整備や教育制度等に貢献したという姿勢、あるいはアメリカ外需で稼いだカネの力で日本及び日本人を優越的位置に立たせて貧しかったアジアの国々にさも施しをかけるように援助を施して、援助以上の利益を上げてきた思い上がった姿勢がアジアの国々の不信感を募らせたように、アジア外需によって例え日本の経済が救われたとしても、不信感の屋上屋を架けることになるに違いない。

 またこのような不信感が韓国やタイ、インドネシア等の国々を地政学的要件からだけではなく、中国に目を向けさせる要因の一つとなっているはずである。

 アジアを企業がカネを稼ぐ市場としてのみ把えずに、共に栄えるべき連帯社会と把え、そうあるべきなら、連帯社会形成の不可欠条件たる人道意識に立った人間の相互交流に寛大でなければならない。

 だが、難民や不法在留外国人に日本は排他的で厳しく、外国人非正規労働者に対する低賃金環境だけではなく、日本の技術を外国人の日本での研修を通して本国に移転するという立派な目的を据えた外国人研修制度は、その目的に反して主として日本人が嫌う安価な3K労働強制の場と化していて、中にはパスポート取上げたり、労働基準法に反した安い残業賃金で時間外労働させたり、最低賃金に満たない給与で労働させたりの人間として扱わない権行為を多くの外国人に加えている。

 このような日本国内に於ける外国人労働者に対する処遇はこれまでの日本のアジアの国々に於けるカネ優先・儲け優先の処遇を反映させた国内版であろう。

 日本が他のアジアの国々の国民を下に置き、日本人を上に置く態度で接していたなら、表向きはこれまでは兎に角も通用していた関係は鳩山首相が言う“成長著しいアジア”という力関係の変更を受けて表向きも通用しなくなり、アジアの国々から取り残される一方となるに違いない。

 日本人が自分たちを上に置いてアジアの国民を下に置いた優越意識を対等な場所に置き換えるのは困難で、時間がかかるだろうが、アジアの成長が今度は逆に日本人をして表向きは対等だと演じて見せざるを得ない場所に追い込むことになるだろう。

 日本は紛争などによる迫害を逃れて別の国で暮らす難民を日本に受け入れる「第三国定住」と呼ばれる政策を今年からアジアの国では初めて実施するということだが、決してアジアの国々の国民を対等な人間扱いすることから発した「第三国定住」ではないことはこれまでの難民政策が証明している。

 欧米先進国に比較した日本の難民受入れの圧倒的少なさから国連等がもっと多くの難民を受け入れるよう度々要請していた、いわば外圧の延長線上にある「第三国定住」なのは間違いない。

 「第三国定住」の対象はタイの難民キャンプで暮らすミャンマーの少数民族で、日本政府は来月にも現地に担当者を派遣して日本での定住を希望する難民の面接を行うということである。

 面接での認定要件は犯罪歴の有無や日本での新しい生活への適応性等で、複数の家族で合わせて30人程度を選考、日本への受け入れは秋になる見込みで、政府は入国後の半年間、難民に日本語や生活習慣などの研修を行う団体を選ぶなど受け入れ準備を本格化させることにしていると報道している。

 だが、外務省人権人道課の志野光子課長は“外圧”による難民受入れではないと間接的に否定している。

 「世界に1000万人以上いる難民を少しでも助けようという人道目的の政策で、日本の役割が期待されている。本国に帰れない難民を隣人として迎えるよう、日本の社会全体に協力を呼びかけたい」

 「世界に1000万人以上いる難民」に対して今後3年間で90人の受入れに過ぎないにも関わらず、美しいばかりの「人道目的の政策」、「隣人」扱いだとしている。

 だが、決して外務省人権人道課の志野光子課長外っているように「人道目的の政策」でも「隣人」扱いから発した難民受入れでないことは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のグテレス高等弁務官が昨09年11月20日に東京都内で記者会見し、「日本が受け入れている難民数は少ない。認定制度の見直しを進めて国際的な水準を満たしてほしい」と日本の難民認定が「国際的な水準」に満たないことを批判しているニュースを「msn産経」「共同通信」の記事として《より多くの難民受け入れを 国連難民高等弁務官》で報道していることが証明している。

 その上で、〈日本が2010年度から導入する「第三国定住」によるミャンマー難民の受け入れについては「今後3年間で90人と数は少ないが、アジア初のケースであり、成功すれば難民の定住国としての地位が確立される」と期待を示した。〉とやはりその数の少なさを問題としている。

 また、難民認定を申請中の外国人の唯一の公的支援である外務省の「保護費」の支給基準が今年度から厳格化されて5月末で計100人が支給を打ち切られていたと伝えている「asahi.com」記事――《難民申請100人の生活費打ち切り 外務省、基準厳格化》も難民支援に日本が人道的でないことを伝えている。

 記事は次のように書いている。(一部抜粋参考引用)

 〈保護費は、難民認定を求めて来日した外国人に対して、法務省入国管理局から認定か不認定かの審査結果が出るまでの期間、生活を支える目的で83年度から外務省が続けている制度。外郭団体「難民事業本部(RHQ)を通じて月に1回、1日1500円(12歳未満は750円)の生活費と、1人上限4万円の住居費の合計金額を手渡している。在留資格のない難民申請者には就労許可が出ないため、難民申請者にとっては「命綱」のような存在だ。

 外務省人権人道課によると、これまでは難民申請中の外国人は「生活に困窮している」と認められれば一定期間、支給を受けることができた。しかし、今年度から基準を見直し、支給対象を病気が重い人や子ども、妊婦、高齢者に絞り込んだという。

 この結果、計100人が対象から漏れた。5月の保護費支給人数は、新規の申請者を含めても174人と、前月の263人から激減した。支援団体には、5月中頃から「家賃を払えずに住居を追われた」などの訴えが急増し、対応に追われている。

 同省人権人道課は「生活困窮者にはできるだけ支給したいが、予算が足りず、本当に必要な人の手に届けるために絞り込まざるを得なかった」と説明している。〉――

 「予算が足りず」と言っているが、一方で補助金を誤魔化したり、公益法人等の理事長その他に高額すぎる給与を支払ったり、裏金をつくって私的流用にまわしたりの省庁のムダ遣いを放置しながらの「予算が足りず」であり、「本当に必要な人の手に届けるために絞り込まざるを得なかった」の人道的配慮なのである。

 いわば削るべきところは削らずに、削るべきないところを削った情け容赦のなさが生じせしめた“計100人の対象漏れ”であって、「本当に必要な人の手に届けるために絞り込まざるを得なかった」が如何に奇麗事の正当化口実か分かろうと言うものである。

 また「NHK」記事――b>《インドシナ難民 厳しい生活》(09年12月19日 5時49分) も日本の難民に対する人道上の配慮の欠如を国連の報告書の形で伝えている。

 この報告書は日本政府が新たに行う「第三国定住」に役立てる参考材料に国連が過去日本が受け入れてきたインドシナ難民のうち、245人のインドシナ難民を対象に一昨年から今年にかけて行った調査だという。

 その結果――

▽日本語を数か月程度の研修でしか学べなかったため安定した仕事に就けず地域社会にも溶け込めない難民の存在。

▽精神を病んで自殺に追い込まれたりしたケース。――等、厳しい生活を送っている現実が浮き彫りになったという。

 神奈川県内に住むカンボジア出身の元インドシナ難民、伊佐リスレンさん。

 「これから日本に来る難民がもっと長く日本語の研修を受けられるようにするなど、政府に対してより手厚い支援を求めたい」

 この程度の人道的配慮は備えているアフターケアでしかない。人道的配慮を下位意識とした日本の外国人政策・難民政策となっている。

 こういったことすべてが、いわゆる“外圧”による止むを得ない日本の難民受入れであることを証明し、一般の外国人受入れの構図となっていることを証明している。

 日本人を上に置いた外国人拒絶反応から脱却して、真に対等意識を持って外国人と接する意識がアジアをカネ儲けの場とのみ把えることから免れることができるはずである。

 そうしなければ、下に参考引用する記事が描くアジアと日本の関係はますます酷い関係となっていくに違いない。 


 《中国-ASEANのFTA発効:期待は日本ではなく、中国へ》(サーチナニュース/2010/01/05(火) 11:39)

 かけ声だけの鳩山由紀夫首相の「東アジア共同体」と違って、中国は一足先に、この正月、東アジア共同体の第一歩を実現した。それは、ASEAN(東南アジア諸国連合)との自由貿易(関税撤廃)である。

 元旦より、中国とASEANの6カ国(タイ、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、ブルネイ)とが、約7000品目にわたる関税を撤廃した。これによって、人口19億人、GDP6兆ドルという巨大自由市場が、東アジアに誕生した。

 この巨大自由市場の誕生は何を意味するのか。私は昨年9月に中国・大連で行われた「夏のダボス会議」の席上で、ASEANの3人のキーパーソンに話を聞いている。彼らはやや興奮気味に、次のように語っていた。

 「これほど早期に中国との自由貿易協定がまとまったのは、『原材料ではなくて加工製品を輸出したい』というASEAN諸国の要望を、中国が受け入れてくれたからだ。わが国には300もの民族があり、民族間の対立が最大の問題だったが、皮肉なことに国民の目が一斉に中国に向き始めたことで、民族間の対立が減った」(インドネシアのルトゥフィ経済相)

 「わが国は中国の力を借りて内需を拡大し、7%成長を達成する。そして今回中国と始める自由貿易の枠組みを、今後はインド、韓国、オーストラリア、ニュージーランドへと拡大していく。数年のうちにアジア各国は、経済政策の全面的な再設計を迫られることになるだろう」(ベトナムのトゥルン・ハイ副首相兼経済相)

 「現在、年間100万人の観光客がわが国を訪れるが、両国の自由貿易と鉄道連結によって、数年内に中国からの観光客は、いまの10倍、すなわち年間1000万人規模に拡大するだろう。2016年には、中国-ASEAN-インドという世界経済の3分の1が一体化し、世界経済は激変するに違いない」(タイのシトヘアモーン通商相)

 このように、ASEAN諸国の指導者たちが期待を寄せるのは、もはや日本ではなくて中国なのである。

 例えば、一昔前まで「日本のODAが国を動かしている」とまで囁かれたインドネシアでは、今年は必要な鉄鋼の5割以上を中国から輸入する予定だ。シンガポールとマレーシアも、今年最大の貿易相手国は中国となる見込みだ。中国はまさにオセロゲームのように、「ASEAN利権」を日本から、一つひとつ引っ繰り返している構図なのだ。

 中国は、広西チワン族自治区の南寧と雲南省の昆明を、ASEAN貿易の拠点に据えている。南寧では1月7日より、温家宝首相が主宰して、「中国ASEAN自由貿易区フォーラム」を開催する。昆明は、メコン河開発によって、インド洋と直結させる狙いである。シンガポール-マレーシア-タイ-カンボジア-ベトナム-南寧、昆明という「中国ASEAN縦断鉄道」も建設中で、5年後には開通する予定だ。

 さらに中国は、ASEAN市場で遠望を抱いている。それは、「人民元国際化構想」である。前世紀に日本が成し得なかった「円をアジア共通通貨に」という野望を、今世紀に中国が実現しようというのだ。中国はすでに、計100億ドルに上る「中国ASEAN投資協力基金」を準備しており、今後はASEAN諸国との貿易決済に関して、ドルを介在させない人民元決済の拡大を図っていく。もちろん、台湾・香港・マカオも、「人民元経済圏」に呑み込もうという算段だ。

 日本が実態のない「東アジア共同体構想」をブチ上げている間に、東アジアは日本を抜きにして、どんどん先へ進んでいっているのである。(執筆者:近藤大介 明治大学講師  編集担当:サーチナ・メディア事業部)

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分かりやすくていい「日本栄養士連盟」の自民支持から民主支持への“鞍替え”

2010-01-06 10:46:13 | Weblog

 《栄養士連盟、民主支持に》時事ドットコム/2010/01/05-19:26)――

 2007年の参院選の比例代表で自民党から候補を擁立したが落選した経緯を持つ日本栄養士連盟はこれまで一貫して自民党を支持してきた姿勢を転換、日本栄養士連盟の尾籠悦子会長代理が5日に民主党の小沢一郎幹事長と国会内で会い、夏の参院選では民主党を支援する方針を伝えたという。

 尾籠悦子会長代理は“鞍替え”の理由を次のように述べている。

 「国民が選んだ民主党を支持していくのが当然ということになった。与党を支持しないと、予算も付きにくい」

 《日本栄養士連盟、民主支持に方針転換》毎日放送/10.1.6)では尾籠悦子会長代理の発言は次のようになっている。

 「与党が予算というのを決められますよね。そういうことでやはり与党である党を支持しないと今後なかなか予算も付きにくいというのもあるんじゃないですか」

 自民党は戦後ほぼ一貫して政権与党の立場を確保し、国家予算を握ってきた。日本栄養士連盟がこれまで一貫して自民党を支持してきた歴史も、予算が付きやいことからの与党・自民党支持の歴史だったと言うわけである。

 要するに自民党の政策を支持してきたわけではなかった。そして今回の民主支持への転換、“鞍替え”も民主党が掲げる政策の是非を支持理由としたからではなく、予算が取りやすいか取りやすくないかを基準とした支持理由からだとしている。いわば見返りに予算(カネ)を求めた支持だというわけである。

 譬えて言うと、政策の是非でバツ一になる覚悟をして自民党を捨て、民主党とくっついたわけではなく、自民党と民主党の間でカネ(予算)を握っている立場が逆転したから、カネ(予算)を手放した自民党に義理立てしてくっついていても仕方がない、さっさと別れてバツ一になって、今度新たにカネ(予算)を握った民主党とくっついて、私おカネ欲しいのよと懇ろになった方が色々とプレゼントしてもらったりできるからずっといいというわけなのだから、まさしく“鞍替え”と表現していいはずだ。

 カネ(予算)の権限を失った男からカネ(予算)の権限を手に入れた男への乗り換えと形容してもいいい。

 だが、国民のためだとか日本の将来のためだとか、奇麗事を言うより簡単明瞭、現金で分かりやすくていい。

 但し、日本栄養士連盟のこのような態度を事大主義と言う。

 事大主義とは「勢力の強い者に追随して自己保身を図る態度・傾向をいう」(『大辞林』三省堂)

 常に与党は自民党を前提とし、政権交代など夢のまた夢であった政権交代前の時代は安心していられたが、政権交代可能時代となった今、自民党が再度政権を取り与党に返り咲くことがあったなら、予算獲得の基準に従った「与党支持」の原則で民主党支持から自民党支持へと出戻りの“鞍替え”をしなければならないだろうから、都合のよい方につくために常に情勢を窺う態度――日和見主義を保持していなければならなくなる。

 あるいは有利な側へつこうと常に形勢を窺う洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込まなければならなくなる。

 (洞ヶ峠――京都府八幡町と大阪府枚方市の境にある峠。海抜63メートルに過ぎないが、淀川・天王山が眺望できる。山崎の合戦で筒井順慶が明智光秀に味方するかどうか戦況を眺めていたという言い伝えがある。『大辞林』三省堂)

 そして結果として、そのときの情勢でどちらの側にも従う節操のない二股膏薬の日本栄養士連盟という有難い称号を賜るようになるだろう。

 と言っても、こういった態度を取るのは支持組織ばかりではなく、その時々の情勢で有力な国会議員についたり離れたりする新人議員もいるだろうし、古手の議員の中にもゴマンといるに違いない。政策選択によってではなく、自己保身上の利害からのみ鳩山についたら有利か、小沢についたら有利かといった具合の態度の決め方をする。

 小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の億単位の不透明な会計処理、カネの流れが露見、東京地検特捜部が小沢氏に対して任意の事情聴取に応じるよう要請する方針を固めた模様だが、小沢氏側が要請を拒否する可能性もある(毎日jp)とマスコミが報道している。場合によっては幹事長失脚、議員辞職もあり得ない展開ではない。

 そうなった場合を恐れて、自己保身上の利害から早くも小沢支持に浮き足立っている議員もいるかもしれない。また小沢支持が“鞍替え”の支持だった場合、その選択は間違いだったと、“鞍替え”を早くも後悔している議員もいるに違いない。

 こういった自己保身から有力な勢力に無節操についたり離れたりする人間は大体がその理由を口先では政策が立派だからとか、政治的にも人格からいっても学ぶ点が多いからだとか、日本のためになるからだとか、奇麗事を口にするから、日本栄養士連盟みたいには分かりやすいといかないところが政治の世界を魅魍魎跋扈の世界としているのだろう。


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核廃絶は本当に可能か

2010-01-05 10:30:31 | Weblog

 1月4日は官公庁や一部企業のの仕事始めだそうだ。1月4日付「中国新聞」WEB 記事――《広島県内各地で仕事始め》が広島市役所での秋葉忠利市長の250人の職員を前にして行った仕事始めの訓示を伝えている。

 「2020年までの核兵器廃絶の夢を実現する暁には、平和の祭典である『広島・長崎五輪』を実現したい。世界的な意義はあるが、課題もある。検討をさらに深めていきたい」

 「2020年」まであと10年。いや、10年の期限を切らなくても本当に核兵器廃絶世界の到来を何ら誤魔化しもなく頭から信じているのだろうかと思った。

 頭から信じて言っているとしたら、合理的判断能力を欠いているとしか思えない。勿論、個人的感想である。

 もし信じていないのに唯一の被爆国・被爆都市の一つの市長という立場上言わざるを得ないから言っているとしたら、人を欺く行為となる。

 この世界に軍隊が存在する以上、最強の兵器である核兵器はなくなることはないと信じている。理由は唯一つ、それが敵に壊滅的な打撃を与えることができる最強・最大の殺傷兵器だからだ。

 核兵器に代る最強・最大且つより簡便に使用可能な新兵器が開発された場合は核兵器は廃絶可能となるだろうが、今度は核兵器に取って代わった最強・最大の新兵器の平和への脅威が問題となり、その扱いや管理が新たな課題として浮上し、片付かない問題となる。

 国レベルの核廃絶への努力は壁が高いことから、住民により近い立場にある都市が連帯して、核保有国へ政策変更を求めていくことなどを目的とした1982年設立の4年に1度総会開催の平和市長会議は被爆60年の05年から加盟都市が増え始め、オバマ米大統領の核廃絶宣言の影響もあって、今年は過去最多の860都市が参加。09年12月1日現在の加盟都市数は134カ国・3396自治体に広がっていると「毎日jp」記事――《平和市長会議:県内初、越前市が加盟 核廃絶へ、全都道府県出そろう/福井》(2009年12月18日)が伝えている。

 これまでの会議で、あるいは活動で核保有国の核廃絶に向けてどれ程の進展を示し得たのだろうか。あるいは核保有国の政府に対して核廃絶に向けた行動をどれ程に促し得たというのだろうか。参加都市が増えたという実績の獲得で終わるのではないだろうか。

 少なくとも1982年設立以来、北朝鮮の核保有を断念させる有効な働きかけを北朝鮮政府に対して直接的に、あるいは北朝鮮以外の国内外の政府、あるいは国際機関を通して行うことはできなかった。同じくイラン政府の核保有意志を阻止する有効な働きかけを現在までの間実現できないでいる。

 と言うことは、同じ理念を持つ都市同士の親睦会で終わっている疑いが浮上する。

 記事は国内参加都市に関して、〈これで47都道府県のすべてに加盟する市町村ができた。事務局を務める広島平和文化センターは「国内全都市の参加を目指しているが、まず空白の都道府県がなくなったことを喜びたい」と話している。〉と核廃絶の進展に直接的にも間接的にも結びつくわけではない実績を挙げている。

 日本政府に対しての具体的な働きかけを「msn産経」記事――《核廃絶議定書で政府に要請 広島市議会で意見書可決》(2009.12.18 20:06)から見ることができる。

 昨年の12月18日に広島市議会が2020年までの核兵器廃絶に向けて各国が取り組む具体的な道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」が2010年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で採択されるよう政府の取り組みを求める意見書を賛成多数で可決したのを受けて、秋葉広島市長は12月11日に長崎市議会で既に同趣旨の意見書を可決した長崎市長と共に両市議会議長を同道して上京、岡田外相に意見書を手渡し、協力を要請する予定だと伝えている。

 上京は12月21日の午後で、岡田外相が〈「よく検討して努力したい」と応じた。〉と12月12日付「時事ドットコム」は伝えている。

 この意見書採択協力要請に先立つ2009年9月16日就任後10日足らずの現地時間9月24日の国連安全保障理事会で鳩山首相は日本が核廃絶に向けて先頭に立つ決意を述べている。

 鳩山首相「日本は核兵器による攻撃を受けた唯一の国家です。しかし、我々は核軍拡の連鎖を断ち切る道を選びました。それこそが唯一の被爆国として、我が国が果たすべき道義的責任と信じるからです。近隣国家が核開発を進めるたびに、『日本の核保有』を疑う声が出るといいますが、しかし、それは被爆国としての責任を果たすため、核を持たないのだという我々の強い意志を理解していないからです。私は今日、日本が非核三原則を堅持することをあらためて誓います。世界は核拡散の脅威にさらされています。北朝鮮やイランの核問題、テロ組織による核物質や技術入手の可能性など、核不拡散の取り組みが重大な局面を迎えているというのが厳しい現実です。だからこそ、日本は核廃絶に向けて先頭に立たなければなりません。今年4月に(アメリカの)オバマ大統領が『核兵器のない世界』の構想を示したことは、世界の人々を勇気づけました。今こそ我々は行動しなければなりません」(《日本は核廃絶に向けて先頭に立つ~鳩山首相》日テレNEWS24/2009年9月25日 1:51)

 アメリカの核の傘の保護下の許に国の安全保障を築いてきた過去・現在を抱えながら、「核廃絶」を訴える矛盾した道義的責任は問うまい。日本が唯一の被爆国だからと核廃絶を訴える道義的責任以前に広島・長崎への原爆投下が避け得なかった事態だったのか、時の政府及び軍部も加害者として一枚加わって招いた惨事ではなかったのか、その道義的責任を検証・総括する道義的責任を後世の政府は負っているはずだが、それを抜きに被害者の立場からの道義的責任のみを取り上げる矛盾を犯している。

 そしてこのような矛盾が表に現れないまま、国連安全保障理事会は核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合で「核兵器のない世界」を目指す決議を全会一致で採択した。

 さらに「昨年から今年にかけて」と08年~09年を指して言っているから、麻生前政権下でのことなのか、日本政府当局者が、〈核軍縮に伴って核の傘の信頼性が低下しかねないとの懸念〉を米議会の諮問委員会に伝え、〈米国に維持してほしい核戦力を「信頼性」「柔軟性」など6項目に分類。近代化された核弾頭、原子力潜水艦、B52爆撃機などを具体例として列挙した書面を提示し〉たことを諮問委員会の副座長を務めたジェームズ・シュレジンジャー元国防長官が朝日新聞に対して明らかにしたと、「asahi.com」記事――《日本「核の傘」縮小を懸念 自公政権時に米に伝達》(2009年11月6日3時1分)が伝えているが、記事が〈被爆国として核廃絶を訴える日本が、その裏で核戦力の維持を米国に求めていた形になる。〉と解説している矛盾を、鳩山新政権に関係ないこととは言え、日本は犯してさえいる。

 記事は、〈諮問委は、政権政党の見方に縛られない超党派の機関としてブッシュ前政権時の08年5月に発足し、専門家らの聞き取りなどの作業を経て、今年5月に核政策の提言をまとめ、オバマ政権に提出した。政権側は現在、この提言などを踏まえた形で、今後5~10年の指針となる「核戦略見直し」(NPR)を作成しており、来年初めにも発表する。 〉と解説している。

 そして2009年12月2日になってアメリカの核の傘の保護下の許に国の安全保障を築いてきた過去・現在の矛盾をそのままにして国連総会本会議は核廃絶に向けて核軍縮を訴える日本主導の決議案を賛成171、反対2、棄権8で採択する。(《米含む171カ国賛成 日本主導の核軍縮決議》asahi.com/2009年12月3日11時4分)

 記事は、〈唯一の被爆国として決議採択を推し進めてきた日本にとって、今年の最大の成果は、米国が9年ぶりに賛成に転じたことだった。米国は初めて共同提案国にも加わり、過去最多の87カ国が名を連ねた。〉とその成果を誇っている。

 日本にとって、「唯一の被爆国」がほかにたいして誇るものはない成果となっているようだ。いくら171カ国が賛成し、アメリカが初めて共同提案国に加わったとしても、肝心の北朝鮮が反対したのでは「米含む171カ国賛成」なる“成果”はさして意味を成さないばかりか、帳消しされかねない。賛成国の殆んどが核非保有国だろうからだ。

 核保有国のインドも反対に回り、反対が昨年より2カ国減ったとはいうものの、中国、フランス、パキスタン、イスラエルなどの核保有国が棄権したのではこれらの国を核廃絶の蚊帳の外に置いた核廃絶決議という倒錯を演じたに過ぎない国連総会本会議となる。

 記事は次のような解説を載せている。

 〈総会決議に拘束力はないが、オバマ米大統領が提唱する「核兵器のない世界」の実現を後押しし、核軍縮を目指すという決意を国際社会としてアピールする効果が期待される。 〉――

 この「効果」は北朝鮮、インド、中国、フランス、パキスタン、イスラエルなどの主たる核保有国を除いた国際社会向けの“アピール”が可能とする「効果」に過ぎないのは言うまでもない。

 鳩山首相は09年9月4日の国連安全保障理事会の「核廃絶」で日本が先頭に立つことを訴えた演説で、「今年4月にオバマ大統領が『核兵器のない世界』の構想を示したことは、世界の人々を勇気づけました。今こそ我々は行動しなければなりません」とオバマ演説が行動への契機となったことを明らかにしているが、09年4月のプラハでのオバマ演説を「asahi.com」記事――《オバマ大統領、核廃絶に向けた演説詳報》(2009年4月5日23時14分)を参考に見てみる。

 米国は核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある、とした上で、ロシアと新たな戦略兵器削減条約の交渉推進、核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を表明し、核実験の世界規模での禁止のための包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准、核兵器に必要な材料を遮断するための核兵器用の核分裂性物質の生産を検証可能な方法で禁止する新条約(カットオフ条約)の批准、核不拡散条約(NPT)の強化と国際的な査察を強化するために国際原子力機関(IAEA)に対する資源と権限の強化、国連安全保障理事会の規則・条約、及び核拡散違反を拘束力あるものとすること、イランに対する核開発への警告、テロ組織に核兵器が渡ることの脅威の阻止、核物質の闇市場の壊滅、移送中の物質を探知・阻止し、財政手段を使ってこの危険な取引を妨害する取り組みの強化等々を挙げて、最後に格調高く次のように訴えている。

 〈こんなに広範囲な課題を実現できるのか疑問に思う人もいるだろう。各国に違いがあることが避けられない中で、真に国際的な協力が可能か疑う人もいるだろう。核兵器のない世界という話を聴いて、そんな実現できそうもない目標を設けることの意味を疑う人もいるだろう。

 しかし誤ってはならない。我々は、そうした道がどこへ至るかを知っている。国々や人びとがそれぞれの違いによって定義されることを認めてしまうと、お互いの溝は広がっていく。我々が平和を追求しなければ、平和には永遠に手が届かない。協調への呼びかけを否定し、あきらめることは簡単で、そして臆病(おくびょう)なことだ。そうやって戦争が始まる。そうやって人類の進歩が終わる。

 我々の世界には、立ち向かわなければならない暴力と不正義がある。それに対し、我々は分裂によってではなく、自由な国々、自由な人々として共に立ち向かわなければならない。私は、武器に訴えようとする呼びかけが、それを置くよう呼びかけるよりも、人びとの気持ちを沸き立たせることができると知っている。しかしだからこそ、平和と進歩に向けた声は、共に上げられなければならない。

 その声こそが、今なおプラハの通りにこだましているものだ。それは68年の(プラハの春の)亡霊であり、ビロード革命の歓喜の声だ。それこそが一発の銃弾を撃つこともなく核武装した帝国を倒すことに力を貸したチェコの人びとだ。

 人類の運命は我々自身が作る。ここプラハで、よりよい未来を求めることで、我々の過去を称賛しよう。我々の分断に橋をかけ、我々の希望に基づいて建設し、世界を、我々が見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を引き受けよう。共にならば、我々にはできるはずだ。 〉――

 だが、すべては〈核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する。〉、その〈一方で、米国の核戦力を削減する努力を始める。〉という条件つきの矛盾した核廃絶宣言となっている。

 なぜ矛盾しているかと言うと、米国と敵対する国、あるいはテロ組織にとっても〈核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する。〉を自身に有効な核兵器所有正当化条件とすることができるからだ。

 この核兵器所有正当化条件は既に北朝鮮が使っている。

 さらに言うと、アメリカが北朝鮮になどに対して使う言葉で、アメリカが“完全かつ検証可能な形”で核廃絶しなければ、我々は核廃絶に同意できないとする不信を必然的に誘導し、平行線を否応もなしに招くオバマの〈核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する〉云々でもあるからだ。

 オバマはイランに対して次のようにも言っている。 

 〈イランの脅威が続く限り、ミサイル防衛(MD)システム配備を進める。脅威が除かれれば、欧州にMDを構築する緊急性は失われるだろう。〉

 この言葉はイランのアフマディネジャド大統領も使うことが許される言葉であろう。

 〈アメリカ及びイスラエルがイランに敵対し、その脅威が続く限り、核兵器開発を進める。脅威が除かれれば、核兵器を開発する緊急性は失われるだろう。〉

 結果としてどちらも意地でも核兵器を廃絶できない袋小路に招く平行線の誘導で終わる。
  
 私自身は常々、理想は買えるが、非現実的な核兵器廃絶よりも独裁政治追放決議の方がより現実的ではないかと思っている。危険なのは核兵器等の大量破壊兵器ではなく、独裁者の存在だと言ってきた。すべてではないが、独裁者は自国民の自由や人権、生活の保障に自己権力行使の正当性を置かず、自己権力維持のための自己権力の行使という自己目的化させた正当性を国際的に認めさせる手段として核兵器等の大量破壊兵器に依存する。核兵器を持つことで、自国を大国の証明とし、併せて自己権力の正当性を証明する手段とする。自国民の自由や人権、生活よりも優先させる。国内的に自己権力を維持し、国際的に体制への干渉を防ぎ、体制の正当性を死守するための道具とする。

 核兵器等に於ける根本問題は独裁者の存在であり、北朝鮮の金正日、イランのアフマディネジャド大統領がそのことを証明している。

 アメリカ・ロシアがいくら核弾頭を削減したとしても、北朝鮮が例え1個しか所有していなくても、その核弾頭の削減、もしくは放棄に応じない場合はその核弾頭の方が遥かに危険である。ミャンマーが独裁権力の国内的・国際的維持保障のために北朝鮮等の援助により核弾頭の所有に向かって1個所有した場合、その1個の方が危険であろう。独裁者の存在が核保有の衝動に向かわせる。
 
 核兵器は潜在的脅威であっても、常に現実的脅威であるとは限らない。独裁者の存在こそが現実的・かつ継続的脅威と言える。

 勿論国連総会で独裁者追放決議を採択したとしても、実効的効力を持たない。核廃絶決議がプレッシャーにはなり得なくても、独裁者追放決議は少なくとも独裁者に対してプレッシャーにはなり得る。

 そして何よりも核廃絶主張が自分たちも核兵器を所有していながらの主張であるところに全面的な正当性を欠き、反論の弱みを抱えることになるが、独裁者の根絶ということなら、自身がそうではなく、民主主義の擁護者であるなら、胸を張って堂々と主張できるところに正当性と強みを提示し得る。



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中国外需が迷走鳩山内閣を延命させる

2010-01-04 11:19:29 | Weblog

 麻生太郎は指導力のなさと100年に一度の金融危機が命取りとなり、鳩山由紀夫は同じく指導力がなくても、中国外需に助けられて延命する

 ―当たるも八卦、当たらぬも八卦の景気予想―


 日本の景気は所詮は外需頼み。外需頼みの経済構造を取っている以上、過去の外需頼みの日本の経済と同じ構図に則ることが景気回復の絶対条件となる。

 日本の「失われた10年」(1990年代半ば~2000年代半ば)の間、中国は10%近い経済成長を続けていたが、日本がその恩恵を受けるのは中国が2001年12月に自由貿易を謳ったWTO(世界貿易機関)に加盟するまで待たなければならなかった。中国のWTO加盟以降、中国の市場開放が進み、その経済成長のさらなる加速を受けた中国特需の恩恵を受けて日本からの工業製品や原材料が大量に輸出され、WTO加盟以前の対中貿易赤字収支が黒字へと転じ、尚且つアメリカの過剰消費ブームに発した対米特需の恩恵を受けて大企業のみが一人勝ちし、国民の所得に反映しなかった実感なき「戦後最長景気」(02年2月~07年10月)に突入していった。

 中国特需は2008年7月の貿易統計で中国向け輸出が戦後初めて米国を抜き、中国が日本の最大の輸出相手国となる順位の変動に象徴的に現れている。

 そして2008年9月のリーマン・ブラザーズの破綻に発した、いわゆる“リーマンショック”が「100年に一度の経済不況」と言われる世界的な金融危機を招き、日本も飲み込まれて外需という経済武器を失うに至り、先進国の中でも最も手痛い打撃を受ける当然の経緯を踏むこととなった。

 当時の麻生内閣の麻生太郎首相は「我が日本が先進国の中で最初に100年に一度の経済不況から脱する」と世界に向けて高校野球甲子園大会の選手宣誓のように声高らかに宣言して大見得を切ったが、外需頼みの経済構造の公式から言うと、外国の景気回復を先行条件として外需(=外国からの需要)を答(結果)とする式の成り立ちを日本の景気回復には必要不可欠な条件としているのだから、世界の景気回復の先頭に立つとする麻生太郎の宣言自体が外需依存の経済構造の公式を無視し、そのことに矛盾した強がりでしかなかった。

 何ら根拠もなく強がりを言うだけの口先オンリーの人間に指導力など期待しようがなく、その指導力の欠如と「100年に一度の経済不況」が見舞うこととなった国民の生活不安が麻生内閣支持を景気と共に冷え込ませ、内閣の命取りとなって政権交代という二次被害を麻生太郎にもたらすこととなった。

 確かに日本の経済の見通しは悲観的である。10年1月1日の「NHK」記事――《ことしの経済 低成長の見通し》は日本経済はデフレが長期化するなか本格的な景気回復には至らず、低成長が続くという厳しい見通しにあると伝えている。

 民間の主な10の経済研究機関による平成22年度の日本の経済成長予測では高いところで1.7%、低いところではマイナス0.1%で、平均では1.15%と低い水準だと厳しく予測している。

 その理由として、中国向けなど輸出の伸びは期待できるが、厳しい雇用環境や賃金の低迷で個人消費の大幅な回復が見込めないこと、公共事業も減るなど内需が伸び悩むといったことを挙げている。

 いわば内需は期待できないと言っているが、日本が外需依存型経済構造を取っている以上、織込み済みの悲観的要素としなければならないはずだ。

 記事は、物価の下落が続くデフレの長期化で企業が新たな雇用や投資に一段と慎重になったり、欧米経済の悪化で輸出が低迷したりすれば回復のペースはさらに鈍る恐れもあると警告している。

 そのことを裏付ける大和総研の原田泰チーフエコノミストのコメントを次のように載せている。

 「雇用情勢が悪く、賃金も上がるとは思えず、お金がどんどん使われる状況ではないため景気の回復は外需に頼らざるを得ない。政府は財政再建を急ぎすぎず、日銀は金融緩和を続けて為替を安定させることが重要だ」 

 元々外需依存型経済構造なのだから、「景気の回復は外需に頼らざるを得ない」は極々当たり前な初歩的条件としなければならない。

 今朝の「NHKニュース」で昨年11月に14年ぶりとなる1ドル84円台まで円高ドル安が進み、輸出型の企業収益を圧迫したことから、今後の為替レートの動向が日本の景気回復を左右する要因となると伝えていた。このこと自体が日本の経済構造が外需依存型であることの証明でしかないが、どのくらいの影響かというと、09年11月27日の「NHK記事」は09年度の為替レートを1ドル93円と設定している「トヨタ自動車」は円相場がドルに対して1円値上がりすると年間の営業利益がおよそ300億円減収となり、共に1ドル90円と想定している「ホンダ」と「日産自動車」は1円の円高で「ホンダ」が120億円、「日産」が110億円の営業損益となり、大手電機メーカーでは1ドル90円とみていた「ソニー」は10億円の減少、1ドル95円と想定している「パナソニック」が約20億円の減益と、輸出産業型企業が軒並み悪影響を受けると伝えていた。

 前出「NHK記事」が1ドル84円台の円高ドル安がアメリカの不況が長引く予想から生じた相場で、ここのところの一時93円台までの円安ドル高がアメリカの景気回復に対する期待感などから円が売られる展開となったことが原因だと伝えていることからすると、日本の経済が外需依存型を宿命としていて、中国の景気回復のみならずアメリカの景気回復をも必要条件とする相互依存関係にある以上、アメリカの景気回復の否定的兆候を示す円高ドル安はアメリカの景気が回復するまでの一時的動向だとして歓迎すべき要件としなければならないのではないだろうか。

 「日テレNEWS24」記事――《米国の経済、今年はどうなる?記者が報告》(2010年1月2日 1:27)によると、アメリカの失業率は去年、26年ぶりに10%を超えて、暫くは高止まりが続くと見られていること、大手金融機関は健全化に向かっているものの不良債権は依然高水準で、貸し出しはなかなか伸びない状態にあること、去年破綻した金融機関が過去最大規模の140行にも及んでいること、アメリカのGDP(=国内総生産)の7割を占めていた個人消費がかつての過剰消費に相当期間戻ることはないと見られていることなどから早急な景気回復は望めないとしているものの、経済成長率は去年プラスに転じ、アメリカ経済は最悪期を脱したと見られていると伝えているが、円高も貢献した最悪期からの脱出ではないだろうか。

 また11月失業率10%にしても10月より0.2ポイント低い4か月ぶりの改善ということなのだから、僅かではあるが、よい方向へ向かっている雇用情勢と言える。

 09年12月5日の「NHK記事」《米失業率 4か月ぶりに改善》が次のように伝えている。(一部抜粋)

 〈アメリカ労働省が4日に発表した11月の失業率は、前の月より0.2ポイント低い10%となり、小幅な悪化を想定していた市場の予想に反し、ことし7月以来、4か月ぶりの改善となりった。また、景気の動向を敏感に映し出すことで注目される農業分野以外で働く人たちの数も、製造業が4万1000人、建設業が2万7000人、それぞれ減ったが、サービス部門で一時的な雇用の増加がみられたことなどから、全体では1万1000人の減少となり、減少幅は景気後退が始まったおととし12月以降で最も小さくなった。〉――

 これは個人消費が伸びていることを受けたサービス部門での一時的な雇用の増加であろう。事実11月の小売業の売上高がおよそ3521億ドルと、前の月に比べて1.3%増加し、市場の予想を上って2か月連続のプラスとなったと09年12月12日の「NHK記事」《米小売業 2か月連続プラス》が伝えている。

 〈具体的には、家電関連が2.8%の増加を記録したほか、自動車や関連部品が1.6%、デパートや量販店も0.8%増え、このほか、ガソリンの売り上げも6%と大幅に増え〉、〈年間の小売業の売り上げの30%から40%を占める年末商戦の行方が注目されているが、厳しい雇用状況にも関わらず、個人消費が11月までで2か月連続のプラスとなったことで、金融危機のさなかにあった去年より期待できるのではないかという見方が広がっています。〉――

 また米国の11月の中古住宅販売件数の改善も景気回復へ向けた足取りと解釈することができる。この改善がさらに31銭円安を推し進めたとしているが(asahi.com)、アメリカの景気回復動向が円安ドル高要因であることを如実に物語っている。

 僅かながらの兆候ではあるが、アメリカ発の外需の条件は整い始めていると言える。

 では、アジアの状況はどうなっているかと言うと、中国は既に問題ないところまで外需条件が整いつつあるのは誰の目にも明らかである。

 中国は09年12月に08年のGDP成長率を従来の9・0%から9・6%に上方修正、ドル換算のGDP規模で中国は2010年にも日本を追い抜いて世界第2位の経済大国に浮上するとみられていたが、〈統計が正確なら、今回の上方修正で08年段階で中国が既に日本を追い抜いて2位になっていた可能性もある。〉と《中国08年のGDP9・6%増に上方修正 すでに日本抜く?》SankeiBiz/2009.12.25 16:58)が伝えていて、さらに09年度の経済成長率予測値を中国は「8%確保は間違いなし」と公表している。

 このような経済状況は中国発の外需条件は十分に整いつつあることを十分に物語っている。

 その一部内容を見ると、09年11月の中国の新車の販売台数は135万台を超えて今年の累計が1200万台に達し、年間では08年の新車販売が1300万台余りだったアメリカを抜き、世界最大の自動車市場になるという見方が強まっている(NHK)状況を受けて日本の自動車企業は中国向け販売を強化する動きを見せているが、このことも外需条件の高まりの一つに入れることができる。

 さらに中国の09年11月の輸入が08年10月以来1年1カ月ぶりに増加に転じたと「47NEWS」《中国、輸入が1年ぶり増加 11月、輸出も減少幅縮小》2009/12/11 17:35 【共同通信】)が伝えている。

 〈輸出は1・2%減の1136億5300万ドルだったが、10月(13・8%減)と比べ、減少幅が大きく縮小した。輸入の大幅な増加により貿易黒字は52・7%減の190億9300万ドルとなった。11月は、原油や鉄鉱石など資源のほかハイテク製品の輸入も増加。北京の通商筋は「中国は原料を輸入して製品を輸出する加工貿易も多く、景気回復期には輸入が先行する傾向がある。輸出も近くプラスに転じるのではないか」としている。〉――

 日本にとっては好都合な中国の輸入の増加であり、十分に期待可能な外需条件を形成しつつあると言える。

 中国以外のアジアの国、韓国を見ると、〈昨年の韓国の貿易収支黒字は410億ドル(約3兆8000億円)を記録する見込みとなった。これは過去最高であると同時に初めて日本を上回る見込みだ。〉と「朝鮮日報」記事――《韓国の貿易黒字、初めて日本上回る》(2010/01/02 10:31:49)が伝えている。

 具体的には〈輸出は世界的な景気不振の中でも善戦し、初めて世界9位を記録。世界シェアも3%台〉を占めるに至り、〈とりわけ11月までの貿易黒字が日本に比べて136億ドル(約1兆2600億円)も多く、年間ベースでは史上初めて日本を上回るのが確実な状況とな〉る成績だという。

 と言っても、韓国の内需不振は日本と同じような状況にあるそうだが、この韓国の貿易黒字は対日貿易赤字が08年年比19%減の264億ドルに改善したのに加えて、対中国が308億ドルと08年比2倍以上に膨らんだ結果だと「日経ネット」が伝えている。

 いわば主として中国発の外需を受けた日本を上回る貿易黒字だと言うことであろう。

 さらに韓国の09年11月末の外貨準備高は2708億9000万ドル(約23兆5000億円)と10月末比67億ドル増え、9カ月連続の増加で、過去最高額を更新したと「日経ネット」記事――《韓国、外貨準備が過去最高に 11月、9カ月連続増加》(09.12.2)が伝えている。

 記事は〈経常収支の黒字拡大に加え、通貨ウォン相場の上昇を抑えるためのウォン売り・ドル買い介入も外貨準備高を押し上げる要因になったとみられる〉が、〈昨秋以降の米金融危機によって急落したウォンを防衛する為替介入で、昨年11月末に2000億ドル割れ目前まで減っていた。金融危機の沈静化後は海外の投資家が韓国に資金を振り向ける動きが強まり、外貨準備高は直近の1年間で約700億ドル増えた。〉と解説を加えている。

 これも主として中国外需を媒介とした「海外の投資家」の韓国に対する動きと見るべきであろう。

 鳩山政府は子ども手当の7割が個人消費に回り、10年度の実質成長率を0.2ポイント押し上げるとの見通しを含めて3年ぶりのプラスとなる国内総生産(GDP)の成長率は実質で1.4%、名目で0.4%とする2010年度の経済見通し(日経ネット)を公表したが、これに対してアジア開発銀行(ADB)はアジア太平洋地域(日本など域内先進国を除く)の2010年の実質成長率が6.6%になるとの見通しを発表(日経ネット)、〈輸出先としてアジア地域の成長に影響を及ぼす先進国の10年の成長率は、日本が1.2%、米国が2.0%、欧州(ユーロ圏)が0.8%と予想した。〉としている。

 一方中国の09年度の経済成長率は中国政府の予測として「8%確保は間違いなし」としているそうだが、2010年度の経済予測はそれを上回る9.5%を掲げている。

 このことは中国が日本や韓国、その他のアジアの国、さらにアメリカや欧州も含めてそれらの国の外需型景気回復の主導的位置にいることを物語っている。

 昨1月3日の「日経ネット」記事――《内閣府政務官、日本経済「10年後半から力強い回復」》が題名どおりに内閣府の津村啓介政務官(経済財政担当)が「前半は注意が必要だが、後半からは力強い回復になる」と、〈子ども手当の支給が10年度の実質国内総生産(GDP)成長率を0.2ポイント押し上げるなど、鳩山由紀夫政権の経済政策が景気を下支えするとの見方を示した〉上で2010年の日本経済について日本経済新聞の単独インタビューに応じて答えたそうだが、津村啓介政務官は外需依存については一言も触れていない。

 鳩山首相は12月30日に経済成長戦略の基本方針を公表、〈「牽引産業」に位置付けた環境、健康、観光の3分野で、100兆円超の需要と476万人の雇用を生み出す目標を掲げ〉、〈さらに、少子高齢化の進む国内だけに頼らず、成長著しいアジアの需要も取り込むことで、国内総生産(GDP)の2020年度までの平均成長率を名目3%超、実質2%超に押し上げるとした。〉ことに対して、〈政府が25日に発表した09年度のGDP成長率見通しは、実質がマイナス2・6%、名目はマイナス4・3%。10年度はそれぞれ1・4%、0・4%と3年ぶりのプラス成長を予想するが、デフレ脱却のめどが立ったわけではなく、「元気の出る目標」への道のりは遠い。〉(b>《経済成長戦略:基本方針 要100兆円、雇用476万人を創出 い目標、見えぬ策》毎日jp/2009年12月31日)と批判的である。

 記事も触れているが、年々膨らむ社会保障費の増大、赤字財政の是正・規律化に向けて今後予想される介護保険料や健康保険料、消費税等の増税が経済成長戦略の上記国内的要因を相殺し、ゼロかマイナスに持っていかない保証はなく、そういうことなら、あくまでも「成長著しいアジアの需要も取り込む」と言えば聞こえがいい、実質的には外需依存に傾斜せざるを得ない道しか残されていないのではないだろうか。

 民主党が参院選を勝ち抜き、指導力を欠いているとは言え、鳩山内閣を延命させるためには日本の景気回復を10年度後半まで待つ余裕はなく、7月の参院選までに確かな回復基調に乗せることが不可欠な条件となる。中国がお膳立てしてくれる外需頼みの条件は揃いつつある。中国向け外需とそれに次ぐアメリカ向け外需が成功するかどうかにすべてはかかっている。

 恥も外聞もなく、中国外需・アメリカ外需に頼るしか鳩山内閣の延命策はないと思えるが、どうだろうか。



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親・大人の身勝手が子どもの命を正月早々から危険な目に遭わせる

2010-01-02 09:15:25 | Weblog

 正月3ガ日は休業の約束でしたが、鳩山内閣のマニフェスト以上に簡単に破ることにし、守れない約束としてしまいました。悪しからず。

 正月元日は大晦日からだらしなく酒を飲み、だらしなくテレビを見、だらしなく惰眠を貪って、2日、遅い朝を迎えて、川崎市川崎区殿町1丁目のマンション6階に住む男性会社員(37)の長女(3)が親の留守中6階の窓から隣接する公園の植え込みに転落、頭などを強く打ち重傷を負った状態で親に発見されたという1日朝の出来事として伝えている2日付の「asahi.com」記事を読んで、その遣り切れなさに怠惰に正月を過ごす予定を急遽変更して記事を書くことにした。

 会社員と妻(30)は午前6時過ぎから初日の出を見に外出する際、長女が熟睡していたために部屋にそのまま残して、長男(2)だけを連れて出掛けたという。

 子どもが目覚めた場合、家に誰もいないことの不安がどれ程のものか認識する想像力を欠いていたから、一人残すことができたのだろう。部屋中を探して親の姿を見つけることができず不安に襲われた3歳の子どもが、あるいは激しく泣きながらだったかもしれない、通常の冷静な落着きを失って普段親子で遊びにいく隣接する公園にでもいないかと6階の窓から下を覗き込んで探すが、見つからない焦りからすっかり混乱して、多分一層激しく泣いて自分の身体のバランスまで考える余裕もなくなお見つけようと窓から身を乗り出し過ぎ、転落してしまったといったところではないだろうか。

 日本の子どもは親がああしなさい、こうしなさいと手をかけ管理する支配と服従の親子関係、もしくは大人と子どもの関係にあるから、子どもから見たら逆に親や大人の支配に――ああしなさい、こうしなさいに全面的に依存する、いわば親がいなければ自分では何もできないという非自律の行動性を手に入れることになる。

 親がそのように躾けることで子どもが自らなすべき課題を見つけて、自分で考えて自分で解決し、それを自らの行動に結びつけていくという、いわゆる総合学習で掲げた「考える力」の欠如は生まれたときから始まる。

 子どもに散々に親、もしくは大人への依存心を植えつけておいて、自分たちの都合で勝手にその依存心の突っかい棒を外して子どもをほったらかしにして命を危険に曝してしまう。もしくは命を失わせてしまう。子どもの命を心底から考えることができない自分勝手な大人たちに子どもの命が翻弄される。

 幼い子どもを駐車場の日照りで45度以上にもなる車内に閉じ込めて夫婦揃って何時間もパチンコに夢中になって子供のことを忘れて熱中症で死なせてしまう。幼い兄弟を家に置いて自分たち夫婦はスナックに飲みに行ったりカラオケに行ったりして、その間に子どもがストーブを倒したりライターで火遊びして家を火事にして焼死させてしまう。

 まさかこの転落が、親が子どもを虐待して間違って重症を負わせてしまった。病院に担ぎ込めば、病院から警察に連絡されて、会社や社会に於ける自分の立場が悪くなる。犯行を隠すために6階の窓から隣接する公園にまだ生きている子どもを投げ捨て、初日の出を見に行った間にさも転落死したように見せかけたが、まだ死なずにいたといったことはあるまいと思う。

 だが、そういったことをする親が決して存在しないと断言できる社会になってはいない。

 「Google」で調べたところ、意識不明と伝える報道もあれば、意識は残っていると伝える報道もある。例え死なずに済んだとしても、死を背中合わせに意識させる大きな心の傷を子どもに残すことになるように思えてならない。子どもに対する親や大人の死なせてしまったとしてもこれ程の残酷なな仕打ちはないだろうし、助かったとしてもやはりこれ程の残酷な無残な仕打ちはないに違いない。


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