昨年夏の総選挙で名誉の落選を果たした自民党の山崎拓元幹事長73歳が、73歳にもなって先がないという思いに至ったからなのだろう、老いの執念を燃やし、その割にはテレビで放映していた雪降る中での支持者たちとのユニホームを着たソフトボール大会のコースが定まらないピッチャー姿、バットを振って一塁に走るヨチヨチ歩きに近い姿は執念というよりも痛ましさを感じさせて、山崎拓が置かれている現在の苦境を暗示しているようだったが、今年7月に予定されている参院選で国政復帰を果たすべく1月6日、谷垣禎一総裁、大島理森幹事長と党本部で会談、参院選比例区での公認を求めた。
自民党の参院比例選の公認候補の場合の選定基準は、「原則70歳未満」、但し「総裁が国家的有為な人材と認めた者」などの例外規定があるということである(YOMIURI ONLINE)。
当然、山崎老いの執念は「原則70歳未満」に抵触する。残された道は「総裁が国家的有為な人材と認め」るかどうかにかかる。
1月6日の会談では離党の可能性まで仄めかせて公認を迫ったが、谷垣総裁は“みんなでやろうぜ全員野球”の標榜に反して、「もう少し時間が欲しい」と先延ばししたという。
「離党の可能性」とは、国民新党に入党して参議院選挙に打って出るという噂がマスコミの間で飛び交っている。国民新党の亀井静香代表は記者会見で入党を否定も肯定もしなかったことから、その噂は信憑性を帯びるに至っている。
勿論、自民党から戦力外通告の結果を受けた国民新党入りは国民新党の利益に適うかどうかの利害損得が基準となる。否定も肯定もしないということは今のところ利益に適うと見ている可能性がある。
また谷垣総裁が即答しなかったということは「国家的有為な人材」と認める程の候補者とは即座に看做し得なかったことを示す。
そして翌1月7日の新聞・テレビは谷垣総裁が山崎老いの執念公認決定の結論は先送りしたと一斉に伝えた。山崎老いの執念の場合、“みんなでやろうぜ全員野球”というわけにはいかない、今のところ仲間外れだということである。イコール「総裁が国家的有為な人材と認めた者」にはやはり入れ難いということであろう。
ここで公認を得ることができなければ、衆院議員であろうと参議員であろうとほぼ国会議員となる道を閉ざされることになる戦力外通告となるのか、“みんなでやろうぜ全員野球”で残留となるのかはっきりしない結論の先送りということになるが、残留反対、戦力外通告賛成の党内勢力を無視できないことからの谷垣のイエス・ノーを明確にできない結論先送りらしい。
〈例外的な公認は党内の中堅・若手を中心に強い批判があり、党再生に後ろ向きとの印象を与えかねないからだ。〉(asahi.com)
中堅・若手「自民党は旧態依然とした政党というイメージを増幅し、参院選にマイナス」(YOMIURI ONLINE)
(定年制順守を求めて)党幹部「人事権を持つ谷垣氏が英断しなければ、いつ、存在感を示すのか」(同YOMIURI ONLINE)
中堅・若手を中心とする残留反対・戦力外通告勢力は山崎老いの執念を「国家的有為な人材」のうちに全然入れていない、眼中にもない。「原則70歳未満定年制」一つでお払い箱は十分だと看做しているというわけである。
大体が“みんなでやろうぜ全員野球”など、最初から無理があった。自民党総裁選に立候補した河野太郎が「古い政治の手法を引きずった人を再びベンチに入れることはない。森元首相や比例復活の派閥の領袖は退場して、若い世代に議席を譲るべきだ」(FNN)と主張したように世代交代を掲げた勢力が存在することを無視し、そういった勢力を党内に抱えた、派閥の領袖も古い世代の政治家もひっくるめて、当然その主導となる“みんなでやろうぜ全員野球”なのだから、様々な矛盾・綻びが生じるのは時間の問題であった。
いわば“みんなでやろうぜ全員野球”は奇麗事でしかなかった。
勿論、谷垣総裁に稀に見る指導力があると言うなら、世代間の利害、選挙区や衆参の利害を抑えて一つに纏めることも可能だが、“みんなでやろうぜ全員野球”とすることで人間間に複雑に絡み合う利害損得に目を向けることができなかった時点で、指導力のなさを露呈したのである。
なぜなら“みんなでやろうぜ全員野球”は行動の主体を利害の異なる“みんな”に置くことになって、谷垣自身を“みんな”の中の一人としてしまい、その主体性を全体の中に埋没させることになるからだ。当然指導力も“みんな”の中に埋没させることとなる。
それぞれが複雑に利害を絡み合わせているなら、“みんなでやろうぜ”ではなく、自身の政治手法で誰がどこまでついてくるか、イチかバチかでぶっつかっていく取捨選択の道を取るべきだった。
そして参院選が近づいて個々の利害があからさまに露出することとなり、衆議院落選組みが参議院に乗り換えることに参議員側が拒絶反応を見せた。
さらに1月9日のマスコミは公認しない方針を固めたと山崎老いの執念の戦力外通告を決定的とする報道を行い、“みんなでやろうぜ全員野球”が山崎老いの執念には適用されない利害であることを思い知らせた。
だが、これは矛盾している。“みんなでやろうぜ全員野球”はすべての利害を超えたところに存在するはずだからだ。だが、実際はそうではなかったということは“みんなでやろうぜ全員野球”が奇麗事であることの改めての証明でしかない。
さらに自民党の舛添要一前厚生労働相が1月5日、政界再編や新党結成の可能性に言及して“みんなでやろうぜ全員野球”に衝撃を与えた。
5日の仕事始めの会合に出席した後、記者団に次のように発言している。
「最終的には政界再編という大きな目的を遂げないといけない。一つの政党が失敗したときに受け皿になる政党をつくるという原点を守って判断していく」(時事ドットコム)
「政界再編という目的を遂げないといけない。あらゆる可能性を否定しない。行動すべき時は行動する」(東京新聞)
「一緒になる人が野にいようが、今の政権にいようが構わない。数は力なので仲間を募る。国民が望めばリーダーシップを発揮する」(同東京新聞)
(先月下旬の発言)「自民党再生は駄目だ。悪いものを再生してもしょうがない。叩き割って新しいものをつくらないといけない」(上記時事ドットコム)
「党内でやるべきことはやるが、大きな政治のうねりの中で行動すべき時は行動する。最終的には政界再編という大きな目的を遂げたい」(msn産経)
「古くなって国民から見捨てられた政党を再生してもだめだ。新しく作るぐらいの気構えがないといけない」(同msn産経)
対して大島理森幹事長(5日の記者会見)「政界再編という言葉は責任ある政治論ではない。そういういことは起こり得ないし、起こしてはならない」(上記時事ドットコム)
大島発言は自己利害から言っている言葉に過ぎない。困るのは自身が幹事長を務めている自民党の数が減って現在以上に不利な状況に立たされるからに過ぎない。また既に矛盾を来たしている“みんなでやろうぜ全員野球”を破滅させる要因ともなるからだろう。
舛添は政界再編について次のようにも発言している。
「小沢一郎民主党幹事長は自民党の最も古いやり方を踏襲しており、(与野党問わず)新しい感覚で政治をやる人との糾合も必要だ」(上記msn産経)
昨年の12月下旬には小沢一郎のことを次のように言っていた。
「誤解を恐れずに言うなら、今の自民党には小沢さんよりももっとラジカルな独裁者が必要。負けたという危機感がなさ過ぎる」(スポーツ報知)
「小沢さんよりももっとラジカルな独裁者が必要」と小沢一郎の独裁性を比較対照的な必要基準として評価していながら、1月5日には「小沢一郎民主党幹事長は自民党の最も古いやり方を踏襲して」いると、その政治性を否定している。
この君子態度豹変は民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の2004年土地購入代金4億円の政治資金収支報告書未記載問題で同会の事務担当者だった民主党石川知裕衆院議員(36)が東京地検特捜部の事情聴取を受けたことと、それが小沢氏本人から現金で受け取ったと供述していることが1月1日の元旦早々にマスコミに報じられたことからの発言訂正なのは間違いない。
見事なご都合主義の君子態度豹変だが、そんなことはお構いなしに谷垣総裁の“みんなでやろうぜ全員野球”にダメージとなる攻撃を仕掛け、その息の根を止めようとしている。息が止められたら、沈没しかない。
党内に世代交代を求めて青木幹雄・前参院議員会長(75)に政界引退を迫る動きがあるにも関わらず、5選を目指して立候補の構えを示し、党に公認申請する動きを見せていることに対して、谷垣総裁が7日の記者会見で「比例区は年齢制限があるが、青木氏は選挙区であり、関係ない」 (asahi.com)と75歳の青木古い政治家に限っては“みんなでやろうぜ全員野球”の仲間に入れる、相手に応じて基準を変えて公認を容認する姿勢を示したと言う。
見事な“みんなでやろうぜ全員野球”となっている。
もう一人の老いの執念、2007年の参院選で落選した片山虎之助元総務相(74)については、「原則70歳未満」ルールを無視して比例区で公認する方向で調整している(FNN)という。このルール無視は青木老いの執念の後押しが(msn産経)あることからの動向だということだが、“みんなでやろうぜ全員野球”適用の恩恵を受けることができるかどうか、偏に古い政治家青木老いの執念の力にかかっている。
参議院選挙で公認を得ることができるかどうかの利害、あるいは4年後になるか、4年よりも短い間で行われるか分からない次の総選挙の公認を保証する支部長に就けるかどうかの利害、さらに党執行部側からの当落の可能性に向けた利害等が絡み合い、落選議員の離党が相次いでいることも“みんなでやろうぜ全員野球”が“みんなでやろうぜ全員野球”となっていないことの暴露となっている。
そのような利害の荒波にもまれ、舵を握っているはずの谷垣自民党総裁の方向定まらない指導力に恵まれて、まさに“みんなでやろうぜ全員野球”は傾きつつあると言える。 |