民主党政権交代に刺激を受けた貴乃花の一門離脱、理事立候補?

2010-01-12 08:46:39 | Weblog

 現在ワイドショー番組が盛んに取り上げている貴乃花の一門離脱、理事強行立候補を民主党の自民党からの政権交代をなぞらえてのことに違いない、マスコミの中には“政権交代”と把えている向きもある。「JCAST」記事――《貴乃花と「相撲界政権交代」 なぜ今勝負かけるのか》2009/12/24 12:59)もその一つだが、記事からどういった展開となっているのか、一部見てみる。

 相撲部屋は現在52部屋。二所ノ関、出羽海、立浪、時津風、高砂の5つの一門で成り立っていて、各一門ごとに理事の数は決まっている。二所ノ関3人、出羽海各3人、立浪2人、時津風1人、高砂1人の計10人だという。

 つまり各一門にとっては決まった数の指定席となっているということである。当然、後生大事に守らなければならない虎の子の指定席となっているに違いない。官僚OBにとっての天下り席のように。

 政党の派閥が前内閣では自派閥から3人の大臣を出した、内閣が変わっても3人の大臣は維持しようと裏で駆引きを大展開、工作するのとは違って、相撲協会の場合は一門ごとに数の決まった指定席となっているから、各一門が指定席の数だけの立候補に収めていさえすれば、混乱も不満も起きないことになる。

 いわば各一門がそれぞれに割り振られた指定席の数を守ることに主眼を置くことで、協会組織全体を守ることになる守りの姿勢を植えつけてきたとも言える。

 各一門は一門ごとに決まった数で割り振られている指定席を誰が占めるか一門ごとに前以て調整して、決まった数を守っていく。その選出のルールは「JCAST」記事には書いてないが、年功序列が重視されるのだと言う。

 理事の数が各一門に決まった数の指定席として配分されていて、各一門がその指定席を年功序列で席埋めしていくという順番制の組織運営は否応もなしに従来どおりの権限や規則の墨守と無難の風潮を横行させることになる。理事となる目的が経歴と年間手当を含めて3千万円以上となると言われている報酬と名誉等の獲得が目的となりかねない。

 だからこその年功序列に従った順番制を守ることになるのだろう。世論といった外圧でもない限り、自前発の思い切った改革などできない土壌を培っているに違いない。

 二、三日前だったか、テレビでみのもんたが一人の官僚OBの天下りを取り上げて、2年かそこらで退職金を得て次の天下り先へ移っていき、そこでも2~3年の間高額報酬を得て、最後に退職金を手に入れてさらに次へと移っていって、最終的に総額3億以上の高額報酬を収奪する渡りを批判的に紹介していたが、その批判は世間一般の常識に反した総額3億以上の高額報酬に焦点を当てたものだったが、渡りを可能としているのは後釜に席を譲るために2~3年在籍して新たな天下り先に渡っていき、空いた席に新手(あらて)の官僚OBが渡ってくる延々とした循環形式の天下り人事操作であって、相撲協会の理事も一門の幹部を除いて末端の理事を年功序列式に順次入れ替えていく点で官僚OBの天下り・渡りと似ていないことはない。

 投票となった場合は10票が当選ラインだそうだが、貴乃花が所属する二所ノ関一門の親方は現在28人であっても、無投票無風なら指定席の3人はすんなり理事に収まることができる。3人が3人共、3千万円、ごっつぁんです、である。

 ところが二所ノ関一門では間垣親方が任期途中で辞めた後釜に鳴戸親方が入る順番としていたところへ、順番を予定していなかった貴乃花が年功序列の慣習を破って立候補の名乗りを上げた。

 3人指定席と数が決まっていて既に3人が席を占める予定だったところへ座れるわけもない4人目が現れたからといって予定していた3人が譲るわけもなく、誰もが「ごっつぁんです」を取り上げられたくないからだろうが、元相撲取りばかりで体が大きいから、窮屈この上ないウザい出現だとムカッときたのか、話し合いはつかず、貴乃花は一門を離れて単独で理事立候補の道を選んだ。

 予定外の貴乃花の立候補意志で大相撲初場所後の日本相撲協会の理事改選選挙が02年以来4期8年ぶり、通算4度目の投票に持ち込まれる公算が強まったという。

 いくら二所ノ関一門は3人が指定席と決まっていても、協会全体で10人定員の所へ11人が立候補、選挙となって万が一貴乃花が当選した場合、10人が10人共無投票無風で理事となる年功序列・指定席の調和が破れて、調和の外に弾き出される一人が出現することになる。貴乃花としたら予定の行動だったろうが、権限及び規則墨守と無難をモットーとするその他有象無象の親方衆にとっては腹立たしい掟破りに映ったに違いない。

 ブッシュ前大統領がオサマ・ビンラディンを憎んだ如く、特に二所ノ関一門のうち、貴乃花を支持しない親方衆は貴乃花を憎んだのではないだろうか。

 間垣親方の辞任を受けて二所一門の3人目の指定席に滑り込みセーフを謀る鳴戸親方(元横綱隆の里)が、自身の滑り込みセーフを危うくしかねない、弾き出されるのは新参の自分かもしれないという危機感からだろう、貴乃花の立候補に一言あったのは自然な成り行きと言える。

 《鳴戸親方、貴乃花親方の行動に怒り/大相撲》(サンスポ/2010.1.11 05:02)から見てみる。

 鳴門親方「疑問に感じている。先代の二子山親方(故人、元大関貴ノ花)も一門を踏まえてやってきた。大先輩もそうだった。・・・・(貴乃花を)支持するといいながら、こっち(一門に)軸足を置くのは納得いかない。(処分などの)話も出るだろう」

 一門の仕来りに従え、従えないなら、一門を取るか、貴乃花を取るか、二者択一にしろ、できなければ処分だと民主的観点に反する排除の論理を展開している。

 貴乃花が目指す改革を、サポーター制度、年俸制度の導入、チケット販売方法の改革、相撲学校の創設等で、〈要するにタニマチ脱却と裾野の拡大だという。〉と「JCAST」記事は書いている。記事の中から各出演者の発言を拾ってみる。

 (電話コメント)杉山邦博「相撲界にもチェンジが必要。若い人は大いに手をあげるべし。しかし、一門も大事にしないといけない。孤立してしまってはいけない」

 記事は〈これでは動くなといってるようなもの。〉と批判しているが、前段の嗾(けしか)けが意味を成さない、それを帳消しとする後段の現状維持・中庸のススメとなっている。本人自体が事勿れを性格としているからなのだろう。手を挙げて得る利益と孤立せずに一門を大事にして得る利益のうち、前者を取るか、後者を取るかは貴乃花の生き方に関係した選択なのだが、事勿れな性格が災いして事勿れな性格どおりのコメントしかできなかったとしか見えない。

やくみつる「貴乃花は、単に理事になればいいのではなく、将来は理事長も視野に入れている理事ですから、いま一門を離れたらまずいのではないか」

 これも事勿れ。

赤江珠緒(局コメンテーター?)「普通にいけば、絶対理事になれる人なのに、いま勝負をかけて改革をしたいという思いが……」

やく「その思いが強いことはわかるが、いまひとつ席が空いたところへ入りたいということでしょうが、チケット販売の改革とか子どもたちへの普及とかは、協会もやっていること。むしろ順当に広報部長とかいう要職に就いていくという規定の路線の方が、自分の意志を反映しやすくなると思う」

小木(局アナ?)「それでもいま一石を投じてかきま回したいというのがある?」

やく「旧態依然たる一門制度そのものをどうしようということまで視野に入っているのかなとも思いますね」

小木「横綱のガッツポーズ問題なんかも考えているのか」

やく「教育のなかに入っているのかも」――

 貴乃花が大相撲は日本の国技だ、日本の伝統だ、文化だと杓子定規な格式の面からのみ把えて、ガッツポーズまで一切禁止だと窮屈な規則で雁字搦めにしてスポーツが持つ娯楽の面を殺いだ場合、それが貴乃花の生き方からきている姿勢だとしても、どのようなスポーツの場合でも時代を超えた要請としてある理屈抜きに愉しむ部分・愉しめる部分を剥ぎ取るばかりか、相撲の所作をその時代に生きる人間の行動性に反して型にはめることとなってに相撲取り自身を萎縮させかねず、無難な取組みしか望めなくなるのではないだろうか。
 
 政権交代したからと言って、交代した政権が成功するとは限らない。貴乃花が一門を離脱して理事に立候補、当選したからと言って、本人の目指す改革が成し遂げられるとは限らない。だが、年功序列・指定席といった権限及び規則の墨守を主体とした制度が醸し出すことになる、創意や新風を許さない停滞した事勿れな空気に一石を投ずる効果はあるに違いない。

 最後に「デイリースポーツ」記事――《KONISHIKI、貴乃花親方にエール》(2009年12月24日)からKONISHIKIこと、元大関の小錦が貴乃花に送ったエールを見てみる。

 クリスマスにちなみ、ボランティアでサンタに扮して都内の幼稚園を訪問、最も若い人間の群像である幼稚園児とクリスマスを楽しんだ後、インタビューを受けた言葉だという。

 「貴乃花親方には新しい考え方があるかもしれない。貴乃花親方だけじゃなく、もっと若い人も出てほしい」――

 記事は若い人の出現――〈角界の新陳代謝を望んだ。〉と書いている。

 KONISHIKIの明るいユーモアのセンス、目を丸くしたときの人並み外れた愛嬌、ハワイ出身だから、ハワイアンは勿論、ジャズやカントリーまで幅広く巧みに歌う音楽の才能と楽器演奏の才能を素晴らしいと思って、現役時代から大ファンだった。

 大関時代、横綱になる成績を手にしていながら、横綱審議委員会のメンバーから「外国人の横綱はいらない」と言われ、大相撲にいい気持は持っていない面もあるだろうが、だからこそ若い人間の柔軟な考えの吹き込みを望んだに違いない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする