中国の天皇の政治利用の向こうを張って、拉致解決に天皇を政治利用すべし

2009-12-13 11:35:56 | Weblog

 
 12月11日(09年)に都内で開催の拉致被害者家族や支援者らを集めた政府主催のレセプショで鳩山首相は「あらゆる手段を講じながら拉致問題解決に努力する」(YOMIURI ONLINEと発言したいう。

 さらにレセプション終了後に次のように記者の取材に答えている。

 「いつかは、私自身が行く必要が出てきたときには当然、体を張って(北朝鮮に)行くべきだ。・・・・まだ、その状況には当然なってはいない」日経ネット

 「体を張って」とはなかなか勇ましい。「体を張」るよりも、どうしたら拉致被害者を無事確実に取り戻すことができるか“頭を張る”外交戦術上の創造性こそが必要だと思うが、体育会系思想の持ち主なのか、どうしても体を張りたいらしい。

 当然、「体を張って行く」としても、「その状況には当然なってはいない」で片付けるのではなく、「その状況」を創り出す外交戦術が是非必要となる。

 大体が「その状況」になるのを待っていたなら、「体を張って行く」にしても、それまで内閣が持つかどうかの問題も生じる。

 北朝鮮による日本人拉致は1970年代から1980年代にかけて発生している。金日成は1912年生れ、1994年に82歳で死亡。いわば拉致は金日成が生存中の60歳代から70歳代にかけた発生であることを根拠に2004年7月4日アップロードの私自身のHP、《「市民ひとりひとり」第63弾《小泉再訪朝の成果》に〈北朝鮮側から見れば、8人のうち5人の家族を帰国させることで、25万トンの食糧と1000万ドル相当の医薬品を獲得する。安否不明者の調査に関しては再調査の約束だけで済ませた。これは相当な収穫である。拉致が金日成と金正日親子が仕組んだ国家犯罪だと露見しない範囲内で、安否不明者の情報を小出しにして、新たな人道支援を得る切札とすることができる。〉と書き、 2008年3月12日当ブログエントリー《「日本人拉致首謀者は金正日」は想像できたこと》で、〈拉致が北朝鮮が証言したように「特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って行った」ことで金正日将軍様が関与していないが真正な事実なら、「拉致全面解決」は当事者の処分で済み、朝日国交正常化の障害とは何らならない。

 ところが日本側が国交正常化の譲れない条件とした「拉致の全面解決」を北朝鮮側は「解決済み」として拒み、国交正常化で手に入る日本からの戦後補償と経済援助を自らお預け状態にしている。

 朝日国交正常化のお土産である日本の戦後補償と経済援助が危機的状況にある北朝鮮経済立て直しの大きな一助となり、そのことが飢餓・餓死状態に見舞われている多くの国民をその窮状から救い出し、一部特権階級御用達の将軍さまではなく、ほぼ等しく全国民の将軍様となることが金正日将軍様が自らの独裁権力体制を安泰無事に維持する要件であり、父親の金日成から権力を引き継いだと同じく自分の子どもに権力を無事引き継ぐ将来的な権力の父子継承の保証にも力ともなるにも関わらずである。

 ここから読み取ることができる構図は朝日国交正常化が北朝鮮経済の建て直しのカードとはなり得ても、「拉致全面解決」が金正日独裁体制保証と権力父子継承保証のカードとはなり得ないということであろう。だから、「解決済み」の態度を取らざるを得ない。

 ここに金正日が拉致行為首謀者とする根拠がある。〉と書いて、かねがね拉致首謀者は金日成・金正日親子だと主張してきた。

 勿論、金正日が父親の金日成に隠れて行った陰謀ということもあり得るが、金正日が権力を掌握したのは〈1974年2月13日の朝鮮労働党中央委員会第5期第8回総会において、政治委員会委員(現:政治局政治委員)に選出され、翌2月14日には、金日成の後継者として「推戴」された。〉と「Wikipedia」に出ている。1974年2月は日本人拉致の年代中間にほぼ重なるが、金正日が朝鮮人民軍最高司令官に「推戴」されたのは1991年、国防委員会委員長に選出されたのは金日成死亡前年の1993年日で、軍の統帥権を掌握している。

 1993年以前から軍の統帥権を実質的に掌握していた可能性もあるが、20年~10年前の拉致を父親の金日成に隠れてできたかどうかである。

 2009年11月2日の「asahi.com」記事――《拉致工作機関、金総書記が直接指揮 日本政府調査で判明》は少なくとも拉致首謀者が金正日であることを証明する報道となっている。

 既に読書済みの読者もいるかもしれないが、改めて目を通して貰い、この一文の理解を得やすくするために全文を参考引用してみる。
 

《拉致工作機関、金総書記が直接指揮 日本政府調査で判明》 

北朝鮮による日本人拉致事件を計画・実行した朝鮮労働党対外情報調査部(現35号室)が、金正日・朝鮮労働党書記(現在は総書記)から直接指揮を受ける形で活動していたことが、日本政府の関係当局の調べで明らかになった。金総書記からの指示を受ける際には「伝達式」が行われていた。日本政府内では、金総書記が日本人拉致を指示したか、少なくとも知りうる立場にあったとの見方が強まっている。

 金総書記は02年9月の日朝首脳会談で、当時の小泉純一郎首相に「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこういうことを行ってきたと考えている」と述べて謝罪。責任者をすでに処罰したとも説明した。自身の関与を否定するこうした主張の根拠が揺らげば、拉致、核、ミサイル問題を包括的に解決して日朝国交正常化を目指す方針を掲げる鳩山内閣の取り組みは困難なものになりかねない。

 政府関係当局の調べでは、日本人が拉致された70年代から80年代初め、対外情報調査部は、金日成国家主席(故人)の後継者の地位を固めつつあった金正日総書記直属の工作機関と位置づけられていた。部長、副部長、課長、指導員、工作員という構成。副部長は3人おり、課は1課から7課まであった。課ごとに日本、韓国、中国などを国別に担当していたほか、工作員養成を担当する課もあった。

 金総書記からの命令を受ける際には、朝鮮労働党の本部に部長、副部長、課長が集められ、「伝達式」が開かれていた。命令は「親愛なる将軍様、金正日同志が次のように指摘されました」という言い回しで始まり、それに続く形で具体的な内容が文書や口頭で伝えられた。命令はその後、課長から指導員、指導員から工作員の順に必要事項が文書や口頭で伝えられた。命令は絶対で、背いた場合には職務更迭や処刑などの厳しい処分があったという。

 日本人拉致事件をめぐっては、すでに警察当局は金総書記に近い対外情報調査部の李完基(リ・ワンギ)・元部長と姜海竜(カン・ヘリョン)・元副部長が、地村保志さん、富貴恵さん夫妻、蓮池薫さん、祐木子さん夫妻の拉致を計画、指示したと判断している。政府関係者によると、福田政権時代に逮捕状を請求することも検討されたが、官邸側の意向で見送られたという。

 日韓外交筋によると、この幹部2人の関与を裏づける過程で、08年2月中旬に日本政府関係者が、78年に北朝鮮に拉致されてその後脱出した韓国の女優、崔銀姫(チェ・ウニ)さんに事情聴取した。崔さんは著書にこの幹部2人と金総書記が写った写真を掲載している。崔さんは事情聴取に対し、金正日総書記が70年代に金日成国家主席から政権運営を譲り受けていたと説明し、日本人拉致については金総書記の指示が「あったと思われる」と証言した。


 この報道に対する平野官房長官の発言を「時事ドットコム」記事――《「金総書記が拉致指揮」報道を否定=官房長官》が伝えている。

 平野博文官房長官(北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致事件を実行した機関を指揮していたことを政府が確認したとの朝日新聞の報道について)「この事実関係を政府としては把握していない」 

 そういった事実は存在しないとは言っていない。また、存在するかどうか確認するとも言っていない。金正日こそが拉致首謀者だという事実を掌握しているとした場合、その事実に対応した厳然とした措置を日本側は取らなければならなくなるが、厳然とした措置を考え出すことができない、あるいは事実無根だ、そのようなデマを持ち出すなら、日本とは今後一切交渉しないと将軍様の怒りに触れたなら、日本側から解決の扉を閉ざすことになって取る術が見い出せないことからの「掌握していない」の可能性もある。

 鳩山首相の「いつかは、私自身が行く必要が出てきたときには当然、体を張って行くべきだ」が拉致被害者家族から早期解決をせっつかれている中でその要望を一時的に満たす必要からの気休めの臨時措置ではないと思うが、政治的にも経済的にも危機状況にある北朝鮮国家建て直しの貴重なカードとなり得る日本の戦後補償と経済援助に振り替えても守っている“拉致首謀の秘密”である、鳩山首相がのこのことピョンヤンに顔を出したからといって、少なくとも金正日が仕組んだ国家犯罪だと露見の危険性が生じかねない拉致被害者の帰国を、ハイ、返しましょうとはならないに違いない。

 ではどんな手があるのか。相変わらずの馬鹿の考え休むに似たりのアイデアに過ぎないが、披露してみる。

 今年の3月に中朝国境地帯の豆満江付近で取材、撮影中だった米国メディアの女性記者2人が北朝鮮当局に不法越境の疑いで逮捕・拘束、6月に「朝鮮民族敵対罪」などを適用して労働教化刑12年の判決を言い渡した。

 8月に入って、クリントン元大統領が訪朝、小泉訪朝と同じ前以て根回しして段取りを決めた上での訪朝だったろうが、金正日と会談、2人の身柄引き渡しを要求、それを受けて金正日は拘束中の2人に対して特別恩赦を出して釈放することを命じ、クリントン元大統領は二人を伴って帰国している。

 金正日の恩赦という情けをかけた形にした釈放についての北朝鮮の国営朝鮮中央通信の報道内容を《北朝鮮:米記者拘束問題 2記者釈放 元米大統領訪朝、北朝鮮は「成果」誇示》(毎日jp/2009年8月5日)が題名どおりの趣旨で伝えている。

 ▽クリントン元大統領は金総書記に対して、記者の「不法入国」について「深い謝罪の気持
  ち」を表明。
 ▽「米国政府の懇切な要請」として元大統領が人道的見地から送還を求めた。
 ▽米朝間の懸案事項が「真摯(しんし)な雰囲気の中で虚心坦懐(たんかい)に深く議論さ
  れた」
 ▽クリントン元大統領が「関係改善のための見解を込めたオバマ大統領の口頭メッセージを
  丁重に伝えた」――

 クリントン大統領はアメリカを代表して深い謝罪と人道的見地からの送還を懇切に要請、金正日将軍がそれに応えて、2人の記者に恩赦を与え、釈放を命じたといった場面を国営朝鮮中央通信はつくり出したのである。勿論、場面の先に北朝鮮国民を置いている。

 金正日は報道を利用して自らを上の偉大な場所に置き、クリントン大統領を謝罪し、要請する下の位置に置いたわけである。

 外国人を逮捕すれば金正日にお褒めの言葉が頂けるとその意向を汲んだ不法逮捕の疑いを持つこともできるし、逮捕以後の「朝鮮民族敵対罪」の適用、労働教化刑12年の判決は金正日が仕組んだアメリカとの取り引き材料としての可能性を持たせた陰謀だったろうが、その目論見がクリントン元大統領といった大物の訪朝要請と訪朝を受けた釈放の経緯に見せた自己の偉大さの国民向けの宣伝となって結実したというわけである。

 そのことは会談時に金正日は血色を良く見せるために化粧していたことにも現れている。健康状態を隠すための化粧だったとする報道もあるが、クリントン大統領と並んで立ったツーショットの写真は国民にも見せる消息であったろうから、国営朝鮮中央通信の報道どおりの印象と一致させる必要上の措置でもあったろう。

 大物要人が訪朝して、要人を下の位置に置き、将軍様を上の立場に置く国民向けの自己偉大さの宣伝ともなる演出を施せば相当な無理が利くということなら、日本に於いては鳩山首相はその存在感ではクリントン元大統領よりも遥かに小物に映るだろうから、天皇を措いて適役は存在しないのではないだろうか。

 中国も韓国・北朝鮮も権威主義を行動様式としている。日本は小沢民主党幹事長が訪中で見せたように胡錦涛主席との会見を自らの権威づけとしていたが、中国は日本の総理大臣は眼中になく、習近平国家副主席の訪日に際して天皇との会見を望み、天皇の権威を利用して副主席から主席への昇進に向けた一つの権威づけとしようとしていることからも、天皇以外に拉致被害者解放の適役はいないように思える。

 オバマ大統領が11月の初訪日で天皇と会見したとき、天皇の手を取り、腰を深く曲げて深々と頭を下げたことが屈辱的態度だとアメリカでは問題となったが、天皇が金正日の手を取ってオバマ大統領がしたように腰を深く曲げて深々と頭を下げたなら、日本国民は屈辱的態度だと大騒ぎするだろうが、日本の天皇を下に置いたと見せることができる金正日の権威主義的な虚栄心を痛く刺激するばかりか、北朝鮮国民向けの自己の偉大さを売り込む宣伝ともなって拉致被害者の帰国に快く応じる可能性が生じる。

中国の天皇の政治利用に加担するよりも利口な天皇の政治利用ではないだろうか

 勿論、金正日独裁体制を絶対保証としなければ、天皇訪朝であっても拉致被害者の帰国は絶望的となる。

 金正日を含めて拉致に関わった北朝鮮関係者に対する罪の不問、帰国した拉致被害者に対する日本の警察による事情聴取の中止、そして何よりも拉致被害者が口をつぐむことを条件としなければならない。いわば臭い物には蓋の徹底。

 このような一連の措置が拉致首謀者が金正日であることの秘密を守って、金正日独裁体制を保証する確実な要素となるからである。その保証を日本側が請合わなければ、如何なる形の釈放もないと考えなければならない。

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