PISAテスト/「人口1億以上では日本はトップ」にどんな意味があるのか

2009-12-02 11:52:28 | Weblog

 昨日夜の9時近くだったか、確かフジテレビだったと思うが、元NHKアナウンサーの池上彰がコメンテーターとなってお笑いタレントやテレビタレント、それに外国人の男女を集めてOECD学習到達度調査(PISA)で常に上位を占めているフィンランドの教育事情を取り上げて“講義”をしていた場面に出くわした。

 日本の現在の年間自殺者数は3万人を超えているが、人口10万に直すと、25人となるが、1990年のフィンランドは人口10万人に対して30人前後の自殺大国だったという。失業率が高いことが主な原因ということだが(1990年から1993年にかけて失業率が3.2%から16.6%に増加したそうだ)、1991年に36歳という若さで首相に就任したエスコ・アホ氏が(「アホ」と言ってもアホではないと池上氏は冗談を言って笑わせていた。)自殺の社会的損失を金額で弾き出して(4兆円を超えるとか言っていた。)、自殺対策と失業対策が必要とする国家予算はその10分の1で済むとかで(確かそうだと思ったが)、さらに職に就いた者が国に収める税金がプラスの税収となる全体的な差引きから国家の損失(=国民の損失)を食い止める解決策は職に就くことができる技術を教育によって身につけさせて改善するしかないという明確な目的を持って教育改革に乗り出したという。

 先ず手をつけたのが教科書検定の廃止。各地域の学校・教師と教科書会社の創意工夫に任せたということだろう。当然、学校も教師も責任を負うことになる。しかも教師は現在日本の民主党が教師資格に修士課程の2年を加えようとしているが、フィンランドでは既に大学で6年学ぶことが義務づけられているという。

 しかもフィンランドの教師は教えることを専門とし、日本のように部活の指導もなし、進路指導も、進学先は親と子どもが相談して決める問題だと(突き放して?)日本の先生のように関わらないそうだ。いじめの問題が起きると各学校に専門のカウンセラーがいて相談なり指導を行うとか池上氏は言っていた。

 日本は上が下を従わせ、下が上に従う権威主義を行動様式としているから、文科省が教育委員会を通して、教育委員会も上の文科省に従うのは当然だとばかりに言いなりに従って文科省の命令・指示を言いなりに学校に伝え、学校をああしなさい・こうしなさいとあれこれ管理し、学校も上から管理されたなりに生徒をあれこれと管理しないでは済まないから、雑用ばかりが増える。

 いわば下にしても上に管理されて動くことに慣らされた管理形態の行動様式となっているから、前のブログに書いたが、教科書のない授業の場合、授業内容を自分たちで創意工夫すべき非管理の自律心を発揮できず、どうして教えていいか分からないから指針を示してくれと文部省にお願いして(泣きついて?)、出てきた指針どおりに教える。いわば指針に管理された教えを行う。だから文部省の指示どおりにほぼ全国一律の教えとなる。

 親にしても学校が何でも管理してくれる、何でもしてくれると思うようになっていて、それが子どもにとって望どおりの管理でないと、あるいはしっかりとした管理となっていないと、学校は何をしているんだと怒鳴り込んだりして、学校や教師に責任をなすりつける。

 話がちょっと脱線するが、「夜回り先生」とか、元教師だかが毎日夜回りして繁華街に屯している中高生に声をかけて指導する様子をマスコミが取り上げていたが、私は下らないことだと思っていた。勉強するしないは生徒それぞれの責任。夜遊びするのもそれぞれの責任。援交しようが売春しようが、本人の責任に任せればいい。
 
 そうすれば、日本の学校の先生の雑用が減るだろう。

 但し、生徒それぞれの責任を言うためには多様な可能性の時代だと一方で言っている以上、テストの成績とスポーツの成績に可能性を限定した学校教育は改めなければならない。あらゆる可能性にチャンスを与える学校教育とすべきだろう。

 テストの成績を上げて高校・大学と進学し、省庁の官僚となることに(最終的には天下りになることに)自らの才能・可能性を賭けたい者は暗記教育にせっせと励めばいいし、何かスポーツ選手になってカネを稼ぎたければ、部活一辺倒で励むのもいいだろう。しかし、そういった才能がない者、そういった生き方ができない者には義務教育である以上、本人の責任と教師のアドバイスで何らかの可能性を見い出させて、それを伸ばす教育を引き受けるべきである。専門学校のような形式を採ると、そういった教育ができる。

 池上彰氏は色々と情報の読み取り方を教えつつ、フィンランドが教育改革の結果、PISAで常に上位を占めるまでの教育立国になったことを告げ(日本からも相当の教育関係者が視察に訪れていると、カネをかけるだけのどうせ役に立たない視察だろうが、出席していたフィンランド女性が言っていた。)、最後に日本の成績は低いが、「人口1億人以上の国で10位以内に入っているのは日本だけだから、日本もまだまだ捨てたものではない」といったふうに日本の誇ることができる点を突いていた。

 これは「人口1億人以上の国では日本はトップだ」と言ってることと同意義をなす。

 出席していたタレントたちが、ホウーと感心した。私も、なるほどそうなのかと思ったが、「人口1億人以上の国で一番」という基準にどのような意味あるのだろうかとふと思った。

 画面に表が出ていて、日本が10位にランクされていて、トップにフィンランドの名前が記されていたから、2006年調査の「数学的リテラシー」テストと「読解力」テストと「科学的リテラシー」の合計順位だと思う。フィンランドはすべての科目で1位ではない。

 フィンランドの教室風景をテレビが映し出していたが、ひとクラス10人前後の少人数学級となっていることが教師の目が行き届き、きめ細かな指導ができて成績アップの要因となっているそうで、落ち子ぼれを防ぐために問題が分からない生徒にはその席に付きっ切りでマンツーマンで教える女性教師の姿を映し出していた。

 フィンランドの人口は500万を少し超える程度でしかないという。

 以上のことから、「人口1億人以上の国で一番」という基準に意味を与えるとしたら、人口が少ないことが少人数学級を可能とし、そのことがきめ細かい教育を二次的な成果としてフィンランドの好成績をつくり出している好条件なのだから、そういった好条件に恵まれていない、人口を1億2千万人も抱えていて、フィンランドのように極端に少ない少人数学級が難しい日本が「人口1億人以上の国で一番」なのは、池上氏の言葉を正確に使うと、「人口1億人以上の国で10位以内に入っているのは日本だけ」なのは素晴らしいことだということになる。

 フィンランドと同じようにテストの上位を占めている韓国の人口は4千612万人、台湾は2千223万人。日本の3分の1、6分の1程度だから、「人口1億人以上の国で一番」という基準に意味を与えることができる。

 だが、「人口1億人以上の国で一番」という基準の意味づけを逆説すると、日本のPISAの成績はアメリカより優っていると誇る向きがあるが、日本よりも遥かに人口の多い国の成績が低くても、日本よりも人口が多いことを以ってして正当化し得ることになる。

 アメリカは約3億。中国は約13億、インドは11億8千万。この3国はいずれの科目も10位以内に顔を出していない。

 日本はアジアでは一番多くノーベル賞受賞者を輩出していると誇るが、単に欧米から科学を学び始めた時期が他のアジア諸国に遥かに先行していたからではないだろうか。桃山時代からヨーロッパから科学が入ってきて、江戸時代になるとオランダの医学やその他の科学が入ってきていたということだが、中国や韓国は明治・大正に入ってから日本の軍事的干渉によって国の発展を阻害されている。日本の敗戦時代の中国は国共内戦、韓国は北朝鮮との朝鮮戦争。日本はソ連型共産主義の防波堤としてアメリカの手厚い支援を受け、その上朝鮮戦争特需やベトナム戦争特需の恩恵まで受けて経済的に急激に復興している。

 アメリカがヨーロッパ程に歴史が長くなくても、またPISAの成績が悪くても、ノーベル賞受賞者が多いのは外国からの優秀な人材・才能を分け隔てなく受容れ、吸収する懐の深さを持っているからではないだろうか。不法・合法を含めた移民も加わって、そこに文化や知識の多様性が生じる。多様性は刺激し合い、文化・知識を高めていく。

 こういったことが外国系を含めてアメリカのノーベル賞受賞を多くしている要因ではないだろうか。

 アメリカが如何に多くの人材を受容れているかを示すブログがある。

 《第4回 インド人、中国人の起業家ネットワーク》
  
 〈1990年の時点で既にシリコンバレーのハイテク産業に占める外国人の移民労働者の割合は30%であった。そして、これが2000年には53%にまで上がっている。そしてこの移民労働者の7割が、台湾を含む中国人とインド人から成り立っている。〉――

 《「日本人一万人移住計画」梅田望夫》 

 〈シリコンバレーの人口は約250万人(就労者は約135万人)。うち35%が外国生まれ。ここは「高学歴のハイテク移民」が最先端の技術開発と新事業創造に明け暮れているという不思議な地である。しかしその中で日本人は本当に少ない。「数年で帰国することを前提とした日本企業からの駐在者」を除くと、シリコンバレー人らしくプロフェッショナルとして生きている日本人はせいぜい500人くらいだろう。

 (中略)

 ハイテク関係のエキサイティングで条件のいい仕事が母国にあまりなかった中国・台湾系、インド系、東南アジア系の留学生は、米国の大学や大学院を出た後、ごく自然にシリコンバレーに残って活躍するようになった。そういうロールモデルが磁力になってさらに母国から人が集まってきた。〉――

 日本人が少ないことのバイタリティーを問題にしてなのだろう、上記ブログはそれを〈20年かけて20倍にならないか。20年がかりの1万人移住計画とはそんな構想である。〉と夢を描いている。
 
 ほかにも次のような統計があった。

 〈2009年6月2日―― 各分野における活躍. →米国の医者の38%がインド系. →米国NASA職員の36%がインド系〉――《Policy recommendation from India 資料2 》

 PISAの成績順位に顔を出していない中国人、インド人の活躍である。

 この活躍の広さを見ると、池上彰氏が言った「人口1億人以上の国で10位以内に入っているのは日本だけ」(=「人口1億人以上の国で一番」)の自讃は意味を失う。

 それとも池上彰氏の 「人口1億人以上の国で一番」という基準には他の意味があるのだろうか。あると気づいた読者がいたら、教えてもらいたい。


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