谷垣自民党総裁が4月23日(2012年)、大島自民党副総裁と仲睦まじく手をつないでかどうか知らないが、4月21~23日日程の春季例大祭に合わせてのことなのだろう、揃って靖国神社を参拝したという。《谷垣自民党総裁が靖国参拝》(時事ドットコム/2012/04/23-13:01)
参拝後、記者団に――
谷垣総裁「国家の危難に殉じた方々のご冥福と国家安泰(を祈る)という思いで(参拝した)」
「国家安泰」を靖国神社に祈念する。国政を担う政治家である以上、自らの政治思想・政治行動に「国家安泰」を恃(たの)むべきなのだが、靖国神社に恃んでいる。
【恃む】「それに依存しうるだけの能力があると信じること」(『大辞林』三省堂)
いわば「国家安泰」の設計・立案に依存しうるだけの政治思想・政治行動等の能力が自らにあると信じ、それらを駆使して「国家安泰」の実現に向けた行動を取るのではなく、靖国神社に「国家安泰」の能力があると信じて、その能力に依存し、祈念することで「国家安泰」の実現を願った。
少なくとも靖国神社に「国家安泰」実現の能力があると信じたからこそ、祈念したということであるはずだ。
自らの能力を恃んで現実世界を司らなければならない現代政治家が神と化したと看做す戦没者に「国家安泰」を祈る姿はまるで古代の神権政治の世界に入り込んだ祭司のようなカビ臭い図に見える。
谷垣自民党総裁にはふさわしい図なのかもしれない。
靖国に祀られている戦死者を「国家の危難に殉じた方々」と敬っている。
【殉ずる】「任務や信念などのために命を投げ出す」(『大辞林』三省堂)
戦前の日本人は果して個人として自律していたのだろうか。自律した個人として「国家の危難」に殉ずるのと、自律していない個人として「国家の危難」に殉ずるのとでは自ずと意味が違ってくる。
前者は主体的に自ら進んで取った姿となるが、後者は国家の指示・命令に従属した姿となる。
前者は個人から国家に働きかけた姿となるが、後者は国家から個人に働きかけ、個人がそれに従う姿となる。
戦前の日本は絶対的至高の存在と位置づけた天皇を頂点とした、個人がそれに従う国家主義体制を採っていた。不敬罪が象徴しているように個人は天皇や国家と対比させた場合の個人について一切の自由――思想・信教の自由、表現の自由等々は認められていなかった。
そういった世界での戦争に於ける“殉ずる行為”であった。決して前者の主体的に自ら進んで取った姿ではなく、後者の国家から個人に「天皇陛下のために、お国のために」と働きかけ、個人がそれに従い、死して靖国に祀られるをご褒美とした姿であった。
一見個人から勇み進んで取った姿に見えるのは明治維新以来の国体思想によって絶対的存在とした天皇と、絶対的存在としたゆえにそれに従うべきとした臣民との関係を強いられ、その根拠として優越民族主義を刷り込まれ、洗脳された個人と化していたからだろう。
優越民族主義は、優越民族であるゆえにその国家経営は制度を含めて絶対間違いはないとする無誤謬性を暗黙の共通意識とするゆえに国家を絶対と信じさせる有力な装置となると同時にそのような国家に従う国民の如何なる行動も間違えることはないと信じこませる装置ともなっている。
天皇絶対主義の成り立ちである。
このことゆえに国民が自ら進んで「天皇陛下のために・お国のために」のように見えるが、基本的には天皇を絶対的存在と位置づけて、その絶対的存在である天皇に国民を従属させるために持ち出した日本優越民族主義であって、この支配と従属の関係を両者間の基本構図としている以上、天皇や国家の支配を受けた「天皇陛下のために・お国のために」の国民の行動と見なければならないはずだ。
いわば、「天皇陛下のために、お国のために」と戦い、命を捧げたのは天皇及び国家の支配を受け、国民がその支配に従属した戦前の殉国思想、殉死思想に依拠した行動であった。
戦後、国民は天皇支配や国家支配の呪縛から解き放たれ、制度上は個人の自由を獲得することができた。
にも関わらず、谷垣自民党総裁は靖国神社を「国家の危難に殉じた方々のご冥福と国家安泰(を祈る)という思いで(参拝した)」と、天皇及び国家支配と国民従属の関係から生じた戦前の殉国思想・殉死思想の文脈で戦没者を把えている。
制度上は個人の自由を獲得することができたと書いたのはこのためである。戦後に至っても、戦前の靖国思想、あるいは戦前の殉国思想・殉死思想を引きずっているからである。国家観に関して精神的には戦前から戦後に向けて時間を停めたままでいる。
谷垣総裁一人ではない。保守を名乗る多くの政治家、日本人が同じ姿を取っている。
勿論、戦前の日本では兵士たちは心底から信じて天皇に殉ずるために、国家に殉ずるために戦い、命を落としていった。それが天皇及び国家支配と国民従属の関係の中での唯一の選択肢であったとしても。
だが、「国家の危難に殉じた」が事実なら、「国家の危難」は救済されなければ、戦没者の「殉じた」ことの意味を失う。「国家の危難に殉じた」(命を投げ出した)が、「国家の危難」を打破・救済できずに国家が破滅したでは「殉じた」行為を天皇及び国家が受け止めることができなかったことを意味する。
当然、戦争を引き起こして自ら国家の危機を作り出し、その危機対応に無為無策であった天皇を頂点とした国家指導者たちのために犬死を強いられたことになる。
天皇を頂点とした国家指導者たちの無為無策の国家危機管理の誤謬はそのままにして、殉死をムダとされた戦没者の「ご冥福と国家安泰」を祈念する。
この戦前の天皇を頂点とした国家指導者たちの誤謬を不問とする姿勢は戦前の天皇及び国家を無誤謬とした日本民族優越主義をどこかで引きずっているからだろう。
また戦没者を正義の文脈で国家に殉じた者とし、英霊として顕彰することによって戦前の天皇及び国家を正義の存在――無誤謬の存在だと暗黙下に同等に対置し得る。
このことにも戦前の靖国思想、戦前の殉国思想・殉死思想の引きずりを見ることができる。
谷垣総裁は1945年(昭和20年)3月7日生まれだそうだが、日本が降伏した1945年8月15日には生後5カ月と8日しか経っていない。いわば戦後生まれといっていいはずだが、にも関わらず戦前の靖国観を引きずって、戦後の世界に生きている。
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