先ず京都府亀岡市の集団登校中の自動車事故児童等10人の死傷事故で、亀岡書の警部補が加害者の18歳の少年の父親の求めに応ずるままに被害者10名の住所・電話番号等の個人情報を実際は漏洩に当たる提供を行った件について。
今日の極度に発達した情報社会化を受けてインターネット上に大量に蓄積されている各種情報の中から、あるいは停車中の車に置いたパソコンやフロッピーディスクといった記憶媒体から個人情報が盗み出され、ときには100万を超える大量の個人情報が外部に漏洩する問題、あるいは個別に個人情報に不正アクセスして、口座番号を盗み出して預金を引き出すといった問題が頻繁に起きていて、パソコン時代の個人情報保護が喧しく言われている。
こういった状況を警察関係者は十分に弁えていなければならない上に自らの職務に関しては役目や事件捜査で知り得た情報のみならず、それら情報に含まれている個人情報に関して役目上、あるいは捜査上、どの情報を公にしていいか、公にしてはならないかの取捨選択は日常的に心得ていなければならなかったはずだ。
このことは役目や捜査が終了した時点に於いても同じであろう。
いわば情報の取扱いに熟知していた。あるいは熟知していなければならなかった。
だが、警部補は、伊達に警部補になったわけではあるまい、加害者の父親に被害者の個人情報をパソコンを用いてリストにしてまでして手渡した。
加害者と色濃い間柄にある関係者に事故からさして日が経っていないにも関わらず、それゆえに被害者の遺族や関係者のどこにもぶつけようのない怒りや憤り、悲しみの激しい感情、なぜなんだ、不当じゃないかといった強い疑問、死んだことがまだ信じられないという空虚感等が入り交じって抑え難くふつふつと渦巻いているに違いない時期に被害者の個人情報を知らしめた。
「強い求めがあった」からと、その理由を語っているが、「求め」が問題ではなく、渡すか渡さないかの選択が問題であるはずだが、そのことを考える力もなかった。
父親は死亡した被害者の告別式に参列して謝罪する目的で警察に個人情報を求めたとしているが、それが事実だとしても、複雑な感情に襲われている遺族は果たしてそのようにされて喜ぶだろうか。
喜ぶだろうか、喜ばないだろうか、却って不快感・嫌悪感を誘わないだろうかと考える力も持たなかった。
大体が殺された者は永遠に現実世界には戻ってこない。そうである以上、一般的には誰の謝罪であっても、謝罪自体が実質的には有効性を持たないはずだ。死者が現実世界に戻ってくる謝罪のみ、有効性を持ち得る。
だが、そういった謝罪はこの世に存在しない。
殺された身内を抱える遺族が少年院等に入所中の殺人加害者からの謝罪の手紙を最後まで拒絶するケースがこのことを証明している。
特に死から日の浅い間はその非有効性には強固なものがあるに違いない。
加害者本人の謝罪が有効性を持ち得ないのに、加害の本人が警察に逮捕されて留置場に身柄を拘束されているために直接謝罪ができないからと言って、加害の当事者ではない加害者の父親に謝罪された場合、遺族からしたら、加害者本人に怒りをぶっつけるようにはぶっつけることができず、却って戸惑わせることにならないだろうか。
父親の子どもの育て方にも責任があるはずで、そのことを悟って、「私の育て方が悪かった」と謝罪されたとしても、後悔先に立たずで加害者の父親に対してだけではなく、死者にも遺族にも何ら役に立たない後悔・謝罪であり、そうであることが逆に苛立ちを誘う要因ともなりかねない。
人間の感情として余程自分を責める人間でない限り、加害者は自動車事故を起こして死なせてしまったと考えるだろうが、被害者の遺族は自動車事故を起こされて殺されてしまったと解釈するだろう。
立場が違えば、事実の解釈も違ってくる。
つまり警察官であるなら、以上のようなことを知識としていなければならないはずだが、例え知識としていたとしても、その知識を現実の出来事に如何に適用するかの情報解釈を自ら行う考える力を持たなければ、役に立たない知識と化す。
亀岡警察署警部補の思考力欠如がもたらした個人情報漏洩であり、地方公務員法に於ける守秘義務違反抵触の疑いということなのだろう。
警察が加害者の父親に渡した被害者の個人情報には胎児と共に死亡した26歳の主婦の電話番号が記入してなかったために加害少年の父親と共通の知り合いから依頼されて、女性の子どもが通う小学校の教頭が携帯番号を教えたという。
小学校関係者も警察と同様に個人情報保護・個人情報管理には喧しいはずである。2005年4月からの個人情報保護法全面施行を受けて、公立小・中学校はクラス全体の児童・生徒の名前・電話番号・住所を記入した電話連絡網とか緊急連絡網とかの作成・各家庭への配布を児童・生徒本人の家族以外も目に触れるからと中止して、学校の連絡は各個人別に届くメールに替えて、それぞれの個人情報を秘密扱いにした。
いわば電話番号とか住所とかの知りたい情報は電話局の電話番号案内を利用するか、知りたい相手を直接訪ねていって直接聞くか、知りたい相手の知り合いから電話等で聞くしかなくなったが、学校に尋ねてきた場合、学校は本人の承諾を取らずにハイハイと教えたのでは電話連絡網とか緊急連絡網とかの作成・各家庭への配布を中止して各児童・生徒の個人情報を管理・保護した意味を失うはずだ。
特に自動車死亡事故加害者の父親への被害者の個人情報の提供となる以上、なおさら遺族本人の承諾を取らなければならなかったはずだ。
だが、承諾を取らずに求められるままに日常普段の個人情報保護・管理に反して安易に個人情報を漏らした。学校教育者でありながら、そこまで配慮する思考力を欠いていた。
情報を漏らした教頭は次のように釈明している。
東佳明教頭「よく知る方だったので伝えてしまったが、私の考えが甘かった。遺族につらい思いをさせ、心が痛みます。反省しています」(NHK NEWS WEB)
「考えが甘かった」のではない。情報をどう扱って自らの情報としてどう発信するかしないか、その適切な方法を判断する思考力を欠いていたに過ぎない。
4月23日の亀岡市の集団登校自動車事故と4月27日朝の千葉県館山市のバス待ちの小学生と保護者の列に軽乗用車が突っ込み、1年生の児童を死なせた事故、さらに同じく4月27日朝、愛知県岡崎市での小学生の列に軽ワゴン車が突っ込み、児童2人が重軽傷を負った事故を受けて4月27日(2012年)、記者会見を開いている。
《“通学路の情報共有 事故対策を”》(NHK NEWS WEB/2012年4月27日 13時34分)
松原国家公安委員長「通学路の交通安全を確保するにはどこにどのような危険が潜んでいるのかといった具体的な情報を共有することが重要だ」
確かに見通しの悪い道路、カーブがきつすぎる道路等、「危険が潜んでいる」道路というものは多く存在する。だが、そのように安全な道路であっても、酒酔い運転、居眠り運転、脇見運転、考えごと運転、スピードの出し過ぎ運転等、運転次第で危険な道路と化す。
また、実際に危険な道路であっても、危険に応じて慎重な運転を心がけたなら、危険は回避できる。
危険な道路だからと言って、日本中の危険な道路からすべての危険を排除することは不可能だろうし、例えすべての危険を排除して、あらゆる道路を安全な道路としたとしても、悪質な運転がなくならない限り、安全な道路の安全性は保障不可能となる。
千葉県館山市の事故加害者は警察に対して次のように供述したという。
大河原容疑者(20)「仕事が休みでけさ4時半ごろから1人でドライブしながら釣りをする場所を探していた。運転中に仕事のことを考えてボーっとしてしまった」(NHK NEWS WEB)
この発言からも、危険性・安全性はいずれも運転者の姿勢で決まることが理解できる。当然、このことを対策の要点としなければならないはずだ。
とすると、「どこにどのような危険が潜んでいるのかといった具体的な情報を共有すること」よりも、悪質運転を少しでも減らす効果ある方策の構築の方がより重要になると思うが、違うだろうか。
松原氏は国家公安委員長でありながら、どうも思考力を欠いているようだ。
大河原容疑者は児童1人を死なせていながら、より罪の重い危険運転致死の容疑ではなく、より罪の軽い自動車運転過失致死の容疑で取調べを受けている。
京都府亀岡市の集団登校の列に居眠り・無免許運転で自動車を突っ込み、お腹の子どもを含めて3人を殺しておきながら、より罪の軽い自動車運転過失致死容疑の扱いである。
特に居眠り運転は目が見えない状態で運転することであり、前以て危険であることを認識しなければならないし、それを一晩中眠らずに敢えて運転を続けたのだから、そこに故意による運転意志を認めるべきだろう。
4月25日の当ブログ記事――《京都府亀岡市集団登校中自動車死傷事故に対する危険運転致死傷罪適用不可能性の怪 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも書いたが、居眠りは単なる過失だと杓子定規、画一的的に取り扱うのではなく、眠くなったなら、車を停めることが出来る場所で仮眠を取って眠気を覚まして正常な運転ができるような状態で運転し直さない居眠りは故意性のある行為と見做して、上限刑懲役20年の危険運転致死傷容疑とすべきで、脇見運転、考えごと運転にしても、実際問題として重大な人身事故を頻発させている現実を踏まえて、重大な人身事故が生ずることを認識しなければならない運転と規定し、現実に重大な人身事故を起こした場合、正常な運転を敢えて阻害した故意性を認めるべきであろう。
このような罰則適用が運転する者をして居眠り運転や見運転、無免許運転に対する自覚を高めだろうし、敢えて犯してその故意性が問われて上限刑懲役20年の危険運転致死傷罪が適用された場合の情報が広く行き渡ることも、危険運転と危険運転による被害を防ぐ方策となるのではないだろうか。
いずれにしても警察や小学校教頭、松原国家公安委員長の思考力の程度を見ると、問題となっている子どもの思考力不足は大人の思考力不足の反映だと教えられた気がした。
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