経験的事故防止自動車運転/危険は道路に潜んでいるよりも運転手自身の中に潜んでいる

2012-04-30 09:30:57 | Weblog

 「自動車事故、危険は道路に潜んでいるよりも運転手自身の中に潜んでいる」と書いたら、自動車事故防止キャンペーンの標語になりそうだ。

 昨29日(2012年4月)早朝の東京ディズニーランド行き大型観光バスが道路脇の防音壁に激突させて車体に大きく食い込ませ、乗客7人死亡、39人重軽傷の関越自動車道群馬県藤岡市地点の大事故は原因が運転手の居眠り運転だったということだから、危険が道路に潜んでいると言うよりも、何よりも運転手に潜んでいることを教えている。

 一昨日のブログに取り上げたが、松原国家公安委員長が各地で登校中の児童に居眠り運転や考えごと運転で突っ込んできた自動車事故で死傷者を続け様に出している事態を受けて記者会見で次のように発言した。

 松原国家公安委員長「通学路の交通安全を確保するにはどこにどのような危険が潜んでいるのかといった具体的な情報を共有することが重要だ」(NHK NEWS WEB

 危険のない安全な道路でも、運転の仕方一つで事故はいとも簡単に生じるし、魔の道路と言われている最危険な道路も慎重な運転で危険は排除できる。

 このことは魔の道路を通過する車のすべてが事故を起こすとしたら、否定されなければならない解釈となるが、実際にはすべての車が事故を起こすわけではなく、初めて通る場所であっても事故を起こさない車もあるだろうし、事故を起こすのは通過車両のうちの数台であって、無事に通過する車両の方が多いということはやはりどこかに緊張感を欠いていたか、油断があった等の危険を運転手が潜ませていたがゆえの事故と解釈せざるを得ない。

 私は普通車の免許しかなかったが、土木作業員の経験が長く、2トンダンプや4トンダンプを運転する機会が多かったし、材木屋に勤めていたときは材木運搬の仕事もしたし、40代以降、静岡県清水市(現在静岡市清水区)から東は東京、栃木、茨木、千葉等、西は名古屋等に各種荷物を運搬する中距離ドライバーの経験がある。

 普通の4トントラックは17尺ボデーと言って運転席を除いた荷台の長さは5.1メートルだが、6メートある20尺ボテーの4t車を運転していた。運転席の屋根よりも高く荷を積む場合もあり、シートをかけると荷台全体が膨らんでサイドミラーを覗いても背後の後続車が満足に見えないために車線変更も追い越し時の車線戻しもままならないということがよくあった。

 長い運転歴の中で、これまで幸いないことに事故らしい事故を起こさなかった。単に幸運に恵まれたからではない。誰もがそうであるように事故は思ってもみないときに起きる。今日事故を起こすかもしれないと思っていて、事故を起こす者は先ずいないだろう。

 もし今日事故を起こすかもしれないと思ったなら、それだけの用心をした運転を心がけるだろうから、先ず事故を起こすことはないはずだ。

 思ってもみないときに(=予期しないときに)事故を起こすということは現在の危機管理で言うと、危機を無意識的に想定外としていたということであろう。事故を想定の外に置いていたから、思ってもみなかった事故、予期しなかった事故ということになる。

 だが、事故はちょっとしたことで場所を選ばずに起きる。ということは事故を常に想定内として運転しなければならないはずだが、多くが想定内を想定内とせずに想定外として運転していることになる。

 私は夜中に起きて遠距離にトラックを走らせるとき、事故はいつでも、どこでも起きると思っていたから、いわば想定内としていたから、今日は事故を起こすかもしれないぞと内心自分にそう言い聞かせることを習慣としていた。言い聞かせるだけではなく、自分が事故を起こしたシーンを頭に思い浮かべた。

 スピードを出し過ぎてカーブや交差点を曲がりきれずに荷物ごと横転したトラック。あるいはひっくり返って車輪ごと腹を見せたトラック。同時に運転席の中で顔から大量の血を流して息絶え絶えになっているか、即死した私自身を一瞬思い浮かべたりした。

 また運転中に追突や正面衝突等の事故現場を何回か目にすることがあったが、沼津から渋谷までの通行の激しい246号線の、24時間オープンしているドライブインが並んだ御殿場地点の店の照明が道の両側から煌々と照らした交差点で、車体前部をペシャンコにした乗用車が右折しかけて停止していて、運転手が右頬と共に上体をぐったりとハンドルに預けた、生きている様子もない事故現場に出くわしたこともあるが、そういったとき、次は俺かもしれないと思い、やはり事故起こした際の自身とトラックを脳裏に思い浮かべた。

 車に同乗者がいれば、当然、事故を起こした場合、被害は車と自身の人命に関わる損傷だけでは済まない場合が生じる。最悪、自分が助かって同乗者が死亡する可能性も否定できない。尚更に緊張感を持って運転しなければならないはずだ。

 このようにいつでも、どこでも事故は起こり得るを意識し、常に自身の事故、自身の死を想定内として運転を心がけると、かなり乱暴な運転もしたが、乱暴な運転に比例させて事故を起こした場合のシーンを頭に思い浮かべながら、事故を起こすなよ、事故を起こすなよと自分で自分に警告を発して極度に緊張感を高めた運転に自ずとなって、その緊張感が事故を起こすのを防いでくれたように思う。

 また緊張感のお陰で例え前の日の睡眠時間が短くても往路に眠くなることがなかった。例えば前の晩に次の日配達する荷積みが夜の11時頃終わってトラックを会社の駐車場に納めてアパートに帰って寝たのが12時近く、次の朝2時か3時に出かけなければならず、朝食や準備で1時間前に起床しなければならないといった場面も何度となくあり、短い時間でぐっすり眠らなければならないという強迫観念が逆に浅い眠りを強いることになるが、緊張感が睡眠不足を却って心地よい身体の張りに変えて途中で眠くなることは先ず無かった。

 荷を降ろして空車で帰るとき、次の日の荷積みに時間的余裕があるといった場合は特にそうだが、なかなか緊張感を維持できなくて運転中に眠くなることが頻繁に起きた。

 時間的余裕があるときは昼食時間を1時間と見て、食事にかかった時間を除いた3、40分程度仮眠を取ることにしていたが、例え仮眠を取ったとしても、246号線を沼津から入った国道1号線バイパスが片道3車線の運転に最適な広々とした道路状況だが、速度制限を守って走ると、快適な道道路状況も手伝って淡々と単調に走ることになって、そのことが却って災いして必ずと言っていい程に眠気を誘った。

 清水までほんの1時間足らずの距離だから、余程の眠気でなければ仮眠を取るわけにもいかず、事故を起こすなよ、事故を起こすなよと自身に言い聞かせながら、例の如く事故を起こした場合のトラックと自身を頭に思い浮かべながら、スピードを上げて、車線を右左にと変えて他の車を追い越していくことで緊張感を高め、眠気を覚醒させる手段とした。

 居眠り運転をしている車はふらふらと左右にゆっくりと蛇行しながら走ると教えられていて、246号線を沼津から入った国道1号線バイパスでそのような走行のトラックに出くわした際、2台並んで走るようにそのトラックの右脇に並ぶと、運転手は前を向いて運転している。にも関わらず、車体が左右に蛇行するから、取り敢えず小さくクラクションを鳴らしてみた。しかしクラクションが鳴った方向に顔を向けない。2度目は少し強く鳴らすと、ハッとしたように顔を心なし反らしてからこちらを見た。最初は何事かといった顔をしていたが、すぐに悟ったのだろう、照れ笑いのような笑みを浮かべて右手を上げてこちらに挨拶した。

 私も右手を上げて、そのトラックから離れた。

 途中ショウベンもせずに10時間も運転してからトラックを降りると、足の感覚がアクセルを踏み続ける動作に馴染んでしまっているからなのだろうと思うが、歩く感覚をすぐには取り戻せずに降り立った途端にふらつくことがある。

 人間の感覚は恐ろしいもので、身体の各部位も同じ動作を長時間続けると、その動作に必要とする感覚に支配されてしまって、別の動作が必要とする感覚にスムーズに移ることができないことがある。

 246号線と沼津で接続した国道1号線バイパスはその当時確か60キロの速度制限だったと思う。先に挙げた居眠り運転のトラックにしてもその場所は普段は60キロ前後で走るだろうから、居眠りによって足の先まで全身が弛緩してしまったといった余程の状態でなければ、例え居眠りしていても、60キロ前後で走行するときの感覚を足が覚えていて、その感覚でアクセルを踏んでいたのではないだろうか。

 群馬県藤岡市の関越自動車道での観光バスの事故にしても、制限速度100キロのところを運転席のスピードメーターの針は時速92キロを指して止まっていたというから、運転手が居眠りに陥っても100キロ前後で走らせてきた足の感覚通りにアクセルを踏ませて、92キロの走行を維持できたように思える。

 だが、道路上に通行人が存在しない場合の居眠り運転であっても、事故を起こした際、乗客数にもよるが、道路に応じた制限速度が却って災いして大きな事故とすることを今回の観光バスの事故は教えている。

 居眠りしたからといって、車のスピードは弱まらないということである。

 大体が居眠りしても通常通りにハンドルを握った姿勢か、あるいは通常に近い状態でハンドルを握った姿勢を維持できること自体が居眠りに関係なしに記憶した感覚がそうさせているからこそであろう。

 椅子に座って居眠りする人間を見ると、頭をガクンと下げて、急いで元に戻すことをするが、上体はほぼ座ったままの状態を維持している。国会で肘掛け椅子に座った大臣の上体をまるきり崩して肘掛けや背当てに預けて居眠りしているシーンは余程緊張感をなくしているからできる芸当であるはずだ。

 以上見てきたように道路にも危険箇所といった問題がなくはないが、やはりそれ以上に運転手自身が運転に必要とする緊張感を必要とすることを常に認識した上で、運転の際は常に維持する自覚が事故防止のカギを握っているように思う。


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