菅無能の検察不起訴は福島原発事故危機管理対応で色々とウソをついている事実を見逃した不公平

2013-09-11 05:39:10 | Weblog



 東電福島第1原発事故を巡って業務上過失致死傷などの罪で告訴・告発された菅無能元首相を始め東電旧経営陣、班目原子力安全委員会委員長等が不起訴となった。

 政府の原発事故危機管理対応の面から菅無能不起訴の公平性を考えてみる。

 《原発事故の責任問わず 菅元首相ら全員不起訴》NHK NEWS WEB/2013年9月9日 13時53分)

 〈検察は福島第一原発事故について、福島県の住民グループなどの告訴・告発を受け、刑事責任を問えるかどうか1年にわたって捜査を続けてき〉たと言う。

 東電の問題で、菅無能には関係しないが、事前の津波対策不備に関して。

 検察判断「専門家の間でも今回の規模の地震や津波は全く想定されておらず、具体的に津波の発生を予測するのは困難だった。東京電力は平成20年に高さ15メートルを超える津波の試算もしていたが、巨大津波の発生は1万年から10万年に1回程度と考えていて、直ちに津波の対策工事を実施しなかったことが社会的に許されない対応とまでは言えない」――

 東日本大震災発生2011年3月11日14時46分発生翌日3月12日福島第1原発視察が現地作業を遅らせたとの指摘に対して。

 検察判断「作業の遅れは準備に時間がかかったためで、視察は何ら影響を与えなかった」――

 果たしてそうだろうか。

 不起訴を受けて、告訴・告発したグループは納得できないとして、検察審査会に申し立てる方針だという。

 当時の海江田経産相(当時)の東電に対するベント指示に始まる一連の動きを時系列で見てみる。

 3月12日午前1時30分頃――海江田経産省、東電に対してベント指示。
 3月12日午前6時14分――菅無能、官邸からヘリで視察に出発
 3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対してベント命令 
 3月12日午前7時11分。――菅無能、福島第一原発に到着
 3月12日午前8時04分――菅無能、第一原発を離れる
 3月12日午前9時04分――1号機でベント準備着手
 3月12日午前10時17分――1号機でベント開始
 3月12日午前10時47分――菅仮免、首相官邸に戻る

 海江田経産相(当時)の東電に対するベント指示は、3月12日午前1時30分頃

 だが、東電は海江田経産相の指示に対して直ちに実行しなかったばかりか、経産相のその後の再三の開始要請にも関わらず実行に移さなかった。2011年5月16日の衆院予算委員会。

 海江田「なかなか私共が指示を出しましたけども、なかなか実行されなかったものですから、止むに止まれずに命令という形で出したということに――」

 菅仮免「何度もお答えいたしております。つまり格納容器の圧力が高くなっていると。だからこそベントが必要だということで、格納容器が(圧力が)高くなっているということはそのまま放置すれば、格納容器が何らかのですね、ひび割れ等が、あー、起き得ることがあり得る。そういうことを含めて、なぜベントを早く行わなきゃ、いけないと言っているにも関わらず、現地でやってくれないのかという思いがありました」

 海江田経産相はベント指示から約5時間20分後の3月12日午前6時50分に法的拘束力のあるベント命令に切り替えている。

 と言うことは、東電は直ちにベント指示に従わなかった理由を述べていないことになる。理由を述べて、それが首相官邸に対して納得させ得る正当な理由であったなら、止むを得ないこととして政府は待たざるを得なかったはずだ。

 海江田経産相がベント指示からベント命令に切り替える間、菅無能が第1原発視察のために3月12日午前6時14分、官邸からヘリで出発している。

 そして菅無能が視察を終えて、第1原発を3月12日午前8時04分にヘリで離れてから、きっかり1時間後の3月12日午前9時04分に1号機でベント準備着手にかかっている。

 そしてベント準備着手から3月12日午前10時17分のベント開始まで1時間3分も時間がかかった理由を東電は放射能濃度の高さと自動開閉が故障していて手動開閉に切り替えたものの思うようにいかなかったからとしているが、海江田経産相のベント指示の3月12日午前1時30分頃時点で放射能濃度が高くて防護服を着用していても近づくことができなかったということなら、なぜその理由を伝えなかったのだろうか。

 だが、理由を伝えなかった。

 ベントを行うと、原子炉から放射能が放出される。現地視察にきた一国の総理に放射能を被曝させるわけにはいかないから、東電はベント控えたと疑われているが、「政府事故調」の報告では、〈この現地視察の実施は、菅総理が官邸を出発する直前の同日6時頃に最終決定された。〉となっていて、東電に視察を伝えたのはほぼその時点となるが、海江田経産相のベント指示の3月12日午前1時30分頃からの4時間30分の間は東電は首相視察を知らないことになり、視察がベントを控えた理由とはならないことになる。

 但し、視察最終決定が出発直前の同日6時頃が事実かどうかである。と言うのも、菅無能は色々とウソをついているからである。

 色々なウソについては後で述べるが、「政府事故調」はベントについての東電側対応を、〈同日9時43分頃、1号機及び2号機の当直長は、運転管理部長の指示を受け、1/2号中央制御室において、1号機のS/Cベントラインを構成する作業を開始した。その後、同日10時21分頃1号機について、格納容器SGTS側ベント弁の駆動源である空気を送るための電磁弁が、電源喪失により開操作できない状況であることが判明した。そこで、当直長は、同日10時32 分頃、S/C ベントラインの構成作業を中断し、第二発電所対策本部復旧班に対し、この電磁弁の電源復旧を依頼した。〉云々と技術的なことのみの報告となっていて、官邸側の対応は、〈1号機及び2号機におけるベントが実施できていないことが判明したため、12日5時半頃、官邸地下中2階において、平岡保安院次長、班目委員長らが同席する中、菅総理、枝野官房長官以下関係閣僚らにより、避難範囲に関する再検討が行われ、その場において、管理された状況下でベントを実施するのであれば避難範囲を拡大する必要はないが、いまだベントが実施できていないこと、その場合でもEPZの半径10kmに避難範囲を拡大すれば相当な事態にも対応できるとの意見が出されたことを踏まえ、避難範囲を半径10kmに拡大することが決められた。〉とベントが実施された場合の避難範囲の確認にとどまっているのみで、ベント指示に直ちに従わなかった理由、ベント準備着手が菅無能の視察終了後となった理由の追及はない。

 そして、「政府事故調」は。〈この現地視察は、事故もなく無事終了し、また、結果的には福島第一原発におけるベント実施への影響もなかったと認められる。〉と結論づけている。

 2012年5月28日の「菅無能国会事故調参考人証言」では、現場視察時に吉田所長に向かってベント実施を催促している。

 菅無能「私の方から、ベントについて、我々としたら、もう了解をしているのでベントを行わないと圧力が上がって、格納容器が破壊されると、そういう危険があると聞いているので、何とか早くベントをやって欲しいと申し上げましたら、『分かりました』と。『決死隊をつくってでもやります』と、そういう返事をいただきました。

 それで私も、この所長なら、しっかりやってくれるという印象を持ちまして、確か免震棟におりましたのは40分程度でありますが、それでそこを後にしました」――

 「決死隊をつくってでもやります」という言葉は放射能濃度が高くて近づくことができない状況を予想させるが、だったら、なぜその理由を伝えなかったのだろうか。

 菅無能は色々とウソをついていることについてだが、ウソは菅無能の証言の信用のなさを証明することになる。

 2012年5月28日の菅無能に対する「国会事故調」参考人聴取。
 
 桜井委員「総理になられてから平成22年に総合防災訓練というものが行われていると思いますが、それに総理は何らかの関わりを持っておられたのでしょうか」

 菅無能「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども、深くその時に特に原子力の本部長としての権限などを、その時に深く認識をしたかと言えば、必ずしもそういう形には私自身、残念ながら、なっておりませんでした」――

 菅無能は平成22年の総合防災訓練を「国会でもそのことを聞かれたことがありまして、そういう機会があったということは覚えておりますけども」と言っている。

 2011年)4月18日の参院予算委員会。

 脇雅史自民党議員「えー、去年の、10月20日(はつか)でございますが、(平成)22年の10月20日(はつか)、21日非常に大事な催しがあったわけですが、そのことはご記憶ですか、総理」

 菅仮免「ま、突然のご質問ですので、えー、何を指されているのか、あー、分かりません」

 脇雅史議員「実はこの日はですね、えー、原子力総合防災訓練、というものをやってらっしゃるんですね。

 で、これは本部長として菅直人内閣総理大臣、私がいただいたものには、紙には書いてあります。20日(はつか)、21日と総合防災訓練をされたと。そのときに、どういうテーマで訓練されたか、覚えてらっしゃいますか」

 菅仮免「詳しい、イ、内容については記憶しておりませんが、やはりこうした、あー…、色んな、あー、地震等を想定した、あー……、ことではなかったかと思っております」

脇雅史議員 「また呆れちゃうんですけどね(失笑)、これ大変なことですよ。私は日本の国はたいしたもんだと思うんですが、ちゃーんと訓練してるんですね。

 その訓練はですね、事故の想定という項目があるんですが、原子炉給水系の故障により、原子炉水位が低下し、原子炉が自動停止、その後の非常用炉心冷却装置と複数の設備故障により、万一放射性物資が放出された場合、その影響が発電所周辺地域に及ぶ恐れがある、と想定。

 まさに今回と同じことを想定しているんじゃないですか。そのことについてなんにも記憶はないんですか。何のための訓練だったんですか。あなたが本部長として、参加されてるんですよ。本当の覚えていない?どうぞ」

 菅仮免「シー、少なくともですね、あのー、おー、おー…、私にとって、えー、そうした原子力の、おー、いろいろな、あー、事故は、過去に於いても、オ、多くありましたし、日本では、あー、臨界事故、というものが最も大きかったわけでありますから、えー、そういった意味で、えー、一般的な認識を持っておりましたし、えー、そういう想定に、立っての、おー……そうした、あー、訓練が、行われたということは、ア、ご指摘のとおりだと思っております」――

 しどろもどろで過去の原子力の事故や臨界事故等、関係のないことを持ち出して、記憶していない原子力防災訓練を記憶しているかのようにウソをつき、誤魔化そうとしている。

 だが、「国会事故調」の聴取では、記憶しているかのように証言している。二重のウソである。

 記憶していなかったからこそ、静岡県の浜岡原子力発電所第3号機が原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能が喪失、放射性物質が外部に放出される事態を想定して行われた2010年10月20、21日の原子力総合防災訓練でSPEEDIを使って出源情報、気象条件および地形データを基に周辺環境に放出される放射性物質の大気中濃度や被曝線量などを予測する模擬訓練を行いながら、福島原発事故後に文科省の放出放射性物質の仮定値を用いたSPEEDIを使った予測の発表が遅れると、SPEEDIの存在を知らなかったと言って、発表遅れの責任を逃れている。

 少なくとも発表遅れが住民の避難に悪影響を与えて、最小限に留めるべき放射能の影響をいたずらに与えているのである。

 菅仮免「所管する文部科学省などから説明がなく、事故から数日たってもその存在すら知らなかった」(民間事故調参考人証言/NHK NEWS WEB記事)

 2010年10月20、21日の原子力総合防災訓練ではテレビ会議システムを利用してオフサイトセンターを中継地点として総理官邸、浜岡原発、中部電力本店等を結んで情報の共有を行っている。

 だが、菅無能は首相官邸のテレビ会議システムを一度も利用していないし、このシステムについてもウソをついている。

 「政府事故調」

 〈ERC(経済産業省緊急時対応センター)の中に、東京電力本店やオフサイトセンターが東京電力のテレビ会議システムを通じて現場の情報を得ていることを把握している者はほとんどおらず、東京電力のテレビ会議システムをERCにも設置するということに思いが至らなかった。また、情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣するといった積極的な行動も起こさなかった。

 官邸5階のメンバーの中で、東京電力本店が福島第一原発とテレビ会議システムでつながっていることを知っていた者はおらず、統合本部は同システムを活用するとの意図で提案されたものではなかった。これらのメンバーは、3月15 日早朝、東京電力本店に出向いて初めてテレビ会議システムの存在を知ったのであり、統合本部の設置は、結果的に予想以上の情報格差の改善効果をもたらしたと認められる。〉――

 情報管理の不備・怠慢を指摘している。この不備・怠慢は最終的には原子力災害対策本部会議本部長の菅無能が負わなければならない不備・怠慢であろう。

 要するに菅無能は危機管理対応を組織的に機能させることができなかった。

 菅無能は「政府事故調」が〈東京電力本店に出向いて初めてテレビ会議システムの存在を知った〉としていることについて、「国会事故調」で次のように証言している。

 野村委員「総理は(2011年3月)15日の朝に東電本店に行かれて、それで多くの方々の証言では、まあ、叱責をされたということなんですけども、このご様子が今ご発言された相手の福島原発の現場におられた作業員の方々にも届いていたことは、そのときお考えになってご発言されていたんでしょうか」

 菅仮免「(東電本店のその部屋に)入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました。

 ですから、あとになって、私があそこで話したことはそこにおられた200名余りの皆さんだけではなくて、各サイトで聞かれた方もあったんだろうと。私はそれを公開するとかしないとかの話がありましたけどけれども、私自身は公開して頂いても全く構わないというか、私は決して止めるわけではありません」

 (中略)

 菅仮免「で、私は本店に入りましたので、そこには上層部の幹部の人達が基本的にはおられたわけです。もちろん今仰ったように現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが、私自身はそのことは後で気が・・・・、あの、テレビは分かりましたけども、そこにおられる東電の幹部の皆さんに、撤退ということをもし考えてもいられたとしてもですね、それは考え直して、何としても命がけで頑張ってもらいたいと」――

 「政府事故調」が〈東京電力本店に出向いて初めてテレビ会議システムの存在を知った〉としていながら、「(東電本店のその部屋に)入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました」と、さもテレビ会議システムの存在を承知していたかのように言っている。

 でありながら、「あとになって、私があそこで話したことはそこにおられた200名余りの皆さんだけではなくて、各サイトで聞かれた方もあったんだろうと」と、本店と各サイト現場とのリアルタイムの情報共有を、「あとになって」知ったかのように矛盾した発言となっている。

 「あとになって」知ったということは、「現場のところにもテレビ電話でつながっていたかもしれませんが、私自身はそのことは後で気が・・・・」という言葉が証明しているが、語尾を飲み込んだのは「(東電本店のその部屋に)入ってみると、大きなテレビ会議のスクリーンが各サイトとつながっていて、24時間、例えば第2サイトとの状況もが分かるようになっていました」がウソの証言となることに気づいたからだろう。
 
 首相官邸5階に据え付けてあるのと同じ大型のTVモニターは目に入ったかもしれないが、それが各サイトとリアルタイムで情報共有を行うテレビ会議システムだとは気づかなかった。だから、撤退なんて飛んでもないことだと怒鳴ることだけに目が行っていたから、部屋に入る、テレビ会議システムで東電本店が各サイトとリアルタイムで情報共有しているなどと気づかずにいきなり怒鳴り出したといったところが真相ではないのか。

 いずれにしても2010年10月20、21日の原子力総合防災訓練でテレビ会議システムとSPEEDIを利用した訓練を行っていながら、それらの存在だけではなく、訓練自体を忘れていて、実際の原発事故に応用できなかったことと、色々とウソをついて責任回避を謀っているということは危機管理対応を首相として機能させることができなかったことの自分自身からの証明でしかなく、当然、それらの不始末が原発事故処理に影響を与えもしない、事故拡大ももたらさなかったとは断言できないはずだ。

 不起訴処分を受けて菅無能はコメントを発表している。

 菅無能コメント、「私は首相として、事故の拡大を防止し、住民の被害軽減のために陣頭指揮を執ってきた。不起訴処分はこの事実を踏まえて下されたもので、当然の結果と受け止めている。

 首相が行政府の一員である検察官から取り調べや事情聴取を受けることは相当でない。この観点から、私は検察官と会うことはしなかった」(MSN産経

 このコメントを額面通りに受け止めることができるかどうかである。

 菅無能は検察の事情聴取の要請を断り、意見書の提出で済ませている。ウソを平気でつく菅の意見書がウソなしの保証はない。

 意見書提出の理由を、「首相が行政府の一員である検察官から取り調べや事情聴取を受けることは相当でない(ふさわしくない)」からだとしているが、検察の聴取を通した国民に対する説明である。それを一方的に自分が言いたいことだけを書いた意見書で済ませる。あるいは自分に都合のいいことだけを書いた意見書で済ます。心得違いも甚だしく、この心得違いを以てしても、色々とウソをついていることと合わせて、危機管理対応能力やリーダーシップを発揮できたかどうか疑わしくなる。

 当然、そこに拡大させずに済んだ事故を拡大させる要素とならなかった危機管理対応能力やリーダーシップだったとは決して断言できない。裁判に出廷させて、証言台に立たせ、意見書では済ますことができない証言を求めるべきで、不起訴は不公平そのものであろう。

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