ブログ「菅直人が語る原発事故(1)」が炙り出す自分の頭の悪さに無頓着な自己正当化と責任転嫁

2012-07-12 11:35:28 | Weblog

 菅仮免が昨日7月11日、自身のブログで福島原発事故原因について自身の事故発生後の危機管理能力を抜きにした自己正当化と責任転嫁を用いて尤もらしげに展開している。

 この自己正当化と責任転嫁の文脈は相も変わらずの、これでもかといった反復に過ぎないパターン化に陥っているが、頭が悪いから、気づきもしない。

 元々頭が悪い上に自己正当化と責任転嫁の気持が強過ぎるから、同じ反復を繰返すことになるのだろう。

 短い文章だから、全文参考引用しておく。

 菅直人が語る原発事故(1)(菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」/2012-7-11)

はじめに

福島原発事故から約1年4か月が経過した。この間、政府や国会事故調などのヒヤリングを受け、また取材にも限られた範囲で応じてきた。記憶が確かなうちに、事故当時、総理大臣であった私自身の言葉で福島原発事故について書き残すことが、二度と同様な事故を起こさないためにも必要と考えて筆を執ることにした。当面このブログで、当時のことを語ってみたい。

福島原発事故の原因の大半は、事故発生の2011年3月11日以前にある。これが私の結論だ。

その例をいくつか挙げてみたい。事故を起こした福島原発の第一サイトはもともと海面から35mの高さの高台だった。それを海面から10メートルの高さまで土を切り取って建設している。海水をくみ上げるためにわざわざ低くしたものと思われる。当時のことを記録した東電の社史には、「先見の明があった」と述べられている。歴史を紐解けば、三陸海岸には何度も津波が襲っていることが記述されている。しかし、三陸海岸に続く福島での原発建設では、津波のことが考慮された気配は全くない。

もう一つの例は比較的最近のことである。アメリカは2001年、9・11のテロ後、原発へのテロ攻撃で全電源喪失が起きる可能性を考え、対策を講じている。そのことは我が国の原子力安全保安院にも伝えられていた。しかし「日本ではテロは起きない」として、全電源喪失を想定すること自体を否定し、対策も講じていなかった。アメリカと同様な対策を講じていれば事故の拡大は防げていたはずだ。

原子力安全保安院が原子力推進の中心官庁、経産省の一部門であったことも、安全性軽視の象徴だ。安全性をごまかすための「やらせ」を指導するような保安院が、安全性をしっかり監視できたとは思えない。 

 確かブログの中にはパチパチと手を叩くアイコンが取り付けてあって、それをクリックすると気に入ったブログとして1票が登録される仕掛けがあったと思うが、パチパチと手を叩く代わりにそのアイコンを取り付けておきたいと思ったくらい、感心する文章となっている。

 先ず、「事故当時、総理大臣であった私自身の言葉で福島原発事故について書き残すことが、二度と同様な事故を起こさないためにも必要と考えて筆を執ることにした」と書いているが、元々から合理的判断能力を欠き、自己正当化と責任転嫁を専らとしている人間が何を書き残そうと、菅自身の自己正当化と責任転嫁を突きつけられるだけで後世の役に立つはずはない。 

 合理的判断能力はすべての能力の基本となる。満足に判断できない人間が如何なる能力も発揮しようがない。

 その能力を欠いているということは無能であることと等しい。無能でありながら、なまじっか一国のリーダーの地位に就いたものだから、必要とされる能力を発揮し、必要とされる責任を果たす機会もなく、結果として無能を補う自己正当化と責任転嫁の意識が発達することになる。

 このことは、「福島原発事故の原因の大半は、事故発生の2011年3月11日以前にある。これが私の結論だ」と言っていることに象徴的に現れている。

 このことは多くの識者が既に指摘していることで、今更ながらに「これが私の結論だ」と、独自の結論であるかのように大仰に断定すること自体が頭の悪さ、合理的判断能力の欠如を何よりも物語っている。

 過去にあった大型地震や大型津波を想定しなかった危機管理欠如、そのことを踏まえた全電源喪失想定等の危機管理の欠如が東日本大震災の大型の地震・津波の発生を受けて福島第1原発がシビアアクシデントを起こすに至った。

 問題は原発事故発生原因、あるいは発生遠因を究明し、今後の教訓とするだけではなく、発生後の危機管理の的確性の究明を行い、今後発生した場合の教訓とする作業も必要不可欠としなければならないはずだが、このブログにはその視点を一切見受けることができない。

 もし発生前の危機管理さえ万全を期したなら、発生後の危機管理は想定不必要となるとしたなら、新たな「原発神話」に加担することになる。

 自身が関わった発生後の危機管理についてはおいおい書いていくと言うかもしれないが、国会事故調参考人証言からは自己の原発対応にどこか間違いはなかっただろかと自問・自省する態度はどこにもなかった。全編言い抜け・ゴマカシ・自己正当化・責任転嫁で満ちていた。

 特に参考人証言の最後の方で述べた原発事故「東電悪玉論」は東電を戦前の軍部と同等の凶悪犯に仕立て、自身には責任はないとする自己責任の免罪符によって成り立っていた。

 例え今後発生後の自身の危機管理対応を書いたとしても客観的・合理的な評価は期待できない。

 大体が、「福島原発事故の原因の大半は、事故発生の2011年3月11日以前にある」ことは既に多くの識者が指摘している以上、最初に取り上げるべきは多くの批判がある自身の危機管理対応に関する自己検証であろう。

 それを最初に東電と保安院の対応を持ってきていること自体が既に自己正当化と責任転嫁で成り立っていることになる。

 責任転嫁の例として、海面35メートルの高台を10メートルの高さにまで削って原発を建設したことを挙げているが、既に国会事故調参考人証言で発言したことの繰返しに過ぎない。

 アメリカがテロ対策として全電源喪失に備えていることを例に上げ、「アメリカと同様な対策を講じていれば事故の拡大は防げていたはずだ」と言っているが、全電源喪失想定の対策を万全としていたとしても、常に絶対だとは言えない。

 災害や事故はときには人間の想定を超える。常に絶対だとしたなら、このことも新たな「原発安全神話」の構築となって合理的判断能力の欠如を裏打ちすることになるばかりか、事故発生前の危機管理のみを以って「事故の拡大は防げていたはずだ」と言葉を切ること自体が既に合理的判断能力の欠如を証明していることになる。

 菅仮免自身が原発事故発生翌朝に現場を視察、事故対応に専念しなければならない現場の人間の作業を妨害したこと、官邸スタッフが直接現場に電話して作業の妨げとなったこと、海水注入開始時の混乱、官邸と東電・現場との円滑な情報共有の確立が事故発生から4日後となったこと、SPEEDIの公表遅れ、文科省が3月15日午後9時頃、原発から北西およそ20キロの福島県浪江町に職員派遣して放射線量を測定、1時間当たり330マイクロシーベルトの高い数値を測定し、官邸に報告、報道機関に資料配付、インターネットに情報公開したが、それがSPEEDI予測調査に基づいていたことを情報隠蔽したこと、2011年3月11日東日本大震災発生から1週間後の3月17日から3月19日にかけてアメリカ・エネルギー省が航空機を使用して福島上空の放射線量を測定、作成した地図を3月18日と3月20日に日本外務省に提供、外務省が直ちに文部科学省と原子力安全・保安院に伝達したが、文部科学省、原子力安全・保安院共に非公表の情報隠蔽を働いて住民避難に役立てなかったこと等々、例を挙げれば切りがないが、事故発生後の政府対応が住民被曝への影響も含めて事故を拡大させたのではないかと疑われていることは事故発生前の危機管理だけでは済まない、事故発生後の危機管理の重要性を物語っているはずだ。

 いわば発生前と発生後の危機管理があって初めてより安全な危機管理体制と言える。
 
 当然、保安院や東電の事故発生前の危機管理の不備を取り上げて事故拡大の原因だと批判する以上、その批判と同時併行させて事故発生後の首相としての、あるいは原子力災害対策本部長としての自身の危機管理の的確性に対する自身の検証を行うことによって全体性を備えた今後の教訓となるはずだが、保安院や東電に対する批判のみとしていることは自己正当化と責任転嫁なくして成り立たすことはできない偏った自己都合の解釈としか言いようがない。

 元々の無能が、それを誤魔化すための自己正当化と責任転嫁の才能を育てることになった。

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