大津市中2いじめ自殺/学校はいじめに何も対応して来なかったわけではないことのアリバイ作りに走り出した

2012-07-15 12:09:42 | Weblog

 新しい事実が出てきた。各紙が伝えているが、次の記事から見てみる。

 《大津いじめ自殺:担任ら複数の教諭が話し合い 問題把握か》毎日jp2012年07月14日 13時25分)

 市教委学校教育課からの情報がそうなっていたからなのだろう、生徒から教師に対して二度の報告があったという形式で伝えている。

 昨年(2011年)9月末、大津市の中2男子生徒が執拗ないじめを受けて自宅マンションから飛び降り、死亡した10月11日朝から10日以上前のことになるが、女子生徒がトイレで男子生徒が殴られているのを目撃、最初に出会ったからなのだろう、担任とは違う教諭に「(男子生徒が)いじめられている。やめさせてほしい」と訴えた。

 この教諭が男子生徒に確認すると、「大丈夫」と答えた。

 9月末のこの事件そのものに関する具体的な言及はこれのみである。

 10月5日、10月11日朝自殺の6日前となる、別の生徒が担任に「いじめがある」と伝えた。

 〈学校側は男子生徒が同級生とけんかをしたとして、両方の保護者を呼んで謝罪させた。このとき担任は、男子生徒1人を残し「本当はどうなんだ」と、いじめについて聞いたところ、生徒は「きょうはちょっとイヤやった」と答えたという。〉・・・・

 担任と2年担当の別の教諭たちがその後、男子生徒について話し合った。〈その際「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」という意見も出されたという。男子生徒はこの6日後に自殺した。〉・・・・・

 記事は次のように疑いの目を向けた批判を行なっている。〈学校や市教委はこれまで一貫して「担任も含めいじめについては知らなかった」と話しているが、少なくとも自殺の直前に、いじめがあった可能性を認識していた疑いがある。〉――

 市教委学校教育課の説明は学校からの報告によって成り立っているはずだから、学校発の情報として見る。

 9月末のトイレ事件も10月5日の生徒の報告も、生徒が「いじめ」の存在を訴えたとする学校側の報告となっている。

 生徒に確認すれば分かることだから、この事実に間違いはないはずである。

 喧嘩といじめを混同して、単なる喧嘩をいじめだと誤認する例もあるかもしれないが、女子生徒はいじめの雰囲気を嗅ぎ取ったからなのか、以前からいじめの存在に気づいていたからなのか記事からでは判断できないが、「喧嘩している。やめさせてほしい」という言葉遣いではなく、「いじめられている。やめさせてほしい」という言葉でいじめの存在を訴えたのであり、学校はそのままの言葉で市教委に報告したことになる。
 
 それがいじめと喧嘩を混同して、喧嘩をいじめだと誤認したと仮定したとしても、「いじめがある」といじめの存在を具体的事実として指摘したことに変わりはない。

 対して担任を含めた2年担当の教師たちは生徒たちの具体的事実の指摘に反して、「いじめかもしれない」と可能性の段階で受け止めている。

 生徒たちの具体的事実の指摘をそのとおりに受け止めて、その指摘が正しいのか正しくないのか調査する方法を議論したわけではない。

 この矛盾と切迫感のなさはどう解釈したらいいのだろうか。可能性の段階にとどめたから、「人間関係に気をつけていこう」と距離を置いた注意義務にとどめた。

 もし生徒の指摘を切迫感を持って調査する姿勢が教師側にあったなら、「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」などと結論づけずに直ちに生徒に対する聞き取り調査に入ったはずだ。

 その場合、いじめ側の生徒は勿論、否定するだろうし、いじめられる側の生徒も報復を恐れたりプライドに拘ったりして否定する過去の例に習って、周囲の生徒から聞き取りしなければならない。

 ところが記事は、学校が10月11日にいじめについてアンケートを行う予定だったことを市教委学校教育課が7月14日、明らかにしたと伝えている。

 その上で、これまで学校は一貫して「いじめの存在は知らなかった」としていたことに反して、「いじめの指摘の認識については、(教諭らで)共有していた」と認めたという。

 共有していながら、何ら対応を取らなかったことは犯罪そのものである

 昨年9月末に女子生徒がトイレで男子生徒が殴られているのを目撃、教師に「(男子生徒が)いじめられている。やめさせてほしい」と訴えたにも関わらず、いじめとしての対応を何ら取らなかったばかりか、自殺6日前の10月5日に別の生徒が担任に「いじめがある」と訴えたのに対して、担任を含めた2年担当の教師たちが男子生徒について話し合い、いじめとして調査しようと行動義務を自分たちに課したわけではなく、「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」と注意義務を課したのみであった。

 にも関わらず、その5日後か6日後の10月11日に学校はいじめについてアンケートを行う予定だったと調査をすることの行動義務に変えている。

 だが、男子生徒は話し合いから5日後か6日後の10月11日に自殺してしまった。そのために行われなかったということなのだろう。

 この注意義務から行動義務への急転換の矛盾はどう説明できるのだろうか。

 学校は男子生徒の自殺後、生徒の自殺があった場合は3日以内にすべての教師を対象に調査するよう求めた文部科学省の指導に基づいて約50人すべての教師を対象に調査を行なっている。

 但し男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかった。

 そして現在も当時の認識は事実だと、いわばウソ偽りのない認識だと、自殺した男子生徒が通っていた中学校校長が7月14日、問題発覚後初めて記者会見して述べている。《直前にいじめ連絡も認識せず》NHK NEWS WEB/2012年7月14日 19時45分)

 藤本一夫校長生徒が亡くなるまで、学校としていじめがあったというはっきりした認識はなかった。

 もっと詳しく調べなかったことはわたしたちの大きな見落としだと感じています。わたしたち職員の対応の仕方がまずかったことは否めないと思っています。警察の強制捜査など、いろいろな形で学校全体を混乱させることになってしまったことは十分責任を感じています」

 7月14日に校長が記者会見して、「生徒が亡くなるまで、学校としていじめがあったというはっきりした認識はなかった」と発言していながら、いわば校長・教師の意識の中には男子生徒に関わるいじめを全然存在させていなかったにも関わらず、10月11日にいじめについてアンケートを行うことを予定していた。

 認識もしていないのに認識したアンケート調査を行うという矛盾は、学校教育者だから可能とすることができるのか、素晴らしい。

 この矛盾を無理にではなく、常識的に解釈するとしたら、学校は何も対応していなかったわけではないという事実をつくり出すための、自己保身と責任回避を目的としたアリバイ作りとしか思い浮かばない。

 無理にアリバイ作りに走ろうとしているから、いじめの認識はなかったとしていることと辻褄が合わなくなって、矛盾が生じることになる。

 10月11日というアンケート予定日も自殺後では学校が対応していたことを示すためには遅過ぎる。だが、自殺前では、現実には行なっていないし、証拠も残していないのだから、自殺前の予定日設定は到底無理となる。

 自殺した10月11日とすれば、行わなかった理由も正当化できるし、いくらでも虚偽の事実をつくり出して、自己保身と責任回避を謀ることができる。

 10月11日予定のいじめについてのアンケートが学校も対応していたことを見せかけるアリバイ作りだとしたら、他の生徒たちからの男子生徒に対するいじめの具体的事実の指摘を受けて担任を含めた2年担当の教師たちが男子生徒についての話し合いを持ったということも、それなりの対応をしていたことを証明するアリバイ作りと疑うこともできる。

 その理由は既に述べたように、他の生徒たちのいじめの具体的事実の指摘に聞き取り調査を行う等々の行動義務で応えるのではなく、「いじめかもしれないから、人間関係に気をつけていこう」と注意義務で応えた矛盾にある。

 上記「毎日jp」記事が伝える経緯と次の記事の経緯は少しニュアンスが異なる。《中2自殺6日前、複数教諭がいじめの可能性疑う》YOMIURI ONLINE/2012年7月14日15時29分)(一部抜粋)

 〈市教委や学校はこれまで「男子生徒が亡くなるまで、いじめの認識はなかった」と説明していた。
 市教委によると、昨年10月5日、校内のトイレで同級生が男子生徒を殴り「やり返してこなければ、もっとひどいことをするぞ」と挑発。このため男子生徒も殴り返したという。

 目撃した女子生徒から連絡を受けた学年主任と担任は、同級生と男子生徒から事情を聞いた結果、2人とも暴力を振るったことから、けんかと思い、双方に謝罪させた。その後、男子生徒に「大丈夫か」と尋ねたところ「大丈夫。仲良くする」と答えたという。

 しかし、担任らは女子生徒らから「あれはいじめ」との指摘を受け、以前にも同様の情報があったため、この時点で「いじめの可能性もある」と判断。同月11日に当事者から事実確認を行う予定だったが、同日朝、男子生徒は自宅マンションから飛び降り、亡くなった。〉――

 この記事では「毎日jp」記事にあった、「人間関係に気をつけていこう」と距離を置いた注意義務で結論づけたわけではなく、いじめの可能性を疑い、「毎日jp」記事が伝えているアンケート調査ではなく、〈同月11日に当事者から事実確認を行う予定だった〉と調査の行動義務をいきなり結論づけたことになっていて、男子生徒の自殺によってその行動義務が中断することになったという形を取っている。

 この経緯にも矛盾が存在する。

 トイレでの喧嘩は10月5日である。教師たちは最初単なる喧嘩として処理したが、女子生徒たちから「あれはいじめ」だと指摘を受けた。しかも9月末にもいじめの指摘を受けている。当然、事実確認の調査は緊急を要する行動義務として自らに課し、生徒たちの指摘通りにいじめが事実であったなら、男子生徒をいじめから救い出す次の行動義務に移行しなければならなかったはずだ。

 だが、10月5日の喧嘩から6日後の、緊急を要する行動義務から比較すると遅過ぎる事実確認の予定――遅過ぎる行動義務としていて、あまりにも疑わしい。

 生徒を管理・監督する教育上の責任遂行の点から見ても、不作為(「自ら進んで積極的に行動しないこと」『大辞林』三省堂)に等しい遅過ぎる対応であって、この手遅れそのものが矛盾そのものを示している。

 遅過ぎたからこそ、身体的にも精神面からも生命(いのち)の救いが間に合わなかった。

 以上の疑念からもアリバイ作りに見えて仕方がない。警察の捜査が入り、事実が明らかにされる。その場合、何も対応していなかったことが事実とされると、それだけ責任が重くなる。そこで何も対応してこなかったわけではないとアリバイ作りに走った。

 だが、現実には何も対応してこなかったが事実であるために、アリバイそのものがツケ焼刃でしかなく、矛盾を見せることになった。

 男子生徒の自殺以前に多くの生徒たちのいじめが存在するという具体的事実の指摘に満足な聞き取り調査もしなかったし、自殺後のアンケート調査の生徒たちの回答に対してもいい加減な調査で終始したばかりか、昨年11月実施の2回目の全校生徒に対するアンケート調査で2人の生徒が「(男子生徒がいじめについて)泣きながら電話で担任教諭に相談したと聞いた」YOMIURI ONLINE)と回答しているにも関わらず、事実なら担任がいじめを認識していたことになり、自らの認識に対して何ら調査する行動義務を自らに課さなかったことはいじめをないことにする傍観姿勢を取ったことを意味し、他の教師も自殺後も一貫して同じ姿勢でいたのだから、自己保身と責任回避から発したアリバイ作りだと断言できる。

 大河内清輝君のいじめ自殺事件でも、二人の教師が清輝くんの顔にアザがあることに気づき、本人がいじめを否定したために過去のいじめ例を何ら学習していないままにいじめではないと判断。その後「いじめ・登校拒否対策委員会」で話題としたが、いじめではないかという疑いを共有し、明らかにするためではなく、単に顔のアザがあったという事実説明で終わったというから、自分たちがいじめと認識していなかったことの正当化のためのアリバイ作りに見えてきた。

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