06年9月1日の『朝日』夕刊記事、『石綿被害、23年前に把握 大阪泉南80年代初め 保健所2万7000人調査』
「大阪府南部の泉南地域で80年代初めに保健所が住民延べ約2万7千人の疫学調査を実施、工場労働者の家族や近隣住民にアスベスト(石綿)の健康被害が出ていると、既に23年前に指摘していたことが分かった。環境・家族暴露は、昨年6月の『クボタ・ショック』で社会問題化、泉南でも国の責任を問い今春住民が提訴したが、行政側は早くから被害を詳細につかんでいたことになる。
調査したのは、泉南を管轄していた大阪府尾崎保健所。79~81年、住民対象の巡回検診で集めた胸部レントゲン写真2万6743枚を分析した。石綿を吸い込んだ人にできる『胸膜プラーク』が見つかったのは132人。うち117人に職業歴や居住歴などを聞き取った。その結果、石綿工場や建設業などの職業性暴露が60人、『父や母・姉が石綿工場に勤務したことがあり、その衣服や持ち帰った袋などを介して石綿を吸った』家族暴露が8人。工場近くに住んでいたために吸った人は19人だった。
調査報告書は、胸膜プラークがあれば、肺がんで死ぬ危険性が高いことを指摘、『フォローアップが必要である』と提言していた。
医師としてこの調査に携わった森永謙二・産業医学総合研究所部長によると、環境暴露被害についてはヨーロッパの調査によって60年代から認識が深まり、日本での実体をつかむために、全国一の石綿産業集積地である泉南で大規模調査を実施したと言う。(下池毅)」
この記事で先ず気づくことは、「疫学調査」を実施した「大阪府尾崎保健所」及び「医師としてこの調査に携わった森永謙二・産業医学総合研究所部長」は、「23年」前に「『フォローアップが必要である』と提言」を付け加えた「調査報告書」を提出したあと、「報告書」のその後の取扱い、いわば「報告書」がどのような評価づけをされているのか、「報告書」の的確性を確かめるために、他機関による実態調査を別途行っているのか、そういったことを知るための追跡確認を行政に対して行ったのだろうか。提出し、提言したのだから自分の役目はそれで終わったとしてしまったのだろうか。また危険性の再確認のための継続調査を自らも行っていたのだろうか。もし行っていたなら、石綿被害の深刻さの確信を深めただろうから、何度でも行政に対して警告を発したのではないだろうか。
少なくとも提出後「23年」間、「報告者」に込めた〝警告〟は無視され、生かされないまま放置された。「疫学調査」側も一度の調査と報告書提出で終わりにしていたということだろう。そしてその間に被害が確実に拡大した。
二番目に気づいたことは、「環境暴露被害についてはヨーロッパの調査によって60年代から認識が深ま」っていたのに対して、日本の対応が40年も遅れているという事実である。
欧米と比較した行政に於ける国民福祉に関わる機動力が40年も遅れ、それが満足に機能せず、麻痺していることを示すものだろう。なぜこうも遅れているのだろうか。職務上の責任意識の欠如、想像性の麻痺、惰性を旨とした仕事の機械的な繰返し等を成果とした後進性なのは論を待たないだろう。
こういった行政の姿は普通の感覚で見た場合、「美しい国」の姿と言えるだろうか。決して美しいとは言えまいと思うのだが。イタイイタイ病、水俣病、エイズ、ハンセン病対策、C型肝炎対策でも見せている同様の対応遅れでお馴染みとなっている美しくない姿であり、日本の行政が歴史・伝統・文化としている図柄であるようにも見える。いや、ようにも見えるのではなく、実際に歴史・伝統・文化としているのではないだろうか。
行政の〝美しくなさ〟がどれだけ多くの被害者をつくり、健康被害で苦しめ、死の不安に怯えさせただろうか。どれだけの患者の死期を早め、どれだけ多くの死者をつくり出しただろうか。
危機意識の欠如と職務責任意識欠如の二重の欠陥をさも属性としているかのようだ。二重の欠陥がもたらしているに違いない日々の天下泰平と比較した談合や随意契約、帳簿不正操作、水増し請求等を打ち出の小槌とした給与外利益の獲得、あるいは飲み食いの資金稼ぎに見せる敏い活躍ぶり、その想像力溢れる機動性は際立ってものの見事でさえある。
満足に責任を果たすことができない不足を補って活躍できるように与えられた特別な才能なのだろうか。このような姿をこそ、美しくない日本の姿だとすべきではないだろうか。このような日本の姿を改める政策を示してこそ、「日本を美しい国にする」と言えるのではないだろうか。
政治家・官僚の世界、あるいは企業社会で国の姿を美しくしていない――どころか醜くしている醜態・痴態が様々に演じられている。「日本を美しい国にする」には、先ずそういった歴史・伝統・文化となっている醜態・痴態の類を取り除くことから始めるべきではないだろうかということである。
安倍総裁候補が再チャレンジ政策絡みで農業に進出した建設会社の仕事振りを視察し、自らも鎌を握ってイネを刈るパフォーマンスを演じたと9月2日(06年)のテレビで報道していたが、多角化事業で行う農業で鎌を使ってイネを刈る非能率は赤字をわざわざつくるだけのことで、まさしくパフォーマンス以外の何ものでもないが、その演技はテレビカメラの向こう側の国民にある種自分を美しく見せる目的を持ったものだろう。
今現在の日本が美しい国でないからこそ、「日本を美しい国にする」と言っているのだろうから、自分が判断している日本の国の美しくない姿・場面を、これがそうだと取り上げ、それをどういうふうに変え、どういうふうに落着かせるか政策とするデザインを示さずに、それを放置して人気稼ぎにカッコイイ自分を見せるパフォーマンスを演じて満足しているようでは、目のつけ所がかなり狂っているように思える。
総理大臣を目指す者が自らの政策全体を象徴する理念に掲げた「日本を美しい国にする」である。とすれば、今現在の美しくない日本の姿を変えて、「美しい国にする」ことこそが最優先に取り掛かるべき課題であろう。
イタイイタイ病、水俣病、エイズ、ハンセン病対策、C型肝炎対策、アスベスト対策とうの行政の対応遅れ・職務怠慢、あるいは危機意識と職務責任意識の欠如を美しくない日本の姿のうちに数えていないということなら、稲刈りでもリンゴのもぎ取りでも何でもして、自己満足に浸ることも許されるかもしれない。