「美しい」という言葉を口にできる資格
2006年9月26日火曜日――美しい日本に美しい新総理大臣誕生
心の美しくない男が、女性のどこが美しいとか、美しくないとか言う資格があるだろうか。
女性の美しい・美しくないを言う男について周囲の人間は、その男がそう言う資格のある心の美しさを持っている人間だとの無意識の前提を持つ。ときにはそれが思い過ごしだったと思い知らされることもある。
第89代日本国総理大臣安倍晋三は「美しい日本」という言葉を連発しているが、本人が美しい政治家でなければ、「美しい日本」を言う資格はないだろう。美しくない政治家が「美しい日本」を実現させようがないからである。
「A級戦犯は日本に於いて彼らが犯罪人であるかといえば、それはそうではないんだということだろう」
A級戦犯を日本一国のみの問題とする。中国とも無関係、他のアジアの国々とも無関係。否定し難いまでに他国との重大な関わりの中で発生した歴史事項であるはずなのに、それを無視して、国内感覚のみで把え、それで済ます一国主義的神経は何と美しい感性なのだろうか。
日本は鎖国の時代を通してきたわけではない。日本国内で起こった戦争行為、あるいは戦争に関係した政治行為を対象として生じたA級戦犯問題ではない。誰が戦犯と断罪しようと、そう処遇されても仕方のない戦争行為、あるいは戦争に関係した政治行為が外国との関わりの中で事実として発生したしたはずである。
時の総理大臣の歴史認識は世界に向けた日本の一つの顔となる。捻じ曲げた歴史認識は醜い日本の顔をさらすことになる。
日本の顔を醜く見せておいて、果して「日本を美しい国にする」という資格が第89代日本国総理大臣安倍晋三にはあるのだろうか。
前総理大臣小泉純一郎は日本を醜い競争社会・醜い格差社会に仕立てた。それはそうだろう。歴史認識を捻じ曲げて醜い日本の顔とした、その無神経な醜さを抱えた政治家が美しい社会を築きようがないからである。醜さは醜さへと対応していく。自然の理である。