靖国参拝矮小化の美しくないレトリック

2006-09-04 05:21:12 | Weblog

 昨日9月3日(06年)の日曜日に盛岡で開催された自民党東北ブロック大会での靖国参拝問題に関する総裁選3立候補の意見表明の模様を日テレ「NEWS24」でやっていた。「自論を述べるにとどまった」と解説していたから、政策論争とは言えない単なる同じ場面の繰返しで終わった顔見世程度の内容だったのだろう。

 安倍氏「中国がいわゆる総理が靖国参拝があれば会わないという、これをやっていれば会わないっていう、それはやはり間違っているのではないかと言うことを私は中国に申し上げております」

 麻生「首脳だけ会わずに、経済も他のすべてもうまくいっている状況と、首脳だけ会って、他はみなうまくいっていない状況と、どちらがいいかと言えば、それははっきりしているじゃないですか」

 谷垣氏「無用に他国の国民感情を刺激しないことも大事なことだと私は思うんですね。で、そういう意味で総理になったら靖国参拝を控えるべきと――」

 中国が問題にしているのは歴史認識に関わる日本の姿勢であって、それが肯定し難いから〝会わない〟のだから、日本側の歴史認識を議題にすべきを、安倍氏と麻生氏は〝会う・会わない〟に問題を限定し、矮小化するレトリックを巧妙に展開したに過ぎない。麻生氏が「それははっきりしているじゃないですか」と聴衆に半ば問いかけると、拍手さえ起きた。

 麻生氏の比較は一見もっともらしく聞こえるが、「どちらがいいか」だけでは済まない問題をさも済む問題に見せかけただけのことである。済むとしたら、「経済も他のすべてもうまくいってい」さえすれば、首脳は会わなくてもいいという極論に行き着くことになるからだ。そういったことに気がつかずに拍手しているのだから、自民党支持者はそれほど頭がいいとは言えない。

 「首脳だけ会って、他はみなうまくいっていない状況」という説明にしても、「他はみなうまくいっていない」から、決定的な断絶に至らないように「首脳だけ」でも「会」うつながりを維持するというケースもあるはずである。自分の都合のために比較にならない比較を持ち出したに過ぎない。得々とした顔で話していたが、巧妙な上にも巧妙なレトリックを展開しただけだろう。

 最も正直な姿勢を示したのは谷垣氏だが、あくまでも安部・麻生両氏に比較した評価であって、日本自らが戦争を総括することで日本側の歴史認識をきっちりとつけようというものではなかった。会う・会わないはその先にある問題であろう。

 安倍氏は7割の自民党議員の支持を取付けて、総裁当選(=総理当選)が確実視されている。となれば、誰よりも正直であろうと努める姿勢を示さなければならないはずだが、自分の意見が矮小化とは気づかないとしたら、常々表明している「美しい日本をつくっていきたいと思います。自由と規律を知る凛とした国であります」の主張に反する美しくない姿と言える。

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