コメントに対する回答

2006-09-18 05:01:56 | Weblog

 9月14日にブログに載せた「第89代日本国総理大臣天皇主義者安倍晋三」に対して次のような〝コメント〟が寄せられました。

始めまして吉田と申します。
本日はじめてブログを読ませて戴きました。
些か気になった事がありコメントを残させて頂きます。
貴方は、この文を書くにあたりSF条約11条に関しどのように考えているのですか?
または、国家の独立性に関してもです。
安倍氏が正しい歴史認識を持っているか問うなら自身の認識も問うべきと思いますがいかがでしょう?

 「この文を書くにあたりSF条約11条に関しどのように考えているのですか?」ということですが、頭が悪いもので、すぐには質問の意味を理解しかねた。「SF条約11条」は「極東国際軍事裁判所」及びその他の裁判の受諾と被拘禁者の赦免・減刑・仮出獄の取り決めを記した条文に過ぎないと思うのだが。参考までに11条を記載してみると、

【サンフランシスコ平和条約】
 第11条【戦争犯罪】

 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

 国際社会復帰のためにサンフランシスコ平和条約に締結したことと、それが「11条」によって東京裁判受諾につながったとする一部考えについてどう思うかの質問であるなら、8月12日記載のブログ「東京裁判否定を考える」に述べています。

 「国家の独立性」についてどう考えているかの質問に答えます。

 私は国家を社会の観念で把えています。国家は独立した一つの全体社会ではあるが、世界を構成する全人類社会の中にあっては、その下位社会にあって、下位社会を相互に構成する組織体の一つに過ぎず、その関係上、主権や領土以外の国家の独立性は相対化される。つまり、他国との関係で存在することになる。

 主権や領土は絶対としなければならないかもしれないが、国家という全体社会の所属構成員である国民は常に絶対性を確保しているわけではないし、絶対だと価値づけられるものではないということです。この関係は社会と人間との関係と同じ構造にあります。それぞれは一個の独立した存在ではあるが、社会にあってはその構成員との関係で存在する。

 そう考えているからこそ、一国の歴史・伝統・文化の優越性の主張――いわば自民族を絶対とする考えに反対しています。他国との関係で存在している以上、歴史も伝統も文化も、また民族も他国のそれらとの関係で評価されるものと考えています。自国のそれらが優越的であるとすると、他国のそれらを下位に置くこととなり、自己存在性の他国との関係性(=相対性)を否定することになるからです。

 「安倍氏が正しい歴史認識を持っているか問うなら自身の認識も問うべきと思いますがいかがでしょう?」

 他の私のブログを読んでもらえれば、私なりの歴史認識を述べているつもりです。その歴史認識たるや、色々と矛盾を含んでいるでしょうが、基本のところは自分なりの信念を持って書いているつもりですが。

コメント
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