お茶の間の意見として、なるほどね~~~と、
聴いてくれればいいと思っている。
世の中に一石を投じるという、、、
社会派のレベルには居ませんが
自分なりの納得のいかない、、、
日本は男社会であることから
あげたり下げたり、、、
男の後ろ盾で、動くと
自分ではないピノキオが動く気がして、、、
50歳過ぎたころからの人生が、保証される女性は少ないはず。
日本女性の明治の親に育てられた年代は
家庭の主婦として、ベストは尽くして見守るが、、、
それ以上のかかわりは、ないので、
働かざる者食うべからず、、の
家庭の雑事の責任者として置かれた環境の中で、
孤独に頑張りながら、、、家族の為に節約や財テクに走る女性もある。
普通の主婦は
かつ丼が食べれる日が半年に一度でもあれば
幸せだと、感じて生きてきた。
チームの顔が、かかってくる時は、
全力で守備に回るという
家庭に閉じ込められた、
都合の良い人の人生を生きてきた。
つまり、、、普通の日本の「お母ちゃん」の視点で
日記を書いています。
さて、、、
corona受け入れない病院を公開する!!!、、、
医療が政治の権力の介入を受けると、
医療崩壊は、もっと早く進むと思うのです。
隣の夫婦げんかに仲裁に入る様な、、、
込み入った医療スタッフの実力と、役割分担やチーム医療の原則や
政治家は、古き時代の武見会長が「喧嘩太郎」とニックネームのあった時代
根っこの部分が臨床医と言うより、、、研究の畑にいらした会長が
当時、保険制度が始まったばかりの、政治と臨床と研究が
政治家に理解されない時代の頃、
武見会長が臨床医として、
政治家の間にイメージされた可能性はあるのではないでしょうか?
実際は、銀座に開業されていらっしゃったご様子では
お金の余ってる方からは診療費は戴くという、、、噂の
、別の社会のお医者様でいらしたと思うのですよね。
国会議員さんと、肩を並べられても、頷けるような
別格の開業をなさっていらっしゃいました。
普通の医師は
命の瀬戸際で、あらん限りの自分の医療の分野の力を出し切って
診療に全精力を注ぎ、戦場に居るのと同じですから
半可通な政治家が、政治権力で、医療を支配するというのは
鼻から、、、無理な方向だと思えるのですよね。
父は武見会長の時代に生きた外科医ですが
臨床現場は、論文も書く暇がないというのが、、、現状でした。
抗生剤が保険で支払われる日数が決まっているため、
大きな手術の患者さんの傷が化膿しないようにと
自腹で、抗生剤を必用なだけ投与した挙句
退院前日に、、、支払いをしないで、いつの間にか
退院してしまうという
悪気はなくても、
戦後の庶民は医療費は踏み倒す人が
結構な数、、、おりました。
父は決して、後を追って集金するという事をしなかったので、
私も母も、腹がったったモノでした。
医療現場の事情を外側から、半可通に理解しただけでは
開業医の台所も、
総合病院の経営事情も、、、わかるわっけが無いまま、、、
数字で税金はかかってきます。
医療機械の原価を稼ぎだすことは不可能に近い保険の点数の中で
開業医は、看護婦さんを雇用し、事務員を雇い、
税金の為に働くようになり、
親の代から続いた実家も、兄の時代になって閉院しました。
税務署や、政治の理解は、数字に出ない労力や、スタッフの集合手配や
コロコロとバージョンアップする医療機械の支払いに追われて、
胃カメラだけでも、数年の間に、PHSから携帯、、、スマホにと
機種交換するように、毎年別の機能が付かされて
支払いが終わらないうちに、、、次々と買う事が起きていました。
太いのがのどに挿入されるより、、、
細い新型が患者様が楽に決まっています。
学会でも、古い医療機械での論文は、、、今年はもう見当たらないという
医療機械の黎明期でもありました。
胃カメラの首が回転して、前後左右、映し出されるもんが出たかと思うと
次は、先端に胃の突起を引っ掻ける生検できる細胞のとれるものだとか
大卒男性の月給が12000円ぐらいのとき、
一本の胃カメラは150万円ぐらいしていました。
道場の刀を架けるようなものに
兄の胃カメラは毎年増えていきました。
がんセンターから、行け米良の指導医の認定が戴けた兄は
営業そっちのけで、早期がんを見つけては
患者さんの命が助かると、、、興奮していました。
結局、父の残した開業は閉院して、
総合病院の胃カメラの指導医として勤務医となりました。
そのあとは、、、姉弟とは会う機会も無く、84歳で、現役で
指導医をしています、、が
医師の心と言うのは、、、兄であっても、、、理解できません。
coronaを受け入れないのは、、、医学的な根拠が有るのだと思います。
政治で、罰則を決めても、医師には医師でない者にはワカラナイ
命に対面したとき、自分の得意分野の科以外は、
他の科の専門性の深さが解るだけに
簡単には、他の科の分野の患者さんには、
自分で担当するようなことは
まず、、、ありえないと、、、私は、、、
兄も、主人も、弟も、息子も、、、父も、、、
ありえないと思いますから、、、
医師にはきっと、、coronaを引き受けられない専門的な深い
生命への責任上、の、理由があると思いますよね、、、。
病院の名前を公開されたからと言って、、、
出来ない事は出来ないという
専門家だから解る、、、生命への責任の範囲と言うような
結界が有るのだと思います。
だから、、、
政治家の、、、半可通な医学の知識や思い込みで
医師を動かすことはしない方が賢明だと思いました。
個人個人、とても大切にしている得意分野で
人命の危機と対面しているのだと、、、
医師の近くにいると
そのような、、、心を感じます。、、、
理由は無いのですが、、、。
私は、、、そのように思うから
政治の医学の臨床現場への介入より
サポートに心を尽くして政治力を発揮していただけた方が
日本の未来に即した医療組織が出来上がるのではないでしょうか?
二重像映、、、こんな字かな???の
市川先生が国立がんセンターの病院長となられ
東京の小学生などに、幼き時から医学のおもしろいことなどを
講演していらっしゃいました、
政治家さんには想像できない感動の公演でした。
私の実弟は市川先生の御勧めでがんセンターに行きました。
初めに手掛けたのはCTスキャンでした。
日本人が「CT」と言う言葉さえ知っている人がほとんどいなかった時代です。
昭和40年代、東芝の研究員の方や技術者と
国立がんセンターに泊まり込んで、、、戦後の医学に
大きな貢献が出来た、ヘリカルCTまで、、
まっしぐらに
早期がんの発見の画像診断に命をかけているのが解るほど
夢中だった時期を知っています。
柏の末期がんの終末医療の患者さんの為に
ガンと同居している普通の人生の毎日を過ごしてもらうには
どうするべきなのか、、、と
廊下を患者さんの描いた絵を飾る画廊にしてはどうかと
試みたりもしていました。
柏のがんセンターが出来るころは
弟は築地の本院から派遣されたのでしょうか?
建物が出来る前から、完成の頃まで
青写真を持って走り回っていました。
私は、、、弟の検査を受けていたのですが
医師の家に育って、医師の親類や、従兄たちの病院が戦後
回転する二重造影のできるレントゲンンお機会を導入して
何百万円もする鉛の部屋をつくり
「がん」で死ぬ患者さんの早期発見で、延命効果を得ようと必死で討論していました。
間もなく。。。弟の時代になって
CTスキャンと言う、、、新語が医療界に大旋風を起こしました。
家庭を振り返る時間も惜しんで、弟は世界を飛び回っていました。
やがて、、、CTの時代が来て、、、MRIの機械、ペット、、、
私は、卵巣嚢腫が有った事もあり
がんセンターで。すべての機械の検査を体験しました。
当時、、、23万円ぐらいだったと思います。
がんセンターの診断のテーブルから
弟は、主人の病院に電話を入れてくれました。
「明日の予約で手術室をキープできたから
飛行機で、すぐに帰って、病院の手術室に直行しなさい!!!」
画面を見ただけで、、、これは良性だから
破裂して、変な細胞が発生しないうちに、卵巣嚢腫は
赤ん坊の頭のような球形で、大きさも16センチ直径だから
破裂すると、脾臓や、、、面倒なところに飛ぶと
悪性に変わるかもしれないから、、、すぐに、、、羽田に生きなさいよ、、、
お姉ちゃんは、、、医者の奥さんとしては落第だよ!!!
何で、、、きちんと検診に通わないのよ!!!、、苦笑い友、、、怒りともとれる
美m東名言葉の後、、、弟は、、、ため息をついていて、、、
札幌の私の主人と、、、しばらく電話で話していました。
御迷惑をおかけしましたが、、、
九死に一生をいただいて、、、十年以上も、、、雪を掻きながら
元気ですよ、、、私、、、バカよね、、、
細川たかしの、、、歌を口ずさみながら、、、
今日も雪を掻いている、、、76歳のお婆ちゃんですよ。
話は、、、本題に戻りますが。。。
最後の一日まで、普通の人生を送ってもらいたいと、、、。
医師が、患者さんを考える真剣さは、、、
医師でない者が、、、介入できるような、、、
そんなレベルではない事だけは、、、確かです。
医学のプロはアーティストのような、、、通じる聖域で
その作品に、加筆することは、、、
介入することは、
タブーに思えるのは、、、私だけでは ないと 思います。
父の患者さんたちです。
弟は好きな医学を貫けて、夢見る夢追い人生で、
多くの学術賞も戴いたことがネットで知りました。
生涯を画像診断に捧げて、多くの本も出版しました。
そして、、、定年の頃、がんセンターで、
画像診断の生涯をかけたデーターを整理して
後輩の為に本にするべく整理中に、
50周年を前に、、、民主党が政権をとったのでした。
弟の居た頃、、、私は国立がんセンターの、、、患者でした。
美人の議員さんが、予算を削り、仙石さんが国立を
独立法人にと、進言したそうですね。
膨大な努力の結晶のデーターは
整理する機会が無いままに、、、
東北からいらした理事長の采配で
50周年の記念のHPが、、、出ていました。
弟ががんセンターに在籍しているときは
外国向けの窓口の多いことにびっくりしました。
タイの王族とも、、、すれ違いました。
中国にも公園に行って留守だったこともありました。
それが、、、政権が変わったとたんに
見たことも無い先生方に入れ替わってしまい、
私は、、、政治の力ってスゴイネ、、、と唖然として、
又、、、弟の患者sンになろうかと思うので
がんセンターには、弟が居なくなったので、、、何年も検査に行っていません。
患者さんと言うのは、、、命を助けられたDrが、、、
自分の先生になるという心を体験しました。
早々と、、、
政治の与党が自由民主党に戻り
国立がんセンターが、一瞬の間に独立法人になりましたが
再び国立になりました。
その時は、
50年前から、粉骨砕身、、、早期がんの発見に捧げた先生方は、、、もういませんでした。
弟が、がんセンターから頼まれKごとで、行くことがあっても、、、
「あれもこれも、、、言いたくなるけど、、、一切、、、何も発言しないでいるんだよ、、、
もう、、、自分の責任ではないからね、、、と、、
ポツリと言いました。
外観だけは築地に行けば見える建物だけど、、、
私は、信頼できる、、、検診の場所が、、他人の家のように
近寄れなくなりました。
弟が居てくれたから、、、北海道に50年も住んで、、、
ド、田舎っぺの私が、がんセンターで、
検査料さえ払えば、、、ペットまで、、、フルコースで受けれたのにと思うと
当時は、敷居が高くなかったがんセンターが、、、寄り付きがたくなってしまいました。
本人は、、、屈託なく、、、第二の人生に耀いているから
何事も無く、、、世代が、、、川の流れのように変われば、、、
弟が定年しても、、、その時にいた若手や、助手だった人や昇進していれば、
行くところは、親しく久しく、、、顔見知りも無く、緊張も無く
年中行事として、、、検査に通えていたかもしれませんが、、、
政治の介入で、、、疎遠になってしまった一例を、、、日記に書いてお来たいと思いました。
愛知県からいらした先生方と入れ替わっていました。
弟は、、、もう、、、がんセンターには居ませんでした。
愛知から来た若い医師は、、、
弟の事は知りません、
私も、患者として検査に通うのは、、、いつの間にか立ち消えました。
患者さんと言うのは、、、病院という建物についている場合と
その先生が居なくなると、、、行かなくなる患者さんとが居る事が
我と我が身に於いて、体験しました。
医学生の教科書にもなった、、、肝胆膵の特異な弟は
ハーバード大学の先生が、、、皆の前で紹介してくれたそうです。
この先生は、、、私の、肝胆膵の先生です!、、、と。
ハーバードの病院ですれ違う巨体の外人医師たちが
小さな体格の日本人の医師に、立ち止まって挨拶してくれるようになったからね、、、
医師の実力を知っているドンの紹介は、一瞬にして、
多くの顔見知りの外人医師が話しかけてくれるようになった、、、と
弟は言っていました。
大丈夫!!!、国立がんセンターの医師で有りうがなかろうが、、、
ある国立大学のノーベル賞を御取りになった先生が
夫人の検査の結果を確認してもらいたいと、、、弟を探されたのですから、、、
医師は、、、病院の名前でなくても、、、
医師自体に、、評判が評判を呼び、、、弟はきっと
多くの方の命の延命をする仕事に
生涯をかけてゆくのだと思いました。
政治の力で、、、病院や、先生方を
ランクづけてしまうような、、医師の配置を、門外漢が行う政治は
現場や、患者さんとの関わりを計算に入れてくれない
切断手術のような政治だと思いました。
一見、、、病気は治ったが、、、心を失ったようなものですよね。
危険な政治への突入のような気がした、、、
仙石さん時代の、民主党の、、、がんセンターへの政治介入でした。
医師に認められるような医師に、、、
政治はその医師の人生の生き方を理解しないまま
政治の介入として、政治を実行するときに
取り返しのつかない心への傍若無人な介入もあるかもしれないと、
医師の現場の造詣の深さを、、、誰や知る!!
がんセンターへの政治の介入の時代が、
50周年のHPのメンバーを、すっかり、、、変えてしまったことは
患者さんなら、、、、、
「この先生、、、お見かけしたことなかったわ、、、」
と言うでしょうね、
50周年のHPの真ん中にいた先生は、、翌年、、、もとの東北に
戻られたとのことですよ。
50年前の、がんセンターの歩みの
創生期の先生方を知っている者にとって
流星のように現れて、、、ど真ん中に移っていらっしゃる先生が
政権が変わると、、、もう、、、
がんセンターにいらっしゃらないという、
政治の狙いは何だったのでしょうね?
政治音痴の私には、、、
何が狙いだったのか解らないまま、、、
弟は、何事も無かったゕのように
こだわりもせず、、、次の職場で元気に勤めている。
私だけが、、、検査の行き場をうしなって、、
寂しい。
petの検査では、、、アロファーファのミュジックをバックに流して
ペットが最高の結果を残せるという高度なテクニックで
患者さんの心丸ごと、、、検査の最高の状態でしてくれたことが
今も感謝です。、、、
、、
政治の介入、
生涯の経験の蓄積からのデーターは、後輩の為に整理する暇もないまま
がんセンターは独立法人になり
間もなく又、、、国立に戻るという、、、政治の津波によって、
私が、検査の為に築地に立ち寄った時には
愛知県から来たという、、、見知らぬ先生に変わっていました。
かの国の事ですが、、、
医師が、政治権力で、coronaを世界に知られるのが遅れたようですが
医療現場は医師でない者には理解不可能な
「専門家の国家免許の免許集団だと思いませんか?」
その基礎能力の上に、
臨床の現場での体験が教科書であり。
状態、環境すべてが師匠として
修行を積んだ者たちの集団ですよね、、、
政治権力で、現場の状態を動かそうというのは
半可通な者の過ちが、
大きな見えない価値あるものを
踏みにじることになるとおもいませんか?
例えていうなら、、、
医師の国家試験合格したとたんに、
現場が間に合う医師であると思うのといっよかもしれません。
身近な例を申し上げるなら、、、
我が家の息子が、かって、医師免許に合格して
ドクターヘリの来る総合病院に大学から配置された時の話です。
現場に来て、、、「今日から、、自分は医師で有る!」
鼻息も荒く、初出勤したとき、
上司から言われたことは、、、
現場が初めての君は、、、「何も考えるな!何も言うな!」
「ひたすら学べ、、」、現場に来たら教科書は役には立たない!!」
「出来ると思って何かする事すべてが、、、間違いだから、、、考えるな!」
そのように言われたと、、、べそをかいていました。
そして数日後には、、、「大学にもどれ!!」
「もっと簡単な患者さんの来るところから
関連病院の体験を積ませてもらって、、、出直して来い!!」
せっかく配置していただいた総合病院を追い出されました。
「患者さんの状態、、状態変化、治療と実際をもとに
日進月歩の進歩する学問データ~を享受しながら
現場で働いてきているのですよね。
現場の状態は、ブラック企業も真っ青になるほどの
超過勤務ですよね。
超過勤務で、休息なしで、、、
ついてこれるものだけが技を取得して一人前になってゆくという
命を前に戦う医師が出来上がるまでは
昨日今日、、、医師免許を取得した医師は
医師として役に立たないのですよね。
「教科書君」では現場は邪魔な存在ですよね。
二人として、同じ人間が居ない現場でのたたき上げた経験が
ICUでも、感染病棟の、coronaのど真ん中でも
働ける医療スタッフになれるのですから、、、
誰でもカレでも、、、免許保持者なら
coronaの重症病棟で働けるかどうか、、、政治家の感覚は
権力や権威で、医療現場が動かせると思うのが、、、
どうなのでショウっかね?
我が家の次男の場合は、、
医師免許合格したものの、、、
ドクターヘリの来る救急総合病院から
「修行して、出直して来い!」と
大學に戻されて、、、中小の病院周りをして
教えてもらえる基本のスタンスが出来るまでに3ヶ月
大學に戻された後、、、
やっと、受け入れてもらえたものの、、、
スタッフとして、、、「ハイ!」以外はしゃべれない
数年が続いたのでした。
今はやっと、、、
後輩が働きやすいようにと、配慮できる中堅になりました。
現場の中枢を任されるので、
規則どうりにやっていたら、、超過勤務で泊まりが続いたそうです。
「真夜中に病気になるな!連休には救急車で来るな!
「老衰で死ぬ患者さんに、
死ぬのは真夜中は避けて、
早朝8時過ぎてからにしてほしい、、、」
こういう事が通じるという現場ではないので
傍rきかた改革が医師の世界に通じると考えるなら、、、
それは無理、、、!
政治家は現場の事態を、把握できていない。
一瞬が勝負のトリアージで
命を順番づけてゆかねばならない、、、医療崩壊の前奏戦のなかで、
予定外の時間外激務オンパレードで動く現場!
真夜中の手術や、ICUの激務に従事している医療人ほど
経験の豊富な認定を獲得している人材ばかりを動かしているのだから
そのような先生やスタッフや、病院の全体の状態から
やむなく、、、coronaを断って、
やっと激務に耐えている医師やスタッフに
「受け入れなければ、、、病院名公開する、、、」
どこまで、、、医療を理解してくれないのでしょうね、、、
がっかりですね、、、政治家の半可通には、、、
厚生、、、労働省、、、
」医師は配置される労働者と同じように
その日の労働をこなせばよいというのであれば
権力で、配置することも、無理は通せるかもしれませんが、、、
宮細工のように、、、命の眠り猫を取り付け乍ら
建物に命を吹き込んでゆくような、、、
corona病棟で命と闘う、命を吹き込む
特殊技術の認定者ばかりですから
受け入れるベッドの数を揃えれば出来るというのとは
違うのだという事を、、、
謙虚に理解して、、、
最前線で働いている医師や医療スタッフに
権力の脅しではなくて、、、
後方から、、、現場が助かるサポートを、、、
謙虚に考えて
医療崩壊を防いでほしいと思います。
それには、、、
菅首相のされた、思い切った、corona対策や
政治家の3蜜に違反した不届きな現状の無理解な政治家仲間を
更迭で、coronaの怖さの認識をしてもrう処分は
民間の無理解なマスクをしない若者たちへの
coronaを甘く見てはいけないという警告に役立つと思います。
更迭されて耐えるという、、、
議員の役立ち方も有りと言う時期だと思います。
犬死にではなくて、、、更迭されるブッたるみそのものが
今回は、coronaの怖さを認識できない若者に、、、
啓蒙になっていると、、、思えるのですよね。
coronaの収束は、、、戦争の終戦に向かう緊張感で
私も、、、今日は生きて来れた!、、、正しく怖がっています。
日本の幸運と不運の両面が考えられる5輪開催!!!
5輪を実行するのなら
各人一人一「個人のcorona対策レベルを上げて、、、
周りのサポーターは
感染症のプロからの特訓を受けた責任者を
各部署に配置するほどの注意が居ると思っています。
5輪を実行するという意気込みの「女性への失言」も
今回は、一度は世間に流れたことは、、、コロナ対策への
女性のお喋り、、、口の軽さ、、、が、、、啓蒙されて
最終的には謝ったようですが、、、
結果が良ければ全て好、、、となるかもしれません。
女性の扱い、配置も、5輪のcorona対策には必要だと
今回の事件の妙味を体感できました。
我が家でも、、、
主人は私のおしゃべりには、、、
それとなく,、、自衛できる距離に動いてゆくのが
解るだけに、、、
家の中でも、、、マスクをして話しますよ。
5輪は、世界の情報も、、、
coronaと同じに、、、集まってきますよね。
corona対策と同時に、、、軍事対策や
テロ対策、経済対策に、、、医療対策、、、
出費の回収が出来れば良いのですが
世界とのコミュニケーションのチャンスが
コロナ対策と、両立できることを
祈るしかない
菅首相も、、、大変な時期に首相になられて
周りは、野党も、、、国の危機感を持って
菅首相のサポートを、
国の運命がかかっていることを考えて
理屈攻めのイデオロギーを盾に
やっつけるだけの国会TV放映をしていると
機敏でない理屈やと思われて
お茶の間の婆ちゃん族には票が期待できなくなると思いますよ。
以前、、、野党が与党になったとき、
私は薬剤師会の新年会に出席していたことがありました。
現在の札幌市張さんや、若いころの板垣市長さん、
そして自由民主党の時代の市長さんは
医療を理解してくださって、
私も、清き一票のつもりで
会費のかかる講習会や、新年会にも
参加させていただいていました。
野党が主権を御取りになった年に、
札幌の市長さんは、医療に従属している医師や
その家族には、ことのほか、
誤解をされることが多くて
私の咳の円卓は全員が議員さんであったことが
思い出されます。
丁度、、、coronaを引き受けない病院は
名前を発表しますよ、、、と言うような
言うなれば、、、医療も、医療家族も
政治家の権力のもとに、、、席は決められるんだと
真向いの議員さんらしき人に
言われたことがありました。
ここは恒例の薬剤師会の新年会ですから
席は偶然、、、議員さんの中に
私が配置されたので会って
薬剤師会の
くじ引きか何かで決まった者と思います。
一主婦の薬剤師が、
道議会議員の席の真ん中に配置されたのですから
突拍子もない無い組み合わせではありましたが
当時の野党の市長さんが、
医師に対して、理解が戴けない方であることが
たった、、、弐時間ぐらいの新年会で
痛感したことがありました。
医師は仕事に全力投球する人っちが
ほとんどですよね。
旭川の学長と、院長先生の新聞記事を読みながら
医療現場の担当で、
患者さんの命と向き合っている病院長先生が
コロナ患者さんを引き受けたいと仰るのは
最も医師としての本分に
生きていらっしゃる言葉と思いました。
学長さんともなれば、病院の運営や、経済効果がメインの
お仕事なのかもしれませんが、、、
お茶の間の75歳の婆ちゃん族からすれば
病院長先生のご意見が、、、私たちの医師の先生と言う
信頼できるお心のように思います。
学長さんは、大勢の部下もいらっしゃるでしょうから
corona病棟が出来るように
病院長先生に便宜をはかり、、、
未来に通じる大學病院にと
新設感染病棟のcorona対策「データーのある大学病院」
病院長の医師として希望を応援することが
無理だったのでしょうか?
世界の病院がコロナで戦っている今日
旭川の国立病院にも
corona感染棟が出来るチャンスだと思えば
国家のサポートも
受けられたのではなかったのかと???
ピンチはチャンスに変えられたのではなかったのでしょうか???
せっかく病院長と言う、
施設にも、スタッフにも、、、
現場にも道警の深いお立場の
一夜にしては成りえないご立派なドクターを
あまりにも簡単にやめさせてしまうシステムが
日本の医療界だとすると
もったいなさすぎる知識とわざと。仁術を
短期間に辞めさせてしまうという事は、
かって、、、野党が与党の時代
国立がんセンターでも、、
起きたことが思いだ㋐されます。
東北の方からおいでになった
権力のある先生が
国立がんセンターにいきなり来られて、
人生のすべてを、がんセンターに懸けた先生がたが
次々と、止めさせられてゆきました。
私はその時、検診を受けて
赤ちゃんの頭の大きさ位の卵巣嚢腫を
即日予約で、手術したことがありました。
その後も、検診に通っていましたが、
50周年の時に いきなり入ってこられたトップの方の
鶴の一声で
病院長はじめ、、、先生がたが、、、入れ替わりました。
患者として、安心して、全身検査をしていただいていた先生がたが
愛知県から来たという、、、見知らむ先生方になっていて、、、
私は、、もう何年も、、、検診に行っていません。
現場の医師の先生方には、、、信頼して通ってくる患者さんが居ます。
旭川の病院長先生のフアンの患者さんもいたはずです。
突然、目の前から、、、かかっていた先生が居なくなるのは
患者さんの心は、、、行き場がなくなるものです。
いろいろと、、、高いレベルの都合が有るのでしょうが、、、
現場で働く臨床医を、大切にしてほしいと思いました。
現場で働く医師の先生に、閉塞感を与えるようなシステムそのものから
現場を理解して下さらないと、、、
患者さんが、、、大切な信頼していた先生を
失う事になってしまうと思いました。
がんセンターでの、、自分の経験から、、、知っている先生が
そこに居なくなるという事は、、、
患者さんの気持になれば、、、
見知らぬ建物になってしまうような
戸惑いがあるという事が、
現場の命預ける側の、、、心です。
ワクチンンのエースだけではなくて
権力やサラブレッド力ではなくて
みなぎる実力が頼りに出来る 国家へのサポートが
日本の生き残りにつながると思って、
我が家も、買い物は10日分、、、買いだめ作戦で
外出の機会を減らして
菅首相に協力しています。
朝になりました。寝ぼけたまま、、、日記を書きました。
おかしい文章もあると思うので、、、
一寝入りしたら、、、
較正しますね、、、
ZzzzzzZZZzzz(-0-)ZZZ
茶の間の婆ちゃんは、、、こう思ったという、、、たわいもない
日記だから、、、言いたい放題で、、、
深刻に受け止めないでくださいね。
祈っています、、、、
人間の限界に挑むオリンピックは、、、
どうなるのでしょうね、、