花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

お盆を、、、迎えた

2020-08-13 07:10:10 | Weblog

弟よ、、、

君は,、、可愛かった、、、(^^(^^(^^(^^(^^(^^

戦後、疎開地に到着できて、戦乱の日々がようやく、、、落ち着き始めた頃、

母は、、、高齢出産に挑戦した。

       戦後、、、、

          戦争を知らない「希望の子」が誕生した。

「医者の家に、、、男の子がうまれたぞーーーー!!!」

疎開の村には、復活のシンボルの「団塊の世代」の誕生の

            聖火を持った戦後からの復活の世代の誕生だった。

この子たちが大きくなるころには

         「生まれてきてよかった!」と言ってくれる世の中にしなくちゃなあ~~~!!」

村の人々は、「鯉」「ウナギ」「鮎」、、、サツマイモに、、、なすびに、、、何やらかんやらと、

思い思いの喜びをもって、父の周りに集まってきた。

「この子を見てくれ!!、日本は復活する!」

 日ごろ、無口で、要点しか話さない父が、饒舌だった。

寸暇が有れば、弟の所にやってきた。

     若い時は「髭の医者」と別名で呼ばれたほど

胸にかかるほど、髭を生やしていた父の写真は、どこかに片付けてしまった。

弟に、、、頬摺り寄せたい父は、、、髭を毎日剃りはじめ

                      若返っていった。

いつも、どこかに、、、うつうつとした曇り空のようだった我が家に

              根こそぎの、、、別の空気が流れ始めた。

母も、笑顔を、、頻繁に見せるようになった。

「チャンコロちゃ~~~ん💛、、、」母の笑顔は観たことのない、、、明るい笑顔になった。

とうとう、、、戦後が始まった。

        日本人は復活に向かって立ち上がった。

傷痍軍人が、松葉杖をすてて、、、仕事の修行を始めた。

自転車屋さんに、子供の三輪車が並び始めた、、、。

想像できないでしょうね、、、現代人は、、、

              「心のブラックホールがあった事を、、、」

立ち上がり始めたのです。村全体が、、、。

                 

復興の兆しの見え始めた村には、

                母の父にあたる祖父が

                    校長先生と、町長さんを頼まれました。

                       学校の先生は、偉そうな本当の資格のある先生が来た。

                  本物の先生もやってきた。

空手の強い本物の体育の先生も赴任してきた。

音楽の先生だけは、美人で、若くて、、、オルガン上手で、優しい先生が残った。

 

私が小学校に入ったころは、

父母の花畑の花をアレンジして、音楽の先生に届けたものでした。

 

父は、村人に借りた何ヘクタール?かの畑を、

          村の住人に花と薬草と野菜を栽培する畑に耕してもらい、

                        村には、雇用促進にもなったと思えた。

アメリカに住んでいた人に頼んで、グラジョウラスなどの花の球根を送ってもらい

父の花畑は、大輪の洋花や、薬草で、ちょっとしたものだった。

ジギタリスなどの、利尿や、心臓の薬になる、、、ジギタリスプルプレアは

                     ヨーロッパの原産の見事な赤紫の花だった。

戦後で薬品がなかなか手に入らない時代に、

「戦地で、戦陣外科体験した父の、何もない所で、、、どうやって、患者さんを助けられるか、、、?」

この体験は、最後には、戦場で、キリストに逢えたと言っていたから、、、

苦境での医療には神様に頼むしかないという状況を体験したのだろう。

 

カエルと言えども,、、心筋は、身体から切り離しても、、、勝手に動くリズムを持っていることに

カエルには、、、申し訳ないが、、、

しばらくこのカニュウレに凝ってしまって、動く心臓に、カニュウレに薬品を投与して

心臓に作用する薬の実験に、真剣になった事がある。

そのまま、、、薬理研究室に所属して、、、卒業後は

薬理の担当教授の推薦で、

東京大学の、医学部薬理研究室に勤めるという、

           流れるままの人生を歩き始めた。

其処では、いろいろと、、、動物のお世話にもなり

お盆には、自分的にも、心から、慰霊祭に頭を垂れた。

 

魚を釣って、、、ぶつ切りにして、、、食べるのとは、、、また、違った

命の貢献に、心から、慰霊祭をもって、

         一歩間違うと、、、

エゴイストになりそうな心を戒めながら、

薬剤師の国家試験にと進んで行った記憶がよみがえってきた。

人間は、、、南極では、、、食糧難に遭遇したとき

愛する相棒の犬を食料とせねばならない、、、と、聞いた。

私には、、、出来そうもない。

カエルだって犬だって、、、命の重さは同じだとは思うが人間の主観的な挑戦は 

      、動植物の犠牲の上に成り立っている。

自分のなかにも、、、

小さな小鬼が住んでいる、、、

しかし、、、悪魔が住んで居る研究者もいる。

      、、、原子爆弾は科学の使い方を

                人間あっての、

                   地球あっての、

                     研究に戻さないと、、未来は無いと世界中に示した出来事だった。

           原子爆弾と、核爆発をサンドイッチにした水素爆弾の破壊兵器は、、、

           核融合という億温度の世界の化学のはずである、

               科学の総称の中に入れてほしくない。

 

                人間の中の悪魔を育ててしまうと、、、

              核融合の巨大な力を兵器に使う事になる。

             水素爆弾が、第二次世界大戦の時に、

                     すでにできていたから恐怖である。

 

            もう、、、戦争からの復活で、

          戦争を知らない時代の「団塊の世代」が

           やっと、世界が一つになる、、、

             パソコンや、スマホを使って

        平和教育を呼びかけることのできる手段を持った時代まで来たのですから、、、

                 人間の中の「悪魔」を

                 恐竜に育てないでください。」

 

                恐竜は、背中に支点が要ります。

                  背中の支点の命令系統に

                  核を使った戦争をしないと誓ってください。

 

           確りと、、、ブレーキをかける教育が出来るかどうかは、、、地球のスケールでの

                    破壊戦争となることは確実でしょうね。

 

 

 

            コロナ戦争の集約までの、国民の自発の協力と、

                     地球全体を観れる感性と、

            大切なことを、キャッチできて、軽率に正しいと思えることを実行する前に

            緻密な専門知識の応用で、「専門性のある、、、謙虚さで、、、」

              命の前の、あらゆる方向の、、、「敵」を制御してゆくという

               専門家が円陣を組み、円の中心の、点に見えて、、、も

               とてつもない多面体の要素について

             知恵を出し合って、、、コロナの収束に

                  国民を導くのは、、、

            専門知識と、政治や一部の権力が支え合わないと、、、

            マスコミが数字で作り上げた「

       理論的、数値的、未来経済の在り方に「正しい方向」だからと。

          御茶の間の、ノンキな、推測に、マスコミの風を送り続けると、

                閉じこもった日々の反動が、

                    感情的ににダッシュすると、、         、

                   我も我もと、、、検査に走り

                  処理しきれない医寮環境の中で、

                疲れ切った医師の身体も

                     限界になるでしょうし、

                    スタッフも

                  保健所同様に、、パンクするでしょうね。

         もう、、、医療は、、、崩壊すると思うのです。

                Real time PCR

                             この検査は感度がよくなっているのでしょうか?

           例えば過去の歴史に戻ってインフルエンザのウイルスの測定時に比較すると

           COVID-19のウイルスは、鼻と咽頭とのウイルスの量は100分の一

                      粘膜に至っては千分の一、、、と書いてある文献も検索されますが

                      疑陽性が多いのはこうしたことが原因だとすると

          検査で正確な値を出すには、コロナウイルスの増やし方が問題になってくるのでしょうか?

 

そうなると、、、専門の訓練を受けてから検査に臨む技師さんが必用になってくるでしょうね。

 

では、、、韓国が行っている「LAMP法」ではどうなのでしょうか?

PCR法の1000倍以上も感度良好と聴きますがCOVID-19には使えないのでしょうかね?

ノロウイルスの時は、活躍が報じられていたと思いますよね。

 

構造的に、新型コロナウイルスは

   スパイたんぱく質、

   エンベロープたんぱく質

   インテグラルメンブレンたんぱく質  

   ヌクレオカプシドたんぱく質N

   などの表示とともに

   検索すると、構造式も、原始顕微鏡の写真も出てきますよね、

        遺伝子は螺旋形の構造をしているのは、大学時代に生化学で学びましたが

        リン酸化が、橋を作り、、、当時、、、クラスメートと、夢中になって

        二重らせんなのか、一重らせんなのかで、

       もしかしたら、、、エンベロープの脂質の二重幕の構造も、

           薬品投与で、構造を変えて、ワクチン造るとか、、、

      新型コロナを変形させてから、人間の細胞にくっつき、離れる機能があるなしで

インフルエンザの薬が効くか効かないかの分岐点が構造に在る以上

      たんぱく質を別のアミノ酸で置き換えるとか、、、

ガンマーナイフで切るとか、、、

      コロナの事を考えていると、

           劇画の中の悪いヒロインに思えてくるのですよね。

 

、、、今日から、、、お盆の間は、、、コロナの事は考えないようにしますが、、、

本当に、、、悔しいですよね。

      小さな、、、見えない奴に、、、ひっかきまわされて、、、疲れ切っています。…、

             こうなったら、、、コロナに感染することを前提にして、

          これから、、、何度繰り返されても対応できるように

              医療体制を整えて。

                設備も、検査機械も、、、車並みに 、

                    医療機関で使える設備を常備してはいかがなものなのでしょううね??

 

                頭脳は大食いな怪物だけに、

            医師から集めた税金は医療関係に還元しないと、

                医療スタッフが少ない日本、

                 検査も十分に手の回らない

                    医療社会を作っている政治のバランスの在り方を

                     真剣に考えないと、、、

                       これからの科学社会には

             コロナのようなパンデミックは、何回でも起こる可能性が考えられます。

 

                  アメリカの医師はプールが庭に有ったりします。

                      政治家は、、、自分の命が国を左右する以上

                           医師が、リラックスのくつろぎの時間にも、

                     細菌や、ウイルスで、汚染された髪からつま先まで

                            本人が仕事の延長として、義務だと自覚しないように、、、

                         休み時間間隔でプールで泳ぎながら、

                             ウイルス、野菌を滅菌水で泳ぎ落して

                             家族から拡がる感染を予防する効果でも、汚れを落とし、

                     24時間働いても、仮眠だけで働き続ける筋肉を鍛え、

                    休暇のつもりの中で、、、

                       心身ともに。。。寿命いっぱいまで

                        医療に従事させる作戦かもしれませんよね!

 

                       医師を養成するには巨額がかかるから、

                               お金持ちと間違う設備の中で休んでる間隔で

                    ドクターそのものをリフレッシュしていただく作戦ではなかろうか?

 

            医師の寿命いっぱいまで働ける環境は、

                医師が金持ちに見えるだけで、、、実は医師をするための環境は

                   世代を超えて使えるわけですから、、、ね。

                 豊かな精神で、清潔が、ウイルスレベルで保てる環境に

                   政治家が、気が付いているだけではなかろうか?

 

               私の父のように54歳で過労死する医師のいる日本は

                   経営に心血すり減らす、、、税金攻めで、、、

                    貧富の差を無くすという意味が

                     金銭的、見かけ的、、、政治の支配下に位置している

                  ことで、専門的な見えない財産が、、保健所を通すシステムの為

                    改良の余地があるように思えたり、、、

                  お茶の間で、、、医師の「医師をする時間を最大限にする環境に投資した方が、

                  日本は健康面で世界一富んだ国と言えるのではないでしようかね~~~?

                  患者さんに慕われ、頼りにされた父が、過労死するのは

                       医師の。医師をすることのシステムを

                        もっと簡素化して、

                         余計な作業に追い回されないような

                          未来において、、、理解してくれる政治家が現れると

 

                       がんセンターで起きた、独立法人化と、元に戻る短期間で、

                    日本のがん医療に、早期発見に、又、CTなどの開発に

                    全くの初期からかかわってきた医師が居なくなり、、、

                    愛知県の医師に変わってしまっていて、、、

                    50年の基礎的な歴史が

                     誠治が作った歴史になってしまうときに、

                    医療には、その歴史に携わった医師の業績は

                   誰も相続できない、、、その業績を示した医師の一代限りの作品のようなものでしょうから、、、

                   歴史をたどって、、、医学の神髄に触れることだってあるわけですから、

                   医歯薬歴史は、病気の治癒の為にも、、、偉業をなした医師の歴史は

                  政治介入で、時の権力と置き換えてしまっては

                  医学の神髄に触れる足場が崩されるようなものだと思うのです。

                  かって、日本では、、、CTって何ですか?と

                  MRI って何ですか?、、と

                  ペットって、、、PETですよね、、、

                  偶然にも、、、予期しない、早期がんが発見できたという人にも出会いました。

               政治の介入が、たった1年で、50年の、ほかの医師には代役のできない

               早期がんの発見の歴史に人生をかけた経験の歴史ごと、

              貴重な医学の伝承が出来ないまま、、、がんセンターは

                創生期の時代の先生の姿が見えなくなりました。

                50周年には、東北から来たという、、、見知らぬ先生が

                ホームページの中心にいらっしゃいました。

                誠治が介入した病院には、患者さんの知っていた、先生が

                 突然いらっしゃらなくなるから、、、

                  困るのは、、、経過を知っていてくださる病院であったという

                   歴史とともに、在るという、、、国際的なレベルを維持してゆく

                  医学の医師の先生がたが、、時の権力を握った仙石さんによって

                 患者さんの宝物の、心の、拠り所の、、、医師が居なくなって

                患者は、、、心から、、、医学と臨床の専門家の先生方の場に

                 権力も、政治も、、、介入することは、、、緻密でなさすぎる行動なので、

                 その欠損は、共に居た患者さんの心に、

                  政治の在り方を、もっと専門家との円卓を囲んで、在籍していなくても

                  多くの患者さんが、命を預けた医師こそ大切なのだと、、、思うのです。

                 コロナの問題も、政治が医師と言う専門家の集団が出来ない分野を

                 サポートすれば、、、医療崩壊は防げるのではないでしょうか?

                 組織作りに、民間からノーベル賞が出たことを大切にすれば、

                 素晴らしい知恵が、組織の作り方で、手順を追っているうちに

                 間に合わなくなることを、避けるのが、、、真の政治の力の発揮のしどころだと

                茶の間の、、、婆ちゃんは、日記に書いておきます。

                  

                 

 

               

改良の余地はあるとおも居ました。

 

                  医療人の接遇環境を、医療環境ととらえて、

                       勝気に考えないで

                     災害の時にびくともしない土手づくりの予算を

              医療環境に使うべきであると、

            パンデミックの仲間入りをしないのは

              海と言う、、、プールがあるからかもしれませんよね。

                お盆の産みで、、、私は、、心で父に会いに行く。

 

 

 

 

人間の中に眠っている、、、

        自分でも気が付かない勝気な行動ではなかろうか?

謙虚な心で、^

人間の業、、、て,,,,やつかもしれませんね。

お盆が来ると、、、父はあんなに、、、

大勢の人に囲まれた人生だったのに、、、

       54歳との若さで、、、過労死でした。

父が死んだときには、、、医寮だけが有ったのだと、、、

                    何も残していませんでした。

、、、自分の死期まで解る、、、

           可哀想な、、、

             仕事だけの、

               自分の時間が持てないという、

                     周りの思いやりや、応援の必須な

                         時間貧乏だったのですね。」

                                        私たち家族も、、、寡黙な父の表情から、

          専門的な知識の医療スタッフを増やすことの、気が付かなかった。

 

    それほど、、、父の時代は。。。日本に医師は少なかった。

                 

                      国家免許の番号から推測すると、、、たぶん、、、

                         5万人前後だったのでは無いだろうか?

         この写真は、父が大切にしていたアルバムに在った者を、、、転写しました。

                 日時は転写の日付けですが、、、どの先生も、、、もう、、、ご存命ではないと思います

 

                    東京に帰還した記念に

                    父の親友だったクラスメートが

                   開いてくださった会だったと記憶しています。

 

                      こうして、疎開地から生まれ故郷に還ったが

                    市ヶ谷の実家は、全く変貌を遂げたコンクリートの近代都市となっており、

                近所だった、文人通りは、巨大ホテルの国際的な役割を担う都会になっていた。

                       戦争を挟んで、天国と地獄を見た父母にとって

                         下町での新規開業や、

                            医療保険制度は

                              小回りの利かない

                                 私たち子供が

                                   田舎で育ったこともあり

                                  役立たずに囲まれた父に

                                 診療ト経営と、事務と、医師会など

                                医師にしか出来ない仕事の多かった時代の

                                   悲劇が起きたのかもしれませんね。

                          

             激務に告ぐ激務の毎日だったことだけは、、、             

                

                

                     軍隊に従軍した父にとっては

                       これしきの事、、、と、

                     一人で頑張っていたのかもしれません。

                       戦場に居たことを思えば、

                  当たり前の毎日だったかもしれません。

                      私たち子供や、家族が、「気付く」ことの大切さに

                          気が付くのが遅かったのかもしれません。

 

                     

 

           お盆になると、もう少し、生きていてくれたら、

               初孫の顔を観れたのにと、、、

                   お盆になると、、、お父さんの来し方の努力を思い浮かべては

                旧い写真が甦ってくるのですよね。              

 

          父が、東京に帰還する前に、、、一緒に行った「那智の瀧」は

                           私の、、宝物になった写真です。 

                    弟は成人して、国立がんセンターで

                  がんの診断、 がんの早期発見、CTや、ヘリカルCTの発展に

                  貢献しました。

                   弟の中には、、、父が生き続けているのだと、、、

                   お盆になると、父が弟を抱いて、月夜の夜、

                    子供たちと影踏みをした、、、南紀の夏を思い出すのです。

                

                   

 

 


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