花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

父の日

2008-06-16 00:45:34 | Weblog
    家内からみると、、主人の父親ぶりを採点すると
    親としては、200点の頑張りを見せてくれました。
    子供が成長するための「エネルギー」と
    絶大なる
    学費という経済的なサポートはしたと思えるのです。
           しかし

    父と子供のコミュニケーションの時間が少なすぎました。
    医師の主人も、
    医師の父親も社会のものです。
    患者さんのものでした。

    60歳半ばでも、二人のために
    海外旅行に行く時間がありませんでした。
    もちろん、正月も、誕生日も母の日も、、、、

    極め付きは、
    私の母の見舞いにも、葬儀にもこれなかったことです。
    医師の主人は病院で患者さんを診ていました。

    主人が留守がちなので、
    子供たちは、天真爛漫、自然の子供として
    のびのび育ちました。
    「勉強しなさい!」という人がいませんでした。

    子供とはほとんど、遊んだりキャッチボールの時間は
    とれませんでした。

    父の日も、病院の宿直で帰らないことが普通でした。
    子供が生まれた時も、
    患者さんから手が離せなくって、
    到着したのは2日目でした。

    ローテンションで「地方の病院」出張が3か月ごとにあり
    幼いわが子は、何か月も合わない主人を
    よそのおじさんと間違えて、
    私の肩に隠れて逃げました。

    受験の時は「単身赴任でした。」

    気がついたときは、
    子供たちは独立していました。
    私は、まだ自分が30歳のつもりでス。
    いつ、時間がとんだのでしょうか?

    「あなたたちのお父さんは本当に家にいなかったわね!」
     寂しく、、、愚痴ると

     「母さん、、、医者は仕方がなかったんだよ、、、」

           (--!

目下、デートもする暇もないし、
女性の面倒や、家庭のことなど
考えるという、、、そこまでもいかないと言う。

専門医の息子は30歳をとっくに過ぎている。
結婚する気配もない。
結婚したいという女性も現れない。

ひたすら、医師としての腕を磨くことで充実している様子である。

もしも、息子が結婚して、父親になったら、
私は心から「父の日」を祝いたいと願っている。

かわいそうな、、、時間貧乏の医師たち。
息子の生活ぶりを見ていて、
私は主人を許そうという気持ちになった。

主人の「父の日」は今年、初めて、二人で買い物に行きました。

結婚40年目の「はじめての、夫婦で出かけた父の日」でした。



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