花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

札幌は出勤の早朝7時,、、霰の音、雷の音

2020-11-09 07:47:59 | Weblog

冬囲いも9部通り完了しましたが、

君子欄の未生から育った娘株を、

寒さから守るのは、大変でした。

   土の中に「グラスウールのさいころをを混ぜて、根っこから寒さ対策が要ります。

子供たちが小学校の時、

   70代の3件離れた未亡人が、

            良い花が咲くからと、鉢植えをくださいました。

    部屋の中に置いて、育てていると

           クスダマのような、素晴らしいダイナミックな花が咲きました。

毎年、小株が増えて、冬の寂しい部屋の中で

            太陽のように、咲き続けました。

それから、、、家族が単身赴任で、離れ離れに暮らす時期に突入したとき、

主婦は、主婦専業の椅子をしまい込んで、

           会社の正職員として、働きだしました。

5時に起きて、子供たちと自分の弁当を造り、

   出勤して、夜は8時9時、、、と、社員に要求されると

           薬事法の講習会を、報酬抜きで引き受けていました。

報酬をいただくと、子供の緊急事態に休暇をとれないので、

        残業手当も一切要求しないで、10万ぐらいの税金がかからない金額で

単身赴任中の、メリハリを、着けていました。

   働きに出る直前の事でした。

15羽飼っていた、、、カナリアが全部逃げてゆきました、

ランを下さったお婆ちゃんの、、、お隣さんの奥さんの庭に逃げてゆきました。

奥さんはカナリアが、、、あんまり可愛いし、、、

   手乗りカナリアになっているので、、、「自分が飼いたいと言ってくれました。

留守がちの私に飼われるよりも、専業主婦に、、、もらっていただく方が

カナリアの為にはいいと判断した私は、

カナリアの大きなケイジごと、貰っていただきました。

その年の冬、、、マルテーブルから、、、落っこちそうになるほど

満開に咲き誇っていた君子欄は、赤い実をつけると

全滅して、枯れてしまいました。

翌年になってから、、、

12個の鉢に赤い実を埋めて外の木陰に置いて育てているつもりでした。

雨風太陽を自然に恵まれて、君子欄は、葉っぱは傷だらけになりながらも

見事な花が咲きました。

そして、、、主人は、国立病院の医長を辞めて

出来て間もない、建物から湯気が出ている様な

「私病院に、大学を通して、移動になりました。」

、、、札幌に、、、帰還するって、、、?

   、、、どうしょう?、、、正職員なんだけど、、、

決まってるじゃないか、、、二世帯別居子育てが

一軒にまとまって、暮らせるんだよ!!

それに、、、私立だよ!、

国立病院のように、キュウキュウノお給料でやりくりしなくても

4人は、食べさせて行けるよ!!!、、、

踏ん切りがついたのか?

このまま別居だと、子供の教育に良くないとふんだのか?

主人の鶴の一声で、私は「専業主婦に戻ることになりました。」

単身赴任中位は、、、自分の人生をする方が、心身にも良いので、

働いていましたが、、、

主人は、「他人様の命を対象とする医師ですから、子供のように

          「3食弁当のチーン」

        少々汚れたシャツもOK

           郵便物も封筒のままと言うわけにはゆきません。

   唯一残った、グッピーの水槽も

             コケだらけで、絶滅寸前。

 子供たちの飼う森林の虫だらけという我が家に

     主人が、、、国立病院を辞めて、札幌に定住するのですから、、、

さ、、大変!、、、片付けなくっちゃ、、、!主人の部屋も作らなければ、、、

正職員も残念ながら。辞めまして

 二階の物置になっていた部屋から、

   1階の独立したドアのある部屋に

      スライド式の本棚を分解して、ヨイショヨイショ、、、

1階に移し、机も分解して天井近く菜であるダブル棚の本棚にくっつけて

シングルベットを対面に置いて、

全身用の鏡をセットして、

主人がお気に入りの椅子を置くと、

早朝、、、深夜、、、自由に救急患者さんの所へ行けるように

家族には影響のない個室を造るのに、、、1週間は格闘しました。

「医師をすること」だけには

  限られて持ち時間は使うのにはばからない主人も

      家族や家内の為の私的な事には3分間診療どころではありません。

小学校の入学式も、運動会も来たことがありません。

自宅では、必要不可欠の動きしかしないという、、、

       子供を造る以外は、、、「愛も邪魔」と言う

  きわめてわかりやすい「医者バカですので」、、、(++!

単身赴任から帰ってくるまでに、病院に通うのに都合のよい空間を

 一足早く作っておかないと、、、

帰還に持ち込まれて引っ越し荷物で、

家全体が、、、半年は、ダンボールだらけのまま

 足の踏み場もなくなるはずだから、、、

       勤務と主人の部屋だけは、隔離して、

          単身赴任帰還による混乱状態が

              勤めのブレーキにならないように

                ゆっくり片付けられるように

          主人は人生の客扱いとすることにしました。

帰って来た半年間は、かなり、、、頓珍漢な家族模様が続きました。

まるで、、、下宿人のように

   何事も無かったかのように、

     早朝出かけて、、、深夜に帰るか、、、

        ピークの立ち上げの忙しさで、

              今は20人以上の外科も

                  3人ぐらいで、始まった。

宿直が3日連続と言う日もしょっちゅうで

        玄関わきの独立部屋を主人専用の

           家族無関係の部屋として

               切り離してセッチングしておいたのは正解でした。

50歳目の前になって公務員を辞めた主人には

          老後の公的な年金は無いと思わねばなりません。

       

人生の花に出逢うように、、、北北西に進路を変えて

           札幌に、、、家族のもとに、、、戻れたのでした。

公務員は50歳から、定年までの間が年金が増加する機関だからです。

公務員になるなら、、、初めから、、、終わりまでいないと、

老後はビジネスが必用ですよね。

         次男が、、、ご丁寧に「浪人して」

            それでもやっと、子供のころから成ると言っていて

           躓いてrは起き上がり、、、泣きながら頑張った孤独な受験浪人。

             やっと、、、それでも、、上位合格で

            私立の医科大学に進学したものですから

               親も、授業料、、、どうしよう、、、と思いながらも

             50歳近くの主人は公務員だったこともあり

               進学ローンの借金能力だけはありますからね、、、

           入学してしまえば、、、スッタモンダ、、悩んでいるまに

         7年なんて、、、明日だわよね!

               

                イケイケで、、、無理難題、、、突破するしか

              明日は来ない!、、、私立医科大学は、、、親も頑張った!!!     

              東京に移動させたあと、

           一度返し終わったローンで購入した家に 

              ちまちま20年振り込み続けた実績を評価してもらって

   500万円上乗せのローンを20年で組みなおして

              70歳近くなったとき、、、やっと、、、ローンと言う

                島国日本!人材だけが資源の国の

            ほとんどローン付きの国民の一人から

                毛刈りが終わって、、、小さくなった自由な羊夫婦は

                授業料納入の7年間と言うロッククライミングを振り返る!。

 

       私立医科大学の授業料の必要な七年間だけ

        授業料を保証するという保険に加入して

            手持ちの現金のありったけを、、、保険に入った。

          振り返れば、、、50代で、、、死ぬわけがないのに、、、

            直面すると、、、今ある現金で

               卒業までの授業料が保証されるのならと、、、

             心の動揺を、、、今は反省する。

            あれから20年近くの年月を生きているのに

               旅行費用が無いのは何ででしょうね?

              もしも、、、死んだら、、、と

           おびえて、、、必要な額だけ、、、保険に入っては

           65歳です、、、満期です。

           70歳です満期です、。。。

               保険って、、、満期のお金って、、、

               50年抱え続けても100万を分割で、生きてる限り

                  5万円とか、、、?

        死んだら、100万円の葬式代が有りますとか?

           もう、、、保険は要りません。

             子供たちが独立しましたから、、、

              必要なだけで好い、、、自分で稼ぎます!

           不測の事態に備えて

         私は、、、老後の資金稼ぎに

                調剤薬局の時代が来たので

                  立ち上げのスタッフとして

                    正職員として

            再び、、、勤務に出ました。

           1年足らずで、「中央店の店長の印鑑を預かることになり、、、」

          四人の店員の必要な160枚の処方箋を

           週2回、定年したお偉いさんの薬剤師が助っ人に来るという

        1か月290時間オーバーと言う激務の中

                 パートのハイティーンの事務員さんと働きました。

               どんどん増えてゆくグループ店の活気が伝わってきて

            家庭をほったらかして、、、立ち上げの勤務に夢中でした。

               1年経つころ、、、アクシデントが置きました。

               立ち上げ中で、薬剤師が足りないというさなか、、、

              私は、東京で、息子につききりでした。

             

            一段落した後,、、札幌に、、、無事帰還したものの、、、

             どのつらさげて、、、会社に帰れるんだろう、、、と、

         主婦が共働きすることの大変さを痛感しているとき、

          会社の人事部長が、我が家の近くの喫茶店に、来てほしいというので

         「謝るしかない、、、!」と

          詫びを入れなくっちゃ、、と、

           しょんぼりして、喫茶店に入りました。

          「これで、有給休暇は無くなりましたが、

               小児科処方箋の特異な薬剤師がいなくて

                 戻っていただけますね!」

            ありがたすぎる、、、言葉に、、、涙が出そうになりましたが、、、

           

             店長になったとたん、、、1か月以上、、、私的な理由で

             お休みしまして、、、部長さんが許してくださっても

            ローテションして、助っ人をしてくれていた社員は

             ついてきてくれないと思います。

           その夜、主人と話し合った結果、

            アクシデントで、、、万一、、、息子が落第でもしたら

           友人を失うし、学校にも、信用を無くすから、

           卒業までは「専業主婦で、息子の栄養面をサポートして」と

          その結果、会社には深くお詫びをして、退職しました。

          息子が卒業してから、

                 私は、

              友人が、がん治療を受けるために 

            薬剤師業務をしてくれる薬剤師を探していると言われ、

          公立の大学病院に、、、

           勤務に入りました。

             当時は、大勢いる薬剤師の中でも、

         「臨時の立場の職員が大勢いて、、、」

           正職員と同じように、扱っては下さるのですが、

           20年近く勤めた薬剤師でも、、、40過ぎて臨時と言う

           システム自体が、調剤薬局の4分の1と言う給料で

           早朝7時に家を出て、5時30分に帰宅に向かうという

          学生時代の延長でした。

           勤務時間は短くて楽でしたが、

             半年後には、がん治療を終えた大学の同級生は

           無事に、もとの正職員に戻れて、、、

              穴埋めの役目を果たし終えた。

           

           大学病院からは、、、もう少し、、、臨時で手伝ってくださいと

           言ってくれたのですが、

          朝7時出勤に向かい、5時半に帰宅に向かう

           、、、1か月10万円で、、

                 、日照時間を失うのは

            老後の人生の貴重な、、

                残された自由を失う事だから

            友人も、無事に退院して、、、復帰したことだから、、、

           「良い経験になりましたので、、、これで引き取ります。」

            みなさん、、、元気でね!

            人生の終わり近くになって、人助けが出来たのでした。

           そして、、、気がつけば、、、76才!

            もう、、、勤める機械は来ないと思いますが

           薬剤師の免許を取得していたことが

            孤独を感じる暇がないほど、、、忙しかったです。

            働いた月給は、

           私立の医薬系大学に進学した息子達の

          血となり、、、肉となり、、、社旗に返すことが出来ました。  

      東京から、、、ふとした運命が、北海道と出逢い、、、

       友人も、親戚も、兄弟も遠い地で

             子供を育てる人生は、、、あっ!、、と言う間に

               50年がすっ飛びました。

          主人は「医師をする事」だけで精いっぱいの人だけに

       雪かきもしたことがありません。

         雪囲いも、、、庭にも興味がありませんが、

            野草の庭に飛んでくる「蝶々」に興味があるようです。

         新聞は道新の札幌の記事を読んでいるようです。

          70歳過ぎるころ、、、私と言う相棒が一緒に住んでいることを

             意識するようになり、

           かつ弁当でも、、、土曜日には,、、買って言ってやるかな?

 

        ふと、、、我が家を振り返ると、

              子供たちは独立していて、、、

                孫が、大学生になっていたよ、、、

              周りを見回す余裕が出来たんだね~~~

 

              医学部受かったときは、、、これで、、、

             自分の親も幸せにできると思ったけど、

            自分の家族が、いつの間にか、、、

          孫に時代に入っているというのに

       

        「時間が無かった、、、では済まされない、、、

               、、、」

 

休みをとってもらい

父母の逝った「高野山に、、、」

  「高野山は初めて」という主人を引っ張って、

         父母の供養をしてもらいました。

世界遺産になる前の高野山は

       修験者の居る山岳信仰の山だけに

4月の桜は氷の花のように透明で、

     霊感の強い私には、

            荒野杉の中から、

                衣冠束帯のようないでたちの士族や

      青銅色の馬に乗った侍の隊が

           杉の巨木の中から私を走り抜けて行ったり、、、

     中の橋の巨木の枝の中に

           亡き父が、遠くを見つめていたㇼ、、、

              瞳だけが、、、この世の物とは思えない  

 

          

 

                  水晶のようだったり、、、

         橋の上に、白い犬が、、、尾っぽをくるりと巻いて、、、

       数多ある墓石の中を見え隠れしながら、、、先祖の畠山のお墓まで

   道案内して、、、スーと消えて行ったり、、、霊山でした。

           世界遺産になってから

          大きくなった姪っ子と、兄嫁の

           一行と私が

             母の逝った宝亀院を訪ねて

               宝亀院に泊まった時には、、、

         世界遺産になる前に見えた、、、多くの霊山粗ではの現象は

        一切見ることはありませんでした。

            多宝塔の前では

            奇声を高らかにあげて、、、

              カメラをバチバチとる勢いに、

             霊はすっかり畏れをなしたのか???

           観光地の寺として、光がまぶしく思えました。

               

          結婚をさかいに、、、

             独りぼっちが日常になっていただけに

          次の世に行くときは

            父母の居る高野山で、、、

                生まれ故郷の南紀の空を

                   飛び回りながら、、、

               ドローンとぶつからないように

                注意したいと思っている、、、76歳の

            忙しく生きてしまって、、、人生味わう暇のなかった

           思いつきの日記です。

               一拍休みのような、、、

            寝言同様の文章に付き合って下さり、、、 

               歩きながら、、寝てしまわないように、、、祈っています

 

               

 


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