花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

山月記 

2013-11-20 05:20:19 | Weblog


私は、今、豊川稲荷に行ってきました。
小松川高校時代「徳川家康」の歴史を習っているとき、
とく
神社の果たした役割が、今なお 記憶に新しく甦り、生きているうちに、
歴史の中にタイムトリップしてきました。

瓦に名前も記憶していただく奉納と朱印とお参りと、孫子の健康と幸せを祈りました。

自分の小ささ、能力も器量も強さも弱点もすべて懺悔して手を合わせ、
戦いに生きた歴史の延長戦から解放された日本を、世界の平和に貢献できる国に
生まれ変わらせた事を信じたいと思っています。、
「虎になる哀しさだけは、回避できる日本人の一人として、」
謙虚に、森羅万象の中で生かされてゆく人生が全うできますように、
「奢らず、依存性を嫌い、最後の最後まで、自分のことが自分でできるようにと
和して同じない精神力を今なお養いたいと祈ってきました。

俗っぽく考えると、戦いは裏を受け持つ女房役の生き方で時代は創られるのかもしれない?
大自然の巨大な力に「寄生木」のように、人間の社会が日々「倍返し」の戦いを繰り広げ
多くの虎が左遷された理由にも気が付かず「藪に隠れて、己の影にビクッとなり、
孤独の月を見上げる哀しい個人主義の社会の中で、家庭は核家族化してゆき、歴史は
コンピュターとロボット握られてゆくEBMの世界には「愛」は両立しないのではないか。

ひたすら欲望に任せて「やりたいことを全部してゆく己だけの人生の集合体」が社会なら
共感の喜びも、支えあった達成感も、センチメンタルな夫婦愛も、置き去りにされた過去の
遺物になってゆくのだろうか?勝手な奴!が、哀しい人生の坂下りの美学に、先代の遺産を
燃やし尽くして、時代は終わり、時代は始まり、まわるのだろうか?

家康の残した遺産は量子力学のいうポテンシャルの大きなものの前では、
波動は反射しないという公式を思い出させる。
オイラーの公式は謎をといてくれるだろうか?

緑の森林は「コンクリートに覆われた都市」となり、
地球の気候まで変えてゆくのだろうか?

もう一度、、、日本!

祈らずにはいられない、坂下りの「美学」にもならない未来への不安がよぎる。

若者に、孫子の幸せとは.???

哀しい虎にならないで、皆と多くを共有し、
菊の花のように、花弁は独立して菊となり、されど一つに見える菊の花。

一人一人が力をつけて集まれば、菊の花の気高さと美しさがありながら

決して、アピールする挑戦的な美しさをふりまかない。

その花に出会ったものだけが、気高い気品と、香りと
凛とした神々しい気力を渡される。

その花弁は次元と次元を航行する船の形をしていると
私は思っている。


寒菊や まとうは 天与の光のみ

雪虫の 飛び交う庭で 菊を刈る

母の国へ 行き交うゴンドラ 菊に似て

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