地球温暖化は本当なのかもしれませんね!
北海道に住んで50年経ちましたが、
2月に10度Cになるなんて、、、雪空のヘキレキ?
高枝ばさみにガムテープの芯の堅さで左に曲げて塵取りを取り付けて
暖気で軒先からはみ出た「雪庇」をつついて落とし廻りました。
先端に取り付けた塵取りを30度左に傾斜して固定してあるので
つついて落下した雪庇は、私をめがけては落ちてきません。
高枝ばさみは長く伸ばすと、
落下距離より、、、はるかに離れた遠くから、
軒にはみ出した雪庇を滑り落とせます。
市販の物は左に傾斜したものが無いので、
自分の安全第一に、ガムテープの芯と、ラップの芯と、カッターで
先端に取り付けた塵取りを傾斜させて固定できているので
私専用の、安全雪庇落としが活躍した2月13日でした。
今日はもう、、、2月14日!
2月19日私の父が54歳で他界した日が来ます。
私も、主人も、父より20年以上も長き人生を与えられています。
これからも、見守って、、、少しでも、皆の役に立てるように
健康を見守ってください。
お父さんが、、、外科医として54歳で亡くなった事は
私の人生の転換期になりました。
お父さんと同じ外科医と結婚しましたが
私の気持ちは、いつもお父さんとともに在りました。
主人が50歳代で、お父さんの様に、、、
外科医の時間外の激務で、腕がピークの時に突然死しないようにと
最大限の配慮で、
外科医として、、、又、、、医師の診断力で
社会に貢献する日々が少しでも長く勤められますようにと、
「医者をすること」にサポートできる雑用は
全部家内が引き受けて、、、
社会に、、、これからという、、、円熟期に
死んでしまった父の教えを無駄にしないことを考えて過ごしてきました。
静岡で、若き日に父と母と長男だけがすんでいたという
私鉄が在る御用邸の近くの住宅です。
医師を、、、一人,、、育てるのには「億」というあちこちからの応援が要ります。
まして、、、診断力の円熟した医師は
「医師をする」このことだけに絞れば
社会貢献はすごいものがあるはずですから、
医師を舞台裏から「医師をすること以外の雑務を背負う事」が
お父さんへの供養と、
後半の人生を、、、社会貢献することが出来なかった父の代わりに
主人には、生きてる限り、、
、患者さんに
健康であることの指導をしていってほしいとねがっています。
健康な若者や、、、健康な隣人は
病気になって、、、初めて、、、医師の存在に恐怖と、ストレスを小さくしてくれる
寄り添って、病と一緒に戦ってくれる医師が必要と感じるらしいですよ。
疎開中、七か村の唯一の医師として
24時間勤務の父が、戦後東京に帰る時
患者さんが地べたに座って、、、
「先生、、、行かないでくれ、、、」と泣いていた時
小学生だった弟が、、、
「お姉ちゃん、、、医者って、、、すごいね、、、僕は医者になる!」
弟のその時の言葉が忘れられません。
その後、、、弟は、医師となり、医学者となり、、、
「父の手が放射線科医用で、荒れ果てていたのを思うとき、、、
患者さんにも、医師にも、痛みのない、、、病気の予防に人生をかけたい、、、」と
彼は、日本の病院にはCTが無かった時代から、、、
医師の必要と知る画像が映し出されるCTの開発に
東芝や、、、東北大学の先生になっていった技師の皆さんたちと
がんセンターの廊下で夜明かししながら、、、
癌の予防、
癌の検診段階で早期発見によって
癌を治癒に導くのだと、、、若き日は
外科の医局に居たのが
教授の理解を得て、、、
国立がんセンターの黎明期に
市川先生に求められて、レジデントから、スタッフにと進み
人生を、、、がんとの闘いに開けくれました。
一生、、私的生活は借家だったり貧乏とは戦いましたが
医学者として、、、ハーバードまで招かれ
ヨーロッパに医学の会議で呼ばれ
多くの公演を通して若き医師を啓蒙してゆきました。
叔父さんにあこがれて、次男は
放射線の臨床医として
ドクターヘリの飛ぶ基幹病院で
日夜、臨床に従事しながら、、、
時間だけがすっ飛んでいったようです。
45歳で、独身で、頑張っています。
結婚する相手は紹介されるのですが、
デートの暇も、女性の好むレストランへ行く暇もありませんが
仕事に生きがいを見出しているので、、、
母親としては、、、普通の小さな幸せの家庭が有ってほしいと思っています。
医師の妻になるのは、、、相手に会わさねばならない人生なので、
リスクも多いし、お金持ちと間違われるのが嫉妬の矢玉を受けますが、
「医師をする」という事の見えない後方の盾になることに
価値見出してくれれば、、、どんな孤独にも負けずに
「医師をすることの社会貢献に免じて。主人の留守の家庭を守れると思います。」
求めないで、、、与えることに徹することで、、、
大きなエネルギーが、、、自分を支えてくれているという
見えない歩道を安全に歩き続けることが出来るという結果、、、
私は、75歳になって、
元気に家事に追われながらも、、、
主人を介して、、、社会貢献が出来ていると。
、息子たちは医師と薬剤師になって
社会に貢献できる専門家として頑張っていてくれます。
医師の主人は、、、家庭の子供たちに
生きている背中で、、、何かを伝えてくれれば
主婦としては、
多くの生き方を子供たち自身で気が付くのを体感してきました、
少なくとも、、、孤独には、、、強くなれます。
人生は、、、結婚しても、、、仕事をしても
神様が輝かしてくれていたのも気が付かない若き日も、、、
孤独につよくならなければ、、、
生きられませんよね、、、
愛されなければ、、、愛すればいいのですよ、、、何かを!
森羅万象、、、愛の対象になる素晴らしいものがいっぱいありますから。
主人は医学や仕事にしか反応しない命の科学の会の中にいるようですが、
丸ごと認めればいいのですよ。
カニさんに,、、縦に歩けと求めないことですよ。
サンゴに泳いでとせがまないことですよ。
、、、
これは、、、独断の、、、私的な、、、日記帳で
わが父の早逝した哀しさからくる
父の命日を目前に、、、日記が書きたくなりました。
それでも、、、
娘の父は、世界一、、、という
父へのレクイエムの日記です。
お父さん、、、今度天国であったら、、、
娘の方が20歳以上も年上の、、、お婆さんだからね!!!
びっくりしないで、、、ネ