肩が思うように動かなくなってから
久しくなる
一番困るのは
髪が結えない。
大学時代に
父に早逝されて以来
髪が
記憶を覚えているから
切らなかった。
家なし
車なし
冷蔵庫なし
風呂なし
、、、、
ただいま勉強中という
それほど、、、何もなかった時代も
髪は覚えている
あの時以上には
せっぱつまった
暮らしは来ないと思うから
髪は記憶のメディアの
喜怒哀楽のファイルにも似て
背中で、休んでいた
日ごとに記憶が髪にコピーされ
明日の為に
私の頭脳は空になっていた。
ロン!
肩を痛めてから、
短く切ってしまった。
昔のことが消えてゆく。
過去の事も消えてゆく
記憶の痛みは
バッサリと
わが身を離れた
然れども
肉体の痛みは
筋肉の断裂が
瘢痕化するまで
とんやは下ろさないと
外科医の夫は言う
ダルビッシュ選手だって
2年も頑張って復帰した!
痛みを乗り越えた者は
大人になる!
今でしょう!
72歳になって
社会的に
大人の世界を
垣間見る思いがする。
20束ほどに髪を束ねて
束ねたゴムの
1センチ上の部分をカットする。
根気よく
一束づつ切ってゆく
そして、、、
50年以上も
長くのばしたままだった髪は
おかっぱになった。
気持ちは若返った。
肩の痛みも、
記憶の痛みが消えて
サーキットが途切れた以上
痛みとしての
認識が薄れ
きっと、、、よくなると
信じることにした。

この菊の絵は
赤ちゃんの頭ほどの
ムチンが
お腹の中を浮遊してたため
入院した時。
オペのあと
病室で、
御みまいにいただいた菊が
生きてる自分の
分身に思えて
葉書の裏にスケッチした。
素直な、
毅然とした 菊の花
一つ一つの花弁は種を宿し
独立独歩の花弁が集まって
美しい菊の花となる
私自身はこうありたいと
菊の花には
一歩も二歩も さがっています。
まして、皇室のように
真っ白な菊の御紋を見上げるとき
陛下も、美智子様も
激震の九州に
被災地見舞いをされ
国民と一緒に生きてくださることは
畏れ多く、頭が下がります。
白い菊を描くことは
どなたにも無理かもしれません
菊の花の神々しさに
両手を合わせて
御無事をお祈りしました。
ご高齢のお体に
ご無理なスケジュールでないことを
祈るばかりでした。
デパートも街中が
ミッチースタイルの
マヌカンで華やぐ中を
家族で過ごした
東京の生活を想いうかべ
髪とともに
着得ない記憶のあることが
時代の中に
今、私も生きているという事でしょうね、、
きっと、、
