花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

家族を信じなければ 道はない

2015-09-08 06:17:35 | Weblog

この2年間、
過ってない経験をしました。

義務も見えない
相手も見えない
時代もつかめない

朝が読めない
この世の魑魅魍魎と
ジュラシックパークと
お化け屋敷のロクロック日が
胴体を置き去りに
子供をくうぞ~~~~と、天を舞う。

家族一丸となって
今まで生きてきたように
不器用ではあるが
自分たちのできることを
精一杯やった。

国家試験だって
半年間の集中緊張で突破できる。

今回の緊張は2年間続いた。
未来も結果も、相手もわからない。

ひたすら、日本の国を信じて
生涯勤勉い働いて
残した、宵越しの全部。

2世帯住宅を建てて、
住居と仕事場
住居と北大に合格した縁者が居たら
貸せる部屋がいくつかある家

ああでもない、、、
こうでもない
設計図をプロに頼んでみたり
自分で描いたり。

考えているときは幸せだった。

サザエさんのような家
私の父が、
戦後の縁者や学生をまとめて

世に言う居候を16人も抱え、
自分の家族以外と
医療施設の雇用の人たちと、
人がぶつかる洗面所。

本来ならば、母の弟が世話すべき祖父を

命の恩人だからと周りを説得。

戦地まで単身
自分たち家族を迎えに来た祖父は
恩人であると言って、

80歳近くまで、
事務長をしていただいていた。
事務長には、エースの事務官が控えていた。

(^^!
おじいちゃん事務長は
チラシの裏や
使った封筒の裏まで
メモ用紙にして頑張っていた、

患者さんが、待合室で騒ぐと
「静かにして、騒ぐなら、外に行きなさい!」
お説教もしていた事務長さん。

早朝、、、これまた記憶から消えない。

6時になると
ごろごろ寝ている孫8人の枕元に来て

「コケコッコー。。。コケコッコオー。。。オキヨト、、、トリガウタッテイルヨ、、」

「起きない者は、、鳥にも劣る,、ウー」

(++  (=- (**  (@*

起きるまで歌い続ける。

おじいちゃんは、かって、
校長先生や町長さん、叙勲も受けているのに、、
子供には、子供の対象の次元に変身した。

戦後のどさくさとは、

我が家のことかもしれません。

子供たちの中でも、
ひときわ声の大きい者が
主導権を駆使した。

人生の「終の棲家」

平成版「サザエさん一家」を
37年かけて手に入れた駅前に創る
夢を見ていたりした。

最後の仕事を、
夫がリタイヤの後は
頭脳労働だっただけに
暇が痴呆の老人を創るかもしれないと。

日頃から、対策に余念がない。
助け合って
元気を巡回させよう、、、と。

私は、独自の努力で
計画していた、

その土地を、今回は空に投げた。
有効に使いたいと
企業が仕入れ値で買ってくれた。
建物は取り壊しが必要な分だけ
値引きした。
バブルのはじける直前に買ったから
当時の半値だったが、
維持するのには70歳はきつかった。

代金は、借りていたところに
銀行直で振り込まれ、て消えた。

しかし、維持するとか、
建て替えるには、
年をとりすぎた。
寂しさも、あるが、、、
之でよかったとも、、思う。
早々と法人にして
開業を促すには
あまりにも、
経営には向かない
医者バカだったと、、、
納得もある。

弟は国立がんセンターで
医師として団塊の世代の役割を果たした。

夫は、創世記のメンバーとして
社会の医療に参加し続けている、

息子は、独身で41歳も目の前なのに
仕事に明け暮れて頑張っている、

長男は、夫婦共働きで
孫を育てている。

菊の花のように、花弁の各自は独立しているのに

花として、まとめる力を発揮する者がいなかった。

医師も、薬剤師も、多くの免許職も、
遺産相続のできない一代きりの
身に着けたスキルだけに、

高級を全部、さらに家族の応援を巻き込んで
10年ごとに
ヴァージョンアップするエネルギーを喰う
医師というスキルの必要なアスリート。

世間の風評は、
像さんが、たくさん藁を喰うと
羊さんが騒ぐ、

かしこい巻場の
訓練された犬たちが、

羊を束ね、毛を刈る。
風評被害のふさふさ毛の医師の奥さんは
毛を刈ると
アバラが出るほどやせていた。

羊さんたちの風評は
ほどほどに信じないと、
実態は、魑魅魍魎を世に放つ。


ところが、、、
医師を天職として
家庭は寝床だった夫は、、、今も現役。

エネルギーは一定である。
雑事の時間は一切提供しない夫の生き方は
医師だから成り立った。

偉いから成り立ったのではなく、
医者バカに生きたおかげで、
患者さんは、今でも必要としてくれている。

今日も、何十年も前に手術をした方が
ことしで、20年が過ぎました。
お手紙が来る。

事務系、経営サイドが、合理的な医療の先導をしても、

損得抜きの信頼関係が、
真剣勝負だったであろう手術室を
伝えてくる患者さんの心は

一昔前の、「病気を診る」というより
患者さんや、
患者さんの置かれている責任の重さや
家族関係まで配慮した
昭和生まれの医師の凄さであると思った。

20年後、30年後になっても、、、
大学で先輩医師らと執刀した
重病だった少年の親が
息子の今を、生き生きと手紙につづって知らせてくれる。

夫としては
失格に近い夫ですが、

医師として、75歳になっても、
お手紙で
、お知らせが来る
感謝をいただける職業は
私は代わってすることはできない。

経験が物言う臨床医は
家を振り返らないのは、
仕方がなっかた。

この年になったから、、、わかってあげられる

貴重な、、
10年しかないかもしれない残された?時間を
ぶれることなく
医療に、診療に
ささげている、

医師の現役として、
患者さんの支えになれるうちは

理想のサザエさん住宅は、
リタイヤしてからでもと、
先延ばしにしていた。
時間が速く飛んで行った。

仕事バカが、人生の相棒になってる以上
私の夢は、しょてっぱなから無理だったかも?

私も、、、70歳を過ぎました。

何がなんやらわからない忙しい人

魑魅魍魎の、姿なきロクロッ首に
申し上げたい。

日本の未来の幸せのために、
私の夢だったこの土地を
世間様に還そう、、、
信じよう、、、役に立たんだと。

70歳を過ぎた今、
具体物のいらない夢を追いかけよう、、、

魑魅魍魎とは、、、
光陰矢の如し、、
時間の速さに気が付くのが遅かった。、
タイムアップの、出来事かもしれません。