私は、僕は、俺は、、、若いという気持ち
老人は若き日の連続で、、、当たり前のように
漁に出かけました。
若き日の連続で、大きな魚を捕り、
老人の体の一部のボートに、獲得の感動と獲物を
しっかり、、、くくりつけて、港に戻ってきました。
若き日と違うのは、、、港に着いたときは
老人の努力の賜物の、「感動と獲物」は
老人ごと「獲物」と狙う大海原の悪魔の使いの刺客によって
港に着いたときは、、、骨だけでした。
「ヘミングウェイ」さんには、嘆かわしい読者の私ですが、
子供の頃に見た「映画のシーン」が、映像文化となって
私の人生観に付きまとったシーンです。
でも、、、きっと老人は、「獲物をしとめた瞬間」が総てであったから
人のものを横取りするシステムの敵には、、、無感動に
夕日の美しさだけが、、、目に沁みていたでしょう、、、きっと。
海には、、、魔物ばかりが住んではいません。
「日本丸」という、
誰もが大好きになるでしょう「レディ」の魅力の微笑みにに負けて
利尻、羅臼、知床を4日間で、遅すぎる夏休みを楽しんできました。
費用???、、、そんな、、、ヤボナ、、、10万とちょっと。
本州の台風の海と比べれば、
北の海は、少々波が荒いかな?、、、という
スリルと、好奇心の出向でした。
多くの専門家の知恵と、歴史と、世界の港を巡るスケールは
10万前後の費用でのツアーは、「渡りに船」そのもののようです。
人生の仕事をやり終えたと思われるご老人達に混じって、
何十年もの間、
一度は乗ってみたいと思っていた「日本丸」!
40年以上過ごした、『第2の故郷「北海道」を』
大海原の波の向こうから、
今日こそ、心往くまで見つめたのでした。
日本海の水位が高いからでしょうか?
それとも、
海流の交差する温度差などのもたらす風のせいでしょうか?
幾度となく、波しぶきを3階のデッキあたりまで掻き分け
風速16メーター前後の風が
「北海道だーゾー、、、、オホーツク海だゾー」と
潮がもがリ笛を吹き続ける9月でした。
真夜中の「宗谷の岬の灯台が神の光のように大きく見えました。」
誰もいないデッキに出て船に打ち付ける白い波しぶきを眺めていた。
空が荒れ、海が荒れているわりには、何とかデッキにしがみついて
千鳥足で甲板を歩けるのは、、、すごい安定感だ。
明治の時代に27歳で「サンフランシスコ」に往くために
3ヶ月かかって、太平洋を横断した祖父が、
嵐の日に、体をマストに縛り付けて、祈ったと
恐怖の渡航を、孫の私に話してくれたときの
波しぶきのような迫力が、目に浮かび
良い時代が来たものだと思った。
日本丸には、ショウーや
カジノや
ビンゴや
マージャンや
図書館や
大浴場もあり
船が面白くって、船そのものを探検しているうちに
時間は飛んだ。
船のイベントで、おとなしくショウだけは拝見したが、
それ以外は、海の変わる景色ばかりを観ていた。
北海道を、外の視点から眺めると、自然そのものですね、、、!
世界遺産になった理由がわかるような、
ダイナミックな自然ですよね!。
ブルジアレベルのキャビンは上のほうにあり
私のキャビンは3階なので、
豪華なドレスのご婦人とすれ違うことも無く
のびのびと、カジュアルスタイルで、
リラックスな、マイペースの時間を過ごせた
このまま、
アラスカとか、北極に行けたら
どんなに素晴らしい人生の優秀の思いを抱いて、
地球から旅立てるだろうか?!
欲望の悪魔にせっかくゲットした、心の幸せを骨にされては大変です!
利尻島めぐり、羅臼、、知床の、、、北海道の心の魚をしっかりと護り、
孫子の待つ札幌へ「心の獲物を分けて、食卓を囲まなくっちゃ!」
夢は夢!、、、足ることを知らねば、、、ばちが当たるほど
満足感のある、優雅な船、「日本丸体験、60代最後の旅」でした。
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豪華客船ごと、介護施設のユートピアの船が出来たら、
世の中のビップなご老人は、、、
「芭蕉になれますね!」
船に乗って、、、夢は星の海を、、、駆け巡る
商品になった人生か?
芭蕉になれた人生か、、、
君しだいである、、、、、
そんな声が、、、波間から聴こえてきた旅であった。