大人に負けるな!

弱者のままで、世界を変えることはできない

不老の達人 佐川幸義

2011-05-05 11:49:34 | 奇跡の人々(人物辞典)
 人の体は、どんなに努力しても、年齢を重ねると共に衰えていくと考えられている。老化対策とは、事実上いかに経年変化を遅らせるか、といった消極的なものにならざるを得ない面がある、と思われている。
 しかし、この平成の日本に、若いころの実力を維持するどころか、95歳で亡くなるまで強くなり続けた武術家がいた、といったら、あなたは信じられるだろうか?

 その老人の名は、大東流合気武術宗範、佐川幸義。「合気」と呼ばれる、日本武道独自の秘技を極めた名人だった。
 同じ合気でも、合気道の創始者である植芝盛平などと比べると、知名度は比較にならないほど低いが、実は、専門家の間では「おそらく、日本の武術史上最強の実力者であろう」とまでいわれている、不世出の達人だった。もちろん、歳晩年に至るまで、立ち合いで負けたことなど一度もない。

 自らも抜刀道五段の腕前で、日本中の武術家を訪ね歩いた歴史作家津本陽の証言
「佐川宗範には一番驚いた、宮本武蔵や塚原卜伝の世界そのものだ」

孤塁の名人―合気を極めた男・佐川幸義
津本 陽
文藝春秋




 武術研究家として東洋中の達人を訪ね回った松田隆智の証言
「あんな人は、大陸にもどこにもいない。宮本武蔵より上じゃないか」

秘伝日本柔術
松田 隆智
壮神社




 運動科学総研所長で、自らも合気の達人である高岡英夫の証言
「20世紀の武術界では、唯一佐川師だけが、いにしえの達人たちに匹敵するレベルにあった」

合気・奇跡の解読
高岡 英夫
ベースボールマガジン社




 三者の、武術への造詣の深さをご存じの方であれば、この賛辞がどれほどの価値を持つものであるか、ご理解いただけると思う。

 佐川本人は、年齢について生前こう述べていた。

「衰えを歳のせいにするから進歩が止まってしまう」
「合気は技術だから、体さえ動けば何歳になってもできる。むしろ理が深まるからだんだん上手になる」


 男子なら、誰もが一度は、強い男に憧れる。そして、強くなりたいと願う。だが、そのやんちゃな願望を、成人してもなお保ち続ける人は稀だ。まして、老境に差しかかれば、肉体の衰えに直面し、諦めない人などまずいない。どんな達人であっても。
 しかし、ここにただひとり、この最も単純で無骨な夢を、人生の全てをかけて、死ぬまで追い続けた男がいた。これはひょっとして、史上最も純粋な男子の物語である。



   ◆佐川幸義の生涯◆

 佐川はもともと、近代日本最高の達人と評価されている、大東流合気柔術・武田惣角の内弟子だった。少年時代に惣角と出会い、小柄ながらも凄まじい強さを見せるその姿に憧れ、周囲の反対を押し切って弟子入りしたのだった。

 惣角は、全国を点々としながら講習形式で自分の技を教授していた。合気道の植芝盛平も、そうした弟子のひとりだった。しかし佐川だけは、惣角に随行して講習を補佐し、誰にも増してその妙技を間近に見続けてきた。代理教授も許されている。

 つまり、合気道をはじめ、今日に惣角の合気を受け継ぐ流派は数多いけれども、正統の後継者と呼べるのは、佐川幸義ただひとりだろう。事実、一度は大東流の宗家を継いでいる。しかし、佐川は武田家に遠慮して後にこれを返上し、宗範を名乗っている。

 晩年の師・惣角は腰も曲がり、歯は一本も残っていなかったが、技のキレはいっこうに衰えなかった。84歳で病に倒れて半身不随となったが、その後も片手で柔道六段の男を投げ飛ばして、新聞にも報道された。
 他の武術であれば、こんなことは考えられない。しかし合気だけは、表面的な老化とは無関係に上達し続けられる。惣角は、それを身を以て示したのだった。

 惣角は、文字通り生涯現役を貫いた。こうした師の姿を目の当たりにしたことが、自らも中年に差しかかろうとしていた佐川に、「まだまだ強くなれる」という勇気と確信を与えたのだろう。
 人生を懸けられる師匠ほど得難いものはない。もし、他の武術家に師事していたなら、いかに素質があろうと、後の佐川幸義はなかっただろう。

 佐川はいくつになっても、若いころからの鍛練を止めようとしなかった。師の惣角が没しても、相変わらず全国で指導を続けた。
 50歳のときには、右脚の神経がマヒして何も感じなくなったことがあった。しかし、そんな状態でも合気はできた。一月ほどすると、ひとりでに治ってしまったという。

 60歳を過ぎても、佐川は毎日3000回足さばき(回れ右の動作)の鍛練を続けていた。ほかに剣、棒、槍なども全て続けていた。受け身、屈伸運動なども欠かさず、毎日1時間半は鍛練に費やしていた。何でも1000回単位で毎日続けていた。

 普通なら、とっくに引退して楽隠居を決め込むか、弟子の育成に専念している年代である。しかし、佐川はあくまで、一修業者であることにこだわり続けた。佐川の胸には、いまだに少年時代に見た、師匠の凄まじいばかりの強さが焼き付いて離れなかった。

「僕も、あんなふうに強くなりたい」

 佐川は、ただその夢を追い続けていただけだった。他には何も求めなかった。その愚直さが、ついに奇跡を呼ぶ。



 佐川は、齢68歳にして、師の惣角にもできなかった、触れただけで多数の相手を飛ばす新たな合気を発見する。軽く触れただけで、壮年の屈強な弟子たちを、まとめて何メートルも吹っ飛ばすのだ。小指1本で抑え込むことさえできた。

 因習の深い伝統武術の世界で、弟子が「師匠を超えた」と公言するのは、よくよくのこと。まして、佐川の師匠はあの武田惣角である。普通は、その権威があれば宣伝には十分だ。それほどまでに、新たな合気は、目に見えてレベルが違ったのだろう。

 惣角の合気は、つかんできた相手のバランスを崩すもので、もともと佐川は若いときからそれを無力にすることができた。普通ならそれだけで十分満足だろうが、佐川はそれでも飽きたらずに試行錯誤を重ね、齢70近くになって、ついに師を超える技を会得したのだった。呆れるほどの、強さへの執着がもたらした奇跡だった。

 したがって、
「佐川幸義のアスリートとしてのピークは、70代以降」
 常識ではありえないことだが、そう考えるほかない。

 体だけでなく、頭のほうもいっこうに衰えを知らなかった。

「70代のときが一番進歩した。70代は人生で一番研究がはかどる」

 実際、70代で「大定理」を発見して以来、佐川はそれまでの合気の方法をほとんど一新してしまった。人間、70歳を過ぎてから、それまでうまくやってきたものを変えることは、まずできない。これは、佐川の精神がいわゆる「年寄りの保守性」と無縁であり、少年のような未知への探求心を抱き続けていたことを意味している。

「昔の真似をするだけではダメだ。大東流にしたって昔は空手やボクシングがなかったからそれに対する技術はなかった。伝統でも悪いものを捨てて工夫を重ねなければ進歩がない」

 伝統武術家とは思えない、まるで学生のような、革新的な考え方である。実際に、他の武術の研究にも余念がなかった。精神がどこまでも若々しかったからこそ、肉体がそれにともなっていたのだ。

「70歳までに体を作ってしまえば、80歳を過ぎても全然衰えない」

 事実、着替えを目撃した者の話によると、佐川の体は80歳当時でも少し脂肪がついているくらいで、とても老人の体には見えなかったという。
 ボディビルの世界でも、シニアで70歳を過ぎたご老人が、逆三角形の見事な肉体を披露している。確かに、若いビルダーのように太い筋肉ではないが、美しくバランスのとれた筋肉である。正しい方法でトレーニングを重ねれば、20代水準のスタイルを保つことは、決して不可能ではない。



 佐川は、毎日24通りの鍛練を、80代でもなお続けていた。83歳のときには、腕立て伏せを午前中だけで1300百回やったというエピソードもある。

「10歳くらいで武田惣角に弟子入りしてから今まで、自主トレを休んだのは3日しかない」
 これは、86歳のときの証言である。

 佐川は、決して生まれついての天才だったのではない。むしろ生来は虚弱であり、それを直すために父親に無理矢理武道をやらされたのが最初だった。
 そして、生涯の師である惣角に出会い、誰よりも熱心に、ずっと鍛練と創意工夫を重ねてきた。間違いなく、世界中の誰よりも。
 佐川は、「毎日の鍛練」という、武術家として当たり前のことを、当たり前に続けてきただけだった。しかしそれがいかに難しく、尊いことか。

 偉人とは、当然のことを当然にできる人のことに他ならない。楽をして成功した人間など、どこにもいない。絶対にいない。

 八角棒の素振りも毎年30万回、1日にして800回以上、休まずに続けていた。そうした膨大な自主トレメニューを午前中で終わらせて、午後からは弟子たちに稽古をつけていた。武術三昧の老後だった。
 まさに、強さへの激烈かつ狂的な熱情が為させる業だろう。

 佐川は87歳のときに心筋梗塞で倒れ、一月ほど入院したことがあった。これは、佐川の100年近い人生の中で、病気らしい唯一の病気だった。しかし、退院後にすぐさま稽古を再開し、その技にも全く衰えはなかったという。その前後には、

「最近、記憶力が悪くなった。44年前に訪ねた知人の家への道順が思い出せない」

 そうぼやいていたそうだ。悪くなってそれだから、それまでの頭の冴えがどれほどのものだったのか、とうてい想像もつかない。

 90歳で再検査を受け、心拍数を計るために何か運動するように医師にいわれると、その場で腕立て伏せを150回やって医師を唖然とさせた。しかし、心拍数はほとんど上がらず、心筋梗塞の痕跡さえ残っていなかった。

「92歳の今では、退院した当時とは比較にならないほど技が進歩している」
「この歳でも、こんな簡単なことに気づかなかったのかと思うときがある。合気にしても、私が気づいていないことはいくらでもある」
 90を過ぎてなお、武術家としての佐川は成長期であり、いよいよ探求心を深めていった。



「課題があれば、徹夜してでもその日のうちにできるようにしてしまう。決して先送りにしない。みんな明日でいいと思うから、いつまでもできないんだ」

 これは、あらゆるジャンルを見渡しても、成功した人が共通して持っている性質である。いったんある課題に取り組んだら、時を惜しみ、集中して一気に成果を出してしまう。
 常人の感覚からすると短気に思われるが、これは、成果を挙げる人々に共通する性質なのだ。成功者は、ある意味で短気である。時間の貴重さを理解しているのだ。
 1日でできることに2日かけても、たいして違わないかもしれない。しかし、それが10年、20年積み重なったときには、どれほどの差がつくことか。
 まして、佐川にとって残された時間はわずかだった。武術の奥義を極めたいという執念が、かろうじて肉体を支えていたといってもいい。

 晩年の佐川は、鉄下駄、ハンマー、鉄棒などを用いて鍛練を重ねていたのだが、ハンマーなどは8キログラムもあるもので、これを片手で振って鍛えていた。徐々に重くしていったら、この歳でこの重さになってしまったのだという。
 ただし、決して力づくではなかったという。本人はほとんど負荷を感じていなかったらしい。

「鍛練で無理をしてはいけない。体を壊してしまう。頭を使え」
「全力を出してはいけない。何割かの力で無理なく相手を制することができなくてはいけない」


 佐川は、これほどの重さを、何の苦もなく扱うことができたのだった。

 医師が、佐川が合気をかけたときの心拍数を計測したこともあったが、何の変化も見られず、心肺に全く負担をかけないで相手を吹っ飛ばしていることが裏づけられた。
 この「力まない力」を、佐川は「透明な力」と名付けていた。

 佐川と組み合った人の証言によると、力みは全くないのに、その体はまるで鋼のように高密度に感じられて、まるで自分が紙のように薄っぺらになってしまったようだったという。
 これは、表からは見えない体の奥の筋肉群が、信じられないほど鍛え抜かれていたからだろう。こうした深部の筋肉は、表面の筋肉と違い、死ぬまで発達させ続けることが可能だと思われる。

「自分が上達するために教えているんだ。人に教えて初めて気がつくことがずいぶんあった」

 佐川は、弟子たちに対して、常に本気でかかってくるように求めた。礼節を重んじる伝統武術の世界では、弟子が師匠に本気でかかっていくなど、普通なら絶対に許されないこと。
 しかも、佐川の弟子たちは、ほかの格闘技のチャンピオンでさえ歯が立たない、世間からすると怪物のようなつわものぞろい。歳も佐川に比べたら子どもか、孫ほども若い。
 それでも、佐川にかかったら、全員「100%の確立」で制されてしまった。道場の中でも、佐川の実力だけは、完全に雲の上だったという。

「握力計で計る力は、普通の人と変わらないよ」
「実は、左目は全く見えていないのだ」

 佐川は、その持てるエネルギーの全てを、ただ強くなるためだけに注ぎ込んだ。最晩年には、鍛練のし過ぎで腕の筋を痛め、蛇口を回すこともできなくなってしまった。プルトップも開けられなかった。それでも、技の切れはますます冴えていった。
 足腰が衰えて立つのが大変になれば、鴨居にぶら下がって蹴りの練習をしたり、座ったまま鍛練する方法なども試した。椅子に座ったまま相手を投げ飛ばす技なども考案している。年々増してくる日常生活のハンディさえも、佐川にとっては新たな創意工夫のきっかけに過ぎなかった。

 佐川は、95歳で他界する前日まで、弟子に稽古をつけていた。その技は、今までにも増して強烈なものだったという。高弟の木村達雄筑波大学数学教授は、20年も稽古してきたが、このとき初めて受け身を失敗し、3度も頭を打ったと述壊している。

 強くなりたい。
 少年時代の夢を追い、100年近くを費やして、それでもまだ見ぬピークに向かい続けたまま、佐川幸義は天に帰っていった。





佐川幸義直伝の合気を体得した木村達雄師


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ブックマークに登録させて頂きました (KOJI)
2005-09-07 14:07:23
コメントありがとうございます。



誠に勝手ながらブックマークに追加させて頂きました。



何か問題がございましたらご連絡くださいませ。



宜しくお願いいたします。
出会い (出会い)
2009-01-06 16:17:19
出会い放題-出会える出会い系サイト- http://www.biotechcgi.com/
武田惣角 (池月映)
2011-06-05 12:08:08
 現在、武田惣角の三作目を書いております。木村達雄さんの作品を読んで、合気の理論は近村の易者が教えたことを解明したのが、「合気の発見」です。
 地元会津では、惣角は正式に大東流すら名乗れなかった。身分も史実も美化され、今でも奇人変人のままです。
 昨年、武田時宗遺稿集が発表され、私が指摘したとおり、天台宗(新羅三郎、保科近悳)ではなく、真言密教の瞑想、神通力、九字護身法を修行しました。
 佐川さんの厳しい鍛錬は、密教よりも修験道と似ていますが、二人とも最終的に同じレベルの技に達します。これは、気功・密教の身口意の理論で、天才的な能力のある人だけが到達できるものだと思います。
厳島神社の元神探究 (安芸人)
2012-04-28 23:36:59
 島根県安来市に今から100年前の大正年間、古墳時代の大刀が奇跡的に出てきたという内容をたどって調査してきました。そうすると厳島神社の本宮がここにかつてあり、岐戸大神であることが神社めぐりでわかってきました。司馬遼太郎が昔書いた「生きている出雲王朝」というものを書きましたが。そこにもクナトの神の子孫という出雲大社周りにある神社の神官の話がありました。本当に古代出雲とは謎が謎呼ぶ地域ですね。
Unknown (武田 神埜丞)
2012-08-10 14:36:54
佐川君か、懐かしいな。佐川は私が教えたのだよ。合気とは、催眠術なのだ。

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