写真 ニュートンのデスマスク
彼は、中学時代まで、クラスでも一番の落ちこぼれだった。
それが、「あるきっかけ」を期にめきめき成績を伸ばし、昔も今もイギリスの、いや世界の最高学府であるケンブリッジ大学に、特待生として入学してしまった!
しかも、これはほんの序章に過ぎなかった。その上、彼は卒業後すぐ母校の教授となり、ガリレオ・ガリレイ以来の、最も偉大な天才の道を歩む。
この落ちこぼれの名は、アイザック・ニュートン。
あなたのクラスにも、一番の落ちこぼれがいただろう。もし、その彼が、東大に現役でやすやすと合格してしまったとしたら。その上、ホーキング以来の偉大な天才になってしまったとしたら!
ニュートンの人生に起こったのは、つまりそういうことだった。同級生たちは、奇跡が起きたとしか思えなかっただろう。
どこにでもいる落ちこぼれを、歴史的天才に変えてしまった「秘奥義」とは、いったい何なのか?
それは、「成功記憶の活用」にあった。
ニュートンは子どものころから、あまりにも集中力が強いため、考え事が始まると、他のことが目に入らなくなる傾向が強かった。卵をゆでようとして、時計をお湯の中に入れたのは、有名なエピソード。馬で小学校に通っていたのだが、馬を引いている最中に手綱が外れたのに気付かず、手綱だけ引いて帰宅したこともあった。
この時点では、ニュートンはいつも一人でボケーとしている物覚えの悪い少年と見なされ、中学まで、いつもクラスで最下位の成績だった。内気な性格で、友達と一緒に遊ぶことも苦手だったので、いつもいじめられていた。
そんな、ニュートンのみじめな人生に、一つの転機が訪れる。
成長期を迎えた彼は、ある日、いじめっ子に反撃し、逆にやっつけてしまった。ニュートンは、背こそ低かったものの、体つきはがっしりしていた。それまでは、「喧嘩しても勝てっこない」と、勝手に思い込んでいたようだ。
ニュートンは独りっ子で、近所に遊び相手もなく、喧嘩しようにもできない環境で生まれ育った。いや、学校に入るまでは、何かで他人と競争する機会そのものがなかった。
学校で生まれて初めて他人との競争に直面し、そこで彼は一番の劣等生と見なされた。それ以来、彼にとって、「他人は全て自分に優る存在」に写っていた。
しかし、初めて喧嘩に、他人との競争に勝利した瞬間、彼の中で「世界は逆転」した! この瞬間より、彼にとって、「他人は全て自分に劣る存在」となったのだ。
同級生に勝ったのではなく、「世界」に勝った。ニュートンは、そう信じた。
確かに、暴力は望ましくない。それはそれとして、この一件で「自分は誰よりも優れた存在だ」という信念を抱くようになった彼は、授業にも意欲を示すようになり、成績も見違えるように向上していった。そしてついに、最高学府のケンブリッジ大学に、特待生として入学してしまったのだ!
喧嘩と勉強では正反対だが、彼の中で、それはひとつに結びつくものだった。ニュートンの才能の源は、持ち前の「集中力」プラス「自信」だった。
自信を持つには、とにかく「自分を誉めちぎる」ことである。いくら周囲が誉めてくれても、肝心のあなた自信が自分をクズ扱いしているようなら、何をしてもムダ。まず、あなたがあなたを誉めないで、誰が誉めてくれるだろう?
「周りが誉めてくれないから悪い」などという認識は、甘えである。現実は厳しい。親も教師も、あなたの短所ばかりを指摘し、自信を潰す方向に働きかけてくる。現実とはそういうものだ。
だからこそ、自分で自分を誉め讃え、自信をつける癖をつけることが必要なのだ。周りではない。あなたが落ちこぼれのままでいるのは、すべてあなたの責任なのだ。あなたが、あなたを最高の存在だと信じられないからなのだ。
ともあれ、ニュートンの例は、「自信」と「意欲」が、「能力」といかに密接な関係にあるかを、この上無く顕著に示している好例といえるだろう。
ケンブリッジの特待生となれるほどの能力を秘めていた彼でさえ、教師から最下位の成績を付けられたために、「自分はできない」と思い込んでいた。
自信が無いから、「勉強してもどうせ無駄」と思い、意欲も湧かない。
そしてますます勉強しなくなり、学力は伸びなくなる、という悪循環にはまっていた。
本来、教師の役割とは、この悪循環を断ち切ることに他ならない。だが、ニュートンの教師は、彼に落ちこぼれのレッテルを貼ることで、あやうく物理学の歴史を変える大天才を潰すところだったのだ。初等教育に携わる教師が、いかに重大な責任を担っているかを痛感させられる。
僕も、かつて中学生の家庭教師をやっていたとき、あるひとつの教科について誉めたら、次のテストで倍も点を伸ばし、こっちが驚かされた経験がある。それに僕自身も、中学時代に国語の顧問からおだてられ、エッセイを書いて文学賞に入賞したことがあった。素晴らしい先生だった。
ちなみに、ピカソはアルファベットの順番も覚えられないほどの超劣等生だったのだが、ピカソの両親は、
「あなたはローマ教皇だって何だって、何でもなりたいものになれる」
そう誉めちぎっていたという。
親が親馬鹿なのは当然として、教師も馬鹿みたいに生徒を誉め、自慢するくらいで丁度いい。生徒を伸ばすには、偏差値のような客観的な評定など、あまり役に立たない。多少の欠点には目をつむり、長所を過分に誉め讃えるくらいで丁度いい。
人間には、過去の記憶のうちで、成功より失敗の記憶を、より多く思い出す傾向があるらしい。記憶を直接再現するのは、右脳である。右脳は本来臆病なので、失敗記憶を繰り返し思い出し、くよくよする傾向が強い。これが度を越すと鬱病になり、失敗しか思い出せなくなる。
人間の潜在意識には、記憶にインプットされた行動パターンを繰り返す性質がある。同じ人が同じような成功や失敗を繰り返すのは、そのためだ。失敗記憶ばかり思い出す人(8割以上はそうだろう)は、無意識のうちに記憶の中の失敗を繰り返してしまう。こうしてますます失敗体験が重なり、それを繰り返し思い出し……という悪循環に陥ってしまう。
例えば、拳ひとつで4億ドルを稼ぎながら、自己破産したマイク・タイソンなどは、かなり強い貧困の記憶に囚われているのだろう。だがニュートンも、最初は同じだったのだ。どんな落ちこぼれでも、必ず変わることができる。
だから逆に、成功記憶を繰り返し思い出す癖をつければいい。これは左脳を使い、「意識して」思い出さねばならない。無意識のうちに湧き出る記憶に受け身でいれば、どんどん成功から遠ざかっていく。
いつのまにか散らかった部屋は、いつのまにか片づかない。同じように、失敗は、意識せずには排除できない。成功は、意識しなくては組み立てられない。思い出したいことをキチンと言葉にし、成功記憶の再現に意識を集中することが必要だ。
「今まで生きてきた中で最高の出来事」
「一番嬉しかったこと」
「楽しかったこと」
「愛に満ちていたひと時」
スローガンは、具体的であればあるほどいい。それを基準に、絶好調のときの記憶を、たったひとつでもいいから、繰り返し繰り返し、思い出す。すると、潜在意識はそれを勝手に再現してくれる。こうして成功が繰り返され、ますます自身と意欲が湧く。「失敗スパイラル」が「成功スパイラル」に大逆転するのだ。
特にお勧めなのが、「最初の成功」を思い出すこと。人間、初体験は何事も鮮明に覚えているものだ。
僕も、初めて補助輪なしで自転車に乗れたときのことを、いまだにハッキリ覚えている。日の落ちた薄暗い庭を、いつまでもグルグルと回っていたことを。
その後、数え切れないほど自転車の運転に「成功」しているのに、これほどの印象はない。それだけ、初体験の印象は強烈なのだ。
初体験が失敗だったという人は、成功した時点を初体験に位置づければよい。ニュートンがよいお手本だ。
このような技法は「回想法」と呼ばれていて、若返りホルモンであるDHEAの分泌を活発にすることも確かめられている。
回想法の優れた点は、それ自体が楽しい作業であるため、どんなに意志の弱い人でも、容易に習慣化できることにある。つまり、生まれてからずっと失敗癖につきまとわれてきた人でも、容易にこれを転換し、成功癖をつけることが可能なのだ。ニュートンのように。
たったひとつでもいい。ささやかな成功体験さえあれば、人間はあれほどまでに変われるのだ。「生まれてから一度も成功したことがない」とは、誰にもいわせない。
あなたは、すでに成功の種を持っている。
これは全く架空の成功イメージでも代用できるが、記憶に匹敵するほど具体的なイメージを思い描くには、訓練が必要になる。具体的なイメージでないと、潜在意識をだませない。だから、最初は現実の成功記憶を利用したほうがいい。
それに慣れてきたら、今度は成功記憶を膨らませ、尾ひれをつける。例えば、「過去最高点が80点なら、それを90点にする」というように。
誰でも、過去にやり残したことがあるだろう。現実の時間は戻せない。しかし、イメージは時間を超越している。イメージの中で人生をやり直すことは、十分に可能なのだ。それは、真の記憶と同等の影響力を持つ。「こうなればもっとよかった」という方向に、記憶を「修正する」のだ。
それでも、ゼロからイメージを創るよりは容易なはず。これが記憶として固定されれば、潜在意識はその「経験」をオートで繰り返してくれる。すなわち、成功癖がつくのだ。
スポーツなどは、特に顕著な効果が出る。いまや、イメージトレーニングはアスリートの常識である。単純な反復練習より、成功イメージの繰り返しのほうが効果が高いという統計も出ている。
僕はバスケでどうしても左ハンドのダンクができなかった。何度やっても、高さは足りているのに、なぜかボールがゴールに入らないのである。
そこで、チャレンジする前にフォームをイメージしてからやってみた。すると、今度は「一発」で成功してしまった!
この場合はすぐに効果が出たが、たいていはそんなにうまくいかない。大事なのは「繰り返す」ことにある。繰り返しによる暗示効果の高さは、すでに知られている通り。
集中力に優れたニュートンの場合、このような自己暗示が極端に上手かったと思われる。たぶん、
「自分はずっと、誰よりも優秀な生徒だった。ただ、これまで周りが気付かなかっただけだ」
という成功記憶を創作し、潜在意識に植えつけることに成功したのではないだろうか。これが定着すれば、落ちこぼれのままでいることは、むしろ難しくなる。
仮に喧嘩がきっかけで自信を持てたとしても、その成功感覚を勉強の成功につなげるのは、容易なことではない。あるいは、そこが天才の天才たるゆえんなのだろうか。
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彼は、中学時代まで、クラスでも一番の落ちこぼれだった。
それが、「あるきっかけ」を期にめきめき成績を伸ばし、昔も今もイギリスの、いや世界の最高学府であるケンブリッジ大学に、特待生として入学してしまった!
しかも、これはほんの序章に過ぎなかった。その上、彼は卒業後すぐ母校の教授となり、ガリレオ・ガリレイ以来の、最も偉大な天才の道を歩む。
この落ちこぼれの名は、アイザック・ニュートン。
あなたのクラスにも、一番の落ちこぼれがいただろう。もし、その彼が、東大に現役でやすやすと合格してしまったとしたら。その上、ホーキング以来の偉大な天才になってしまったとしたら!
ニュートンの人生に起こったのは、つまりそういうことだった。同級生たちは、奇跡が起きたとしか思えなかっただろう。
どこにでもいる落ちこぼれを、歴史的天才に変えてしまった「秘奥義」とは、いったい何なのか?
それは、「成功記憶の活用」にあった。
ニュートンは子どものころから、あまりにも集中力が強いため、考え事が始まると、他のことが目に入らなくなる傾向が強かった。卵をゆでようとして、時計をお湯の中に入れたのは、有名なエピソード。馬で小学校に通っていたのだが、馬を引いている最中に手綱が外れたのに気付かず、手綱だけ引いて帰宅したこともあった。
この時点では、ニュートンはいつも一人でボケーとしている物覚えの悪い少年と見なされ、中学まで、いつもクラスで最下位の成績だった。内気な性格で、友達と一緒に遊ぶことも苦手だったので、いつもいじめられていた。
そんな、ニュートンのみじめな人生に、一つの転機が訪れる。
成長期を迎えた彼は、ある日、いじめっ子に反撃し、逆にやっつけてしまった。ニュートンは、背こそ低かったものの、体つきはがっしりしていた。それまでは、「喧嘩しても勝てっこない」と、勝手に思い込んでいたようだ。
ニュートンは独りっ子で、近所に遊び相手もなく、喧嘩しようにもできない環境で生まれ育った。いや、学校に入るまでは、何かで他人と競争する機会そのものがなかった。
学校で生まれて初めて他人との競争に直面し、そこで彼は一番の劣等生と見なされた。それ以来、彼にとって、「他人は全て自分に優る存在」に写っていた。
しかし、初めて喧嘩に、他人との競争に勝利した瞬間、彼の中で「世界は逆転」した! この瞬間より、彼にとって、「他人は全て自分に劣る存在」となったのだ。
同級生に勝ったのではなく、「世界」に勝った。ニュートンは、そう信じた。
確かに、暴力は望ましくない。それはそれとして、この一件で「自分は誰よりも優れた存在だ」という信念を抱くようになった彼は、授業にも意欲を示すようになり、成績も見違えるように向上していった。そしてついに、最高学府のケンブリッジ大学に、特待生として入学してしまったのだ!
喧嘩と勉強では正反対だが、彼の中で、それはひとつに結びつくものだった。ニュートンの才能の源は、持ち前の「集中力」プラス「自信」だった。
自信を持つには、とにかく「自分を誉めちぎる」ことである。いくら周囲が誉めてくれても、肝心のあなた自信が自分をクズ扱いしているようなら、何をしてもムダ。まず、あなたがあなたを誉めないで、誰が誉めてくれるだろう?
「周りが誉めてくれないから悪い」などという認識は、甘えである。現実は厳しい。親も教師も、あなたの短所ばかりを指摘し、自信を潰す方向に働きかけてくる。現実とはそういうものだ。
だからこそ、自分で自分を誉め讃え、自信をつける癖をつけることが必要なのだ。周りではない。あなたが落ちこぼれのままでいるのは、すべてあなたの責任なのだ。あなたが、あなたを最高の存在だと信じられないからなのだ。
ともあれ、ニュートンの例は、「自信」と「意欲」が、「能力」といかに密接な関係にあるかを、この上無く顕著に示している好例といえるだろう。
ケンブリッジの特待生となれるほどの能力を秘めていた彼でさえ、教師から最下位の成績を付けられたために、「自分はできない」と思い込んでいた。
自信が無いから、「勉強してもどうせ無駄」と思い、意欲も湧かない。
そしてますます勉強しなくなり、学力は伸びなくなる、という悪循環にはまっていた。
本来、教師の役割とは、この悪循環を断ち切ることに他ならない。だが、ニュートンの教師は、彼に落ちこぼれのレッテルを貼ることで、あやうく物理学の歴史を変える大天才を潰すところだったのだ。初等教育に携わる教師が、いかに重大な責任を担っているかを痛感させられる。
僕も、かつて中学生の家庭教師をやっていたとき、あるひとつの教科について誉めたら、次のテストで倍も点を伸ばし、こっちが驚かされた経験がある。それに僕自身も、中学時代に国語の顧問からおだてられ、エッセイを書いて文学賞に入賞したことがあった。素晴らしい先生だった。
ちなみに、ピカソはアルファベットの順番も覚えられないほどの超劣等生だったのだが、ピカソの両親は、
「あなたはローマ教皇だって何だって、何でもなりたいものになれる」
そう誉めちぎっていたという。
親が親馬鹿なのは当然として、教師も馬鹿みたいに生徒を誉め、自慢するくらいで丁度いい。生徒を伸ばすには、偏差値のような客観的な評定など、あまり役に立たない。多少の欠点には目をつむり、長所を過分に誉め讃えるくらいで丁度いい。
人間には、過去の記憶のうちで、成功より失敗の記憶を、より多く思い出す傾向があるらしい。記憶を直接再現するのは、右脳である。右脳は本来臆病なので、失敗記憶を繰り返し思い出し、くよくよする傾向が強い。これが度を越すと鬱病になり、失敗しか思い出せなくなる。
人間の潜在意識には、記憶にインプットされた行動パターンを繰り返す性質がある。同じ人が同じような成功や失敗を繰り返すのは、そのためだ。失敗記憶ばかり思い出す人(8割以上はそうだろう)は、無意識のうちに記憶の中の失敗を繰り返してしまう。こうしてますます失敗体験が重なり、それを繰り返し思い出し……という悪循環に陥ってしまう。
例えば、拳ひとつで4億ドルを稼ぎながら、自己破産したマイク・タイソンなどは、かなり強い貧困の記憶に囚われているのだろう。だがニュートンも、最初は同じだったのだ。どんな落ちこぼれでも、必ず変わることができる。
だから逆に、成功記憶を繰り返し思い出す癖をつければいい。これは左脳を使い、「意識して」思い出さねばならない。無意識のうちに湧き出る記憶に受け身でいれば、どんどん成功から遠ざかっていく。
いつのまにか散らかった部屋は、いつのまにか片づかない。同じように、失敗は、意識せずには排除できない。成功は、意識しなくては組み立てられない。思い出したいことをキチンと言葉にし、成功記憶の再現に意識を集中することが必要だ。
「今まで生きてきた中で最高の出来事」
「一番嬉しかったこと」
「楽しかったこと」
「愛に満ちていたひと時」
スローガンは、具体的であればあるほどいい。それを基準に、絶好調のときの記憶を、たったひとつでもいいから、繰り返し繰り返し、思い出す。すると、潜在意識はそれを勝手に再現してくれる。こうして成功が繰り返され、ますます自身と意欲が湧く。「失敗スパイラル」が「成功スパイラル」に大逆転するのだ。
特にお勧めなのが、「最初の成功」を思い出すこと。人間、初体験は何事も鮮明に覚えているものだ。
僕も、初めて補助輪なしで自転車に乗れたときのことを、いまだにハッキリ覚えている。日の落ちた薄暗い庭を、いつまでもグルグルと回っていたことを。
その後、数え切れないほど自転車の運転に「成功」しているのに、これほどの印象はない。それだけ、初体験の印象は強烈なのだ。
初体験が失敗だったという人は、成功した時点を初体験に位置づければよい。ニュートンがよいお手本だ。
このような技法は「回想法」と呼ばれていて、若返りホルモンであるDHEAの分泌を活発にすることも確かめられている。
回想法の優れた点は、それ自体が楽しい作業であるため、どんなに意志の弱い人でも、容易に習慣化できることにある。つまり、生まれてからずっと失敗癖につきまとわれてきた人でも、容易にこれを転換し、成功癖をつけることが可能なのだ。ニュートンのように。
たったひとつでもいい。ささやかな成功体験さえあれば、人間はあれほどまでに変われるのだ。「生まれてから一度も成功したことがない」とは、誰にもいわせない。
あなたは、すでに成功の種を持っている。
これは全く架空の成功イメージでも代用できるが、記憶に匹敵するほど具体的なイメージを思い描くには、訓練が必要になる。具体的なイメージでないと、潜在意識をだませない。だから、最初は現実の成功記憶を利用したほうがいい。
それに慣れてきたら、今度は成功記憶を膨らませ、尾ひれをつける。例えば、「過去最高点が80点なら、それを90点にする」というように。
誰でも、過去にやり残したことがあるだろう。現実の時間は戻せない。しかし、イメージは時間を超越している。イメージの中で人生をやり直すことは、十分に可能なのだ。それは、真の記憶と同等の影響力を持つ。「こうなればもっとよかった」という方向に、記憶を「修正する」のだ。
それでも、ゼロからイメージを創るよりは容易なはず。これが記憶として固定されれば、潜在意識はその「経験」をオートで繰り返してくれる。すなわち、成功癖がつくのだ。
スポーツなどは、特に顕著な効果が出る。いまや、イメージトレーニングはアスリートの常識である。単純な反復練習より、成功イメージの繰り返しのほうが効果が高いという統計も出ている。
僕はバスケでどうしても左ハンドのダンクができなかった。何度やっても、高さは足りているのに、なぜかボールがゴールに入らないのである。
そこで、チャレンジする前にフォームをイメージしてからやってみた。すると、今度は「一発」で成功してしまった!
この場合はすぐに効果が出たが、たいていはそんなにうまくいかない。大事なのは「繰り返す」ことにある。繰り返しによる暗示効果の高さは、すでに知られている通り。
集中力に優れたニュートンの場合、このような自己暗示が極端に上手かったと思われる。たぶん、
「自分はずっと、誰よりも優秀な生徒だった。ただ、これまで周りが気付かなかっただけだ」
という成功記憶を創作し、潜在意識に植えつけることに成功したのではないだろうか。これが定着すれば、落ちこぼれのままでいることは、むしろ難しくなる。
仮に喧嘩がきっかけで自信を持てたとしても、その成功感覚を勉強の成功につなげるのは、容易なことではない。あるいは、そこが天才の天才たるゆえんなのだろうか。
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具体的にこれをしたから成功したということを全く思い出せません。
この場合はどうやって成功体験を活かすべきでしょうか