先日、東奥日報の明鏡欄に表題の投稿(青森出身で仙台在住の35歳の男性)を拝見し心温まる思いを致しました。
中学一年生の時から新聞配達をしていて、ある時配達先のおばあちゃんと出会った時「おはようございます」の挨拶のきっかけで次の日「ご苦労様」と飴玉を三つくれたそうです。
それから毎日飴玉をいただきそれをなめながらの配達、いろんな味の飴玉があったが白いハッカ味は苦手だったようです。
高校三年生まで新聞配達は続き、大きな瓶の中にはその苦手な白い飴玉がたまってしまった。しかしなぜかそれを捨てる気ににはなれず、今も押入れの奥にしまい込んでいるとの事でした。
現在4歳の娘さんにいろんな味の入った飴玉の袋を手渡すと大喜びして赤や黄色の飴玉をおいしそうになめ、最後に白いハッカだけが残ってしまう。
それを見るたびに思い出すそうです。
ちなみに、私も少しの間でしたが新聞配達をしていた時期があり、ある年末一年間ご苦労様また来年もよろしくとの意を込めて新聞受けに「タオル」のプレゼントその心遣いは今も鮮明に記憶しています。 <純情派>
中学一年生の時から新聞配達をしていて、ある時配達先のおばあちゃんと出会った時「おはようございます」の挨拶のきっかけで次の日「ご苦労様」と飴玉を三つくれたそうです。
それから毎日飴玉をいただきそれをなめながらの配達、いろんな味の飴玉があったが白いハッカ味は苦手だったようです。
高校三年生まで新聞配達は続き、大きな瓶の中にはその苦手な白い飴玉がたまってしまった。しかしなぜかそれを捨てる気ににはなれず、今も押入れの奥にしまい込んでいるとの事でした。
現在4歳の娘さんにいろんな味の入った飴玉の袋を手渡すと大喜びして赤や黄色の飴玉をおいしそうになめ、最後に白いハッカだけが残ってしまう。
それを見るたびに思い出すそうです。
ちなみに、私も少しの間でしたが新聞配達をしていた時期があり、ある年末一年間ご苦労様また来年もよろしくとの意を込めて新聞受けに「タオル」のプレゼントその心遣いは今も鮮明に記憶しています。 <純情派>