えー…久々の「人間ボチボチ主義」です
今日は多分初めてブログに自分の心の話を書きますつまり重いです
なるべくライトに書くつもりですが
重いぞ とお覚悟あそばせ(笑)
ボチボチ主義をずいぶん書かないでいた間の心の話です
まぁ書かなかったのは書けなかった・・・というより書くことがなかったからですが
しかし心の方は沈没したり浸水したり凪だと思ったら一気にナイアガラ級に落ち沈んだりでしたよ
書くことがなかった というのは
つまり書くことで自分が感じていたつらさと向き合うことがつらかったから
なるべく肯定的なことをお気楽に書きたいですからねぇ(苦笑)
んで 本題
その最近までのつらさ というのが
ピーク時は「もう…この場に存在するだけでごめんなさい」レベルで
今までどんなにつらいことがあっても いや あったからこそ
その渦中で「こんなにつらくても 誰一人私の存在を抹消することは不可能だ」「私が存在(居る)ことは誰にも消せない」
という 存在することの絶対感という自信があったんですがー
今回はその存在することすら自分の中で危うかったです はい
これを言ったら・したら またなにか言われるんじゃないか
ケチをつけられまた怒られまた否定されるんじゃないか
何をしてもしなくてもイラつかれるんじゃないか
私が居るだけでも気にさわってイラつくんじゃないか
頭の中は
オマエはダカラダメなんだ オマエなんかオマエなんか…ダメなんだ 消えろ 居るな 邪魔だ 死ね 奴隷 なんてぇ言葉が何度もリフレインしてましてね
それが傍から見るとどう映っていたんでしょう
まだ元気バリバリだった私を知る古い友人は今の私を見て評します
「だからどうしてあんたそんなに卑屈になってるの?」
「なんかビクビクしてるし」
確かに… さすがに自分の根っこを作った時代からの友人はよく見透かしてます
主治医の先生によると
「いままでの話を総合すると、つまり立読師さんは今までずっと人の顔色をうかがって生きてきたんですよ。ご両親に対しても。そうやって36年間しのいで来たから、今抱えているストレスはそうした顔色をうかがう習慣が裏目に出ているんですね。これを今すぐ治す。ということは非常に難しいです。今までずっと蓄積してきた習慣ですから、いきなり顔色を伺うことを改めることは難しいんです。時間が、かかります」
ーーーーーー
人は恐怖や不安を克服する術として「理解する」「名づける」ということが出来ます
得体の知れない見えない存在に「幽霊」と名をつける「物理現象」の説明で理解する とかね
主治医の先生に言われた
「人の顔色を伺って生きてきた」
これは言葉として理性では受け入れがたいものでしたが
時間の経過と共に
あ、あれも これも その言葉で説明が出来る…と
まるで新しい方程式を実験事実で検証して確かめるようにして
自分の心の事実を近似する言葉に定着していきました
過去に傷ついた経験からあまりにも自分が傷つくことを恐れて
見えない他人の心を必死に読もうとして
的外れな答えを導いては誤った行動を起こして
結果 好意的だった人からでさえ
よけいに怒りを買う 嫌われる 誤解される…本人いじめられると怯える
そうして傷つけられることを恐れるあまり
また必死に空気を的外れに読む悪循環
一人で顔色を伺って疲れ果て 一人で疲弊していく生活が
ここ数年続いていたために
周りに理解されない(あたりまえだ)ストレスを抱え込んで苦しかったんだなぁ
今は不安感を覚え始めると
「あ これ…顔色伺ってない?」と
一回自分に問いかけます
そうすることで不安感がまったくなくなるわけではないんですが
少なくとも「コノ不安ハ事実トハ異ナル」という根拠を持ってして
不安の増幅をかなり抑えられるようになりました
不安感が増幅するとパニックを引き起こして行動が空回りしますから
そうすると期待するほど良いことはあまり起こらない
おしっこを極限まで我慢しながらの方が正しい動きが出来る…わけではないですね(苦笑)
ボチボチ良くなっています
今日は多分初めてブログに自分の心の話を書きますつまり重いです
なるべくライトに書くつもりですが
重いぞ とお覚悟あそばせ(笑)
ボチボチ主義をずいぶん書かないでいた間の心の話です
まぁ書かなかったのは書けなかった・・・というより書くことがなかったからですが
しかし心の方は沈没したり浸水したり凪だと思ったら一気にナイアガラ級に落ち沈んだりでしたよ
書くことがなかった というのは
つまり書くことで自分が感じていたつらさと向き合うことがつらかったから
なるべく肯定的なことをお気楽に書きたいですからねぇ(苦笑)
んで 本題
その最近までのつらさ というのが
ピーク時は「もう…この場に存在するだけでごめんなさい」レベルで
今までどんなにつらいことがあっても いや あったからこそ
その渦中で「こんなにつらくても 誰一人私の存在を抹消することは不可能だ」「私が存在(居る)ことは誰にも消せない」
という 存在することの絶対感という自信があったんですがー
今回はその存在することすら自分の中で危うかったです はい
これを言ったら・したら またなにか言われるんじゃないか
ケチをつけられまた怒られまた否定されるんじゃないか
何をしてもしなくてもイラつかれるんじゃないか
私が居るだけでも気にさわってイラつくんじゃないか
頭の中は
オマエはダカラダメなんだ オマエなんかオマエなんか…ダメなんだ 消えろ 居るな 邪魔だ 死ね 奴隷 なんてぇ言葉が何度もリフレインしてましてね
それが傍から見るとどう映っていたんでしょう
まだ元気バリバリだった私を知る古い友人は今の私を見て評します
「だからどうしてあんたそんなに卑屈になってるの?」
「なんかビクビクしてるし」
確かに… さすがに自分の根っこを作った時代からの友人はよく見透かしてます
主治医の先生によると
「いままでの話を総合すると、つまり立読師さんは今までずっと人の顔色をうかがって生きてきたんですよ。ご両親に対しても。そうやって36年間しのいで来たから、今抱えているストレスはそうした顔色をうかがう習慣が裏目に出ているんですね。これを今すぐ治す。ということは非常に難しいです。今までずっと蓄積してきた習慣ですから、いきなり顔色を伺うことを改めることは難しいんです。時間が、かかります」
ーーーーーー
人は恐怖や不安を克服する術として「理解する」「名づける」ということが出来ます
得体の知れない見えない存在に「幽霊」と名をつける「物理現象」の説明で理解する とかね
主治医の先生に言われた
「人の顔色を伺って生きてきた」
これは言葉として理性では受け入れがたいものでしたが
時間の経過と共に
あ、あれも これも その言葉で説明が出来る…と
まるで新しい方程式を実験事実で検証して確かめるようにして
自分の心の事実を近似する言葉に定着していきました
過去に傷ついた経験からあまりにも自分が傷つくことを恐れて
見えない他人の心を必死に読もうとして
的外れな答えを導いては誤った行動を起こして
結果 好意的だった人からでさえ
よけいに怒りを買う 嫌われる 誤解される…本人いじめられると怯える
そうして傷つけられることを恐れるあまり
また必死に空気を的外れに読む悪循環
一人で顔色を伺って疲れ果て 一人で疲弊していく生活が
ここ数年続いていたために
周りに理解されない(あたりまえだ)ストレスを抱え込んで苦しかったんだなぁ
今は不安感を覚え始めると
「あ これ…顔色伺ってない?」と
一回自分に問いかけます
そうすることで不安感がまったくなくなるわけではないんですが
少なくとも「コノ不安ハ事実トハ異ナル」という根拠を持ってして
不安の増幅をかなり抑えられるようになりました
不安感が増幅するとパニックを引き起こして行動が空回りしますから
そうすると期待するほど良いことはあまり起こらない
おしっこを極限まで我慢しながらの方が正しい動きが出来る…わけではないですね(苦笑)
ボチボチ良くなっています