立読ブログ

立読師による一人語りのブログ 今後ともよろしう

読了報告 一応二月分

2011-03-07 21:13:15 | 
読了報告

私は猫ストーカー [単行本]  浅生ハルミン 洋泉社

阿房列車 1号~3号(IKKI COMIX) 内田百 一條裕子


まずは 私は猫ストーカー
あっちゅう間に読了してしまったので
少々物足りない
着想は良いし イラストもかわいく
なにより「猫ラヴ」で書かれているので
変にえばっていなくてよろしいんだけど
もう少しエピソードが多かったらなぁ
ラストの猫の聖地巡礼(笑)エピソードが
もっと盛り上がったと思うのだ
散歩の途中でふと猫の後をついていってしまう
のんびりした感じがいい


お次は阿房列車
たいへんよろしゅうございました堪能しました
至福のひと時
気がついたのだけど
漫画は漢字を現代の常用漢字にしているのですね
原作の百先生は
今読むと「?」となるような
漢字表現として今では使わない使い方をしているところが多々あって
漢字からのイメージが頭の中に浮かばずに
そのギャップで読書のリズムがけつまずくことが多いんだけど
漫画はそのあたりを常用にしているので
つまずくことなくすいすい読める
おかげで作品の面白さが非常に分かりやすい



さて こっからはつらつら思ったことなど
昔の漫画と最近の漫画で何が一番違うかな?と
気がつきました
いわゆる「風刺」に力を入れてないんですね今の漫画は
手塚治虫物語という漫画で
若き日の手塚治虫が御大的なえらい漫画の先生から
「漫画というものは社会風刺がなければダメだ」
的に意見されて凹んだエピソードがあって
その後の手塚治虫の漫画にはだいたい
政治や社会の風刺や批判が入るようになるんだけど
今の漫画はあんましそういうんに力んでいないよなぁ 
 と 気がついた
もちろんメッセージとして社会悪や政治の世界に
痛烈な批判を入れている漫画もあるけど
じゃあ いわゆる「売れてる」漫画がみな必ずそうか?
というとそうでもない
「黒笑ばかりが漫画でない」
漫画表現が多様化したともいえるんじゃないかな
自由度が上がったと感じたり
逆に売れるための要素が一つ薄まった分不自由さを感じるかもしれない
なんてな(笑)