立読ブログ

立読師による一人語りのブログ 今後ともよろしう

理解という名の愛が欲しい

2008-04-04 23:42:23 | 雑記
うーん・・・最初に言っちゃいます
今回は モロ 愚痴です
最近愚痴が多いなぁ いかんいかん


今日の話は 理解という名の愛がほしい という話です
きっかけは山田ズーニー先生の
おとなの小論文教室 から

「命がかかっていても、
 人は、正論で確実な方法よりも
 自分が選びたい道を行きたいのです。」

そうなんですよねー
正論で確実な方法よりも 
自分が選びたい道を行きたい
自分が障害であるとわかってから
そういう思いは強くなりました

自分ではどうしようもない次元で
生来できないことがある

ということを自覚して以来
そのことを わかってほしい でも わかってもらえない
というジレンマに苦しめられました
今も苦しいです
なんというか…
私ができないことに 友人や親は
やればできる 的に しかる わけですよ
でもそれは できない ことなんです
もう 物理法則的にできないことなんです
でも やればできる 的に説教するわけです
しかしですね障害者的には 
できない 
ことをわかってほしいんですよ
そりゃぁ世間的には できるようになることが正しい意見 ですよ
でもね 言われるがわからしてみると
拒絶され否定されねじ伏せられる 論なんですよ
これでは心は動きません
お互いに建設的な結果にはならないんです
だれもが想うことだと思いますが
否定する前に 理解 を示してほしいんですよ


その点で 機能的なメールが打てない人が
多いなぁ…と頭が痛いんです
相手を批判する文章を打っているのに
なんでここまで無神経な文が打てるのかな…と
まずはできるかぎりの 理解 を示さないと
「その上でどうしてほしいのか」という文意がぼやけますね(溜息)