数年前からか「推し活」て言葉が巷に定着した、私が使うくらいだから定着した?
若い頃から芸能人にあまり興味は無く、「ファンなの」と言えるのはジュリーだけだったような。映画もテレビも、勿論音楽、歌謡曲にもそんなに興味はない、若い頃はみんなで会えばそんな話してたような世の中だったから余計にそう思う。
今思えばホント面白みのない?人生を送ってきたのかな。本さえあれば良かった人生だった。
だからこそ好きな小説家が今思えば「推し活一号」で、森博嗣先生には、全作品読破は勿論のこと、会いに行ったことさえあるしラブレター?を送ったこともある。
現在の推しは絵の先生、10年以上も前に初めてネットで作品に出合って一目でファンになった。それまで5人以上、いや10人近くのプロの「絵の先生」に習ったけど、その先生の作品を見て「こんな絵が描きたい」と思ったのは初めてだったから。
そして実際にその作品を拝見し、その指導に接してから「私の推し活」が始まった、とも言える。地元の展示会は勿論の事、東京や地方の展示会に迄足を運んでいる。
だいたい私は自己肯定感が強いと言うか、勝手に自己満足できる性格で、幼児からお絵描きが好きだったこともあり、自分の描いた絵は自分で満足出来ていた。だからこそなのか、指導する先生に素直に従ったことは無かった。
それが恐れ多い事だった、と思うのは現在の先生の指導を受けたから、と言える。やっと自分の未熟さに気が付いたんだ。
英会話勉強でもそう思ったが、レベルが上がるほど自分の未熟さが分かってしまう、今までの自分が恥ずかしいほど己の未熟さを痛感する。
そして思う「なんて進歩したんだワタシ」、て性格はそのままだけど。(笑)
たまに自分の絵にスゴイ自信を持っている人に出会うことがある、公言して憚らない。他者に教えようとするほどで、それなりに上手だけど自慢するほどのもんでもないが、目にしたら自分の過去を思い出し恥ずかしい、、、
自慢なんかしたこと無いけど、余計な一言を言うのは治っていない、反省。
芸能人など会うことさえ叶わない人に「推し活」しているのではなく、その相手に日常的に接することが出来るのはとても幸せ。そして年に1度くらいは一緒に飲みながら蘊蓄を聞ける!
そんな人に巡り合えたことに感謝している。勿論ご本人にも直接そう言っているが、誰からもそう言われていると思うので、お互いの感じる重さは違う、残念ながら。
知人は推し活で海外までコンサート追っかけているとか、スゴイ!!!
最近はそんな「推し活」を聞くと自分も言いたくなった、でもみんな知らないしなぁ。