横浜市長選が終わり、立憲民主党推薦の山中竹春氏が当選した。
横浜市民ではないので、選挙結果と横浜市民の選択を論うこと適当ではないとは思うが、敗北した候補者について考えてみた。
自民党推薦で国家公安委員長まで勤めた小此木八郎氏は、敗れるべくして敗れ、かつ、無様に負けたの感が深い。
ID野球で名を馳せた故野村克也氏は「勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し」との名言を残しているが、小此木氏の敗戦は「IR誘致反対」を公約した段階で、既に決していたように思える。小此木陣営は、自民党支持者に加えてIR誘致反対勢力の取り込みを目論んでいたものであろうが、結果的にはIR反対票は山中氏に流れ、誘致推進派の票は林市長に流れる結果となったものと思っている。
無様な敗戦と書いたのは、「付け焼刃的な選挙公約」は決して有権者には響かず、却って候補者の人物像を「変節漢」と際立たせることにしか繋がらないことである。これまでにも国政・自治体選挙の如何を問わず、所属政党の政策や自身の議会活動実績に反して「消費減税」や「改憲阻止」を突如として掲げる候補者が散見されたが、有権者の嘲笑に迎えられ好結果には結びつかなかったと思っている。小此木氏も、横浜市100年のために政府とのパイプを以てIRを推進と論陣を張れば、敗れたとしても市民の啓蒙や爾後の市政に大きな影響を与え得たのではないだろうか。
選挙に敗れた小此木氏と林氏は、ともに政界を引退するとしているが、林氏は、少子化による税収減少の補完手段としてのIR誘致が容れられなかったとは言え清々しく選挙結果を受け容れて、節に殉じた人物と評価されるであろうが、小此木氏にあっては、節を曲げて不確かな世論に迎合しようとした変節漢として後悔を残しつつ余生を過ごすことになると思っている。
小此木氏の敗北を変節の故と書いて来たが、実は選挙戦で掲げたIR誘致反対の本意・本気度は不明である。ただ一つ言えるのは、IR誘致反対が真の所信であったならば、自民党の推薦は辞退したであろうことだけである。首長を選ぶにあたって有権者は、強いリーダーを求めるとともに、未知数ではあっても斬新な人物に期待を寄せることから、山中市長当選も必然であったのかも知れない。
以後は、横浜市民の物語となるが、市議会での支持基盤に難点を持つ山中市長の選挙公約実現の前途は、必ずしも洋々たるものでは無いようである。