先日の記事「危うく犯罪者!?」では、「高校時代に誤って女子トイレに入ってしまった。」という恥ずかしい過去を記した。それに対して多くの書き込みを頂戴したのだが、中でも破壊王子様の「これが小学校だと、大ですらとんでもない犯罪扱いだったりします。60秒で帰ってこないとウ○コ野郎呼ばわり。アレは一体何だったのでしょう?」とハムぞー様の「トイレといえば『小学校でのウ○コ』は私の得意とする?地域の東西を問わず、級友に笑われる対象になりますね。」というのが特に印象的だった。そうなのだ。小学校、下手をすると中学時代に学校のトイレで“大”をするというのは、子供にとって非常に恥ずかしい事で、万が一それが同級生にばれると執拗にからかわれた。それを恐れてこっそりトイレに行ったり、 我慢して“漏らし”てしまったりした生徒が居た程。今考えると非常に馬鹿らしい話なのだが、どうやら今の学校でも同じ様な状況に在ると聞く。
学校で大に行くのが憚られる環境というのは、果たして日本だけなのだろうか?そんな疑問がふっと頭に浮かんだ。我が国ではトイレ、即ち便所の事を「憚り」とか「御不浄」等と呼んだりしていた。「憚り」は「人目を憚る所」、又、「御不浄」は「汚れている所」という意味で、双方共にマイナス・イメージの用語と言って良い。「マイナス・イメージの場所へ、それも匂いが“小”より強烈な大を排泄する為に行ったのが知られるのは、非常に恥ずかしい事。」という思考プロセスが出来上がって行ったものと推測される。
海外、例えば欧米の場合、学校で大に行く事がからかいの対象になるケースはゼロでは無いだろう。唯、“イメージとしては”日本程陰々滅々たる雰囲気が無さそうにも感じる。又、これもあくまでもイメージとしてだが、学校で大に行く事が否定的に捉えられる環境というのは、アジア圏で顕著な様な気も。実際にどうかは判らないけれど・・・。
学校で大に行くのが憚られる環境というのは、果たして日本だけなのだろうか?そんな疑問がふっと頭に浮かんだ。我が国ではトイレ、即ち便所の事を「憚り」とか「御不浄」等と呼んだりしていた。「憚り」は「人目を憚る所」、又、「御不浄」は「汚れている所」という意味で、双方共にマイナス・イメージの用語と言って良い。「マイナス・イメージの場所へ、それも匂いが“小”より強烈な大を排泄する為に行ったのが知られるのは、非常に恥ずかしい事。」という思考プロセスが出来上がって行ったものと推測される。
海外、例えば欧米の場合、学校で大に行く事がからかいの対象になるケースはゼロでは無いだろう。唯、“イメージとしては”日本程陰々滅々たる雰囲気が無さそうにも感じる。又、これもあくまでもイメージとしてだが、学校で大に行く事が否定的に捉えられる環境というのは、アジア圏で顕著な様な気も。実際にどうかは判らないけれど・・・。
アメリカの学園ドラマを見ていると、トイレで悪戯を仕掛けたりしているシーンが無い訳では無いけれど、明るいおふざけといった感じが殆ど。それに対して我が国の場合は、「トイレに行く事=虐めの対象」みたいな陰々滅々たる部分が在る様に感じるんです。記事内でも触れた様に、全く無根拠だけれどこういった雰囲気ってアジア圏で強い感じもするし。実際にはどうなんでしょうね。
「子どもがなめてもいい位きれいにしなさい」
前園長の言葉です。
だからおりがみ、毎日毎日磨いてます。
保育所の子どもたちに言うのは
「食べたら出すのは当たり前。
しっかり食べたらしっかり出すんだよ。
恥ずかしいとかくさいとか言うんじゃないよ。
みんな一緒だから。
だからトイレは大事なんだよ。
トイレで遊ぶのはいかんよ。
お水も紙も大事につかおうね。」
これらの言葉を
もう、しつこいくらい言い続けます。
自分のお尻が綺麗に拭けるようになったら
「すっばらしいねぇ」とうんと誉めますし・・。
こういうのってヘンですかね?大事な仕事だと思ってやってますが・・
「舐めても平気な位、綺麗に磨きなさい。」という程に、トイレを清潔にするという考え方は決して間違っていないと思います。唯、或る有名な組織では、磨き終わった後に便器の中の水をコップで掬って飲ませたりしていた(している?)という関係者の証言も在ったりしましたが、此処迄行ってしまうとどうかとは思います。あくまでも「それ程迄に綺麗にする心持で。」という考え方で良いかと。
トイレという場所をマイナス・イメージでは無く、日常生活を送る上で大事な場所として教えておられるというのは凄く良いですね。
タイは仕事で長期間滞在しましたが、都市部の公園でも柄杓で水を掬って尻を洗うスタイルの所が在りました。華僑が営んでいるオフィスに行った時も、金持ちなのにそういったスタイルのトイレだったので意外に思ったもの。
中国は暫く行っていませんが、昔はマヌケ様がハワイで経験された様なトイレでした。隣同士が顔を見られる状態で、「ニーハオ・トイレ」なんて呼んでいました。
日本のトイレや風呂の文化が昔から進んでいたという話は良く見聞しますね。唯、我が国で湯船に入る様になったのは江戸時代以降という説も在り、それ以前は所謂「蒸し風呂」だったとか。平安時代の女性は、米の研ぎ汁で髪を洗っていたとも。
18世紀頃のフランスでは、ワイヤーで裾が広がった形のドレスを高貴な女性が着用していましたが、あれも便意を催した際には座ってそのまま用を足す為だったとか。その為、ベルサイユ宮殿内はあっちこっちに人糞が落ちていたとも。そういった理由からも、香水が発達したと言われていますね。
「はばかり」というそのタブー感を
受け取ってるので
学校での大を
「してはいけないものをしている」と
理解しているのだと思います。
その落差があるので
加藤ちゃんの「ウ○コチンチン」が
大好きなのかな、と。
「子供達は学校のトイレという物に、タブー感を持っている。」というのは、間違い無く在りましょうね。「御不浄」という意味合いで、其処に行く事自体がマイナス・イメージとなってしまうのだろうし、「憚り」という意味に於いては「行く事が憚れる場所。→人気の少ない場所。→御化けが出る場所。」って感じになっているのかも。