ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「猿の惑星:新世紀(ライジング)」

2014年10月02日 | 映画関連

1938年10月28日、ナチス・ドイツは、ドイツ国内のポーランドユダヤ人約17,000人を国外追放した。家族が追放されたという知らせを聞いたフランス留学中のユダヤ人青年が激し、フランスのドイツ大使館に勤務する書記官暗殺

 

此の暗殺事件を受けて、11月9日の夜から翌10日に掛けて、ドイツ各地で反ユダヤ主義暴動が続発し、数多のユダヤ系商店や企業が破壊され、少なくとも96人のユダヤ人が殺害された。当時は「ユダヤ人によって自国の書記官が殺害された事に対する、ドイツ国民の怒りが生んだ暴動。」と喧伝されたが、今では自然発生的な暴動では無く、ユダヤ人を排除したいと思っていたナチス・ドイツが、暗殺事件を利用して起こさせた“官制暴動”だった。という説が有力。*1暴動により、ドイツ国民のユダヤ人に対する憎しみが増幅され、後のホロコーストへと繋がって行く。

 

「暴動により、道端に散らばった硝子の破片が、月光に照らされて水晶の様に煌めいていた。」として、此の暴動は「水晶の夜」と呼ばれる様になった。(当時、“プロパガンダの天才”と称されたナチス・ドイツのヨーゼフ・ゲッベルスが、此の呼称を考え出したと言われている。)

 

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自らが生み出したウイルスによって、人類の90%が死滅した2020年代の地球サンフランシスコでは、「辛うじて生存している人類」と「驚異的な遺伝子進化遂げ達」のコミュニティーが、ゴールデン・ゲート・ブリッジ挟んで存在していた。

 

人類のコミュニティーでは、「衰退を食い止めるにも、猿達と対話すべきだとする者。」や「再び人類が、地球を支配するべきだとする者。」が、其れ其れの考えに従って動き出す。

 

一方、猿達を率いるシーザーアンディ・サーキス氏)は、人類と接触し様とせずに、独自の文明構築していた。

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映画猿の惑星:新世紀(ライジング)」を観て来た。前作「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」のレヴューでも書いたが、「自分が最も好きなSF作品は、1968年から1973年に掛けて公開された『猿の惑星シリーズ』。」なのだ。ティム・バートン氏が監督した「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(2001年公開)も含め、此れに映画化された“猿の惑星関連作品”は全て見ている。

 

1968年から1973年に掛けて公開された「猿の惑星シリーズ」、ストーリーも魅力的だったが、兎に角猿達の特殊メーク圧巻だった。「本物の猿が、人間の様に話している!」と、当時の自分は驚かされた物だ。しかし、「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」や「猿の惑星:新世紀(ライジング)」は更に凄い。CGI技術が施されているそうだが、猿達の顔がアップにされても、本物の猿にしか見えないのだから。

 

シーザーと敵対する事になるコバ(トビー・ケベル氏)が、「猿は(仲間で在る)猿を殺さない。」というを破り、人間が所有していたを使用してシーザーを撃つ。「人間が、我々のボスで在るシーザーを銃で殺した!(実際には、シーザーは死んでいないのだが。)」とコバは煽り立て、人間と戦う事を認めなかったシーザーとは異なり、人間との戦いを推し進める自らが権力を握る為、人間との戦争を推し進め、其の過程で“恐怖政治”を敷いて行く。コバの手法は、冒頭で紹介した(ナチス・ドイツによる)「水晶の夜」と相通じる物が在る。

 

前作の「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」には物足りなさを感じる部分が在ったけれど、今回の「猿の惑星:新世紀(ライジング)」は見応えが在った。作品内にぐいぐいと引き込まれて行ったし、猿社会を人間社会に置き換えて、色々考えさせられもしたし。

 

総合評価は、星4つとする。

 

*1 「デマによる世論誘導」と言えば、此の手法を十八番としている片山さつき議員が、又しても遣った。9月27日発生した御嶽山噴火に関し、自身のTwitterで「長野町村長と話。(平成)22年の民主政権事業仕分け常時監視の対象から御嶽山ははずれ、政権奪還漸く予算共々少し戻せたが、この状態では『予知困難』と気象庁連絡会も言うだろう。観測体制強化とそれによって得られ得るデータベース前広警戒レベル2『火口周辺規制』を出すべきとの意見。」と記していたのだが、民主党政権で御嶽山が常時監視の対象から外された事は無く、彼女の書き込みが全くのデマだった事が判明。

 

5年前の記事でも記したが、「自身にとって不都合な存在を貶める為に、全く根拠の無いデマを流す。」という事を、片山議員は過去に何度も行っている。彼女の悪質な所は、「○○が言っていた話だが」等、伝聞形式でデマを流す点。デマを流した事に批判が集まると、「飽く迄も、聞いた話を書いただけ。私は其れが事実なんて、一言も言ってませーん。」と逃げを打つのが常套手段”悪い意味での”官僚体質を見せる彼女だが、今回も最初は「私が言った訳では無い。」と逃げを打とうとしたのだから、本当に悪質。

 

彼女がツイッターに書き込みをしたのは、噴火発生の翌日。多くの死者が出るのは判っていた状況下、人の死をも“自身のアピール”や“不都合な存在を貶める”為に利用したとしか思えず、政治家という以前に、1人の人間としてどうかと思う。


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