子供の頃、親を含めた大人達から言われた言葉の中には、「そんなのおかしい。」とか「煩いなあ。」と一笑に付したり一顧だにしなかった物も在る。しかし自分が年を重ね、その言葉を口にしていた大人達の年齢に近付いて来ると、その言葉を急に思い出して「嗚呼、こういう意味合いで言っていたのか。」と理解出来たりする事も。当時は見えなかった物が、社会的な経験を積む事で見えて来たという事か。勿論、未だに理解出来ない「嘗ての大人達の言葉」も在り、それが今後理解できる様になるのか、将又死ぬ迄理解出来ないままなのかは、それこそ神のみぞ知るだ。
深く考えずに口遊んでいた歌。年を経てその歌を口遊んだ時に、「当時よりも今の方が、歌詞に痛感させられるなあ。」と思う事が間々在る。先日亡くなられた清水由貴子さんのデビュー曲「お元気ですか」(動画)の歌詞の或る一節なぞも、そんな一つだ。「この一節が気になる人って、他には居ないんだろうなあ。」と思っていたのだが、良く覗かせて貰っているサイト「魅惑のモナムール」の掲示板で、管理人のモナたん様がこの一節に触れ、「私の座右の銘の一つです。」と迄書いておられたのには、思わずニヤッとしてしまった。
「お元気ですか」の作詞を担当されたのは、“昭和の天才作詞家”と思っている阿久悠氏。「日本語の持つ美しさ」を存分に感じさせてくれた作詞家だったが、「お元気ですか」の中で自分が今になって痛感させられている一節は次の部分。
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夜ふかしぐせは いけないのです
若さが どんどん なくなるのです♪
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感動する詩という訳では無い。唯、若かった頃は肉体的に何でも無かった夜更かしが、この年になるとそこそこ応える事も在り、「『夜ふかしぐせはいけないのです 若さがどんどんなくなるのです♪』ってこういう事だったのか。」と判る様に。
逆に当時は「その通りなんだろうな。」と思っていた歌詞が、年を経ると「そうじゃない事の方が多いかも。」と思う事も。例えば来生たかお氏が歌っていた「夢の途中」(動画)の或る一節も、そんな一例。作詞は彼の姉・来生えつこさんが担当しているこの歌は、薬師丸ひろ子さんが「セーラー服と機関銃」(動画)という別タイトルでも有名。その冒頭に、次の一節が在る。
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さよならは別れの 言葉じゃなくて
ふたたび逢うまでの 遠い約束♪
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実に綺麗な歌詞だと思うし、当時は「別れた彼女で在っても、又、再会して恋に落ちる事も在るだろうな。だからこそ『さよならは別れの言葉じゃなくて ふたたび逢うまでの遠い約束♪」っていうのも判る。」と感じた。しかし年を重ねる事で、「恋人同士って一旦心が離れてしまうと、それが元に戻る事って稀有なんじゃないかなあ。」という思いが。当然例外も在るとは思うが、自分の経験上、そして他者からの話を聞く限りでは、「ふたたび逢うまでの遠い約束」というのが「別れた恋人同士が再び恋に落ちる。」という“解釈”とすると、なかなかその実例は少なそうだ。
深く考えずに口遊んでいた歌。年を経てその歌を口遊んだ時に、「当時よりも今の方が、歌詞に痛感させられるなあ。」と思う事が間々在る。先日亡くなられた清水由貴子さんのデビュー曲「お元気ですか」(動画)の歌詞の或る一節なぞも、そんな一つだ。「この一節が気になる人って、他には居ないんだろうなあ。」と思っていたのだが、良く覗かせて貰っているサイト「魅惑のモナムール」の掲示板で、管理人のモナたん様がこの一節に触れ、「私の座右の銘の一つです。」と迄書いておられたのには、思わずニヤッとしてしまった。
「お元気ですか」の作詞を担当されたのは、“昭和の天才作詞家”と思っている阿久悠氏。「日本語の持つ美しさ」を存分に感じさせてくれた作詞家だったが、「お元気ですか」の中で自分が今になって痛感させられている一節は次の部分。
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夜ふかしぐせは いけないのです
若さが どんどん なくなるのです♪
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感動する詩という訳では無い。唯、若かった頃は肉体的に何でも無かった夜更かしが、この年になるとそこそこ応える事も在り、「『夜ふかしぐせはいけないのです 若さがどんどんなくなるのです♪』ってこういう事だったのか。」と判る様に。
逆に当時は「その通りなんだろうな。」と思っていた歌詞が、年を経ると「そうじゃない事の方が多いかも。」と思う事も。例えば来生たかお氏が歌っていた「夢の途中」(動画)の或る一節も、そんな一例。作詞は彼の姉・来生えつこさんが担当しているこの歌は、薬師丸ひろ子さんが「セーラー服と機関銃」(動画)という別タイトルでも有名。その冒頭に、次の一節が在る。
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さよならは別れの 言葉じゃなくて
ふたたび逢うまでの 遠い約束♪
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実に綺麗な歌詞だと思うし、当時は「別れた彼女で在っても、又、再会して恋に落ちる事も在るだろうな。だからこそ『さよならは別れの言葉じゃなくて ふたたび逢うまでの遠い約束♪」っていうのも判る。」と感じた。しかし年を重ねる事で、「恋人同士って一旦心が離れてしまうと、それが元に戻る事って稀有なんじゃないかなあ。」という思いが。当然例外も在るとは思うが、自分の経験上、そして他者からの話を聞く限りでは、「ふたたび逢うまでの遠い約束」というのが「別れた恋人同士が再び恋に落ちる。」という“解釈”とすると、なかなかその実例は少なそうだ。
そろそろ当時の母の年齢を楽に越えつつありますが、幸いまだ、暗いところで本が読めます(笑)!!
江戸時代、室内は行燈で灯りを取っていた訳ですが、今の感覚から言えばかなり暗い。「当時の人は、目が悪くなる可能性が高かったのだろうなあ。」と、Spa supernova様と同様、子供の頃に親から「暗い所で本を読んじゃ駄目。」と散々注意された自分は思います。
高校生辺り迄は目が異常に良かったのですが、それ以降は坂道を転がり落ちる様に視力が落ちました。
上質な恋愛小説の様な御話ですね。そういう例も在るとは思うのですが、概して男女間の別れはドロドロした部分が付き纏う物で、そういう場合にはなかなか「再会=再び恋に落ちる」というのは難しいのかなあという感じがしますね。自分の場合は恋愛に関しては結構ドライで、別れてしまったら「相手に未練を残すのも相手の重荷になるだろうし、自分自身も惨めに感じるので、頭の中からすっぱり無くす。」というスタンス。一緒に撮った写真等も、別れた瞬間に捨ててしまうし。
若さが どんどん なくなるのです♪
この歳になって身にしみる言葉ですね。
当たり前といえば当たり前なのですが、これを歌詞にしてしまう事がすごいですね。阿久さん。
古今東西の発明や発見の中には、一寸見方を変えた事で見出せた物が少なからず在ります。この歌詞も当たり前と言えば当たり前の内容なのだけれど、意外と凡人には気付かない。阿久氏の天才性を改めて感じます。もっと長生きして、良い歌を生み出して欲しかった・・・。
若さが吸い取られてますわ(><;
若い頃、中高年と称される人達が疲れ切った顔をして、トントンと肩を叩いている姿を見て「おっさん臭いなあ。」と思っていたものですが、いざ自分が同じ年頃になると無意識の内に同じ事をしているのに気付き、ニヤッとしてしまいます。昔は幾ら飲んでもへっちゃらだったのに、何時の頃からか深酒が翌日に残る様になった。徹夜も平気の平左だったのに、近年では疲労が残る様に。
肉体的な衰えを確実に感じる一方で、若い頃には見えなかった物が見えて来りと、失う物が在る一方で得られる物も在りますね。
法事の格好の話題は「釣りや山菜採り(苦笑)、趣味の家庭菜園」、「老眼ネタ」「あそこの病院は良い」「このサプリ良い」ですね(笑)。「亡くなった母さんは夜の針仕事に必ず○○、糸通して、と言ってきたとか何とか」
意外に出ないのは「子供の受験・就職・結婚ネタ」、タブーは「相続した家が売れない(地方の旧市街地の空き家問題は大変です)話」「だれが茶畑(ミカン畑)継ぐ話」
私もいろいろ言われましたが。。。、なかなか実践できないですね、相変わらず宵っ張りだし。。。でも最近油物が受け付けなくなってきました。魚もマグロや鮭がきついと思うようになってきた。この前もらったホッケの干物も殆ど口にしませんでした。