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2020年東京五輪に向けて再開発が進む渋谷区のアパートで、老人の他殺体が発見され、嘗ての名家の人間だった事が判明する。一体、此の男は何者なのか?
50年、3世代に亘る「Killers(殺人者)」の系譜と、追う者達、そして重なり合う渋谷という街の歴史。
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堂場瞬一氏の小説「Killers」。1961年、額に十字の傷が刻まれた死体が見付かって以降、2001年に到る迄、同様の手口の殺人事件が多発。全てが渋谷区で起こり、同一人物の犯行と思われたが、犯人は捕まらない儘だった。そんな中、犯人として有力視されるも、其の行方が全く掴めなかった男性が、惨殺死体となった発見される。
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シリアル・キラー:殺害行為を主目的に行う犯罪者。或る程度の間隔を置いて、犯行を繰り返す。
スプリー・キラー:短期間の内に、複数の場所で殺人を行う犯人。
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先日発生した「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人は、スプリー・キラーという事になろう。「重複障害者が居なくなる事で、国家的に経済的な負担が軽くなる。」というのが犯行動機らしいが、何の罪も無い障害者達を殺傷した彼は、鬼畜以外の何者でも無いし、強い憤りを覚える。「障害者=無駄な存在」という思考は、ナチス・ドイツの其れと同一。多様性を一切認めず、異論を排除し様とする風潮は世界的に強まっている様に感じるが、我が国でも安倍政権発足以降、そういった風潮は酷くなっている。だから、今回の様な事件は起こるべくして起こったという気もするし、今後も同種の事件が起こる可能性は低く無い。
「Killers」に登場するのは、「老人=無意味な存在」として50年に亘って殺害を繰り返す人間。彼の場合はシリアル・キラーに分類されるのだろうが、歪んだ思考で人間を選別し、無駄な存在と判断した者を殺害するというのは、「自身が神で在る。」と思い上がりの点で、「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人と同じだ。
ストーリーとしては、御都合主義的な部分が目立つ。多少の御都合主義なら看過出来ても、こうも多いと興醒めしてしまう。後味の悪い結末も、人によって好みが分かれる所だろう。自分としては、好きな結末では無い。
総合評価は、星2つ。
「自分よりも弱い立場の存在を慈しむ。」というのでは無く、「自分よりも弱い立場の存在を叩く事で、自分の存在意義をアピールする。」という風潮が強くなっているのは、本当に残念な事。功罪は在りますが、此の点はネットの「罪」の部分かもしれません。
弱い立場だからといって、過度に“アンタッチャブルな意識”を持ってしまうと、其れは逆差別になってしまうし、「障害上どうしても出来ない事に対してのみ、庇護する。」というのは、自分も同感です。
「自分が弱い立場に置かれたら。」という想像力が働かない。思考力や想像力の低下及び欠如は、決して若い人達だけの問題では無く、老若男女を問わずに存在する問題だと思います。
行動を観て、人は、他者を判断すると思いますが、彼の主張は国家のルーティンとは何の関係もありません。むしろ障害者とは、健常者に理解されて、依存するところがあったとしても、自守とか、社会人としての常識はあるのであって、障害上、どうしても出来ない事があって、それに対してのみ、庇護してあげれば良い、と思います。