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コロナ禍で、甲子園が中止になった夏。夢を奪われた選手と指導者は、どう行動したのか。
「此の儘終わっちゃうの?」2020年、愛媛の済美と石川の星稜、強豪2校に密着した元高校球児の作家は、彼等に向き合い、“甲子園の無い夏”の意味を問い続けた。退部の意思を打ち明けた3年生、迷いを正直に吐露する監督。パンデミックに翻弄され、挑戦する事さえ許されなかった全ての人に送るノンフィクション。
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早見和真氏のノンフィクション「あの夏の正解」を読了。世界的に新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい出した昨年は、様々な面で“異常な1年”だった。“当たり前と思っていた事”が、次々と当たり前で無くなり、「選抜高等学校野球大会(春の甲子園)」と「全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)」が共に中止に。“春の甲子園”が中止となったのは「1942年~1946年迄の5回(第二次世界大戦が原因。)と、昨年の併せて全6回。」、そして“夏の甲子園”が中止となったのは「1918年(米騒動が原因。)、1941年~1945年迄の5回と、昨年の併せて全7回。」となっている。
高校球児達にとって“憧れの両大会”が開催されなかった異常事態に、彼等と其の指導者達は何を考え、そしてどう動いたのか?「桐蔭学園高等学校の硬式野球部に所属していた元球児。」の早見氏が、済美&星稜両高校の選手及び指導者達に取材を続けた末、生み出された作品が「あの夏の正解」。
幼い頃より野球を始め、桐蔭学園中学校1年迄、自身の野球能力に強い自信を持っていた早見氏。でも、2年に上がる頃、隣接する高校の専用球場に練習を見に行った際、1人の“怪物”の姿を目にした事で、すっかり自信を失う。2年先輩の其の怪物は高橋由伸氏で、「レヴェルが違い過ぎる・・・。」と思い知らされた早見氏。高校ではレギュラーの座を掴む事無く、野球人生を終えた彼は、以降ずっと高校野球に対して複雑な思いを持ち続けていたと言う。そんな彼の目に、「“甲子園の無い夏”を送る事となった球児達。」はどう映ったのか?
“高校球児”と言っても、当たり前の事だが1人1人異なる存在だ。物事に対する考え方だって千差万別で在り、レギュラーor非レギュラーという立場の違いによっても、異なる考え方を持っていて当然。でも、「『甲子園という憧れの舞台を目指すチームの一員で在りたい。』という思いは、皆、持ち続けている。」というのが、読んでいてひしひしと伝わって来た。
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・「正直、甲子園や全国制覇っていうものがあまりにも大きすぎたので、それに匹敵するものはないと思います。でも、たしかに得たものはありました。当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったと気づけたことです。学校に行くのも、野球をするのも、なんていうかこう奇跡・・・、奇跡が一つ一つ積み重なって当たり前になっていたんだなっていうのに気づけました。それが一つでも狂えばすべて失いかねないということも、今回のコロナウイルスで知りました。」。(田村天選手[星稜])
・「甲子園の中止は、自分にとっては18年間生きてきた上で、正直、身内が亡くなったことよりもつらいことでした。」。(山田響選手[済美])
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甲子園への憧れに付随するプレッシャーから解放され、「野球が楽しい。」というシンプルな境地に辿り着いた球児達。「小説を書く事に喜びを感じていた自分が、今は頭でっかちとなってしまい、小説を書く事に苦しみを感じる様になってしまっていた。」という早見氏は、球児達と触れ合う中で「何を書くのか、何の為に書くのか等は、二の次で良い。世界がどう変化したとしても、自分のすべき事は変わらない。書くという行為で、目の前の現実と只管向き合って行くだけだ。」という思いに変わって行く。そして、高校野球に対する複雑な思いも、同時に消えて行くのだった。