時代の移り変わりと共に、物事も変わって行く。以前、「いつのまにか変わってる 地理・歴史の教科書」という記事で、「昔、地理や歴史の教科書に載っていた事項の中には、現在、異なった記述がされている物が結構在る。」というのを紹介させて貰った。「乙巳の変」なんていうのは、其の呼称すら初めて目にする物だったので、可成り面食らったもの。
9月3日付けの「日刊ゲンダイ」に載っていた記事「中高年が知らない塾と予備校 新常識①」も、嘗ての塾や予備校の状況しか知らない自分にとっては、唯々驚きの内容。年頃の子供が居られる方ならば“常識”なのだろうが、そうで無い中高年の方々ならば、自分と同様に「そうなんだ・・・。」と驚かれる事だろう。
教師を務めている知人が以前話していたのだが、大学受験の相談を生徒から受けた際、どうしても違和感を覚えてしまう事が在るのだとか。「先生。○○大学の今年の入試倍率は、XXも在るんだ。こんなに高いと、合格する自信が無い。」といった相談を受けると、「大変だなあ。でも、頑張るしか無いよ。」とは答えるものの、「俺達が受験した頃の入試倍率は桁が違った。其れからすると、入試倍率だけを見れば、格段と楽になっているんだけどなあ。」と心の中では思ってしまうと言う。「今時の若い子は・・・。」と“脊髄反射”で思ってしまう(言ってしまう)のと同様に、時代が違うのだから其れを受け容れなければいけないのだろうけれど、自分が大学受験した頃の難関校ですら、入試倍率が桁違いに下がっている現実には、驚きを禁じ得ない。
今からウン十年前、自分が大学受験をした頃は、「一浪は当たり前。」という雰囲気が在った。浪人生が多く、入試倍率も軒並み高かったので、相当優秀な人間じゃないと、現役合格というのは難しかったから。裕福では無く、何とか現役合格しなければいけなかった自分だけれど、劣等生なものだから、一浪する事になってしまった。
バイトをし乍ら予備校に通ったが、当時は「三大予備校」なんていう呼称が在り、「駿台予備学校」、「河合塾」、そして「代々木ゼミナール」が其れ等に当該。(今人気の「東進ハイスクール」なんて、当時は無かったと思う。)生徒の間では「生徒の駿台、机の河合、講師の代ゼミ。(駿台予備学校は生徒のレヴェルが高い。河合塾は机が広くて良い。代々木ゼミナールは人気講師が多い。)」という評価をされていたもの。実際、当時の駿台予備学校は、入学試験で可成りの志願者が篩い落とされていた。
話を「中高年が知らない塾と予備校 新常識①」に戻すが、嘗ては「予備校生の街」と呼ばれた代々木駅周辺も、今は其の面影が無いそうだ。代々木予備校及び代々木学院は廃校となり、大手の代々木ゼミナールも浪人生が通う校舎は南新宿に移転。代々木駅近くに、現役生向けの校舎を残すだけ。
「早稲田」の名前が冠された予備校が多かった高田馬場駅前も、今では浪人生の姿を余り見掛けなくなった。早稲田学院は消滅し、早稲田予備校及び一橋学院早慶外語は大幅に規模を縮小したからだとか。
関東圏以外でも、予備校は苦戦している。京都の関西文理学院は地元から「カンブリ」と愛され、最盛期には5千人以上の浪人生が学んでいたが、2010年に廃校。「キンヨビ」と呼ばれた近畿予備校は、1980年代迄「京都大学合格者数300人超え」を誇り、他の予備校の追随を許さない存在だったが、今は小規模予備校になってしまったと言う。
「一定年齢以上だと、其の予備校観が現状と大きく乖離してしまう。」のは、浪人生が大幅に減った事が大きな理由。浪人生の数は、18歳人口ピークの1985年に約15万人だったのが、今年は半分以下の約7万人。早稲田大学、法政大学、明治大学、立命館大学、同志社大学の入学者の内、浪人生が占める比率は、何れも1980年代は7割近かったが、今は3割弱。其の背景には「少子化」、「大学入学定員大幅増」、「現役志向」、「推薦入試やAO入試増加」等が挙げられる。
長引く不況で、子を浪人させる余裕の無い親が増加。「浪人は就職活動で不利となり、生涯賃金にも影響する。」という考えが定着しつつ在るというのも、「へー。」という思いが。
上記した以外にも、廃校に追い込まれた有名予備校の名前が列挙されていた。研数学館、英進予備校、両国予備校(何れも東京)、水城学園(福岡)等。(東京の3つ、昔は可成りの頻度で宣伝を見聞していたっけ。)札幌予備学院(札幌)と文理予備校(仙台)は、河合塾に吸収された。
大手予備校も苦戦を強いられていて、代々木ゼミナールの浪人生は、最盛期の3分の1迄減少。駿台予備学校も、コースによっては格段と入り易くなっているのだとか。