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織田信長が天下統一に向けて邁進し始めた頃、能登・七尾の長谷川信春(後の等伯)は、当時、画業隆盛を誇っていた狩野永徳率いる狩野派に凄まじいライヴァル心を持ち乍ら、京に上る。千利休や前田玄以等の後ろ盾をを得て、画技に磨きを掛ける信春だったが・・・。
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第148回(2012年下半期)直木賞を受賞した「等伯」(著者:安部龍太郎氏)を読了。
歴史上の人物を「主役」と「脇役」に分けるとしたら、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康なんぞは「主役」になるだろう。「主役」を主人公に据えた歴史小説は多いし、読者の殆どは「主役」の事を熟知している。だから読者は「主役」に対して取っ付き易さを感じているだろうし、ストーリー上で「主役」が或る出来事に遭遇した際、「~という経緯を辿り、~という結末が待っている。」というのも、或る程度読めてしまう。
一方、「脇役」に関しては、「其の名前」や「凡、どういう事をした人間なのか。」位は知っていても、「主役」程詳しく知らない人が多いと思う。だから「脇役」が主人公の歴史小説には、「主役」が主人公の場合程は取っ付き易さを感じないだろうが、「先にどういう展開が待っているのか読めない。」という面白さが在る。
4年前に刊行され、ベスト・セラーとなった歴史小説「天地明察」(著者:冲方丁氏)は、江戸時代前期の棋士で天文暦学者でも在った渋川春海の生涯を描いている。此の作品によって、「渋川晴海」なる人物を知った人は多かったろうから(自分の場合、日本史の教科書に載っていたので、彼の名前や「暦の歴史を変えた人」程度の事は知っていたが、其れ以上は知らなかったし。)、取っ付き易い類いの作品では無かった筈。でも、冲方氏の卓抜した文章力、そして良く知らない「脇役」を描いた作品だからこその「先の読めなさ加減」に惹かれ、多くの人間が此の作品を手に取ったと思っている。
長谷川等伯という人物も、渋川晴海同様に「脇役」の存在だと思う。美術や日本史の教科書に彼の名前や作品は載っていたから、知名度は決して低く無いだろうが、織田信長等と比べたら、「主役」では無いだろう。多くの人にとって長谷川等伯とは、「其れなりに知ってはいるけれど、どういう生涯を送ったかは良く知らない。」、そんな感じではないだろうか?
「ライヴァル」に「親子」、「師匠と弟子」、「兄弟」、「主君と家臣」等、様々な人間関係が「等伯」には登場し、彼等の間で生じる様々な感情が描かれている。其れは「相克」で在ったり「嫉妬」で在ったり、「憐憫」や「親愛」、「蔑み」、「自己嫌悪」、「憤怒」、「遣り切れなさ」で在ったりする。人間関係が複雑な程、生じた感情に読者は、ぐいぐいと吸い寄せられて行く事だろう。
「歴史上の人物」をどう捉えるかは、人によって異なるもの。石田三成という人物も、人によって好き嫌いがハッキリ分かれるタイプだと思うが、此の作品の中では徹底的に「陰険な人物」として描かれている。個人的には好きな人物なのだけれど、確かに「怜悧さが、人情を超えてしまっている。」面は在り、こういう描かれ方も在りとは思う。
「長谷川等伯と息子・久蔵との関係は、此の先どうなるのか?」等、先が気になる要素が天こ盛りで、一気に読み終えてしまった。直木賞受賞も当然の素晴らしい内容。総合評価は、星4.5個とする。