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「自民の報道規制論に懸念=石破氏『言論弾圧は駄目』-政府・与党」(6月26日、時事通信)
自民党若手が開いた会合で、報道規制を求める声が上がったとして、政府・与党内で26日、懸念の声が相次いだ。石破茂地方創生担当相は記者会見で、「我々は政権の側に居り、権力を持っている。言論の弾圧と受け取られかねない様な事には、心していかなければならない。」と語り、苦言を呈した。
問題の会合は、安倍晋三首相を支持する若手・中堅議員が25日に開いた「文化芸術懇話会」(代表・木原稔党青年局長)。出席した議員から「マスコミを懲らしめるには、広告料収入が無くなる事が一番。経団連に働き掛けて欲しい。」との声が上がった他、講師として招かれた作家の百田尚樹氏が「(政権に批判的な)沖縄の2つの新聞は潰さなあかん。」等と発言した。
此れに関し石破氏は、「そういう発言が若し在ったとすれば、表現に不穏当な部分は在りはしないか。」と指摘した。
自民党の谷垣禎一幹事長も「クール・マインドで遣って戴きたい。」と自制を促した。
公明党の井上義久幹事長は「スポンサーをどう選ぶかは、企業の選択。政治が直接働き掛ける事が在ってはならない。」と強い不快感を示した。
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「他者が行った捏造は一切許さないが、“ノンフィクション”と謳った自身の作品で、捏造としか思えない記述が幾つか在っても、見苦しい言い訳に終始し、一切捏造を認めない。」という百田氏を講師で呼べば、どんな発言が飛び出すかは判ろうものを。況してや、党本部での発言となれば、影響力は決して小さく無いというのは、普通の感覚だったら理解出来る筈。文化芸術懇話会のメンバーの脇の甘さを、先ずは感じる。
事実で無い報道に関して議員が抗議するのは当然だが、「政権に批判的な報道をしたから許せない!」というのは論外。以前から何度も書いている事だけれど、国会議員というのは「国民の生殺与奪権を握る強大な存在。」で在り、“与野党を問わず”其の言動には厳しい目が向けられるのは当然の事。政権に批判的だからと、「マスコミを“懲らしめる”。」という発想自体が、異常と言わざるを得ない。「働き掛けさえすれば、経団連は言い成りになる。」という状況も、今回の発言からは透けて見える。
「気に食わないから“抹殺”せよ!」というのでは、「五・一五事件」や「二・二六事件」の首謀者達と一緒で、絶対に許される事では無い。「時の政権に都合の良い事柄は嘘で在っても全て“事実”として報道し、不都合な事柄は事実で在っても全て“捏造”と報じる。」様な、朝鮮中央通信や人民日報的報道機関が、文化芸術懇話会のメンバーにとっては理想なのだろう。
今回の件に関し、安倍首相は遺憾の意を表明したそうだが、自身が言論封殺的な言動を好んで行っているのだから、説得力を全く感じない。石破大臣の発言は其の通りだが、「(政権にとって不都合な)デモはテロ行為と一緒。」と言い放った過去が在るだけに、本音かどうか怪しい所。
安倍首相の異常な言動に対し、自民党内から疑問の声が全くと言って良い程上がらない(声を上げているのは、村上誠一郎氏位ではないか?)というのも、非常に不気味な感じが在る。
作家の中には「著述というのは、飯の種を稼ぐ手段に過ぎない。」と割り切って考えている様な人が居たりしますが、百田氏の場合はそんなタイプなのかもしれません。「良い作品を書きたい。」というのでは無く、「今の世の中では、何が受けそうか?」というのをリサーチし、其の結果を混ぜこぜにして、“売れそうな作品”を著す。今回の沖縄に対する“暴言”も、具体的に検証すると、極右サイト等に転がっている全く根拠の無いデマだった事が明らかにされていたし、此れ迄にもそういう類いの“浅さ”が彼には感じていたけれど、そういう所も、“本当の意味での物書き”とは違う。
「井の中の蛙、大海を知らず」と言いますが、今の自民党、特に安倍チルドレンと呼ばれる連中は、こういう傾向が強い。「自分達にとって不都合な事柄は、仮令事実で在っても『捏造』や『嘘』と決め付け、逆に都合の良い事柄は『捏造』や『嘘』で在っても、全て『事実』と叫ぶ。」というのでは、餓鬼の思考と同じ。本当に情け無いです。
時の政権や軍部に阿り、開戦する事を称賛したのが(全部とは言わないけれど)マスメディアならば、敗戦を迎えたら手の平を返した様に、開戦に関わった政権や軍部を批判したのも、同じマスメディア。
官邸の接待漬けにより、政府の腰巾着化しているマスメディアや評論家連中を見ていると、「開戦直前は、こんな感じだったのではないか。」という気がしたりも。
自民党の腐敗を叩き捲り、民主党政権樹立へと向かわせたのもマスメディアならば、民主党の駄目さ加減を叩き捲り、自民党を復権させたのもマスメディア。「視聴率が稼げたり、部数増に繋がるならば、無節操に主義&主張を変える。」というメディアには辟易とするし、そういう思いが「マスメディアに対する不信感」へと向かうのは判らないでも無いけれど、とは言え「力で不都合な事柄を封じ込める。」というのは、与野党を問わず、許される事では無い。
近年、非常に気になるのは、「自身が好ましく思う存在に対して不都合な事柄は、力尽くで隠蔽するのは良い事。」とでも思っている様な人が増えている様に感じられる事。例えば本当に「日本」を愛しているならば、日本にとって悪い事実も良い事実も、同様に認めるのが本当だと思うんです。そういう公平な思考が出来ないというのは、日本にとって決して良い事では無い。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。
自民党の人々を見ていると、「外国人と直接話を交える外交の場面だけでなく、さまざまな問題について、国内の公的・半公的な場(勉強会やSNSも含む)で行った言動や示した見解も、諸外国から見られている」という意識が希薄なのかなと感じています。こういうことを言うと、「マスコミがなんでも報道するからだ。公人やそれに準ずる人の言動が外国に知られては日本のイメージダウンになるならば、そもそも国内にも報道しない方がいい」と言い出しかねない人々が少なからず世間にいそうだなと思いますが、それこそ言論弾圧だし、不健全な状況です。
「理不尽な事に対して反発する人々を叩くのは、やった側だけでなく、本来ならば理不尽な事に対して憤ったり嘆いたりするはずの民衆」という風潮がこの国には昔からありますが、ましになっていたはずなのに近年また強くなり始めているように感じます。
マスコミ不信が一気に噴出した夜だった。新聞・テレビのカメラマンたちに向けて「帰れコール」が飛ぶ、前代未聞の事態となったのである
“小沢氏が金曜恒例の再稼働反対集会に来る”―― ツイッターで昨夜から情報が流れていたため、14日の集会はマスコミのカメラマンが大挙、国会議事堂前に集結していた。カメラマンたちは少しでも高い位置から撮ろうと脚立の上に立つのが習性だ。それも最前列で。
カメラマンたちの体で遮られて、参加者はステージが見えなくなる。さもマスコミの特権であるかのような振る舞いに、反感を抱く人は少なくない。
それを意識してか、スピーチ台に立つ参加者の多くは、マスコミを批判した―
「パブコメでは国民の8割もが原発ゼロを望んでいるのに、マスコミの選挙予想では原発を3年以内に再稼働させる自民党が単独過半数を取るというのは、どういうことでしょうか?」女性は声を振り絞るようにして訴えた。
マスコミのカメラマンが陣取る方に顔を向けながら。
右傾化、原発再稼働…すべてマスコミが仕組んだと決めつける男性もいた。
小沢氏がそろそろ到着する7時20分頃だった。目の前を遮るカメラマンたちに対する参加者のイラ立ちはピークに達した。
寒いなか「小沢目当て」で来ている参加者にとっては肝心の小沢氏が見えないのである。
「テレビカメラどかせ」「マスコミ帰れ」「日本をメチャクチャにしたのはお前たちだ」参加者から怒号が飛び交い収拾がつかなくなった。
「カメラを下げてください。(参加者の)皆さんは早くから来て待ってたんです」。主催者はカメラマンたちに命じて脚立の上から降ろさせた。マスコミの特権が崩れた瞬間だった。
さも当然であるかのように参加者の前に立ちはだかるマスコミのカメラマン。
この日は人々の怒りが爆発した。
歓声に迎えられて会場に到着した小沢氏が演説した
「総選挙に入っても脱原発の声は広がっておりません。新聞・テレビで脱原発を争点から外している。これは日本社会の歪です。
マスコミがそういう中に組み込まれている。こんなことが罷り通ったら日本は真っ暗闇になる…(中略)
国会で脱原発を通すなら、脱原発を唱える議員が多数を占めなければなりません…(後略)」。
集団リンチのように小沢氏を叩き続けたのもマスコミなら、原発安全神話を振り撒き、再稼働まっしぐらの自民党を政権復帰させるべく世論操作をしているのもマスコミだ。
明日(16日)は衆院選と東京都知事選の投票日である。
マスコミによる刷り込みを撥ね除けて、有権者の大多数が自分自身の判断で投票することを願う。
・・・
6/28のこの人のツイッター
田中龍作 @tanakaryusaku · 6月28日
自民勉強会で飛び出した「報道圧力」発言は、安倍政権の本音だ。報道圧力なんて何十年も前からあったが、今のように露骨ではなかった。マスコミも少しは骨があった。
安倍政権がこの先も続いたら新聞社は2社、共同と時事は併せて連合通信なんてことになりかねない。記者は免許制となる。
・・・でも2年半前の彼の文章を読んでいたから白々しいと思った。
giants55さん、コメントの方々に同意します。結局は極端な思考は合わせ鏡の様な物、本当にそうですね。
与野党を問わず、政治家全体の“質”が非常に劣化して来ているという感じはしますね。と言うか、そういう政治家を選んでしまっている国民自体が、劣化しているとも言えますが。
今回の件に関し、某ニュース番組で“街の声”を紹介していましたが、30代と思しき男性が「マスコミも捏造が多いから、『懲らしめる。』というのも理解出来る。」といった趣旨の発言を、したり顔で口にしているのは、正直驚きました。近年特に強まっている様に感じるのですが、「政治家を、一般人と全く同一に捉える様な思考。」には、何だかなあという思いが在ります。相手が政治家だからといって、何を書いたり報道したりしても良い訳では無く、況してや誤報は許されない。其れは当たり前の事なのですが、政治家は“国民の生殺与奪権を握る存在”というのが頭から抜け落ち、「我々と同一に扱うべき。」とでも思っている様な擁護論には、流石に「違うだろ。」と思ってしまいます。
「自分達にとって不都合な報道。→頭に来るから、力尽くで抑え込んでも構わない。」という思考が正当とでも言うのならば、そういう思考の権力者達が次に行うのは、「自分達と少しでも主義&主張が異なる連中は、力尽くで抑え込む。」という流れになるのは、一寸した想像力が在れば、其の可能性を懸念するのは普通の事。色んな意味で想像力が欠落し、ネット上に転がっている様な怪しげな情報(大概がガセネタだったりする訳ですが。)を盲目的に信じ込み、したり顔で語る人間(老若男女を問わず。)が結構見掛けられるのは、非常に危うさを覚える。
あそこの酒あまり好きじゃないけど、これで一生飲む気なくなった(苦笑)。一時期やたら行きつけの酒屋が勧めてくるから買ってたけど。社長が議員になる遥か前の話だが。
御大と御大シンパの右翼記者が地元紙乗っ取ったころは能登原発やダムの反対運動の最盛期でした。余談だがその建設取り消し訴訟に加わった元県職員を名指しはしなかったものの「石川県から叩き出してしまえ」、「かち殺してしまえ」と発言したのはのちに県の民主党幹部になった大物県議(苦笑・民主が完敗した先の選挙では裏切って自民を支援)。まずその先頭に立ったのは社会党や市民団体の若手だった(学生運動世代やね)。高橋治も先頭に立ってたから佐々木守も関わってたでしょうね。でも本当に力があったのは東本願寺(真宗大谷派)の坊さんたちだった。「お東騒動」で門主(当主。親鸞の子孫といわれている)大谷一族を数人残してほぼ全て追放した直後だけに元気だった。中には参院全国区の議員になった人もいて。その方が骨折ったのがこの碑。
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_20.htm
http://blog.goo.ne.jp/aehshinnya3/e/2573fc8b2a7a7fd6943cea7927ab53fd
その時は大して話題にもならなかったが数年後ある理由からクローズアップされ、有名になった。
クローズアップされたきっかけはこれ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E8%81%96%E6%88%A6%E5%A4%A7%E7%A2%91
http://www.asahi-net.or.jp/~ew5m-asi/awiis/8/8.htm
http://home.q02.itscom.net/ikeda/seisen-k.htm
スポンサーは地元紙や会長が県議だった電気工事会社、アパ。
両派のドンパチ、最近は後者が押してるなあ。
何ちゅうか日本のバイブルベルトならぬお経ベルトのわが地元。今は反政府・反靖国・反天皇制の大谷派とて、戦前は加賀のカリスマ僧侶暁烏敏が国家神道なんかよりはるかに強烈な天皇主義で知られた(昭和20年8月に突然戦後民主主義に早変わり)。今は大谷派にも本願寺派(西本願寺)にも批判されるこの人。地元紙が復権させようとしてるけどね。このカリスマを知ると、御大子分一派や地元紙一派は別に突然出てきた極右とは思えなかったりする。でもそもそも本願寺自体が疑似天皇制のような体制で、「本山への絶対服従」を徹底させたのは蓮如からと言われてる。実際、亡くなった後はこのあたりは必ず本願寺の親鸞の廟(円山公園の近くにある大谷祖廟。お西さんなら「大谷本廟」)への納骨するのが門徒の勤めとされていた。葬儀屋によると「最近は行く人減ってます。3分の一かなー」ということだが。蓮如の手法は創価学会が模倣しているという話もある。
福井もなんと次の首相最有力の稲田朋美先生(生長の家信者らしいね)、古くは平泉澄が。トホホ、私含めkiちがいの巣窟か!それだけ冬場は雪で頭がおかしくなるから余計なことばかり考えたり、議論、相談できるからか・・・。
佐々木守氏、懐かしい名前ですね。左翼系の思想を有した脚本家というのは知識として在りますが、世代的には特撮物を少なからず手掛けた脚本家というイメージが強いです。
彼の甥が政治家、其れも自民党籍というのは初めて知りました。赤尾敏氏や中曽根康弘元首相、渡邊恒雄氏等、元々は共産党のシンパだったけれど、転向して右翼的立場になった人が結構居ますけれど、結局は極端な思考は合わせ鏡の様な物なんでしょうね。自身、又は近しい存在が極端な思考だと、一寸した切っ掛けで正反対の方向に振れてしまう事が多いのでしょう。
以前にも書いたけれど、百田作品自体は面白いと思っていますが、人間性は最悪。「放浪記」の作者・林芙美子さんもそうですが、作品と著者の人格は必ずしも一致しないというのは珍しく無いけれど、百田氏の場合も同様。
此の人物の“小人さ”を痛感するのは、兎に角“言い訳”が多過ぎる。今回の件も「公の場では無く、閉ざされた空間で話した事で在り、居酒屋での馬鹿話みたいな物。其れを、ああだこうだ取り上げるのはおかしい。」みたいな事を言っていたけれど、公党で在る自民党の本部で開催された勉強会で在り、其れを“居酒屋”と統一に捉える感覚が、物書きとしてどうかと。自身の主義&主張に100%の自信が在るならば、女々しい言い訳を並べ立てずに、どんと構えていれば良いのに。「自分はどんな言動をしても構わないけれど、他者は同じ事をしたら絶対に許さない。」とか「異常な迄の被害者意識の強さ。」というのは極右や極左の人達に良く見られる事で、結局は似た者同士故の近親憎悪という事なのでしょうね。
人は誰しも、身勝手な部分を有している。斯く言う自分も例外では無いけれど、「自分さえ良ければ、後はどうでも良い。」と迄行ってしまうと、真っ当な大人とは言えない。其の辺の意識というのは、最低限死守しないといけないと思っています。
私の親類の旧社会党支持者も立場は違うが似た感じ。
「安倍さんは怖い」と言いつつ、「戦争になってもまあ私死んだ後だからまあええけど」
伯父さんは共産党を出てより過激な新左翼になった。その甥は昭和自民党より過激な新右翼か。
http://kunyon.com/shucho/140310.html
百田は御本がよど号ハイジャッカーに愛読されてることを感激していたとか。
うーむこの辺の人らって結局同類項のような。
上のサイト内に『「よど号」、日本赤軍、連合赤軍にも関心があるという。随分と調べている。ぜひ書いてほしい』
佐々木伯父が殆ど中身を書いた重信房子自伝も読んでるんだろうな。(2000年に捕まった後、幻冬舎の肝いりで書かれた自伝群よりも「手を入れた人」が巧すぎるのでなんとも「読ませる」ものがあったと記憶しています)
その佐々木守が全盛期の時代、岸信介は何者かという議論や説明の前に「わるいひとです」と教えられる存在だった。
ところで私は床屋のテレビで件のニュース見たが、「地元の佐々木が映ってる」と指摘したけど誰も気づいていなかった。そもそも顔が売れてない。床屋の隣の家の壁にポスター貼ってあるにもかかわらず。院政やってる御大ならすぐわかるのに。
そういや御大は地元紙をクーデターで乗っ取って今はその地元紙は御大の機関誌状態。(その対立紙が東京新聞の兄弟紙)おくやみ欄以外は読むところがないと揶揄されている。「ふるさと愛」がどうたらというキャッチフレーズなのだが、県庁所在地至上主義すぎて、よそ者の対立紙のほうが田舎に取材した記事が多いというわけで、御大や佐々木の支持層の地場産業関係者が対立紙購読し始めてる変な現象も起きている。そっちのほうが知ってる地域や人がよく取材されてるというわけ。
>百田
その前にリベラル派?(バックに古賀誠らがいるという)が開いた勉強会に来たのが浅田次郎。あの人も20年前は元自衛隊員のイメージで右翼という印象だった(私あの人の本嫌いで一冊の途中までしか読んでない。ああいうじくじくしたウェットなのがどうにもいかん)。今は御大。百田はたかじん事件以来どうも御大の道を外れ、際物とばれはじめているのでは。
>東芝
おかげで株価が100円近く下がったから、様子を見てから買いたいと思う人は多いでしょうね。落ち着けば安定資産でそこそこの配当も半年後ごとにもらえます。
電力会社の株なんてのもそういう理由で買う人が多かった。
百田尚樹氏、「自分は件の会で、『言論封殺は駄目。』と言ったし、マスコミに都合良く発言が利用された。」みたいな事を言ってますね。沖縄の2紙は偏向している。」と猛批判し乍ら、或る取材では「実は実際に紙面を読んだ事は殆ど無く、ネット上に載っている情報からそう感じている。」みたいな事を語っており、「読んでもいないのに、其処迄決め付けるんかい!」と呆れ果ててしまいました。今回の件でのコメントも、良い年をした大人とは思えない様な“見苦しい言い訳三昧”で、「安倍首相といい、極度に偏った人達って、どうしてこんなに非を認めずに、見苦しい言い訳に終始するんだろうか。」と情け無くなります。
百田氏の発言が事実だとすれば、「今回の件が漏れたのは、閉ざされたドアに耳をくっ付けて、話を聞いていた記者が居り、其処から漏れた。」と。
自分も最初は、余りに酷い発言が続いたので、参加していた議員の中に「此れは、流石に不味い。」と思ってリークした人が居たのかなあとも思いましたが、“安倍親衛隊”と呼ばれる連中許りという事で、其れは無いかなと思った次第。
「リベラル系の議員が、同じ25日に勉強会を予定していた。」という話は、26日のTBSラジオで知りました。講師として呼ばれていた漫画家の小林よしのり氏が暴露していたのですが、最初自分が呼ばれる事を知り、「安倍政権に対して厳しい事を言っている自分を呼ぶとは、自民党の中にも骨が在る奴が居るんだなあ。」と感心したそうですが、開かれる数日前になって急に、「運営上の都合で開けなくなった。」との連絡が在ったとか。
でも、同日に安倍首相に近しい連中の勉強会は普通に開催された事を知り、「異論は許さないという事で、上層部から圧力を掛けられ、其れで会議は開かれなくなったんだな。異論は一切許さずというのは、極めて異常な事態。骨が在る連中と思ったけど、結局は上の顔色を見て態度を変えた腰抜けだったんだ。」と思ったとか。
小林氏と言えば、“保守派”で且つ“改憲派”。「安倍首相の遣り方がおかしい。」と主張しただけで、自民党の考え方とは本来重なる部分が少なく無い小林氏を排除したというのは、余りにも狭量としか思えない。
“朝生”の件もそうだけれど、今の自民党には「異論を一切許さない!」という空気が蔓延していると思う。言っている事は真面に感じられる小泉Jr.も、こういう時になると黙りを決め込む。原発廃止を掲げる親父(小泉元首相)や安倍首相夫人も含め、結局は「安倍政権に批判的な人間のガス抜きを行う為、然も政権に批判的な事を言っているだけ。」の様な気がしてならない。
昔の自民党は、様々な主張や思考の人間が居て、其れなりに懐が深かった。今の自民党は安倍首相の言い成りになる人間許りで、そんなのなら物を言えない案山子でも代わりに置いておけば良い。
で、いろんな意見も出尽くしてるかと思いますので、ちょっと角度を変えて私見を少々。
まず疑問。この会合では、マスコミに公開されたのは冒頭の2分ほどで、あとは一種の内輪の雑談のような状況の中で、ああした発言が出たそうです。オフレコだからこそ、いいたい放題、好き勝手に喋ったのでしょう。
となると、これらの発言がどうしてマスコミに出てしまったのかが謎です。
報道によると、出席者らから話を聞くなど独自の方法で各マスコミが取材した、という事のようですが、となると、出席者の中に、あまりのひどい発言に憤りを感じてマスコミに会議内容をバラした議員がいた、という事になりますね。発言に賛同する議員なら、会議の内容を外に漏らしたりはしないでしょうから。
この、マスコミに漏らした議員を、自民党内にも良心的な議員がいた、と褒めるべきか、逆に内部情報(特に政権に大打撃を与えるのは目に見えている)を簡単に漏らしてしまうようでは政治家失格と批判すべきかは、意見の分かれる所ではあるでしょうが。
もう一つ、騒動の陰に隠れてあまり話題になってませんが、同じ6月25日に、自民党内のリベラル系とされる議員の勉強会が予定されていましたが、党幹部から「法案審議に影響がある」との指摘が出て中止に追い込まれています。
タカ派からリベラル派まで、党内にいろんな意見がある事が自民党の長所だったはずで、こんな事に神経をとがらせ、封殺するとは呆れます。そうした行動が、却って党への不信感を生む自殺行為であるという事に党幹部は気がつかないのでしょうか。
最後に1点、本日未明、テレビ朝日系で放映された「朝まで生テレビ」で、与野党の若手議員がパネラーとして出席するはずだったのが、直前になって自民党と公明党の出演予定者がドタキャンしたそうです。
私も見てましたが、前日までは出席を了承していたのが、次々とキャンセルの連絡を入れて来たそうで、ある一人は「急に体調が悪くなり、病院に行くから出られない」という理由だそうで、これには吹き出しました。あまりに見え透いてます(笑)。
まあ要するに「若手に喋らせたら何言うか分からん。失言して審議に影響したらマズいから出させるな」と党幹部の意向が働いたのに間違いないでしょう。
議員は、いろんな所に出て行って、意見や政策を述べるのが仕事でしょう。別に当の懇話会に出た議員を呼べと言ってるわけでもないし、はっきりと、「不適切な発言をした議員もいたが、党としては言論統制する意思は毛頭ない」と言えばいいだけの話です。自民に同調してキャンセルした公明党もダラシないですね。
若手議員もバカなら、余裕を失って過剰防衛に走る党幹部もバカ。首相はアノ通りだし、さりとて民主党には任せられないし…。この国、本当に大丈夫でしょうか。
知り合いの高齢者(女性)は、連れ合いが政府系の企業に長年勤務していた事も在り、「自民党以外の政党に付いては何でも彼んでもぼろ糞に言うのに、自民党の事は明々白々に悪い事柄でも、一切批判しない。」という御仁。安倍政権のおかしさを理論的に話しても、「そんな事は無い。」とか「杞憂だ。」の一言で片付ける。では、「何で在り得ないと思うの?」と聞くと、「何と無く。」と答える。挙句、「此の国がおかしくなったとしても、其れは自分や子供、そして孫達が生きている後以降だろうから、関係無い。」なんぞと答えるのを聞いて、「此の人は、自分たちさえ良ければ、後はどうでも良いっていう身勝手な人なんだな。」と呆れてしまった次第。そういう人が増えている様に感じられるのは、本当に残念な事です。
結局、ホリエモンは出捲り過ぎたから逮捕されたけど、東芝の場合はそういう人間が居ないから、逮捕される人が居ないという事なのでしょうね。
件の発言の主、所謂“安倍チルドレン”の1人だとか。親分も幼稚なら、子分も同様。又、百田氏は自身の発言を「冗談だった。」とした上で、「非公開の会の会話を、ドアに耳を付けて盗み聞きし、話の一部だけを取り上げて批判するマスコミはおかしい。」といった批判をしていましたが、都合の悪い言動は全て「冗談」で済ませるのは、此の人の特徴。大阪府知事も百田氏を擁護していたけれど、同じ穴の貉とは正に此の事。
民主党の件、全く同感です。評価すべき点も無かったでは無いが、与党になって日和り捲ったのが大失敗の元。鳩山&菅両元首相も御粗末だったが、個人的には野田元首相の責任が最も大だったと思っています。具体的な成果を上げられない状況で、勝ち目がゼロな解散選挙に出て、自民党圧勝の結果とさせた罪は大きい。其れに何よりも、嘘吐き政党の自民党に「議員定数削減」の“書面による”確約を取らなかったのは、アホとしか言い様が無い。
安倍首相・・・と言っても彼自身には知恵も才覚も全く無いので、実際には側近が行っているのでしょうが、「民主党は駄目だった。」を連呼する事により、無茶苦茶な遣り方をしている自民党を良く思わせる策を用いているのは姑息。民主党も駄目なら、自民党も駄目。国民も、其の辺はきちんと見極めないと、此の国は暴走し続ける事になってしまう。
この発言をしたご仁は必ずや公表して、次の選挙の参考にしなくてはなりません。
正直、民主党政権は失敗でした。後遺症も残りました。その民主党政権の最大の後遺症が、これではないでしょうか。野党がだらしないから自民党がおごりたかぶり好き勝手するのです。野党、特に第1党の民主党の責任は大きいです。
以前にも書いたのですが、百田尚樹氏は“劣等感の塊”なのだと感じています。自分からすれば“充分に優秀な大学”を出る等、劣等感なんか持つ必要の無い成功者だと思うのですが、彼の自伝とも思える「錨を上げよ」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/8f611638f1cbccaa99ad40edfc4f2430)からは、彼の鬱屈した劣等感が強く滲み出ている。「優秀なのに、重きを置かれて来なかった。」という思いがずっと在った中、作家として人気が出て、そして時の首相の知己を得た。鬱屈した劣等感が強かった反動で、「自分の過激な言動がマスメディアに屡々取り上げられる事が、心から嬉しくて堪らない。」という極めて幼稚な思いが在るのではないかと。(そういう面は、安倍首相に非常に似ていますが。)
「ピンチになった時程、其の人の人間性が表れる。」と言いますよね。今回の問題で昨日、安倍首相が発言した内容が、実に興味深い。「誤解を与える様な言動は慎まなければいけない。でも、言うべき事は、此れからも言って行く。」といった趣旨の発言でしたが、「凄く幼稚だなあ。」と思いました。
と言うのも、此の人の此れ迄の発言を振り返ると、謝罪すべき時に“真の謝罪”が出来ない人だからです。真面な人間ならば、本当に悪いと思っていたら、「ごめんなさい。」と言うのが普通。でも、安倍首相は「悪かった。でも・・・。」等、必ず“反撃の言葉”を入れる。「少しでも非を認めたら、自分の存在価値が無くなってしまう。」とでも思っているのでしょう。実に幼稚。
数に驕った傲慢、今の自民党は正にそういう雰囲気が充満していますね。昔の自民党にもアホな議員は居たけれど、そういう輩の不埒な言動が明らかになると、党内から“真摯に諌める声”が出たけれど、今は“形だけ諌める声”は出るものの、“真摯に諌める声”は出ない。其れが証拠に、同じ様に傲慢な言動が続く。
首相が“餓鬼”だから、議員も餓鬼な連中許り。全く恥ずかしいです。
この程度の人間を国会議員にしている「美しい国」の貧困が悲しい。