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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

気遣いも色々

2011年11月29日 | 其の他

先日、或る宝籤売り場で「BIG」を購入した際の出来事。購入したのは何時もと同様に「2口」で、代金は合計600円。千円札1枚を出した所、売り場の女性(30代前半か?)がチケットの上に御釣りの400円を載せて、此方に渡そうとしたのだが、100円玉1枚が落ちてしまった。100円玉が落ちたのはカウンター上、其れも女性の左手の直ぐ。当然、其の100円玉を拾い上げ、400円にして渡してくれると思いきや・・・。

 

女性は横の小銭入れから別の100円玉1枚を取り出し、何事も無かったかの様に残りの300円等と一緒にして、笑顔で「有り難う御座いました。」と渡してくれたのだった。「えっ?何で態々、別の100円玉を出して来たの?」と一瞬不思議に思うも、あっ、そうか。だけに、御釣りに“落とした小銭”を渡すのは縁起が良くない。』と考えての、客に対する気遣いなんだろうな。と理解した。以前に落とした御釣りを其の渡し、客から文句を言われた経験が在るのかもしれないが、然りげ無い気遣いに感心してしまった。

 

こういった然りげ無い気遣いが在る一方で、「過剰な気遣いじゃないかなあ。」と思ってしまうケースも在る。「セレブな客が良く買い物に来る。」と言われていたスーパーに、以前1度だけ買い物に行った事が在るのだけれど、其処ではレジで買い物をした際、1点1点を店員がレジ袋に詰めてくれるスタイルが採られていた。自分の様な貧乏人には、そんなスタイルだけでも居心地が悪くなってしまうのだけれど、詰める際に「此れは加工食品なので、別の袋に詰めますね。」、「フルーツですので、別の袋に詰めさせて貰います。」、「御菓子は別の袋に詰めますね。」等々と、兎に角、詰める袋を細分化するのだ。購入した商品は15点で、結局袋は6つに分けられてしまった。

 

勿論、袋が多くなったからと言って、袋代を別途徴収する訳では無かったのだが(当時、レジ袋は有料化されていなかった。)、「ドラッグストアで買い物をした際、薬と飲食物が一緒の袋に詰められても全然OK。」という感じの自分なので、「そんなにビニール袋を使って、勿体無いなあ。せめて『ビニール袋を細分化しますか?』と客に聞いて、『御願いします。』と答えた場合に、そうすれば良いのに。」と思ってしまったもの。貧乏人ならではのせこい考え方かもしれないが・・・。


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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県内デパート (AK)
2011-11-29 15:00:53
エコバックを出しているご常連の客がいたのですが、野菜、魚パックなどに丁寧にビニールの袋と保冷剤をつけてくれて、あまり「エコ」ではないな、と思いました。そのデパート周辺にはスーパー等ありませんので地元客が多く、生鮮物の値段もスーパー等に比較してさして高いとは思いませんでしたが、レジ2人体制で至れり尽くせりですからコストがかかるなあと思いました。
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過剰包装大国 (悠々遊)
2011-11-29 22:07:15
本当の心遣いなのか、上辺だけ飾れば客は満足すると思っているのか。まあ、受け取る側の気持ちの持ちようでもあるわけですが。

魚屋や八百屋で、買ったものを新聞紙に包んでもらって、買い物籠に入れて持ち帰った記憶のある世代なので、パック商品をさらにレジ袋に入れてもらって、というのはやりすぎ、と思ったこともありましたが、馴れというのは恐ろしいもので・・・。

日本は資源の無い国なのに、世界に冠たる過剰包装大国です。そろそろ本気でダイエットを考えなくてはね。

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>AK様 (giants-55)
2011-11-30 00:09:12
書き込み有り難う御座いました。

「行き過ぎたエコ運動」もどうかとは思うのですが、過剰包装等、無駄を感じる事は未だ在りますね。

エコとは無関係なれど、デパートに行くと客が大して居ないのに、手持無沙汰な店員が多いのも「無駄だよなあ。」と思ってしまう訳ですが、其の一方で「効率化を求める余り、人間が介在する部分はどんどん減らされて行ってしまうと、働き場を失う人が今以上に増えてしまうのもまずいなあ。」と懸念したりもします。
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>悠々遊様 (giants-55)
2011-11-30 00:19:42
書き込み有り難う御座いました。今回は此方にレスを付けさせて貰います。

年齢的に言えば悠々遊様は私よりも“先輩”に当たられると思うのですが、名古屋の片田舎に住んでいた幼少時には、夕方になると豆腐売りのラッパの音が聞こえ、母親から「豆腐を1丁買って来て。」と頼まれると、豆腐を入れるボウルを持ち、走って買いに行ったものです。豆腐屋のおっちゃんが水に浸かった豆腐を取り上げ、其れをボウルに入れてくれる。街中では個人が経営する八百屋や魚屋が普通に在り、其処でも包装なんかはしていませんでしたね。

何時の頃からか「過剰包装」が当たり前に感じてしまっていて、本当に「慣れ」というのは怖い物です。昔の如く「基本的に無包装」なんていうのは無理にしても、もっとシンプルな包装で在って良いと思います。
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