ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「死んだ山田と教室」

2024年09月09日 | 書籍関連

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夏休みが終わる直前、山田(やまだ)が死んだ。飲酒運転の車に轢かれたらしい。山田は勉強が出来て、面白くて、誰にでも優しい、2年E組の人気者だった。

2学期初日の教室。悲しみに沈むクラスを元気付け様と、担任の花浦(はなうら)が席替えを提案したタイミングで、教室のスピーカーから山田の声が聞こえて来た。教室は騒然となった。山田のは、どうやらスピーカーに憑依してしまったらしい。「俺、2年E組が大好きなんで。」。声だけになった山田と、2Eの仲間達の不思議な日々が始まった。
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第65回(2024年)メフィスト賞を受賞した小説死んだ山田と教室」(著者金子玲介氏)は、其のタイトル然る事乍ら、表紙に使われている写真から強烈インパクトを受け、書店で思わず手に取ってしまった程。

「啓栄大学附属穂木高等学校通称:穂木高)という超優秀な男子校に通っていた2年E組の“山田”が、夏休み中に事故死。だが、彼の魂は2年E組の教室のスピーカーに憑依し、クラスメート達とコミュニケーションを取り続けて行く。」という、とてもユニークな設定。

もう30年近く前だが、会社の後輩にK君がた。学生時代、劣等生だった自分とは異なり、彼は超難関大学卒業という経歴だったが、“御笑い大好き人間”という共通点が在り、良く飲みに行ったりした。K君は大学と同じ系列の高校を卒業しており、其の高校も又、超難関校。誰もが知る其の高校がどんな感じだったのかに興味が在り、色々話を聞いた所、「結構、馬鹿な事許りしてましたよ。」と笑って彼が話してくれた逸話の1つが、“地震ゲーム”なる物。「授業中に『〇時〇分に地震発生。』と書かれたメモがクラス内にこっそり回され、其の時間になると、皆が机をガタガタと揺らす。」という実に馬鹿らしい遊びで、「あんな優秀な学校でも、そんな事をしていたのか。」と大笑いしてしまった。

程度の差は在れ、そういう他愛無い事って10代の頃は、少なからずの人がしていたのではなかろうか?斯く言う自分もそんな1人。なので、「死んだ山田と教室」での2Eの生徒達(山田を含む。)の言動には、“懐かしい感じ”が在った。

「“スピ山(スピーカーに憑依した山田)”は聴覚しか残っていないので、教室内に誰が居るのか全く判らない。スピ山の存在を知っているのは2Eの生徒と其の担任の花浦だけで在り、『他の人間にスピ山の存在を知られてしまうと大騒ぎになって、山田とコミュニケーションが取れなくなるかも知れない。』と、スピ山とコミュニケーションを取る前には必ず合言葉を言い、其れを確認したらスピ山は話す。」という取り決めをするのだけれど、其の合言葉が「おちんちん体操第二」というのだから本当に馬鹿馬鹿しく、自分の高校時代の“馬鹿な思い出”と重ね合わせてしまった。


「優秀なのに誰にも優しく、そして面白い。」という“愛されキャラ”の山田。なので、彼が亡くなってから2ヶ月も経った文化祭で2Eは、「金髪のた被り、左目の下に黒子模したシールを貼る。」事で山田に扮した生徒達が接客する「山田カフェ」を開く程。外部から来た客は、山田なんか全く知らないだろうに・・・。

そんな馬鹿馬鹿しさと陽気さに溢れているストーリーが、軈ては“別の面”を見せる。山田の“知られざる顔”が、明らかとなって行くのだ。其れの馬鹿馬鹿しさ&明るさが際立っていただけに、ギャップは余りに大きい。

そして、スピ山として“生き続け”、2Eの生徒達以外とは一切コミュニケーションが取れない辛さを思うと、何とも言えない気持ちになる2Eの生徒達との関係が疎遠になればなる程、一層だ。

此の作品を読んでいてオーヴァーラップしてしまったのは、敬愛する手塚治虫氏の「火の鳥(未来編)」と「雨ふり小僧生前7代目・立川談志氏が「一番好きな手塚作品。」と語っていたっけ。)だ。

「火の鳥から“永遠の命”を得た事で、核戦争勃発によって全ての生命体絶滅した地球で、永遠に生き続ける山之辺マサト(やまのべ まさと)。」という設定の「火の鳥(未来編)」では、自分以外誰も存在しない地球で、肉体が朽ち果てても“意識”だけは残り続ける、“絶望的孤独感に懊悩し続ける設定。が強く印象に残っているが、校内に誰も居なくなる夜だけでは無く、年を重ねるにコミュニケーションを取れる相手が居なくなって行くスピ山も又、同様の思いを持っていた事だろう。

「貧しかった中学時代、妖怪雨ふり小僧と仲良くなった事で、楽しい日々を送れる様になったモウ太(もうた)。彼は雨ふり小僧と或る約束を交わすのだが、急遽引っ越す事になってしまい、又、日常に忙殺される中で、其の約束のみならず、雨ふり小僧の事すらもすっかり忘れてしまう。そんなモウ太も大人になり、結婚して3人の子供に恵まれる等、順風な生活を送っていた時、娘の言葉から雨ふり小僧との約束を思い出す。慌てて雨ふり小僧との思い出の場所に駆け付けたのは、最後に彼と会ってから40年後の事。ボロボロになった姿の雨ふり小僧は、モウ太を待ち続けており、約束を守ってくれた事を喜んでから姿を消す。」というストーリーの「雨ふり小僧」。ネタバレになってしまうが、「2Eの生徒の1人とスピ山が交わした約束も、非常に長期間果たされる事が無かったものの、結果的には果たされる事になる。」という展開は、スピ山及び雨ふり小僧が持っていたで在ろう“絶望的な孤独感”という共通点も相俟って堪らない思いに

文章は決して上手く無いし、記述的にも判り辛い部分が在る「死んだ山田と教室」。だが、青春小説”として惹かれる所が在り、2Eの生徒達が3年生に進級して以降の展開には、ぐんぐん引き込まれて行った人間は2度死ぬ。1度目は、肉体が滅んだ時。そして2度目は、人々の記憶から消え去った時。という有名な言葉を思い出す。

総合評価は、星3.5個とする。


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